下請
ひどく疲れた夜だった。
男は部屋に帰ってきたものの、着替える気は起きず座り、できたことはテレビを点けることぐらい。
だが映されたそのニュース番組は気が滅入る話。中抜きだの下請がどうのだ、ご丁寧にフリップで説明してくれている。
俺はきっとあの図の下の方なのだろう……いや、きっとこの社会の下の下の下の……。
憂鬱な気分になった男は顔を伏せ、リモコンでテレビの電源を消した。
掛け時計の音だけが耳に入る。淡々と、淡々と。その音を遮るのは自分のため息。
男はアパートに一人暮らし。恋人はおろかペットもいない。その理由は主に金。今すぐにどうにかできる話でもない。
ただただ疲れた。あぁ、虚しい……。風呂はいいや。さっさと寝よう。
そう思った時だった。
――なんだこれは。
男が顔を上げると目の前に白いボタンが付いた四角い、恐らく何かの装置があった。
手のひらいっぱいのサイズだ。見落としていたということはないはず、と男は訝しがる。
それに仮に見落としていたにしても一体誰がいつこの部屋に置いた?
友人……このアパートの管理人……泥棒、いや馬鹿な……何日か前の酒に酔った夜に拾い、持ち帰ってきた……。
男はううん、と唸った。どれもしっくりこず、わからない。
なので先送りにし、次に考えるのはそう、このボタンを押すと何が起きるか、だ。
自分の部屋に置いてあるということは押してもいいということだろうか。
しかし押した瞬間、爆発なんてことも。そう、こういったボタンにはそのような結末がつきものじゃないか。
いやいや、そんなことあるものか。小心者。だが、この見た目この重厚感。玩具などではないだろう。
この装置に入る程度のサイズの爆弾でも腕、あるいはこの部屋を吹き飛ばすことくらい可能なのでは? いや、そもそもこれは起爆装置で、この部屋のどこかにしっかりとした爆弾が仕掛けられて……。
そう考えた男は立ち上がり、爆弾とついでに侵入者も探したが今朝と何一つ部屋の中に変化は見られなかった。
いよいよ訳がわからない。と、男は再びボタンの前に座り腕を組んで唸る。
悩まされるくらいなら、いっそ外に捨ててこようか。
いや、見つけた誰かが押すかもしれない。自分、あるいはその者が危険。いや、それに……そう、なんだか惜しい気もするのだ。やはり気にはなる。それにこれは本能的なものだろうか。やはりボタンというのは押してみたいものだ。
男は試しに指でトントンと軽く叩いてみた。
反応はない。どうやら、しっかり押さないといけないようだ。はっきりと、言い逃れできないくらいに自分の意思で。
あわよくば押せちゃったり……などという自分の企みを見透かされていると、男はそう感じた。
カチカチカチカチ。部屋の掛け時計の音に急かされ、悩み苛立つ男。
だが決断の瞬間は唐突にきた。
――カチッ。
疲労と混乱。半ばヤケクソで、ついにボタンを押した男。
すると装置が光り出し、爆発! はしなかった……とも言い切れない。
目の前にまるで祝福するかのように花火が上がったのだ。
ミニサイズの可愛らしい花火。
どこから出ている? 装置に穴らしきものはない。
触れてみても熱さはなく、立体映像のようだ。
そしてそれはウサギや馬、さまざまな形に変化しては部屋の中を駆け回る。
男はその楽しさに童心に帰ったような気分になった。誰が何のために、そんなことはもうどうでも良くなった。
ものの数分でそれらは収まったが、もう一度ボタンを押すと同じように花火が上がった。ただ、色や種類が違う。いくつかのパターンがあるのかもしれない。
今度、女の子でもナンパして見せてやろうか。いや、しばらくは独り占めしよう。ああ、実に楽しい気分だ……。
と、男が楽しむ様子を遠くから、そう、とても遠くから見ていた者がいた。
地球の大気圏を越え、宇宙から。
「やはりあの仕様でうまくいったな」
「ええ、地球人は花火が好きなようですから。それにボタンがあると押したくなる性分も好都合でしたね」
「まったくだ。ほら、夢中になって押しているよ」
「でも先輩、あれは何のボタンなんです?」
「ああ、知らないのか。死刑執行のボタンって話だ。頭に埋め込まれた装置と連動しているらしい」
「死刑? なぜそれをわざわざ」
「元々は看守が押していたんだが、心を病むものが続出してな。
色々と工夫したんだが忌避され、遠く遠くへとやっているうちに結局、惑星の外に委ねられたってわけだ」
「なるほど。でもそれを聞くとなんだかこっちの気分が悪くなってきますね。罪人とはいえ我々の同族がああもポンポン死んでいると」
「いや、我々の星ではない。どこかの星での事だ」
「へ? なんでまた」
「我々は下請ということだ。何なら今の話もどこか湾曲して伝わってきているかもしれない」
「ほぉー。でも何も知らされてないというのも呑気でいいかもしれませんね。ほら、あの顔。幸せそうだ」




