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雉白書屋短編集  作者: 雉白書屋


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若き記憶

「……久しぶりだな」

「久しぶりね……」

「だな……」


 椅子に座り丸いテーブルを囲む三人の男女。貴婦人のような出で立ちの女に太った男と痩せた男。

 お互いその目に過去の姿を映そうと、しきりに瞬きをしていたが無理だった。が、誰もそれを口にしようとはしない。代わりに出た言葉は『いい歳のとり方をしたもんだ』

 それぞれ同意したが体の節々の痛みがそれを否定している。


 『老いとはクソだ』


 しかし、それを口にしたなら今の自分たちは何だと言うんだ。だから取り繕った笑みを浮かべ、思い出話に花を咲かせる。彼が階段から降りてくるまでは。


「やぁ、旧友よ。よく集まってくれた」


「おお」

「やあ……」

「ホント久しぶりね」


 女が採点するように彼を眺める。上等な服を着ているが自然体。この日のための一張羅という訳ではなさそうだ。尤もそれは当然と言える。


「随分、いい屋敷に住んでいるじゃないか」


 痩せた男が先程見た屋敷の外観を頭に思い浮かべつつ、部屋を見渡す。

 執事らしき男に案内されたこの広い部屋。白と黒のタイルの床は大理石。壁に沿って配置してある天井近くまでの高さの本棚には高そうな本がズラリと並んでいる。しかし書庫という訳ではない。何なら飾りかもしれない。台座の上に置かれた彫像、それに本棚と本棚の間の壁にかけられた絵。花瓶、それに活けられた花までも高級そうだ。


「俺なんて、ギャンブルに失敗してホームレスよりはマシな暮らしレベルさ。こんな腹してるがな」


 太った男がポンとおなかを叩き笑った。

 しかし、目だけは笑っていない。嫉妬の炎が揺らいでいた。


 この夜、こうして集まった四人。彼らは雨の中を傘をささずに走り回り、その肌にまだ水を弾くような若さがあった頃からの知り合いだ。自然の流れ。いつしか会わなくなったが、こうして彼の呼びかけに応じ、久々に顔を合わせる運びとなったのだ。今日でなければこの中の誰かの葬式で会っていたかもしれない。と、各々思っては自虐的な笑みをこぼす。

 ぎこちなく笑うのは久々にあったからだけではない。呼び出された三人は妙にそわそわしていた。その様子からお互い、同じ話を聞かされたのではと思った。

 では誰が切り出すか? 目配せの結果、女が口を開いた。全く男どもは……とばかりにフンと鼻を鳴らすのを忘れずに。


「それで……肌に良い薬があるとか?」


 あの電話の内容が本当ならすぐにでも飛びつき、胸倉を掴んで体を揺さぶってやりたいところだった。

 彼が冗談を言うような人間ではないことはわかっている。しかし、老齢により妙なユーモアを持ち合わせたかもしれない。だからあえて回りくどく言ったのだ。彼女は踊らされる阿呆になりたくはなかった。

 次に、太った男が咳払いをし、痩せた男がそれに促されたように言った。


「そうそう、若返りの薬があると聞いたよ」


 三人を自分の屋敷に呼び集めた彼はニヤッと笑った。深い皺に影ができる。

 それを見て、三人はふと現実に立ち返った。こう思ったのだ。


 もし、そんな薬があるのなら、まず自分で飲むはずじゃないか。


 夢物語。我々を呼び集めるための嘘だったのだ。

 ……しかし、許そう。もともと奥手の彼が知恵を絞って考えた策なのだ。それに乗ってあげた。決して乗せられたわけじゃない。だから怒るわけにはいかない。少ししたら用事があるとでも言って帰ろう。三人はそう考えた。


