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雉白書屋短編集  作者: 雉白書屋


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カインズの覚悟

 ――まるで秘密結社の入社面接だ。


 ふとそう思ったカインズは小さな笑いを漏らした。それを真ん中に座る小太りの男は見逃さなかった。


「何がおかしいのかね、カインズくん?」


『……僕の後ろに立つ、あなたの部下のレザーフェイスみたいな男が僕の体を散々痛めつけてくれたおかげで僕の体は壊れた掛け時計のように変な音が出るようになったんです』


 ……なんて軽口を叩く気にはなれなかった。今も唇が腫れ上がっているのがわかる。きっと裂けたミニトマトのようにパックリと切れているはずだ。舐めたら血の味がした。


 小太りの男の問いかけに黙っていると、カインズから見て、その右隣に座る黒いヘルメットみたいな髪型の女が小さく咳払いをし、話し始めた。


「こレが最終ツーコクですヨ。カインズさん」


 妙なイントネーションでまた笑いが出そうになったが、カインズは堪えた。そうすると脇腹が痛くなり、思わず咳き込み、小太りの男の左隣に座る痩せた男が顔をしかめた。

 最初に見たときから潔癖症の気がありそうな男だと思った。早くこんなところから出たいとでも考えているのだろう。

 俺もだよ。と、カインズはニッと笑ったつもりだったが笑顔は腫れ上がった肉に埋もれて三人には見えなかった。見えたとしてもカインズは拷問の末、正気を失いかけているのだと解釈するだろう。


 カインズの感性はまともだ。まだ。幸運にもか残念ながらか。

 カインズが感じたとおり、三人は長机の後ろに並べられたパイプ椅子に座っていて、意図してかせずか面接官のような雰囲気を醸し出している。

 普段はそんな安物の椅子に座る身分ではない。ただこんな薄暗く、水色のタイル張りの床。遺体安置所のような場所にわざわざお気に入りの椅子を持ってくる気はないのだろう。尤も命令すれば誰かに運ばせることはできるだろうが。


 カインズがなぜこのような状況に陥ったか。単純な話、スパイ容疑をかけられたからだ。

 この国は西と東で割れ、今にも戦争が起ころうとしている。そうなった場合、物を言うのが情報だ。カインズは敵対勢力に情報を流していると疑われたのだ。

 疑われた、と言うよりかは、もうあの三人にとっては確定的なのだろう。仮に違ったとしても、それを確かめる気はない。最終的には殺して終わりだ。

 無論、彼らは手を汚さない。実行犯は……とカインズの後ろに立っていたはずの大男がいつの間にかいなくなっていたかと思えば格式の高いレストランのディナーを運ぶような台車をガロゴロと転がしてきた。

 上に乗っている物には布がかけられている。


「さぁ、どうしますか? 喋りますか? それとも――」


 人間やめますか? ふと頭に浮かんだ麻薬撲滅のキャッチフレーズだ。『麻薬やめますか? 人間やめますか?』女はそうは言わなかった。何も。ただ、あながち遠くないのでは、とカインズは思った。

 女が視線を送った先、運ばれてきた物。あの布の下にはどんな拷問器具が出番を控えているのだろう。

 電気。痛みと恐怖を与えるにはそれが効率が良い。口の中に電極を差し込みそして……。


「……訊きたいんだが」


 ヒソヒソと話していた三人がカインズに目を向ける。


「……俺はどっちを選べば良いと思う? あんたらがもし仮に俺が全てを洗いざらい話せば解放すると言っても、俺を攫ってこんなにしてくれた連中とする約束なんてこれっぽっちも信用できない。

実際、話したところで俺は明日、川に浮かぶかどっかの廃墟の中でレンガを枕にしてるだろう?」


 カインズは自分自身、驚いていた。唇だけじゃなく、口の中も何箇所か切れているのにこんなにも舌が回ることに。

 それに言葉もポンポン浮かんでくる。脳が死を予感し、貯めてあった脳内物質を大放出しているのだろうか。

『さあさあどうぞそこの奥さん見て行ってよ! 閉店セールだよ! これがおススメ、カインズの幼少期の記憶だ! ほーら、クラスメイトの女の子に意地悪して泣かしちゃった場面だよ! こっちは喧嘩した友達の靴をゴミ箱に捨てた時の記憶! はっはぁ! 肉に埋まった棘のように抜けず、忘れられず膿んでいるね!』


 カインズはその中。言葉を選び、一語一語噛み締めるように吐き出す。


「で、だ。俺はあんたらに一矢報いるためにだんまりを決め込むか?

