お買い物の思い出
お買い物を通して、ちょっと懐かしい出来事をあれこれ語ったりします。
今でも忘れられない『お使い』の思い出がある。
あれは確か小学3年生の冬休みだった。
正月休みで祖父の家に遊びに行っていた私は、近くの食料品店に『唐揚げ粉』を買ってくるようにと言われた。その食料品店までは子供の足で歩いて片道10分くらい。すぐに行って戻ってこられる距離だった。私は二つ返事で引き受けた。
薄曇りの、風が少し冷たい日の午後だった。
目当ての食料品店に無事にたどり着いたものの、なんと商品の棚に唐揚げ粉は置いていなかった。
恐る恐るお店のおばあちゃんに『唐揚げの粉はないんですか? 』と丁寧に尋ねるも、そんなものおいてねーわと田舎の年寄りは冷たい。
にべもなくはねつけられた当時の私は、激しく動揺した。商品が無かった場合の事を全く想定していなかったからである。
まさか無いなんて。一度家に戻ろうか。
でも、頼まれたのに無かったと言っておめおめと引き下がって良いものだろうかと思案にくれた。
そこで幼い私の脳に電流が走る。
そうだ、ちょっと行ったところ(約3㎞)にスーパーがある。
あそこなら絶対に唐揚げ粉があるだろう。
私は元気に歩き出した。
車でなら10分位でたどり着けるスーパーだったが、子供の足だとゆうに片道40分はかかる。
だが遠いとか近いとかそんなことは関係ない。唐揚げ粉を買って帰って、夕飯に大好きなおいしい唐揚げをたらふく食べられることが大事なのだ。鼻歌なんぞ歌いながら歩いていた。
『野に咲く花のように』だったと思う。
そして私はスーパーにたどり着き、念願の『唐揚げ粉』を手に入れたのである。
これにて任務達成。私は意気揚々と帰り道を歩いていた。
鼻歌にあきて、道端の側溝のフタの数を数えながら歩いていた。そして半分くらい差し掛かった頃だろうか。
目の前から来る一台の軽トラから、
『じゅーんんんんん!! 』
という大きな声が聞こえてきた。祖父である。
『そこぅおおおー動くなああああ!! 』
ドップラー効果もあいまって恐ろしかった。
軽トラはすごい勢いで空き地に突っ込むと砂煙を上げながらUターンし、驚きのあまり立ち尽くす私のそばまで猛スピードでやってきた。
『なにやってたんだ! こんな時間まで! どこまで買いに行ってたんだ!! 』
と青筋を立てて怒る祖父。
私は軽トラに乗り込むと今までの経緯を説明した。黙って怒られる筋合いはない。私は与えられた任務を忠実にこなしたまでであると。
祖父はあきれた顔で
『それなら一回帰ってくれば良かったんだ。そしたら車で買いに行ったのに』
と言った。
そういうことは先にいっておいて欲しかった。かくして私の約1時間にわたる買い物は、幕を下ろした。
夕飯の唐揚げは美味しかった。労働の味がした。
あれから幾度も冬が巡り、初孫だった私をこの世の宝の全てであるとばかりに愛し、慈しんでくれた祖父もとうにこの世を去った。けれどもあの冬の、この出来事だけは今でも鮮明に思い出せる。
今や私だけの、大切な思い出だ。
我々の生活に欠かせない衣食住、これらを賄うためにはとにもかくにも、お買い物が欠かせない。
それに女と生まれたからにはお化粧だってするし、ちょっと次のデートに着るための可愛らしい洋服を買ってみたりもする。お誕生日にはケーキを買うし、お正月にはおせちを買ってお餅を食べる。お買い物をしないと生きてはいけない。
そう、人生はお買い物の連続なのである。
これから少しずつお届けするのは、お買い物にまつわるささやかなエピソード。
人に歴史有り、人にお買い物有り。
お箸休めにご覧頂ければ幸いでございます。
ちなみに叔母と祖母が作ってくれた唐揚げは、唐揚げ専門店『からやま』の『かりっともも』に食感、味、共によく似ている。思い出補正かもしれないが。