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雉白書屋短編集  作者: 雉白書屋


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ボーバトンの悲劇

 被害者はエムスタル校の生徒、ボーバトンである。

 彼は寮の自室にて何者かによって殺害された。

 ルームメイトにして第一発見者のタミーは机に突っ伏すボーバトンを見て、すぐにただ事ではないと気づいた。それはボーバトンが裸であったこともあるが、赤黒く変色した血が溶けたチョコのように机にベッタリ張り付き、床にまで滴り落ちたであろう痕跡が見受けられたからだ。

 そうなればワックスでセットしたと思われたあのツンツン頭も髪ではなく、突き刺さった幾本もの釘だと理解するのに時を要さなかった。

 後にタミーから報告を受けた教職員によって現場は迅速に封鎖されたが、タミーは恐怖を自分の内に押し止めることができず職員室に向かうまでの廊下を「ボーバトンが殺された!」と繰り返し叫びながら走ったため、すぐに学園中に話が広まった。

 雨風吹き荒れる空の下、学園内に立ち込めた暗雲は綿飴のようにちぎって口の中に放り込まれ、生徒たちの体内に重く、滞留した。


 ボーバトンは誰からも好かれる優等生ではない。かといって悪童というわけでもない。また、優等生の仮面を被り、裏では誰かを苛めているという生徒でもない。

 つまりは恨まれるような事はなく、嫉妬されてもいない。多少自慢屋ではあったが年相応の平凡な生徒であった。

 しかし、そのことが余計に生徒たちの不安を煽った。

 それは何故か? 自分たちのような平凡な生徒が惨い殺され方をしたのだ。次は自分の番かもしれない。そう考えたのだ。

 誰かが後ろから肩を叩けば踵が浮くほど飛び上がった。

 疑心暗鬼。廊下をすれ違うだけでも、お互いを刺すような目つきで見る。校舎内は軋む様な重く鋭い空気で満たされていた。


 その視線を今週最も浴びた者、第一位はタミーである。

 第一発見者が犯人という聞きかじったような知識で彼はボーバトンの死体など、見て見ぬ振りをすれば良かったと考えるほど疑惑の目を向けられていた。尤も仮に彼が第一発見者でなくともルームメイトということで疑われていただろうが。


 第二位は教職員である。彼らなら当然、少年であるボーバトンより腕力があり、また、警戒されることなくボーバトンに近づけるだろう。それに外に誘い出すことも容易だ。

 後にわかった情報だがボーバトンの体は濡れていた。窓が閉まっていたのに、だ。

 雨の中ボーバトンを殺し、また部屋に戻した。釘を頭に打ち付け、血を流させたのはそのカムフラージュ。動機はおぞましい事だがイタズラ目的。それを拒否されたことによる逆上。裸にしたのはその趣味だろう。

 これは探偵気分になった生徒たちの稚拙な推理だ。

 主に普段から生徒に人気のない教職員がここぞとばかりに疑惑の目を向けられた。


 第三位はエイムルだ。彼こそが鼻持ちならない男。優等生ではあるがそれは教職員に対してであり、生徒からはよく思われていない。

 が、所詮は三位。他にも同率で疑われている者が数多くいたため、それほど話題にはならない。

 少し、ここに挙げておこう。


 工作好きのドーブル。

 不良少年のディッキー。

 カルト宗教に傾倒している両親を持つビーティ。

 勲章狂いのジャグス。

 頭脳明晰のパウル。

 力自慢かつ大食いのガイム。

 辛い物好きのショーン。

 その反対の甘い物好きのノーク。

 リストを作れば後半に行くにつれ、適当なのがわかるだろう。やっかみ、僻みが入り混じる。


 一位のタミーに関しては、彼の周りの友人が彼にいつもと変わらない態度で接していたので心を病むことなどはなかった。(そもそもアリバイがある)

 問題は第二位の教職員たちである。生徒の彼らへの不信感はそのまま態度に現れ、授業がままならないなどの現象が多発した。警察の大々的捜査を拒んだなどの噂が出たのも彼らを拒絶する理由の一つである。

 その噂は事実であった。しかし、それは厳しい尋問や手荷物検査などから、生徒を守るためであったのだが、生徒たちがそれを知る事はなかった。尤も、自分たちの領地とも呼ぶべき学校にズカズカと入られるのを嫌がったのも事実ではあった。


