指 :約1500文字
穴の底にいた。
なぜここにいるのか、いつからなのか、思い出せない。
見上げると、かなり深い穴だとわかる。上から差し込む光が頼りない。どうやら外は曇っているようだ。
地面がわずかに湿っている。雨でも降ったのかもしれない。
壁をよじ登ろうと手をかけるが、掴むところがない。しかも固い。無理をすれば爪が折れそうだ。
どうしたものか……うっ。
今、何か踏んだ。土とは異なる、柔らかい感触。反射的に飛び退いたが、足裏にはその生々しい感覚がこびりついていた。
ミミズか、それともナメクジか。嫌だな……。
――指……?
よく見ると、それは人の指だった。
しかも……今、動いた? 気のせいだ……いや、まただ。また動いた。
つまり……誰かが生き埋めに!
そう思うや否や、しゃがみ込み、手で土を掘り始めた。湿った土が指の間に入り込み、痛い。だからといって、見捨てていいはずもない。
しばらく掘ると、手が見えてきた。
細い。女性か男性かはわからないが、ぴくりとも動かない。手遅れだな……。
そう思いながらも、手首を掴み、引っ張り上げた。しかし、どれだけ力を込めても、肘のあたりまでしか出てこない。
もっと掘る必要がありそうだ――そう考えた瞬間だった。私は思わず飛び退いた。
その手が、『ナイス!』と言わんばかりに親指を立てたのだ。
さらに、手はまるで海を泳ぐ鮫のヒレのように、地面をズズズズと進んでいく。悠々と、自由に。
やがてピタリと止まり、地面を指差した。
ここを掘れ、ということだろうか?
おそるおそる訊ねると、手は再び親指を立てた。
――掘るしかないか……。
気になることは山ほどあったが、考えるよりもこうした単純作業のほうが楽だった。
そして、予感はあったが……掘り起こされたのは、またしても『手』だった。
引っ張り出すと、その手も同じように地中を泳ぎ始める。そして、二本の手はまた地面を指差した。
掘る。
出る。
指差す。
掘る。
その繰り返しの末、計六本の手が掘り起こされた。
彼らは楽しげに、私の周囲をぐるぐると回った。私もそれなりに達成感はあった。だが同時に、海上で鮫に取り囲まれた漂流者の気分でもある。
まさか、襲ってこないよな……?
そう問いかけると、手たちは『違う、違う』とばかりにジェスチャーをし、次々と壁を登り始めた。
――これは……。
六本の腕が、穴の壁からぐいと突き出た。そのうちの一本が『来いよ』と言うように手招きした。
よし――私は彼らを足場にして登り始めた。
登り続け、先頭まで来ると、今度は一番下の手がすいっと上に移動し、足場になった。
こうして繰り返すうちに、ついに穴のふちに手をかけることができた。
疲れと安堵が入り混じった息が漏れた。
――ようやく……。
だが、顔を外に出そうとしたその瞬間だった。
突然、上から大量の土が降り注いできた。
私は必死に穴のふちを掴んだ。だが、その勢いには抗えなかった。
気づけば、暗闇の中にいた。
温かく、静かだ。心地よい。
もう、どうでもいい気がしていた。
一応、未練がましく手を目いっぱい伸ばしてみた。抵抗はした……それは、いったい誰への弁明なのか。
それでも、願望が顔を出した。
誰かに見つけてほしい。私を。
……指の先が土から出たような気がした。
神経を指先に集中させる。
日の暖かさは感じられない。風が撫でる感触もない。
しかも、集中すればするほど、足の先から感覚が徐々に消えていくようだ。
だが、今さらやめたところで、きっともう遅い。
――うっ。
誰かが私の指を踏んだ。




