小さな神
振り下ろした石が奴の顔の骨を砕いたとき、おれは後悔した。奴を殺したこと、自分の顔に奴の汚い血がかかったこと、そのどちらでもない。偶然なのか、それとも興奮状態で研ぎ澄まされた直感が働いたのか、視線を感じたのだ。
金庫のダイヤルを合わせるようにその視線に自分の顔を向けると、目が合った。
――見られていた。
今宵は月が雲に隠れていたが、そのことは何の慰めにもならない。電灯が顔についた血の色も正確に見せているだろう。
この殺しは衝動的ではあったが、正当性はある。復讐だ。この夜、偶然、街で奴を見つけ、後をつけた。
まさに神の計らいだと思った。奴が向かったこの人けのない小さな神社は、実行に移すにはうってつけの場所だった。
奴がここで何をしようとしていたのかはわからない。賽銭泥棒か、単に神に祈りたくなったのか。おそらく前者だろう。死ぬ直前、眼前に迫る石を見たときには神に祈ったかもしれないが。
凶行を目撃されたにもかかわらず、こうしておれがまだ逃げずにいるのは諦めか、それとも希望か。
見ていたのは幼い子供のようだった。その子はこの神社の隣にある家の二階の窓から、じっとこっちを眺めていた。距離があるため、年齢はわからない。子供に凄惨な場面を見せて申し訳なく思う反面、おれは幸運だと思った。
もし、あの子の年齢が二、三歳。夢と現実の区別も曖昧な年齢なら、顔の判別どころか何を見たのかさえわからないだろう。
いや、いずれにせよ早々にここを離れるべきだ。真夜中とはいえ、誰かがここに来ないとは限らない。それに、あの子が母親を呼ぶかもしれない。
――あっ。
そう思ったが、おれの足はその場から動けなかった。その子がスマートフォンを取り出したのだ。
瞬間、頭に浮かんだのは『通報』の二文字。ああ、終わった。完全に……いや、待て。あれはオモチャだろうか? その子はスマートフォンを顔に当て、笑っている。遊んでいるようにしか見えない。となれば、まだ理解が及ばない年齢に違いない。よかった。そう、よかった。
おれはその子に背を向け、そう反芻した。
「……はははっ」
おれはつい笑みをこぼした。立ち去ろうと一歩踏み出したちょうどその時、いくつかの音が聞こえた。
車のドアが閉まる音。慌しくこちらに向かってくる靴の音。そして、神社の入り口の方から警察官が姿を現した。
おれはあの窓のほうを向いた。すると、カーテンが揺れ、おそらく母親だろう女性が子供を窓から遠ざけた。
見られていたのだ。おそらくずっと前から。あの子は母親の行動を真似していたのだ。
おれは大人しく捕まった。しかし、警察官に連れられる最中、安堵していた。
きっと、今夜のことはあの子の記憶には残らない。そう、きっと大丈夫だ。あの子がトラウマを抱えることはない。
この先、自分が子供を持つことはないだろう。一緒に育む相手もいない。いたが、殺されたのだ。あの男に。でも、仇は討った。だから後悔はない。何一つ。何一つ……。
もう一度窓のほうを見ると、あの子がそこにいた。
あの子は無邪気にこちらに手を振っていた。
おれは誰にも気づかれないように、小さく両手を合わせた。




