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雉白書屋短編集  作者: 雉白書屋


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222/705

ありふれた話、あぶれ者の私

 穏やかな午後。雲が疎らに浮かぶ青空からは優し気な陽光が降り注いでいます。

 その下。私は今、自分の頭がぺちゃんこに踏み潰されたあと、体がビクンビクンと、のたうつ様をまだ無事なこの頭で想像しています。

 それは何故かと言いますと今、私の目の前にはゾウさんがいます。

 そうです。私はこの動物園のゾウさんに踏まれて自殺しようとしているのです。


「さぁどうぞゾウさん。私の頭を踏んでくださいまし。遠慮なくささっと」


「そうは言うけどお嬢さん。君を踏んだら砕けて飛び出た骨で、足を怪我してしまうかもしれないじゃないか。それに、きっと私は飼育員さんに責められてしまうよ」


 確かにそうです。一理も何理もあります。

 しかし、私は死にたいのです。切望です。

 なのでこんなこともあろうかと用意しておきました。

 じゃん。リンゴです。


「おお! おいしそうだなぁ……」


「美味しいですとも。さぁこれを差し上げますから、どうぞ私の頭を思いっきり踏んでくださいな」


「うんうん。いいとも」


「ちょっと待ったぁ!」


 と、いい流れだったのに待ったをかけたのは黒いモヤの塊。『死』さんです。

 彼らは私たち人間のすぐ傍にいます。

 ですが健康な人はそれを感じ取ることすらできません。心がとても疲れている人にだけ感じ取ることができるのです。

 彼らは駅のホームから見下ろす線路をまるで干したてのお布団のように思わせたり、高いところの柵をただの邪魔者、不要物のように思わせてきます。


「死さん。どうして止めるのですか?」

 

 私はそう訊ねました。純粋な疑問です。


「それはね、君がいずれ結婚し子供を産んで、その子供と心中したほうが得だからさ」


 まぁなんて残酷な。開いた口が塞がりません。

 一方、ゾウさんは口を開けたり閉じたりしています。

 リンゴを食べているのです。

 死さん、残念でした。すでに契約成立ですっとあらら?


「どちらに行かれるのですかゾウさん?」


「悪いね。おうちに戻るのさ」


「でもリンゴ」


「ああ、君と子供。今度は二人分持ってきてくれよ。そうしたら踏んでやるさ」


 ああ、なんて薄情な。

 でもゾウさんを責めてはいけません。

 だって実際にはゾウは喋らないし私は柵を越えてません。

 リンゴも持ってませんし、死はただ無言の圧力をかけてきます。

 体を圧迫され、臓器をぎゅうぎゅうに引き絞られ、開けられた胸に汚れ、乾いた雑巾をギッシリ詰め込まれたような気分に耐え切れず私は柵を掴んだまま、しゃがみこみます。

 寒くもないのにこの身は震えます。縮こまり、ヒクヒク動くその姿はまるで殺虫剤をかけられたハエ。手足から血の気が引き、膝の付け根より下はマネキンのようです。呼吸はデタラメ、自由奔放というよりは無秩序な学級崩壊。脳は紅茶にミルクを混ぜた瞬間のようにジンワリとネガティブな想像が侵食し、出来上がる泥色の思考。嗚呼、おなかはすいているのに喉のあたりで蓋をされているよう。

 死に憧れつつ恐れを抱く。遥か昔のご先祖様がリンゴを食べさえしなければこんな思いをしないで済んだものを。


 私に声をかける人間は誰もいません。

 付かず離れずの距離で、疎外感を生む楽しげな声。

 尤も、たとえ誰かが声をかけ、肩に手を置いても、その手の温かさが私の体の奥に届くことはないでしょう。

 この暖かな日差しも肌を撫でるだけ。ゴロンと後ろに倒れてみれば空が見えます。

 空はただそこにあるだけ。啓示も何もありません。ケチ。

 でも何ということでしょう。後ろを向いてそのまま後ろに歩けば前に進むように、進む方向に倒れればそれも一歩進んだことにはなりませんか? なりませんかね。


 私はしばしの間そのまま。やがて立ち上がり、アップルパイでも買って帰ろうかなと思うのでした。

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