第7話 『ワタシは……、いやボクは……』
「おい、おい、おいっ」
何事かと振り向いたふたりに、慌てた様子で駆け寄ってくるのは、先ほどの宿場にいた鬼燈色の作務衣の男。
相変わらずの、胡散臭い雰囲気を撒き散らす男に、ふたりは咄嗟に身構える。
「何を呑気に、そんなとこに突っ立てやがる。ヤツが出て来ると面倒だ。こっちだ。来いっ!」
男の只ならぬ気配におされ、思わず彼の差し示す路地に駆け込むふたり。
ふたりを誘導するように、前を走る男。まるで予め道順が決められていたかのように、右へ左へ複雑な路地を抜けてゆく。
暫く走り続けると、もとより小さな町の、そのまた外れにある家、というより小屋が並んでいる一角に出た。
そのうちの一件の前に立つと、男は戸を開けて中に入るよう促した。最後に男が注意深く辺りを見回しながら入ってくる。
戸を慎重に閉じ終えた男が振り向くと、若侍が彼の鼻先に木刀の切っ先を突きつけて言った。
「さて、どういうつもりか聞かせてもらおう」
男は、鼻先の木刀を手の甲で無造作にひょいっと払い除けると、おどけた調子で答えた。
「そういう危ないもんはしまっといてくれ。こっちもお前さんたちには話があるんだ」
少年は興味深そうに、小屋の中のあちらこちらに足を運び、辺りをきょろきょろと見回している。
室内に大きな窓はないが、天井近くにいくつか設けられた、小さな明り取りから光が差し込んでいる。
周りは、簡素ながら頑丈そうなつくりの壁。辺りの土間には、農具の数々が雑然と並べられていた。
「ここは、俺が然る筋から借り受けた、今回の任務の拠点だ。安心してくれ」
少年の好奇の目に応えるかように、男は部屋の中央付近に据えてあった、作業台の上の包みを広げながら言った。
「まぁ要するに、ご近所の農家さんの作業所兼物置といったところだ」
「どうりで、さっきから何か臭うと思ったよー」
「暫くすりゃ慣れるさ。それよりどうだ。朝から何も食べてないんだろう」
「大丈夫。嫌いな臭いじゃないよ。こういう木や土の匂いは、どっちかって言えば好きかも」
そう言いながら、少年の目は、早くも包みに釘付けとなっている。
包みの中には、山積みになった握り飯。香の物まで添えられていた。
「お前さんもどうだ。さっきは飯の途中だっただろう」
腰に得物は納めてはいるものの、未だ警戒を解いてはいない若侍にも、男は勧めた。
「安心しろ。毒なんざ入っちゃいねぇよ。まあ、具も入っちゃいねえが」
そう言って、男は自ら、握り飯を旨そうに頬張り始めた。
「冷やした茶もあるぞ。それからこれも、持ってきた」
もう一つの包みを開くと、そこには豆腐の田楽が並んでいた。
「おおー。もしや、それはあの店の」
少年は、右手に握り飯、左手に田楽と、あたかも餌付けされた雛鳥のような勢いで食べ始める。
「うむ、たまにはこんな食事も良いかもしれん」
その様をみていた若侍も、握り飯に手を伸ばした。彼はこんな所でも優雅さを失わない。
「あー、これ食べたかったんだよねー」
ひとしきり味わった少年が、懐から大切そうに取り出したのは、丁寧に糸で綴じられた紙の束。
「何だ、それは」
「これはねー、兄様から預かった、当家秘伝の、旅で食べたいものと見たいもの帖」
「君の目当ては、物見遊山の旅だったのか」
「やー、ほんとは西の都に用事があるんだけどね」
しばし、若侍にとっても、久しぶりに賑やかな、心和むひととき。いつになく口数も多い。
それまでふたりを黙って見守っていた男は、頃合いも良しと見計らったのか、ふたりに声を掛ける。
「腹も満ちたところで、ふたりには相談があるんだ」
若侍は、待てとでも言うように手を男の前にかざし、男の顔をじっと見つめる。
「うむ。だがその前に、貴様は何者だ。何故わたしの前に、こう何度も現れる」
彼の問いに、男は姿勢を正し、頭を下げた。
「おれの名前はハンゾウ。冒険者だ」
その名乗りに、残りの田楽を手にした少年が笑い出す。
「はっはっは。ハンゾウー。昔近所にいたガキ大将みたいー」
そんな少年を、若侍は軽く窘める。
「そんなに笑うものではない。冒険者が任務の時に使う、通称に決まっているだろう」
頭をかきながら苦笑いをしている男に、若侍も名乗る。
「わたしはジュウベエ。訳あって、都の家を出て流浪の身だ」
飲んでいる茶を吹き出しそうになりながら、またもや少年が笑い出した。
「今度はジュウベエだって。昔のおサムライさんみたーい」
まだ笑い転げている少年に、ハンゾウが苦笑しながら尋ねる。
「で、お嬢ちゃんの名前は」
一瞬、狼狽した表情を見せるも、少年は、それまでと変わらぬ笑顔でハンゾウを見た。
「やだなー、ボク、男ですよー」
ジュウベエも、少年を一瞥すると、少年に同意する。
「うむ、わたしにも小柄なれど、男の子のように見えるが」
ハンゾウは、少年を指差すと、即座に意義を唱えた。
「いやいや、この子はどっからどう見ても女の子だろう」
再度、先ほどよりは丁寧に少年を見やると、ジュウベエは言った。
「ふむ、女性的な身体の特徴が全く見当たらん。男の子だろう」
彼らの言葉に、少年は眉毛をぴくりと動かす。
「いやいやいや、子どもは子どもでも、女の子どもだろ。子どもだから、こう何つうか女性的な特徴に乏しいとしても」
その後も続く、ふたりの丁丁発止のやりとりに、次第に拳を固め、肩をわなわなと震わせ始めた少年。
「ワタシは子どもじゃないやいっ! でもって、男でもないやいっ!」
遂に爆発したかのように、握り締めた拳をぶんぶん振り回し、両足をだんだんと踏み鳴らしながら猛抗議を開始する。
「背はこれから伸びるのっ! 胸もこれから成長するのっ! だいたいアンタたちは×××××」
ひとしきり騒ぎ立てると、肩でぜいぜいと息をしながら、ふたりを睨みつけた。
「君は女の子……だったのか」
本気で、少年だったと信じて疑わなかったジュウベエは、驚きの表情を隠せない。
ハンゾウはにやにやと、してやったりとした笑みを浮かべるばかり。
「ワタシは……、い、いやボクは……」
はたと正気に帰り、取り繕うが時既に遅し。
「ミト。と言います」
彼女は諦めたように、小さな声で呟いたのだった。