 平穏だった学校はボーバトンの死によって破滅の道へと一つ歩を進めた。

 教職員も人間である。疑われることをよくも思わなければ知った風な口をきく生徒に日々、苛立ちが募っていく。

 そして、とうとう第二の事件が起きた。


 教職員が生徒に手をあげたのだ。

 だが、それは全くの事故だった。

 とある教職員を付回す一人の生徒。彼の名はクリーピーである。将来の夢はジャーナリスト。

 その下手糞かつ執拗な追跡の被害者であるノーマン先生は嫌気が差し、驚かすつもりで「バァ」と突然振り向いて見せたのである。

 精神の疲労ゆえの突拍子のない子供じみた行動。文字通り『手をあげた』だけで体に触れもしなかった。責められはしない、だが場所が悪かった。階段の最上段付近でのことだったのだ。

 驚いた哀れなクリーピーの体は後ろに傾き、そしてすべての段に愛撫された。

 ノーマン先生はクリーピーがへへへと照れ笑いしながら起きる事を期待して二秒ほどその場で静観したが、他の生徒の悲鳴を契機に慌ててクリーピーに駆け寄った。

 そのとき軽く足を捻ったのだが、それは免罪符になりえないことは彼自身もわかっていただろう。


 二人目の生徒の死である。ノーマンは速やかに、そして冷ややかに学園を追われた。

 もしもこの事故が起きなければ、学園にあった負の熱気はやがて虚しく白煙だけを上げて収まっていたことだろう。しかし哀れクリーピーとノーマンによってくべられた燃料が再び炎に命を吹き込んだ。


 ボーバトンを殺したのはノーマンではない。もちろん、クリーピーのことも殺していない。

 しかし、惨状を見た生徒によって吹聴された事柄は、人を介するにつれ、真夜中の影が作った怪物のように変容し、生徒たちに伝わった。ノーマンがクリーピーの首を締め上げ、そして階段下へと投げつけた後、もう一度首を締め上げ、クリーピーが白目を剥き、泡を吹くと何度も床に頭をたたきつけたと。

 尤もこれは一例である。ノーマンがクリーピーの頭を噛み砕いた。ノーマンが素手でクリーピーの胸を貫いたとも言われた。


 教職員と生徒の対立はもはや手がつけられないものとなった。

 打開策として出されたのが生徒たちの一時帰宅である。

 普段、学園の寮で暮らす彼らは長期の休み以外で自宅に帰ることはほとんどない。生徒たちの動揺を抑え、事態の沈静化を図る。つまり一度は見放された、時の女神にもう一度賭けてみようという魂胆であった。

 しかし、これに猛反発する生徒一同。学園側は我々を追い出し、真実をセメントで固めて永久に閉じ込めるつもりだと声が上がった。

 校旗を手に持ち、振り上げる。ほとんどの生徒がその旗のもとに集まった。

 教職員側はそれを深刻に考えなかった。何故なら切り札、彼らの両親による説得があった。

 親に促されしぶしぶ帰宅する生徒たち。

 しかし全員ではなかった。放任主義、熱血主義、反政府主義、どの主義か、自主性を尊重したのかは知らないが、親の中にも生徒たちを後押しする声が多数あった。多少の戦力ダウンはあったものの、生徒たちは未だに素手で触れれば皮膚がただれそうなくらいの熱量を放散していた。

 こうなっては自分たちだけでは対処できない。学園側は恥の上塗りではあったが警察に頼った。

 しかし、それは生徒の目には警察と学園側がグル。つまりは大人対子供という勢力図が明瞭化されたのだ。


 さあ、取り押さえ学園の外に放り出そうとする教職員と警察の面々。その身さえ追い出してしまえば荷物は後々送ればいい。

 生徒によって校舎入り口に積み上げられた机のバリケード。それを前にしてもどこか楽観的な空気すらあったが、そのヘラヘラした顔に浴びせられるのは鶏小屋から拝借した卵にチョークを磨り潰して作った煙球。更にホースによる水攻撃。あらゆる悪知恵が惜しみなく投入された徹底抗戦。

