ただ、そこにいる :約1500文字
ただ、立っていた。
そいつはぽつんと、一人で立っていたんだ。
気味が悪かった。見かけない服装で、そいつは何をするでもなく、ただ黙っておれを見つめているんだ。家に入ろうとしていたおれを、少し離れた場所からじっと。
無表情なのかニヤついているのか、はっきりとしない顔。ムカついたおれは、『何見てやがるんだ?』と、睨みつけてやった。
だがその瞬間……そいつは、フッと消えたんだ。
ああ、背筋が凍ったね。あれが幽霊というやつなのだろうか。その夜は怯えながら眠ったよ。何も起きなかったけどな。
……だが、それで終わりじゃなかった。
またあるとき、そいつは……いや、そいつらは現れたんだ。
仕事中に、ふと視線を感じて振り返ると、そいつらはいた。三人になっていた。似た顔のやつらが三人も!
でも、することは同じだ。ただじっと、おれを見ている。
おれは慌てて仲間にそいつらのことを伝えた。「変な奴らがいる」ってな。だが、仲間は怪訝な顔をして、肩をすくめた。
「誰もいないじゃないか」
他の連中には見えていなかったんだ。ただただ笑われたよ。まあ、おれは愕然としてて、気にしなかったけどな。
そいつらはいつの間にか消えていた。
気が変になりそうだった。いや、もうすでに変なのかもしれない……。それが何より恐ろしかった。もう見たくない、見られたくない。おれは神に祈った。どうか、奴らが二度と現れませんように、と。
……だが、無駄だった。
家で飯を食っているとき、そいつらはまた現れた。
今度は八人いた。何も言わず、ただそこにいて、おれをじっと見つめているんだ。
おれは耐え切れず、叫んだ。
消えろ、消えろ、頼むから消えてくれ……。それか、せめて何か言ってくれ、と……。だが……。
ああ、今思い出しても身の毛がよだつ。ただそこにいて、じっと見てくるだけの連中。
何をするでもなく、奴らは突然フッと消える。残ったのは、鏡に映るおれの怯えた顔だけだった。みじめだった。強がることもできない。いつか何かしてくるかもわからないのだ。連中に付きまとわれ続け、おれは頭がおかしくなりそうだった。
だから、人が多い場所を好むようになった。
だってそうだろう? 人混みにいれば、奴らがそこにいてもわからないのだから。
「はい、どうぞー! お試しくださーい! あ、お付けしますねー!」
今日のようなイベントはうってつけだ。しかし、皮肉なもので、イベントに精力的に足を運ぶようになった結果、職場の仲間たちからは「人生が充実しているな」なんて言われている。まあ、恐怖を忘れ、楽しんでいるのは事実だが。
今日のイベントはVR体験会。ゴーグルを装着し、仮想空間で昔の時代の暮らしを体験できるらしい。
教科書の挿絵でしか見たことのない風景が、リアルな映像として目の前に広がる。
参加者たちから感嘆の息が漏れた。確かに、よくできてる。生成されたアバターを操作して、自由に歩き回れることができ――。
――えっ?
おれは思わず息を呑んだ。
そこに見覚えのあるものがあったのだ。
「……あの、この中の人って」
「すべてAIでございます! 資料に基づいて、よりリアルな生活を再現しています!」
女性スタッフは、おれの問いかけに誇らしげに答えた。
「そうか、AI……」
ただ一人、住居で飯を食っている男が、こちらを見て何かを叫んでいた。
言葉はわからない。だが、その怯えた顔。
あのとき鏡に映った、おれの顔と同じだった。




