私は嘘つき :約3000文字
私の母は、私よりも神様のことが好きな人でした。
お祈りの時間に声をかけようものなら、容赦なく叩かれました。ご飯は母の気が向いたときにしか出てきません。それも、ひどく簡素なものです。べちゃっとした白飯に、ぬるいお味噌汁など、ほとんど記憶にありません。
だから、よくお地蔵さんのお供えものを頂いていました。ビニールに包まれたおにぎり、個包装のおまんじゅう、プラスチックのパックに入ったお赤飯、駄菓子。
雨の日に跳ねた泥なのか、袋にこびりついた泥のしぶきや、お線香の灰がうっすらとかかっていたのを、今でも鮮明に覚えています。
母が信仰していたのは、『大宇宙に存在する神様』でした。
私がそれについて母に尋ねると、母は目を爛々と輝かせ、一気にまくしたてるように話し始めます。
内容はよく覚えていません。でも、母が夢中で話すときは少しだけ機嫌が良くなり、ご飯をもらえる可能性が高くなると氣づきました。だから私は、おなかが空くたびに母に神様の話をせがむようになりました。
そしてある日、私は意を決して母にこう言いました。
「神様の声が聞こえたよ」
もちろん、嘘です。そう言えば、母が私を大事にしてくれるのではないかと思いついたからでした。
すると母は息を呑んだあと、「子供の頃の私と一緒!」と感激して、私をぎゅっと抱きしめました。
それは、私の記憶の中で初めてのことでした。あまりの衝撃――驚きと混乱で、脳が焼かれるような感覚がしました。(実際、その晩、熱を出しました)
私は、それからも母が欲しがりそうな言葉を必死に考え、それを『神様からのお言葉』だと嘘をついて話すようになりました。
母は私の話を信じ切り、目を潤ませながら聞き入っていました。
すると、少しずつ家の中が変わっていきました。ご飯がちゃんと出るようになり、着る服も毎回洗濯されたものになり、生活は『普通』になっていったのです。
そんな暮らしに安心と幸せを見出していた頃。ある日、母が知らないおじさんとおばさんを家に連れてきました。夫婦らしいです。
母は、二人が遠くから来たことだけを説明しました。そして、母は私にこう訊ねました。
「何色が見える?」
何色……とは? 私は思わずきょとんとしてしまいました。何の話か、まるで見当がつきません。
けれど母はそれ以上の説明もなく、張りついたような笑みを浮かべて、ただただ私をじっと見つめてきました。
だから、私は仕方なく「黄緑色と……水色」と答えました。もちろん適当です。
すると、母はうんうん頷き、「やっぱり、色が弱まってるのね」と言いました。わけがわかりませんでした。
そして、母はやけに優しい声で静かにこう続けました。
「この二人に、神様からのお言葉を伝えてちょうだい」
母は私の肩にそっと手を添えました。その手が触れた瞬間、全身へ何か冷たいものが走り、肌が粟立ちました。
私は困りました。ですが、何か言わないと母に嘘がバレてしまう。それは、あの生活に逆戻りすることを意味していました。私はそれが恐ろしかったのです。
私は喉を鳴らし、震える声で言いました。
「……一生懸命に生きて」
そう言ったのは、学校で『一生懸命はいいこと』と教わったからです。それだけの理由でした。
けれど、その言葉を聞いた二人は、ぽろぽろと涙をこぼし始めました。
母は二人の背中を優しくさすりながら、一緒に鼻をすすっていました。
その異様な空気の中にいると、私は自分の身体が小さくしぼんでいくような感覚に襲われました。早く帰ってくれないかな――そう思っても、二人はなかなか泣き止まず、私はただその場で立ち尽くしていました。
しばらくして、ようやく二人が帰ることになり、私は胸を撫で下ろしました。ですが、母が見送り際にそっと小さな封筒を渡し、それと引き換えにお金を受け取るのを見て、また妙な気分になりました。
あの封筒の中身を、私は知っていました。(以前、こっそり中を覗いたことがあるのです)
石です。その辺に落ちている、なんの変哲もない、ただの石。
私が思いつきで言った言葉で泣いたり、石にお金を払ったりする不思議な人がいるんだなあと、そのときはまだ他人事のように思っていました。
しかし、それは珍しい出来事ではなくなったのです。
あの夫婦を皮切りに、我が家には度々あの二人のような人たちがやってくるようになったのです。
私は、そのたびに母から『神様のお言葉を』求められ、必死にそれっぽい言葉をひねり出しました。「自分の氣もちに耳を傾けて」とか「あなたはよくがんばっていますね」など、ただただありきたりで普通な言葉ばかりを。
母が売る石は、次第にただの石ではなくなり、母が考えたオリジナルのロゴが彫られたクリスタル(ピュアクリスタル)の数珠へと進化し、生活もどんどん豪勢になっていきました。
母との会話も増えました。内容のほとんどが、神様の啓示や宇宙の波動についてでしたが、それでも私は嬉しかったです。もっとも、母が欲しがっていたのは私自身の言葉ではなく、神様の言葉でしたが。
母に反抗することはありませんでした。友達はいませんでしたし、私には母しかいなかったのです。
でも、一度だけ。我慢できなくなり、母に楯突いたことがありました。
「神様より、私を大切にしてよ!」
そう叫ぶと、母は私を抱きしめ――ませんでした。
ただ、ぽかんとした顔で、大きくまばたきを繰り返すばかり。まるで、目の前で外国語を話されたかのような反応でした。
ああ、この人は――世間で言う“お母さん”じゃないんだ。
私はそのとき、そう氣づきました。
その瞬間、頭の芯まで冷えていくような感覚を覚えました。そして私はその夜、静かに膝を抱えて決めました。もう、何も期待しない、と。
それからしばらくして、私が二十代半ばに差し掛かった頃、母は天へと昇っていきました。
私はようやく、求めていた自由を手に入れたのだと思ったのです。
……そのときは。
今、私は壇上に立ち、右手を掲げる。
すると、右側から歓声が湧き起こった。
続いて左手。左側からも、応えるように歓声が響く。
母が死んだ年。大宇宙から“彼ら”が地球に降り立った。
それが神ではなく、宇宙人であることは誰の目にも明らかだった。そして、その目的が友好などではなく、侵略であることも。
軍は早々に、なすすべもなく壊滅し、人類の半分以上が死亡、あるいは拉致された。
私は、母に鍛えられた即興力と人脈を武器に、次第に反乱軍の中で頭角を現し、ついには総司令の座まで登り詰めた。
私には神の声など聞こえない。
必要ともしていない。
たとえそれが絶望の中の虚勢だとしても。
嘘や幻であったとしても。
私は、私自身の言葉を待つ者たちに向けて今、声を発するために、一つ深く息を吸った。




