ランプの精 :約1500文字
その男は湖に浮かぶボートの上で釣りをしていた。不機嫌そうな表情だが無理もない、かれこれ一時間ほど釣り糸を垂らしているが、一匹の魚もかからないのだから。
男はごく普通の会社員。魚釣りで生計を立てているわけではないので、釣れなくても特に困ることはないのだが、面白くはない。せっかくの休日に釣りに来たのに『一匹も釣れなかった』では、話のネタにもならない。おまけに同僚には『大物を釣ってくる』と豪語してきたのだ。
むむむ、と仕事中のように真剣な顔をするも、それで魚が釣れるわけでもなし。空が曇り始め、風も出てきた。
だが、『こんなことなら来なければよかったかもしれない』と男が思い始めた、そのときだった。
「お、お? おお?」
釣竿に手応えを感じた男は慌てて立ち上がり、一気に引き上げた。すると……。
「いよおぉぉし……ああ、なんだ……」
釣れたのは古びたランプだった。先っぽからポタポタと泥混じりの水が落ち、男の顔を歪ませる。男はため息をつき、捨てようと振りかぶったが、ふと考え込んだ。
――もしかしたら、お宝かもしれない。
男はしゃがみ込み、ランプをじっくりと見つめた。金や銀ならかなりの価値があるかもしれないが、こうも汚れていてはよくわからない。そう考えた男は持ってきていたタオルでランプを磨き始めた。すると、ランプから煙が吹き出し、それがやがて大きな人の形になった。
「うわわわわ……こ、これはもしかして魔法のランプ? じゃ、じゃあ、あなたは何でも願いを叶えてくれる精霊ですか!?」
尻餅をついた男は震えながらそう訊ねた。すると、それは厳かに答えた。
「いかにも……私はこのランプに封じられていた精霊でございます。ご主人様がランプを擦ると現れ、もう一度擦るとランプの中に戻ります。ご主人様の願いを三つ叶えたあと、私は再びランプの中に戻り、どこかへ消えてしまうのです」
「三つも願いが叶うのか!?」
「はい。私はずっとそうしてまいりました。それが、私の役目……」
精霊の顔が少し曇ったが、男は願いが叶うと聞いて大喜びした。
「じゃあ、早速願いを……」
そう言いかけたが、男はふと考えた。こんな小さなボートの上で「大金が欲しい」などと願ったら、重さでボートが沈むくらいの金塊や札束を出すかもしれない。そして、助けてもらうためにさらに願いを使う羽目に……。
「……よし。悪いが、落とさないようこのランプを少し持っていてくれ。手が塞がっているとボートを漕げないからな。ははは、手が震えるよ……あっ、これは願いの一つには数えないでくれよ? ランプから出してやったんだから、そのくらいのサービスはいいだろう?」
精霊は黙って頷き、男は急いでボートを漕いで岸に上がった。
「よし、待たせたな。それじゃあ、願いを言うぞ。俺を大金持ちにしてくれ!」
男は腕を突き上げて叫んだ。精霊は、男の拳から視線をさらに上へ向け、空を見上げると今度は手に持ったランプを見つめた。
「……あー、聞こえなかったかな。俺を大金持ちにしてくれ!」
男はさらに大声で叫んだ。すると精霊はニヤリと笑った。
「おい! だから俺を大金持ちに――」
「はっ!」
精霊はランプを持ったまま、ぐんぐんと空へ上昇し、そのまま雲の中へと消えてしまった。
取り残された男は呆然と空を見上げ、こう思った。
――こんなマヌケな話、人に話せるわけがないな。
結局、男はその日、一匹の魚も釣れず、話のネタさえ得られなかった。頭上に広がる曇天の空のように、ただ心に後悔だけが残ったのだった。




