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雉白書屋短編集  作者: 雉白書屋


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やさしいくに        :約2000文字

 ――ん……? なんだ?


 やたら賑やかな音楽と楽しげな笑い声が耳に届いて、おれは目を覚ました。

 普段なら上司の平手や怒鳴り声に叩き起こされるところだが……。そうだ、おれは会社にいたはず。泊まり込みで作業を続け、徹夜に次ぐ徹夜でついに限界が来て、机に突っ伏して眠ったんだ。

 じゃあ、ここは夢か……? それにしては、体の痛みや倦怠感がやけに生々しいが……。

 いや……それにしても、なんなんだこの場所は。

 地面はマシュマロのように柔らかく、踏むたびにかすかに沈む。見上げれば雲ひとつない青空。中央にはキラキラしたピンク色の液体を噴き上げる噴水があり、虹を描いている。ここは広場のようだが、向こうにあるのは遊園地だろうか。観覧車にジェットコースター、それにおとぎ話に出てきそうな城まである。いくつもの風船が空を漂い、楽しげな声と音楽は向こうから聞こえてくるようだ。


「ようこそ! ここはプリッシュランドだよ!」


「うおっ! なんだこれは、いや、君は……?」


 足元から声がして、おれは思わず仰け反った。見下ろすと、そこには小さな豚のぬいぐるみがいた。

 目をぱちくりさせながら、おれを見上げている。さらに、周囲の建物の陰や噴水の周りから、ぬいぐるみたちが次々と現れた。犬、牛、猫、虎、ユニコーンといったファンシーな動物のぬいぐるみたちが、ちょこちょことこちらに駆け寄ってきた。まるで生き物のように自然な動きをしている。


「ねえねえ、向こうで遊ぼうよ!」

「あっちにはおいしい屋台がいっぱいあるよ!」

「あたしと遊ぼうよ!」

「ねえ、ねえ!」


 ……いや、『まるで』じゃない。彼らは生きているのだ。彼らは口々に話しかけながら、おれの足や腕を軽く叩いてきた。肌に触れるその手のひらは、確かな温もりを帯びている。表情も変化する――といっても、パターンは『笑顔』と『もっと笑顔』の二種類しかないようだが、無邪気な声と穏やかな口調には、妙に安心させられるものがあった。

 彼らはこの国を案内してくれるという。ぴょんぴょん跳ねながら両手を振る姿に、おれは思わず吹き出した。かたや純粋無垢で小さな体。かたや、くたびれたスーツに無精髭の中年男。自分が明らかに異物で、つい笑ってしまった。だが、彼らはそんなおれにも友好的だ。

 ……もしかして、ここで過ごすうちにおれも彼らみたいになってしまうのかもしれない。……いや、だとしても別にいいか。多少、少女趣味すぎる気はするが、おれのいた世界に比べれば天国に違いない。

 ん……天国? まさかおれ、死んだのか……?

 まあ、いいか……こいつは持ってこられたみたいだしな。


「ねえねえ、いこーよー!」

「はやくー!」


「ははは、わかった、わかった。でもちょっと待ってくれ。まずは一服……」


 おれはポケットからタバコを取り出し、口にくわえた。ライターがカチリと鳴って、小さな炎が立ち上がる。

 ぬいぐるみたちは興味深そうに、じっと見つめてきた。おそらく、この国にタバコはないのだろう。まあ、当然か。おれは紫煙をゆっくり吐き出し、輪を作ってみせた。


「すごーい!」

「わあ!」


 ぬいぐるみたちは声を上げてはしゃいだ。おれは得意げになり、さらに大きな輪っかを作ってやった。


「どーなつだ!」


 ウサギのぬいぐるみが飛び跳ね、煙の輪をぱくりと食べた。なんとも純粋な奴らだ。ほほえましい光景と煙に目を細めながら、おれはもう一口吸った。


「……うげっ! あ、え、あ」


 そのときだった。突然、ウサギが苦しみ出した。目と口の隙間から赤黒い液体が流れ、地面に転がって悶えた。


「どうしたの!?」

「だいじょうぶ!?」

「ねえ!」

「どうなってるの!?」

「なにかいってよ!」

「くるしいの!?」


 ぬいぐるみたちがウサギに駆け寄った。だがウサギは何も答えず、いや答えられない。耳の付け根と鼻からも血が噴き出し、地面に頭を擦りつけてのたうち回る。まるで頭をもがれた昆虫のようだ。


「うぎぎぎ……ぱきゅ!」


 次の瞬間――乾いた音が響いた。風船が弾けるように、ウサギの頭が爆ぜた。

 飛び散った肉片が近くにいた仲間たちの身体を染めた。真っ白な地面に鮮やかな赤が広がっていく。まるでイチゴジャムを塗り広げたように。

 一瞬の静寂――次の瞬間、ぬいぐるみたちは絶叫し、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。

 おれはその場に立ち尽くし、指先からゆらゆらと漂う煙を見つめた。


 ……どうやら、この優しい世界ではタバコは毒物らしい。

 おれはタバコを放り捨て、敵意はないと彼らに呼びかけた。だが、声は届かない。遠巻きにこちらを見るぬいぐるみたちの目は、こう言っている。おれ自身もまた、毒物であると。

 初めて人類が火を扱った瞬間――そのような、おそらくこの国にとって歴史的瞬間。おれはその目撃者、いや当事者となった。


「アイツを殺せ!」「アイツを殺せ!」「アイツを殺せ!」「アイツを殺せ!」

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