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雉白書屋短編集  作者: 雉白書屋


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Dr.マーロウの回診

「なあ、にいちゃん。聞いてるかい、にいちゃん?」


「ええ、はい」


 個室がよかった。山野は隣のベッドの男、大西の声を聞く度にそう思った。

 とはいっても金がない。四人一部屋(一つは空席だ)我慢するしかない。

 お喋りなのは隣の男だけなのが救いか。

 と、山野は天井を見るのをやめ、正面を向いた。

 閉められたカーテンの向こうにいるのは川北という名の無口な男で、山野はこの病院に片足の骨折を理由に入院してから彼の口から言葉らしい言葉をたった二回しか耳にしたことがない。

 山野も彼と同じようにカーテンを閉めたかったが、ある程度話を聞かないと、大西に阻まれる。

 だから、こうして仕方なく話を聞き流していた。


「なぁにいちゃん? Dr.マーロウって知ってるかぃ」


「さぁ……」


「なんでも、夜寝静まったころに回診に来るんだと。あぁ、別に何をするってわけでもない。

患者は眠ったままでいいんだ。ただな……もし、眠ったまま相槌でも打っちまった時にゃぁ……」


「どう……なるっていうんです?」


「そこの空きベッドあるだろ? つまりはそういうことなんだよ」


 死ぬ……とでも言いたいのだろうか。くだらない都市伝説だ。

 が、大西は絶句する山野のその反応に満足したのか、ふへへと笑うと耳にイヤホンをつけた。競馬中継でも聞くのだろう。

 山野はため息をつくとカーテンを閉めた。欲しかった静寂、けれど心は波立っていた。


 その夜、山野はふいに目が覚めた。昼間の話から悪夢を見たせいだ。

 怒りが湧き上がり、体を起こして隣を見るがカーテンは閉められていた。

 続いて山野は正面を見た。

 ただの自然な流れ。そこに気配。何かがいるなどとは微塵にも思っていなかった。

 だから驚いた。悲鳴を上げるのを堪えたのは英断だろう。

 白衣を着た医者らしき者が川北の顔を覗き込んでいる。

 奴がDr.マーロウ……? 馬鹿な、いや、しかし……。

 そう考えた山野は目を凝らした。この暗闇の中、顔は見えない。ただ、普通ではない。それだけはわかった。

 髪は無い。更にその顔に纏う影が異様に濃いような、そんな印象を受けた。

 しかし、それだけではない。自分の激しい心臓の鼓動にかき消されていたが、よくよく耳を澄ませば何か囁き声のようなものが聞こえる。


「う、うぅ……」


 これは川北の呻き声。うなされているのか?

 あんなのが近くにいたんじゃ無理もないが……まずいんじゃ?

 あの調子じゃ、うっかり返事することもあり得る。咳払いでもしてこちらに注意を引くか?

 いや、そこまでしてやるほど親しい間柄じゃない。

 ……なんて、勇気が無いだけだ。

 ただ目を閉じ、寝入ったふりを、あとは折るくらいしか……

 

「……うん」


 言った! 川北が返事をしてしまった!

 山野は思わず自分の口を押えた。耳を澄ますがそれきり、川北の呻き声もあの囁き声も聞こえなくなった。


 ……あの医者らしき者、Dr.マーロウはどうなった? 消えたのか?

 山野がそう思ったときだった。

 頭上から囁き声がしたのは。


「ドゥ、ル? ドドドルラウドウ……?」


 何を言っているかは聞き取れない。

 尤も理解したくなかった。

 山野はピクリとも体を動かさないことだけに集中した。

 しかし、それはそれで不自然と思い直し、ゆっくりと寝息を吐いているように見せた。


「ドラルエルル……」


 それが功を奏したのか囁き声はやがて遠ざかって行き、完全に聞こえなくなった。

 大きく息を吐き、走ったあとのように短く速く呼吸した。


「やばかったな今の」


 山野はビクッと震えた。だが、大西の声だ。仲間。旅先の異国の地で同じ国の人間を見つけたときのような感覚に心浮きたち「はい」とすぐに返事をしようと思ったときだった。

 山野の頭にある可能性が浮かんだ。


 声を真似ているのでは?

 あり得ない話じゃない。その手の妖怪の類の話はごまんとあるじゃないか。

 それに相手はドクター、つまりは医者だ。本当に寝てるかどうかぐらいわかりそうなものじゃないか。

 そう考えた山野はゆっくりと、目をほんの少し開けた。


 いた。思ったとおりだった。読み切ってやったぞ……。あとはこのまま寝たふりを……。

 なんだ……?

 あの影……。

 あれは……。


 山野は気づいていない。

 引き寄せられるように瞼を開け、そして見開いたことに。


 山野の顔を覗き込む、Dr.マーロウの顔には所々に影があった。

 シーツの皺にできるような影。

 Dr.マーロウの顔は酷く焼け爛れており、その窪みに影が色濃く顕在していたのだ。

 そしてその目は吸い込まれそうなほど深い闇が……。





「おはよう、大西さん」


「おお! おはようさん。珍しいね川北さんが声をかけてくるなんて」


「まあね。実は昨日夢を見てさ」


「夢?」


「ふっ、Dr.マーロウ」


「ははっ! 俺が昨日話したせいかな? で、顔は見たのか?」


「まさか、夢でも見れるはずは無いさ。返事はしたけどな」


「なーんだ。でも夢なら見てもいいだろうに」


「だって顔を見たらなぁ。返事はしても良かったんだよな?」


「そうそう、隣のにいちゃんが起きたらそう教えてやろう。大分ビビってたみたいだしな」


「返事は治りが、つまりは退院が早くなる。だったな」


「ああ。ただし、顔を見たら……がっはっはっは!」


「おいおい笑ってないで教えてくれよ。俺、知らないんだよそれ」


「はははは! 確か転院するんだよはははは!」


「なーんだ、大したことないな、はははっ」


 二人の笑い声が病室に響く。

 その中、唇を震わせるような音がしていることに二人ともまだ気づかない。

 山野のカーテンの奥から。


 ドゥルルラルラルララルラル……。

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