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雉白書屋短編集  作者: 雉白書屋


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首狩り男についての考察   :約4000文字

 地下道を抜けると、冷たい雨に迎えられた。天井から滴る水滴を見て、そんな予感はしていたが、やはりだ。自然とため息が漏れた。

 薄雲に隠れた月の下、足早に歩を進める。やがて、町の通りに出た。いくつかの店が、間隔を空けて並んでいる。店と店の間には、自転車や植木鉢が雑然と置かれている。あるいは、捨てられているのかもしれない。

 そのうちの一つ、古びた店の軒先では、商品が容赦なく雨に打たれていた。店主はそれに気づかず、頬杖をつき、ぼんやりと宙を見ている。

 小走りで通り過ぎる際、ちらりと顔を見やると、耳からイヤホンの線が垂れていた。おそらく、ラジオでも聴いているのだろう。わざわざ教えてやる必要もない。そのまま先へ急いだ。

 小さな水たまりを踏んだ。泥水がズボンの裾に跳ねた気配がした。思わず顔をしかめたが、構わず進む。目指すのは、先に見えるネオン看板の建物。近づくと、看板の電球はところどころ切れ、店名が見えにくい。が、どうでもいい。


 ――ぷおおおお!

 ――ぎゃはははは!

 ――かんぱーい!


 思ったとおり、そこは酒場だった。戸を開けると同時に、笑い声と酒精の濃い香りが押し寄せてきた。まるでブラシで埃を払うように、身体にまとった外の陰気な空気を振り落とした気がした。

 一歩踏み込むと、木の床が大きく軋んだ。だが、その音もすぐに賑わう店内のざわめきに飲み込まれた。

 狭い店内は、男たちの熱気で膨れ上がっていた。テーブル席はすべて埋まっている。幸い、カウンター席に一つだけ空きがあったので、私はそこに腰を下ろした。

 気だるげな店員がすぐにやってきた。適当に注文を告げると、間もなく瓶とグラスが雑に置かれた。

 グラスに酒を注ぐと、その匂いと色に思わず唾を飲んだ。今気づいたが、かなり喉が渇いていた。喉を鳴らして一気に飲み干すと、体の疲労がじわじわと沈み込み、脳をふわりと幸福感が撫でた。 


「なあ、知っているか?」


 不意に声がして、私は顔を少し後ろへ向けた。しかし、どうやら私に話しかけたわけではないらしい。視線を空のグラスに戻し、再び酒を注ぎ足す。耳は、後ろの席の会話に自然と向いていた。


「今度の被害者はサーニャって女だ。その女はな……おっと、この酒場にサーニャの知り合いはいねーか? ……いねえな。いたら怒られちまう、不謹慎だってな、へへ。で、そのサーニャなんだが、この町の外れ、森に囲まれた道路があるだろ? 他の町へと続くなが~い一本道だ。その道をちょいと外れた森の中――切り株の上に、あったんだと。何がって? へへへ、首だよ、生首だ。そう……」


 声の主は楽しそうに笑い、少し間を置いてから再び口を開いた。


「……首狩り男の仕業だ。スパッとな、いったんだと。突然、この町を恐怖に陥れた狂気の男! こんな田舎町をなんで狙ったのかは知らねえが、女たちは震えて夜に外に出やしない! おかげで、女房が浮気する心配もないってもんさ。まあ、こっちは旦那が家を留守の間にこっそり行ったり……ん? それってじゃあ、うちの女房も? ははははは! なんてことあるわけねえか! はははははは! おん? 凶器? 斧だとも、鎌だとも言われてるな。まあ、とにかく鋭利な刃物でスパーッとな!」


 男の声が途切れ、プハーッと息を吐く音がした。酒を飲んだのだろう。私もそれにつられて、再び酒を喉に流し込む。自然と息が漏れた。体が内側から温まる。震えも少しずつ収まってきた。


「でな、その女。首狩り男に――ん? なぜ男かって? ははは、女の細腕で首なんざ切れるかよ。男だって簡単じゃねえ。練習が必要だ。まあ、一回じゃ無理だろうがな。最低でも二回は必要だろう。前から後ろから、へへへっ。女をベッドで攻めるときもそうするだろ? 正面、バックで、あ? いい? なんだよ。じゃあ、話を戻すか……どこまで話したっけな。口を挟むからだぞ、ったく」


 どうやら男は、酒場で知り合ったばかりの客たちに(旅行者か仕事で訪れた者だろう)この町で起きた事件を語っているようだ。きっと、そうやっていつも誰かに酒をたかっているのだろう。


「ああ、それで、はははっ。この話の一番面白れえところがだな……。首を切られた女たちの顔が、みんな幸せそうだったってんだ。まるでベールを上げられた花嫁みてえにな! 不思議だろう? 殺されたってのに、世界で一番幸せって顔してんだからな! ん? いやいや、殺したあとに細工って、バカ言え。口角をちょいと上げたぐらいで死人を笑顔にできるなら、葬儀屋がサービスですってみんなにやってるっての。腐るまで崩れねえように、顔に釘まで打ってな!」


