夜道で歌う、その理由
「オオン、イエエエ! フォオオフウウフウウー!」
夜。一人の男が歌をうたいながら道を歩いていた。
「キミィダケオオオオオォォー!」
夜道でたまに見かける光景だ。無点灯の自転車やイチャつくカップル、歩きタバコのサラリーマンのように。
「ソオオラアアン! ソオオオラン!」
酔っ払いか歌手志望者だろうか。確かに、夜道を歩いていて周りに他に誰もいないと、まるでこの世界の主人公になったような気分になることがある。そんな風に気が大きくなり、歌いたくなるのも理解できるが、ただただうるさくて迷惑なものである。
「タラッタッタッター! アーイラーブリー!」
大抵の場合、そういう人は他の人の姿を目にした瞬間、恥ずかしいのかピタリと歌うのをやめる。
「ショー! シュー! リキイイイイー!」
だが、その男は違った。
「ターラコォー! ターラコォォー! ヤッテクルヨオオオ!」
俺がジョギング中に後ろから追い越しても、彼は歌うのをやめなかったのだ。
「オヤツハカアアアアル!」
彼が歌うのをやめたのは、俺が角を曲がり、姿が隠れた瞬間だった。なぜ? 逆ならわかる。
「ピッカ! ピッカ! ノ! イチネンセエエエエエエ!」
自分を追い越していくその背中を目にした瞬間、気まずさを払いのけるように咳払いを一つし、そして姿が見えなくなった瞬間に歌を再開する。普通ならそうするだろう。
「デンワシテチョオオオオダアアアイ!」
しかし、歌い続けた彼は、俺が角に曲がる瞬間に歌うのをやめて、俺に向けて何かを言ったようなのだ。「あの!」と。
「カステライチバンン! デンワハニバアアアアン!」
だから俺は立ち止まり、振り返った。彼の次の言葉を待ったのだ。
「アッアッアッア! エンヤー! マアアアアアアアルゥゥゥゥ!」
しかし、彼は声を発さなかった。奇妙だと思った俺は耳を澄ませた。
「モオオオオオ! フォオオオオウ!」
すると、聞こえた。ヒタッ……ヒタッ……と。まるで裸足で道路を歩く足音を。
「アアアアアアオッオッオッオッオッオ!」
そして、その音を聞いた瞬間、悪寒が走り、俺の頭に山で熊を避けるために鈴を鳴らして歩くという話が浮かんだ。彼は歌うことで、音を発することで『何か』を遠ざけたかったのではないか。
「ヒイイイヤアアア! ウォウォウォウ!」
おそらく、それは当事者の目にしか見えない何か、歌い続けなければならない何か。
「ムリイィィィフウウウウ!」
俺は踵を返した。前を向き、走り出そうとした。
「モウウウウウアアアアア!」
でも、その瞬間耳に息がかかった。
粘つくような息だった。そして、骨ばった手が脇から入り、胸へと上がった。その手は心臓の辺りで止まり、皮膚を捩じりながら、俺の中へ入り込もうとした。
「アッ! アッワアア! アッ! アッ! アアアアアア!」
だから俺は歌をうたった。頭の中で歌詞を検索して、しかし、それが出て来なくなると、脳を振り絞ってCMソングを歌った。でも……。
「クゥゥルゥゥゥキットクゥルゥゥゥ……」
もう限界だ……頭が……酸欠か……あっ。
「あの、たすけて」
あ……。