 初めは猫撫で声とも思えた説得は次第にベリベリと皮が破ける音ともに怒号へと変貌していく。

 バリケードを突破し、生徒の首根っこを捕まえ、校舎から引きずり出していく警官と教職員たち。しかし、かつて大人たちにもあった生徒たちの年齢特有の全能感。恐れ知らずの狂戦士っぷりに手こずった一人の警官があってはならないことをした。


 拳銃を発砲したのだ。本人が描いた絵図は、まず上に掲げ発砲し、ピタリと止む喧騒。全ての視線が自信に注がれる中、一言。


「遊びはそこまでだ。家に帰りなさい」


 それで全てが片付くはずだった。

 しかし、拳銃を見た一人の生徒が果敢にも突撃。銃を持つ手を掴んだ。

 振り払おうと力を入れる警官。相手は少年。問題はないはずだった。警官の計算ではだが。

 しかし、それを狂わせることが二つあった。

 一つは相手が力自慢のガイムだったこと。

 二つ目は勲章狂いのジャグスが自身がかつて獲得し、校舎入り口付近のショーケースに飾られた小さなトロフィーが無残にも踏み砕かれたのを目にしたのだ。

 ガイムと揉み合ううちに力が引き金にも伝わり、そしてジャグスの狂った叫び声。それが契機となった。


 凶弾に倒れる生徒。三人目の犠牲者である。

 因みにその生徒はカルト宗教に傾倒している両親を持つビーティであった。これは後に大きな問題になると予想される。

 静まり返る一同、その視線を一点に注がれた警官は、ただアワアワと口を動かし脳という閉め切った狭い部屋の中で嵐のように吹き荒れる思考を外に追い出すべく拳銃を自身のこめかみに当て、引き金を引いた。


 不明瞭のボーバトンの死から始まった騒動はこれで幕引きとなった。

 結果としては騒動を治めた警官だったが表彰されることなく、ひっそりと天へ送られた。

 学園は再開未定のまま、その門は固く閉ざされた。


 最大の謎『誰がボーバトンを殺したか』

 これが自殺なら大層な喜劇だったわけだが、自身で十本もの釘を頭に打ち付けるなどできるものか。尤もボーバトンを殺したのは他でもない彼自身ではあるのだが。

 強いて犯人をあげるのならそれはツルツルになった床か、そうさせた石鹸か、それとも決定的な一撃を与えた浴槽の縁か。

 どれのせいかその全てか、いずれにせよタミーより先に私が部屋に入ったときにはボーバトンは死んでいた。

 じゃあ何故、私がボーバトンの頭にわざわざ釘を打ちつけたかだが……。

 それは各々で考えて欲しい。尤もそれはその場での思いつきであり、その時はもしかしたらという希望にも似た展望でしかなかった。

 振り返ってみれば久々に引っ張り出したセーターのように穴のある計画だった。

部屋を出入りしているのを誰かに目撃されればそれまでだったからだ。しかし、そうはならなかった。


 さて、名もなき生徒は最後に門から校舎をしみじみと見上げ、誰にも明かすことなく立ち去るわけだが、荷造りの最中、急いで書き上げたこの手記は自身の手から離れ混迷を極めた事の顛末同様に手放し、学園内に残しておこう。

 図書室の本のどれかにでも挟んでおけば幸運かつ知識欲のある者に渡り、ボーバトンのように脳に強い刺激をもたらすであろう。




「……感慨深いって顔しているね」


「まあね」


「仕方ないよね。あんなことがあったんじゃ……それは?」


「半分食べるかい? エイジス社のプレミアムチョコレート」


「どこでそんなものを、って騒ぎに乗じてか。この悪童め」


「ふふ、まぁ、そうとも言えるね。ん、いらない? 君は辛い物好きだものね」


「そ、これから激辛スナック菓子を買って帰るよ。そうすりゃ、ちょっとは気が晴れるさ」


「これからしばらくは買い放題だね」


「まあね。うちの学校は厳しかったからなぁ」


「……たまに持ち込んで自慢する奴もいたけどね」


 包装紙を剥き、中から出したチョコを噛むとパキッと耳心地の良い音がした。舌で絡めとり、口内の温度でチョコが溶けると豊かな味が広がる。

 ボーバトンの最大の悲劇は、机の引き出しに隠していたこのチョコを味わえなかったことだろう。

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