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侍、刀、そして魂。—時代劇風冒険活劇ファンタジー/Samurai, Sword and Souls—  作者: ノラねこマジン
第3章 武士たち、化け物たち、そしてお姫様たち
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第26話 『なに故、貴様が、ここにいるのだ』

 ——これは、いったい何なのだ。


 男は、長い間閉じられていた、その瞼をうっすらと開く。


 だが視界は定まらず、上げたつもりの声も出てはいなかった。それどころか、身体を起こそうにも、指の一本さえ動かすのも(まま)ならない。

 まるで金縛りにでもあったかのように、自由にならない身体。それに反して、意識だけは次第にはっきりとしてゆくのが感じられた。


 けきらない目に映るのは、見慣れない天井のみ。先ほどまでは、確かに自身の屋敷におり、いつもの座敷で横になった筈である。

 しかし意識が戻ってゆくに連れて、少しづつ記憶も蘇ってはくるものの、その記憶もあやふやで、途切れ途切れの怪しいものであった。


 思い起こせば、ここ暫くは記憶が飛んでしまうことが、良くあった。朝、城へと勤めに出て、ふと気が付けば、屋敷に帰っているのだ。

 最後の記憶は昨晩。(かね)てより体調が優れず、早めに床に就き、そして目を閉じた。まばたきの如く、目を開けてみれば、そこは既に見慣れぬ場所。


 男は、もう一度目を閉じると、ぴくりとも動かない身体と、少しも出ない声に抗うべく、その意識を五感に集中し始めるのだった。



  ○ ● ○ ● ○



 ——ふむ。いったい何が起こったのだ。


 ジュウベエは、最奥の座敷前に立ち、その中を見渡す。


 開け放たれた座敷の内は、血飛沫にしか見えない真っ黒な液体が、其処彼処(そこかしこ)に飛び散っており、惨劇の起こった現場にしか見えなかった。

 しかしながら、彼が最も目を引かれたのは、その事ではない。座敷の中程に敷かれた布団と、そこに横たわっている人物である。


 血の様な真っ黒な液状のものが、座敷全体を(けが)しているのにも関わらず、その布団に乱れはなく、その人物の表情は穏やかであった。

 さながら目には見えない薄い布で布団ごと覆われ、守られていたかのように、その布団と人物には(けが)れが及んではいないのである。


 さらに驚いたことに、その臥せっている人物の傍らに、まるで看病でもするかのように付き添っているのは、彼の良く知る者であったことだった。




「よう、ジュウベエ」


 ハンゾウは、転がっていた宝玉を拾い上げると、顔を上げ、座敷の入り口で立ち尽くしているジュウベエに声を掛ける。


何故なにゆえ、貴様がここにいるのだ」


 まるで、散歩の途中で、偶然顔を会わせたかのような気安い調子のハンゾウの傍らに、ジュウベエは訝し気な表情で近付いた。


「まあ、詳しい話はまた後でな。ときにお前さんは、このお侍とは知り合いか」


「うむ。わたしの(ふる)い友人だ。久し振りに顔を見たいと思ってな。この別邸まで足を運んだのだ」


「すると、ここに来るまでの、あれやこれやは、睨んだ通りお前さんの仕業か……」


「何の話だ、それは。仕業呼ばわりされるような真似はしてはおらぬぞ」


「いやいや、お前さんのお陰で、えらく助かったって話さ。礼を言うぜ」


 ジュウベエは、怪訝そうな表情のまま、ハンゾウの隣にすいと座り、友人の愛刀は彼の枕元へと置く。


「わたしとて、道々奇怪な目に遭ってきたのだ。それを振り払ったまでのこと。決して貴様のためではない」


「まあ、そう言うなよ。俺は()る筋の依頼でここへ来たんだ。このお侍が、おかしな事に巻き込まれてるってな」


「おかしいと言えば、この屋敷もおかしなことだらけだ。友の身に何が起きているのだ」


 ハンゾウは深く頷くと、ジュウベエに視線で庭を方向を指し示す。

 庭の男は、ぎこちない動きで立ち上がろうとしては、何度も膝を付いていた。


 その足下には、ジュウベエの愛刀が放り出されたままとなっている。

 男の姿を見るやいなや立ち上がりかけるジュウベエを、軽く片手で押しとどめるハンゾウ。


「まあ待て、()()()()のことは俺に任せろ。お前さんには、このお侍の面倒を頼みたい」


「ふむ」


 ジュウベエは座り直すと、友人の顔を心配そうに、じっと見いった。

 少々やつれてこそいるものの、顔色は思ったよりも悪くないように見える。

 だがその様は、穏やかなものながら、生きたまま魂が抜かれてしまったかのような表情だ。