それとも全部ぶちまけて、あんたたちがわずかにでも優しさってものを持っている事を期待して楽に殺してくれるよう頼むか? なぁ、どっちがいいと思う?

ああ、俺の横のレザーフェイスには訊いてないぞ。この男は拷問好きの変態だろうからな。ああ、それとそうだ――」


 ピアニストとはこんな気分だろうか、とカインズは思った。ピアノなど弾いたことはないが、旋律を生む滑らかな指の動きのように舌が、脳が止まらない。踊り出したい、いや、カインズは踊っていた。皮肉たっぷりのエールを飲み干し、吐き出す息を三人に浴びせ、軽やかに踊った。言葉はシャボン玉のように大量に浮かんでは弾け、酔いしれたカインズは笑みを隠すことをやめた。

 

 一方。ただじっと見ていた三人だったが、カインズの演説が終わると目配せをして(恐らく誰が言うのか決めていたのだろう)真ん中に座る小太りの男が口を開いた。


「……そうはならないんだよカインズさん」


「……ははっ。『そうはならない』って? 何がだ? 死体の処分方法か?」


 覚悟は決まった。もしかしたらトレーの上に大量にグラスを乗せた新人ウェイトレスのように危なげで脆い覚悟かもしれないが、この瞬間、カインズは確かに己の運命を受け止めていた。

 カインズは確かにスパイだった。だが握っているのは何も敵の情報だけではない。味方の計画。つまり目の前にいる、いけ好かない連中に一泡食わせることができる一手。

 脳内で反復すればするほど、覚悟は強まっていく。勝利を持ってこの国を一つに。この時、カインズの殉教者精神は極限まで高まった。


「君は死なない。意見は割れていたが、今一致したんだ。君の話しっぷりを見てね。実に肝が据わって、いや、いい頭脳だ」


 それは神に仕えた牧師の一言のようだった。威厳たっぷりで思わず手を合わせたくなるような。カインズは後ろ手を縛られているので無理なことだが。

 カインズはただ口に入れられた希望を飲み込まないようにと心を制していた。懐柔するつもりなのか。揺らぐ。そのまま受け入れれば間違いなく今しがたした覚悟が。自分に都合の良い言葉を信じたい。だがそれは偽りの言葉だ。希望を与えられ、そして奪われる。死の瞬間にこれほど残酷で恐ろしい添え物を味わいたくはなかったのだ。


「例の物をカインズさんに見せてあげなさい。さあさあ、布を取れ」


 大男が布を取った。ディナーの登場。姿を現すは自分を最終的に死に至らしめる拷問器具。

 カインズは瞼を閉じた。ただそれは自分の意思に反してのことだ。カインズは堂々と真正面からそれを見据えてやろうと思っていた。そして鼻で笑ってやろうとも。

 しかし、刺激臭のようなものを嗅ぐと同時に目がしみたので瞼を閉じるしかなかったのだ。


「これは……?」


 瞼を開いたカインズの前にあるもの。

 それは巨大なクラゲのようだった。

 ただ水槽に入っているわけじゃない。剥き出しで置かれていて全体が粘々している。色合いからしてバケツ一杯分の痰を被ったみたいだった。


 ――生きているのか?


 その疑問を口にする前に水撒きホースのような太い触手がビタンと動いた。


「それは彼らから貸し与えられたものだよ。食いでがある脳が好きでね。よく効くんだ。それの前では、いや、それをしたあとでは隠し事などできない。何故なら君も私たちと同じ、彼らのしもべになるからさ」


 やがてこの国の争いは終わる。それどころか、いずれこの星はひとつになる。彼らのものに。

 小太りの男はそう付け加えたが、カインズの悲鳴に掻き消され、カインズの耳には届かなかった。


 カインズの頭上に掲げられたそれから粘液が垂れ落ちる。そして蠢く触手がカインズの口に、鼻に、目に、耳の穴の中に滑り込む。

 伸縮自在の触手はただ一箇所。脳を目指す。

 脳はやはり気づいていたのだ。自分が死ぬことを。

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