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雉白書屋短編集  作者: 雉白書屋


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266/705

渇いた牢獄

 ここに連れて来られて三日経った……多分。

 とても長く感じる。

 今日も今日とて雨は降らず。

 雨、雨、ああ雨よ…………。





 出社して早々、社員は全員、広間に集められた。その表情がどれも曇っている理由は上司の隣にいるあの……


「えー、これより朝礼を始めるのだが……今日は見ての通り……」


「失礼、ここからは私が。さて、もう察しの通り……諸君らの中に雨人間がいる!」


 ざわつく室内。みんな、辺りを見回し、お前か、お前じゃないのか? と目を見開き、首を振る。

 髪を後ろに一纏めにしているその女はギラついた視線を我々に向け、言葉を続ける。


「これより測定器を額に当てていく! 全員そのまま一定の距離で立ったまま動かないように!」


 サングラスをした男たちがその怒号のような声を合図に社員の額にバーコードリーダーのような装置を当てていく。全員、屈強そうだった。恐らく暴れた人間を取り押さえるために鍛えているのだろう。

 あ! と、言わんこっちゃない。逃げ出そうとした社員の一人が、あっという間に取り押さえられた。


「あ、あ、あの、あたし、あたしはぁ!」


「そいつか?」


「いえ、基準値以下です」


「なんだ紛らわしい。部屋の外に放り出して続けろ!」


 どうやら、この緊張感に耐えられず、パニックを起こしただけのようだった。ざわつく室内。騒ぎの余波は、またあの女の一喝によりピタリと収まり、淡々と測定は進みそして、とうとう俺の番がきた。さっきの混乱に乗じて逃げればよかっただろうか、と今更思っても仕方がない。それにきっと足が動かなかっただろう。数値が下回る可能性もある……などというのは楽観的、いや、現実逃避だろうか。しかし、もうそれに賭けるしかない。


 ――ピピピピピ。


「上官殿」


「ああ、こいつで間違いない。連行しろ!」


 俺は突然目の前が真っ暗になった。気分の話ではない。袋をかぶせられたのだ。

 そのまま両脇を抱えられ、どこかへ運ばれていく。耳には袋が擦れる音のほかに、みんなの話し声が聞こえた。


 ――まさかアイツが。

 ――嘘。

 ――そんな……。

 ――怖い。

 ――死刑だな。

 ――いい気味ね。

 ――とっとと消えろ。

 ――雨男がよ……。



 雨男。それ自体は昔からある言葉だ。雨男、あるいは雨女と言われていた人間は誰の身の周りにもいただろう。ただの迷信。「まったく、予定がまた延期だよ」と笑って肩を小突く程度の。

 だが、いつからかそれは違う意味、真実味を帯びるようになった。

 

 豪雨被害の地域の避難所。

『俺が行くとこ行くとこ酷い雨が降るんだ』冗談なのかそれとも罪悪感からだろうか、何にせよ、つい、なのだろう。ボソッとそう漏らしたある男。他の被災者からやつあたり混じりの憎しみをぶつけられた。

 またある地域の避難所ではもっと直接的に『お前のせいだ、行事やらなにやら大事な時はいつも雨が降るじゃないか!』と、非難された。それはどこの避難所でも、ジワジワと。染みこむように広がった。

『ああ、見てみろ、あいつが泣いたら雨が強まったぞ』

『こいつとは小学校でずっと同じクラスだった。遠足や運動会が中止になった回数は数えきれない』

『待ち合わせはいつも雨だった』



【雨人間、実在する!?】


 そう、マスメディアが雨人間を面白おかしく取り立てたことにより、その存在、そして恐怖は国民の間に一気に広まり雨人間は忌み嫌われ、恐れられたのだ。

 そして、不幸なことに雨人間というものは、まったくのデマでもなかった。さらに数年前、その存在を裏付けることになる事件が起きたのだ。


 雨人間団体のテロ。

 

 雨人間たちが集まったある地域で起こった豪雨災害。

 これにより雨人間に対する世間の風当たりも政府による取り締まりもより厳しいものになった。

 実はその集まりは単に雨男・雨女に対する迫害や中傷をやめるよう人々に訴えかけるものだったという説もネット上にはあるが、結果としてはただ憎しみを買っただけになった。

 何せ被害が甚大だ。前が見えないほどの豪雨で川が氾濫。家は流され、山は崩れ、行方不明者と死者の数は未だに把握できていない。


『我々の声を、天の声を聞け』


 確かに彼らのその主張は犯行声明にされた、と思えなくもない。雨人間たちを合法的に捕まえ、そして処理するために。


 俺には雨人間たちの気持ちもわかる。直前で遠足が中止になるたびに俺に向けられた冷ややかな目。今思い出しても背筋が凍る。年々、俺は高まる数値を何とか隠してきたが、タレコミが入ったのだろう。

 ああ、俺はどこに連れて行かれるのだろうか。ネット上の噂によれば井戸のような穴に落とされ、そして自らが呼んだ雨雲が降らす雨によって溺死させるとか。

 だが雨雲なんて呼べるわけがない。そんな能力などはないんだ。行った先でたまに雨が降ることはあるが、それだけだ。

 あとは……雨。ただ、そう夢を……なんだ……眠い……催眠ガスか薬か……。






「ここは……?」


「お、新入り、目覚めたか」


 壁が喋った……わけないか。男の声。左隣の部屋から? この雰囲気、ここは刑務所、いや、正確には……。


「ここは収容所さ」


「収容所……干からびた井戸の中じゃなくてマシ……か」


「あん? ……ああ、ネットの噂か。はっ、くだらないよな。そもそも雨人間なんていないのによ」


「え、でも数値が」


「そんなのデタラメに決まってるだろ! そうしょっちゅう雨が降るか? どこか出かけるたびに? むしろ降らないときの方が多いだろ! 確かにちょくちょく豪雨被害は起きるが、それも地球温暖化やらなんだの地球の環境の変化のせいさ。

いいか? 真相はな……政府の陰謀だよ。俺たち政府にとって邪魔な人間を堂々と始末するためのな」


「え、でも雨人間じゃないのなら俺なんて普通の人間ですよ? なぜここに……」


「はぁ……俺みたいなジャーナリストとか政府に都合が悪い人間ばかり消してたら目立つだろ?