「これは……、やはりあやかしによる(さわ)りか」


「ああ、息はあることはあるんだが、まだ色々と戻ってきてねぇんだ」


「うむ」


「お前さんが、こうして側にいてくれりゃ、無事に戻ってくる気がするぜ」


 ハンゾウは、つと立ち上がると、ジュウベエたちに背を向け、庭の男へと向かう。


「ああ、そう言えば、ミトも……」


 歩き出すハンゾウの背中に、振り向いたジュウベエは何かを言いかけた。

 その声を遮るのは、獣の低い唸り声。

 折しも庭の男は遂に立ち上がり、よろけながらも歩みを進め始めるところであった。



  ○ ● ○ ● ○



「コレは、いったいなんなのよ……」


 ミトは、むすめの所々乱れていた着物を直すと、彼女を膝枕で寝かし付け、その髪を優しく撫でている。

 その頭の重みが何故か快く感じられ、その髪から漂う香りはミトの鼻を心地良くくすぐった。


「ジュウベエは、本物だって言うけど……」


 手に手を取り、励まし合って、この恐ろしい屋敷に辿り着いたのだ。しかし、彼女は忽然と消え去り、代わりに突然現れたのが、この娘である。

 (にわか)には信じ難い話ではあるが、ミトの膝の上、眠るように横たわる娘を見ていると、その話もまた本当のことであるように思えてくる。


「だからといって、お姉さんを膝枕って、どーゆー状況よ」


 先ほどまでの恐ろしい形相は、娘の顔からすっかり消えてなくなっており、大人びた雰囲気も影を潜め、子どものような穏やかな表情をしていた。


「でも……、これはこれで、ちょっといいかも……。ってナニ言ってんのよ、ワタシったら」


 ミトは溜息をひとつ。改めて見つめる娘は、命のなかった人形に、まるで魂が籠ったかのように美しい。ミトはもう一度、今度は大きく息を吐く。


「……足、シビレてきた……」


 そっと娘を抱き起こすと、ミトは彼女から足を外す。先ほどまでは軽かった娘の身体は、今では妙に重く感じられ、ぶつけないよう寝かせるのに苦労した。


「ジュウベエ、いつになったら戻ってくるんだろ」


 ジュウベエが座敷を離れてから、どれほどの時が経ったのか、ミトには判らない。

 つい先ほど出ていったばかりような気がするし、もうかなりの時が経っているような気もした。


「さてさて、どうしたもんかしらね」


 両足を畳の上に投げ出し、大きく伸びをすると、改めて座敷の中をぐるりと見渡してみる。

 ふいにミトの鼻が、どこからか漂ってくる異臭を感じ取った。娘を膝枕していた時には、彼女の香りに紛れ、感じなかった臭い。


「むー、ナニかしら、この臭いは……」


 ミトは、自分の脇や首筋、果ては爪先(つまさき)まで臭ってみる。しかし、そこにあるのはどこか懐かしい、自分の臭いだけだった。

 更に四つん這いで、律儀に座敷の隅へと揃えて置いておいた履物に近づき、鼻をくんくんとさせるも、特に怪しい臭いはしない。


「まー、当たり前よねー。ワタシがこんな変な臭いさせる訳なかったわ」


 その場に、どっかりと胡座をかいて座り込んだミトは、腕組みをして座敷の中、臭いの出所を探る。

 鼻をひくつかせているうちに、小さい乍らも座敷を照らしていた行灯の火が、遂に油が切れたのか、ふっと消えた。


「うー、段々臭いがキツくなってる気がするー」


 暗くなったことで、逆にミトの感覚は研ぎ澄まされる。微かだった臭いは、既に座敷の中に満ちているかのようだった。

 鋭くなっているのは、嗅覚だけではない。その耳は、どこかで低い唸り声を上げている獣の気配をも察する。

 そして その目は、淡く月の明かりが差し込んでいる障子戸の向こう、庭に唸り声の主の影が揺れていることも捉えていた。


「ふふっ、誰が遊びにきたのかなー」


 森の民(エルフ)であるミトは、夜の道も獣も恐れることはしない。妖によって作られた、物音ひとつしない暗闇とは違って、そのどちらも森の同胞と呼んでも差し支えはないからだ。

 昨日のように、獣たちが全ていなくなってしまったような山は昼間でも怖いし、今宵のような目隠しをされたかのような、真っ暗な屋敷の廊下は恐ろしかった。

 しかしながら今は、そのどちらでもない。障子に映る影は三角の耳とピンと立てられた太い尻尾。それがどんな獰猛な猛獣であっても、妖よりは扱いは易しい。


「キツネかな。タヌキかな。オオカミ……ってことはないか」


 立ち上がったミトの耳に、突然鋭い獣の叫びが聞こえる。聞き覚えのあるその鳴き声に、座敷と庭を隔てる障子戸へと急ぎ足で駆け寄るミトであった。

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