 男は豪快に笑った。それから、店員に追加の酒を要求する。気づけば、私の酒瓶も空になっていた。こちらも追加を頼む。


「でな、話によると、その女たちの首には、一切細工がなかったんだと。自然なまんま。つまりだな、犯人は相当の色男ってこった。おれみたいにな。あん? なんだよその顔は。根拠はあんだよ。だって、そうだろう? 恋焦がれる乙女みたいな顔をしていたわけだ。目を閉じて、キスを待ってる間にスパッとやられたんだろうさ! もしくは、『サプライズがある』っつって、後ろを向かせて期待させておいて、だな。お、きたきた。あー、今夜の酒はうめえなあ。で、犯人か? へへ、一人、心当たりがあるんだよなあ、これが。そんな色男は、この町にはおれを除きゃ一人しかいねえ。で、おれはサーニャなんて殺してねえから、犯人はそいつだ。あん? 面白がってねえよ。そりゃあ、いい気はしねえさ。サーニャで五人目だぞ、五人! まあ、女しか殺さねえみてえだから、おれは安心して……馬鹿言うな! ビビッてねえよ。ついでに、うちの口うるさい女房もぶっ殺してくれたら、なんてもんさ。……まあ、無理な話だな。若くもねえし、首も太いし、ケツなんざカバみてえなもんだからよ!」


 男はここまでで一番の大笑いをした。喉を鳴らして酒を飲み干す。その音は、この喧騒の中でもはっきりと耳に届いた。いや、私の耳が男の話に引き寄せられているのか。

 私も同じくグラスを傾け、喉を鳴らして酒を飲み干した。


「で……だ。首を落とされた哀れなサーニャちゃん……その胴体はどうなった? ブシャアアアアアア! 噴き出す鮮血! その勢いで体をがくがく揺らしながら、五歩も歩いた! ……なんてことあるわけないわな! はははっ! 実際は膝から崩れ落ちて、そのままトポトポって、こぼしたワインの瓶みてーに、血が流れ出たのさ。びくん、びくんとエロっぽく体を震わせながらな。その血は地面に染み込み、石や草の間を三股にも四股にも分かれて、まるで競争するみてえに駆けていったのさ。落ちた首は二度跳ねたあと、ごろごろ転がり、顔に土をつけ、髪には落ち葉が絡みついた。でもな、顔は笑ったまま。不思議なもんだよな。切られてすぐなら、顔をぶつけた痛みとかありそうなもんだろ? 意識があの世じゃなく、男との妄想の世界に行ったままなのかもな。それもまあ幸せなのかもな……。で、胴体は森の中のどっかに埋まってるだろうよ。首狩り男にとって重要なのは顔。自分が演出した、幸せに満ちた女の顔さ」


 男の話を聞きながら、私の脳裏には崩れ落ちる女の姿が、鮮明に浮かび上がっていた。

 そう、一度では首を切り落とせない。二度だ。まず喉を裂き、命を断つ。次に首の骨だ。流れた血は前日の雨でできた水たまりに到達し、冷たい泥水を赤く染めていく。落ちた女の顔についた泥を、優しく拭ってやると、より一層、微笑んだように見えた。


「さあさあさあ! 首狩り男の正体、知りたくねえか? ヒントはあるぜえ。おれのこれまでの話の中で、な。まあ、答えを知りたきゃ、ほい、金。……いや、ちょっとしたお布施みたいなもんだ。いいだろ、これくらい」


 男が机をバンバン叩いて笑った。テーブルの上にコインが落ちた音がした。ここまできたら、最後まで聞くしかない。そう思ったのだろう。


「へへへ、まあ、こんなもんでいいか。さて、犯人はな……この町の教会の神父だ! あいつに間違いねえな。なにせ、おれに次ぐいい男だからなあ。……根拠? かーっ、鈍い鈍い! 教会っつたら結婚式だろ? 女たちがベールを上げて新郎を見つめる、あの顔だよ。あの幸せ絶頂の顔を、脇から見ていた神父はどう思った? 欲しくなったんだよ。神父なら相手も警戒しねえし、うってつけだろ? どーよ、おれの推理は? あ、おーい! なんだよ、もう一杯奢ってくれよお」


 ガタガタと椅子の音がした。呆れて帰るのだろう。酔っ払いの戯言、誰もまともに聞く者はいない。だからこそ、男は好き勝手に喋っているのだろう。まあ、いい酒の肴だった。

 私は残りの酒をグイッと飲み干した。空になったグラスをテーブルに置くと、突然肩にポンと手を置かれた。


「にいちゃん、お、聞いてたよな?」


 男はニヤつきながら物欲しげに指を擦り合わせた。

 バレていたらしい。私は小さく息を吐き、ズボンのポケットに手を突っ込んだ。コインを三枚取り出し、男に渡した。


「へへ、どうもね。それはそうと……なかなかいい男だねえ。まあ、おれほどじゃないがね。へへへ」


「どうも。確かに……あなたはいい男ですね」


 本心だった。あの荒っぽい口調からは想像もできなかったが、男の顔立ちは整っていた。その目は妖しく光り、誘惑に長けているように見えた。


「まさかサーニャを殺したのはアンタじゃないよねえ、へへ」


「……殺してませんよ。あなたはどうです? サーニャ、もしくは……他の三人を殺したのは」


「サーニャはおれじゃねえってば。やっぱり、神父だろうなあ。……残りの二人もたぶん、そうさ。やめられないんだろうな。わかるよ」


 男と私はしばし見つめ合った。男がにやりと笑う。私もそれに応えて口元を緩めた。

 男は、瓶の酒を私のグラスに注いだ。そして、自分のグラスを掲げてみせる。

 私もグラスを手に取り、カチンと静かに合わせた。


 出会いに乾杯。目を閉じて、六人目の女の顔を思い浮かべる。

 雨粒が頬を伝う。嬉し涙のように。

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