 無言。妙な間。どこか気恥ずかしい空気が流れた。しかし、それを彼が断ち切る。

 彼が丸テーブルに置いたもの、大きなフラスコに入った透明な液体。それを同時に見つめた三人に彼が言った。


「これが若返りの薬だよ」


 一人は心臓の鼓動が速まるのを感じ

 一人は唾を飲み込み

 一人は顔がにやけた。


 そしてハッとお互いを見合い、すぐに平静を装った。

 あるわけがない。そんなものは。第一……。


「なぜ、まず私がそれを飲まないのかと思っているんだね。実は飲んだんだよ。ほんのスプーン一杯分ね」


 彼がそう言うと被っていた帽子をとった。そこには黒々とした髪の毛が生えていた。


「それで少し若返ったと言うわけさ」


 確かに言われてみれば顔も髪に合って若返っているようにも見える。二人の男は思わず自分の頭皮に触れた。薄くなり、白髪しかない。


「で、でも、どうしてもっと飲まなかったの? まさか制限でもあるの?」


 女が彼に訊ねた。視線はフラスコと彼の髪を行ったり来たりしている。


「いいや、ないだろうね。でも、どうせなら君たちと一緒に飲みたかったんだ。若い頃からの友人、親友の君たちと分かち合いたくてね」


 親友。その言葉を聞いた三人は首を傾げかけた。加齢による痛みがなければスムーズにそうしていたかもしれない。

 確かに友人であることに違いないが彼抜きで、つまりこの三人で遊ぶことのほうが多かった気がする。

 しかし、それは過去のこと。思い出すのも一苦労な上に今、水を差すような事を言って彼の機嫌を損ねるような失敗はしない。老いたとは言え、そのくらいの判断力はまだこの三人にはあった。


 不自然さを伴う笑いをした後、昔みたく四人で回し飲みしようという結論に至った。まず最初に手を伸ばしたのは女だ。恐る恐るだが、おおよそコップ一杯分ほど飲んだ。

 次に太っちょの男がそれを奪い取るようにし、口をつけ痩せた男が制止するまで飲んだ。痩せた男も負けじと同じくらい飲んだ。


「お、お、おおおおおお!」


 三人は自分の手を広げ、見つめる。見る見るうちに皺が消えていくではないか!

 その手を顔に当てれば顔の皺も無くなっていることに気づいた。体の痛みは消え、肉体にかつての燃えるような力が宿るのがわかる。脂肪が消え、筋肉が、硬さが再び盛り上がる。女は戻ってきた自分の体の柔らかな部分を愛撫する。そして三人は雄叫びを上げた。

 太った男が女の腰に手をやり自分のもとに寄せ、熱いキスをした。

 痩せた男は二人を引き剥がし、同じように女に熱いキスをした。

 女は二人の顔をくすぐるように指を遊ばせた。


 この女は昔、この二人の男と付き合っていた時期がある。もちろん、同時にではない。だが、男たちは友であり恋敵でもあるのだ。

 その頃の気持ちも若返りと共に蘇ってくる。あの時の情熱が戻った今、かつての醜い肌を隠すための厚着は邪魔だった。お互いが、また自らが服を破り、そしてお互いの若さを強く、強く貪りあった。


 投げ捨てた椅子。ボキッという音がした後、女の叫び声が部屋に木霊した。

 女はヒィィィィィィィィヤッッハァ! と、カウボーイが馬を走らせるように叫び、テーブルの上に乗った痩せた男の上に跨り腰を振る。それは糸のついた操り人形を子供が無茶苦茶にただ振るように手足も首も洗練さを欠いた動きだった。

 太った男が女を後ろから抱きかかえ、床に押し倒し、その上に乗り腰を振った。

 針が振りきれたような三人の笑い声が部屋を満たす。

 女は彫像に持たれかかると尻を突き上げ二人の男を誘う。受け止めきれず彫像と共に倒れるとまた笑う。



 その様子を彼は階段に腰を下ろし、フラスコの中の僅かとなった液体を揺らしながら眺めていた。いつの間にかフラスコには栓がされていた。

 彼が栓をする際にキュッと音が鳴ったのだがこの騒ぎの中で三人がそれを、彼が薬を飲んでいないことにも気づくはずがなかった。


 彼は骨が折れる音に耳を澄ましながら、回想にふける。若い頃にこの三人からされた仕打ちの数々。からかわれ、存在を軽んじられ、弄ばれた過去。これまでそれを思い出すたびにどれだけ体の内側から焼かれる感覚を味わったことだろう。どれだけ何本もの鉄の杭が胸の辺りに埋没している感覚を味わったのだろう。いつまで続くのだろう。寿命が尽きるまで。だが、それは果たして本当に救いなのだろうか。


 彼はフッと息を漏らした。

 復讐は甘美だ。喉が痛くなるほどに。

 

 彼が着けていたカツラを取り、目頭を揉んでいることにも気づかずに三人は狂宴を続ける。痩せたままの男と太ったままの男が血まみれで取っ組み合い、女を取り合う。

 すでに女の骨は無傷なほうが少ないだろう。それでもなお笑う。彫像を倒し、絵を引き剥がし、花瓶を投げつけ男たちの殴り合いは続く。


 幻覚剤の効果が切れるまで。果たしてそれは三人が事切れるより先か後か。彼らの中の若さだけが知っている。

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