カモフラージュだよ。凡人も混ぜとけば目立たないだろ? ……それか、あれだな。目の敵を作ってそいつらを吊るし上げて大衆の鬱憤を晴らそうって腹だ。政府に対する不満とかから目を逸らすためにな。

アンタが捕まる前、何か政治家連中のスキャンダルはなかったか? きっとそうだ……いや、あるいは……」


 男の声がどんどん小さくなっていく。まるでドアや窓を閉めたように自分の世界へ閉じこもったのだ。気が触れているのかもしれない。元々か、それともここに来てからか。


「隣の部屋の男の話に耳を貸す必要はないぞ……」


「え、あ」


 また壁から声。右隣の部屋にも人がいるようだ。


「正気じゃないんだ。まあこんな場所だ。無理もないがな」


「あ、あなたは冷静そうですね。何か、そう、ここから出る手段とかあるのですか?」


「いや。だが堂々としていればいい。我々は雨人間だ。そう・……誇り高き! 雨を呼ぶ者! 祈れ! 乞え! 雨雲を引き寄せるのだ! この牢獄を! 雨によって全てを崩し! 自由を得るのだ! ふああああああああおおお!」


 彼も正気ではなかったようだ。いったい彼らはいつからここに。そしていつまでここにいればいいんだろうか。出されるとしてもどこに連れて行かれるんだろうか。

 食事は……水は洗面台とトイレがあるが……駄目だ。蛇口をひねっても出るのは金属が擦れる音だけ。

 やけに暑い、それに喉が渇いた。窓は一つ。きっと開かない。開いたとしても手ぐらいしか出せないだろう。外はどうなって……。




 ……ここに閉じ込められてから恐らく十日経った。

 今日も雨は降らず。

 腕を噛み、血を啜り、渇きを癒す。とは言え、食料なしではこれ以上は。

 雨が降れば貯蔵タンクに水が溜まり蛇口から水が出る。先輩らが言うにはそういう仕組みらしい。だから今日も雨を乞う。

 連中の目的はそうやって雨男たちが降らせた雨で、この砂漠の進行を食い止めることなのか。

 知らないうちにこの国は、この星は水不足なのだろうか。

 頭の中でこれまで見たニュース記事をつなぎ合わせると、そんな絵図が浮かび上がってくる。

 でもそれも願望だろうか。ここにいることに意味が、大義があると、英雄的な、愚かな願望。


 やはり左隣の部屋の男が言っていたことこそが真実なのだろうか。邪魔者を閉じ込め、殺す場所。

 あの男が言うには俺が今いるこの房の前の住人はこの収容所の設計者らしい。ここで行われていることを知り、良心を痛め、告発しようとしたところを……と。皮肉だな、と拷問器具の開発者がその拷問器具で殺された話を引き合いに出し、左隣の部屋の男は笑っていた。

 ひっひっひという、しわがれた笑い声。それも日が経つにつれ聞こえなくなった。


 真実はわからない。

 何にせよ、砂の牢獄に今日も雨は降らない。

 ただ右隣の男の念仏のような祈りだけが雨音のように絶え間なく続いている。

 雨……雨……雨よ降れ、降ってくれ……。





 ……ここに来てから……もうわからない。

 両隣から声がしなくなったのも、いつからなのか覚えていない。

 時間の感覚がない。

 体も動かない。

 何もない。

 ただ何日目からか同じ夢を見る。

 むろん、雨の夢。昔にも見た気がする。

 それもどこかで大雨が降る日に。


 視界がかすむほどの大雨。

 荒野に立つ自分の足首は水に浸かり、見る見るうちに水位が上がっていく。

 やがて遠くから唸り声のようなものが聞こえ始める。

 恐らく波の音。

 迫り、そして全てを飲み込むのだ。

 でもそれを見ることはない。

 夢から覚めるからだ。

 その間際、毎回誰かの声が聞こえる。


『これまでは警告程度で済ませてきたが……この声が聞こえた者、雨を知る者よ。船を、方舟を作れ』と。


 ……ああ、そうだ。雨人間が雨雲を引き寄せているんじゃない。俺たちが引き寄せられているんだ。

 わかるんだ。アマガエルのように。

 鳴いてやろう。けっけっけっけっけっけ。

 ああ、御機嫌だ。

 目を覚ましても見ている夢。いや、正しくは幻覚か。

 けっけっけっけ。いよいよ俺の最後の時らしい。

 あああ、雨の音。大雨だ。

 絶え間なく降り続いている。ゾッとするほどに。

 これが現実なら、いずれあの夢の通りに。そんな予感がするんだ。けっけっけっけ。どちらにせよ方舟は作らないぞ。


 ああ、雨よ、雨よ、天にあいた穴から降り注ぐ雨よ。全てを洗い流してしまえ。人の業も何もかも……。

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