第14話 『はっ! まさか、トラ……?』
月は高く上り、その光が作り出す影は短い。そのお陰で、竹林の小径は明るく、ハンゾウの施術も捗った。
倒れている者たちを、小径の端に寄せるように寝かせると、一人一人の額に結界の術を施した札を貼付けてゆく。
これだけでも、やっておけば、再び身体を乗っ取られることもないだろう——。
「其方も難儀よのう」
そんなに強い力を持っておりながら、それを、そうチマチマとしか使えんとは——。
ハンゾウが、散らばっていた彼らの手にしていた得物の数々を拾い集めていると、思いがけずウツホラキリから声が掛かった。
「ああ、お前にも面倒かけるな」
力と言えば、お前にちょいと聞いときたいんだが——。
本当のところは答えてはくれまいと思いながらも、ウツホラキリに昨日から疑問に思っていたことを尋ねる。
「俺がお前に流した力。余った分はどこにいくんだ」
ハンゾウの力は、実に強大だ。単純な妖討伐であるならば、その力は遺憾なく発揮され、戦えば負け知らずである。
しかしながら、昨日今日のような微妙な力加減が必要なものは、ウツホラキリを介して行うしかないのだ。
今宵のように多くの力を流し込み、それを適宜使ったとなると、余っている力が、かなりある筈なのだが。
「先刻も言ったろう。腹の中に貯めとると」
「どういうことだ」
「美味しくいただいた。ということじゃ」
「それじゃ、お前と一緒に術を発動させるってことは……」
「まあ、人で言うならば、そうじゃな……。吐き戻している、ということになるかのう」
「げげっ……」
「そう嫌がるでない。其方の力は儂の口に合うようでな。腹を下したりもせん」
思わず顔を顰めるハンゾウを余所に、ウツホラキリはしれっと話を続ける。
「のう、ハンゾウよ。妖など元来形など持たぬ者たちじゃ。じゃが儂にはこうして立派な形がある」
そこらへんに、ただの妖モノと、儂らツクモガミとの違いがある——。
「彼奴ら妖どもと違って、儂らは形なりの本分を弁えておるのじゃ」
妖どものように、無闇に人や獣に取り憑いたりはせんものよ——。
「安心せい。其方の力は、ちゃんと腹の足しとなって、儂の中に残っておるのじゃ」
もう暫くすれば、少しは長いこと自由に動き回れる気もするのじゃが——。
ウツホラキリは独り言を呟くかのように、ハンゾウに答えるのだった。
「そう言えば、あの仔猫、いつの間にかいなくなってるな」
遠くまで蹴り飛ばしてしまった得物を、回収してきたハンゾウは、仔猫の行方を探して竹林の方を見やる。
すると、いつしか姿の見えなくなっていた、仔猫のものらしき影が、竹の合間に見え隠れしていた。
「お前、そんなところにいたのか」
竹の合間を縫うように、その影に走り寄ってみるが、近づいた時には、その影はどこにも見当たらない。
「この辺りだと思ったんだが」
果たして、そこには仔猫の姿はなかったが、足下には、先ほどハンゾウが投げ捨てたものと思しき得物の刃が光る。
不思議な気持ちでそれを拾い上げ、小径に戻った彼は、拾い集めた他の得物と同様に、一際太い竹の根元に纏め置いた。
太い竹の根元に近い一節に札を貼り、得物自体に結界を張ることによって、妖の目から、それらを逸らし隠す。
「さて、いよいよ敵の本丸だ」
姿の見えなくなった仔猫のことは心配だったが、今は無事にどこかへと逃げおおせてくれたことを祈るばかり。
かくしてハンゾウは、竹林の奥にあるという、領主の子息が囚われている屋敷へと急ぐのであった。
○ ● ○ ● ○
大切な人が囚われているのは、この竹林の中にあるお屋敷なのです——。
郊外の竹林に辿り着いたミトと娘は、竹林の放っている、その不気味な佇まいに戦きを禁じ得ない。
入り口付近から左右を見渡しても、その端は見当たらず、更に奥へと続く小径の果ても見通せはしなかった。
夜の森でさえ、臆することのないミトでさえ、間近で見るその大きさには圧倒的なものを感じる。
足を踏み入れてみると、竹は幾重にもふたりの頭の遥か上から、覆い被さるように折り重なっていた。
しかしながら竹の枝の合間からは、月の明かりが差し込み、仄かに明るくふたりの足下を照らす。
こういう竹が連なって生えているところには、トラっていう猛獣が棲んでるって聞くけど——。
辺りの気配を用心深く探りながら、歩むふたりであったが、虎どころか鼠一匹の気配すら感じられない。
そこにあるのは、微かに聞こえる風と共に竹の枝が擦れる音だけであった。
昨日登った、妖の山では、鳥は逃げ出し、獣も姿を隠し、鬱蒼と生える木々たちでさえ息を止めていた。
この竹林からも、もう何日も前から、そういった生きたものたちの気配がなくなっていたように感じられる。
ただ竹々が、ふたりの頭上高く真っすぐに伸びている様は、久方ぶりにこの竹林そのものが、目を覚ましたかのような息づかいを思わせた。
ちょっと待って。この先に何かがいる——。
僅かばかりではあるが、歩む早さを上げてきたふたりであったが、ミトは娘を手で制して、歩みを止める。
ワタシが先にいってみるわ——。
そう言って、先を進もうとするミトの腕を取り、娘は首を横に振った。
一緒に参りましょう——。
鼻ばかりでなく、夜目も効くミトは、仄暗い小径の先に続く闇をじっと伺う。
誰か人が倒れてるみたいね。嫌な臭いは……しないかな——。
恐る恐る歩みを進めるふたりの目の前に現れたのは、小径の端に寝かし付けられた人々だった。
彼らは皆、すうすうと安らかな寝息を立てているものの、誰ひとりとして起き上がる者はいない。
そして一様にその額には不思議な札が貼られており、見ようによっては、ある種異様な光景でもあった。
この方々は、私と共に囚われていた方々ですわ——。
倒れている者たち、ひとりひとりの具合を見て回っていた娘は、動揺を隠し切れない。
ミトもまた、倒れている者たちを、この場に放っておいて良いものか判断しかねていた。
何かが近づいて来る——。
倒れている者たちの様子を伺いながら、考え込んでいたミトは、はっと顔を上げ、咄嗟に辺りの気配を探る。
かさり、かさりという足音が竹林の奥から近づく。足音のする方向を見定め、油断なく身構えた。
はっ! まさか、トラ……?——。
仄暗い竹林の中、近づく影は、尖った耳を間断なくぴくぴくと蠢かせ、太くぴんと立てた尾をゆらゆらと揺らす。
暗闇の奥から、ふたつの目だけを不気味に光らせるその視線は、ミトを射抜くかのように鋭かった。
これがトラなの……?——。
暮らしている都の屋敷、一番大きな座敷に置かれた屏風に描かれている、水墨画でしか見たことのない、竹林に佇む勇猛な虎の姿。
立ち並ぶ竹の合間を、そのしなやかな四肢を踊らせるように近づく獣の姿は、まさに屏風に描かれた虎そのものに見える。
トラって、案外小さくて可愛いらしいのね——。
竹林と小径を隔てる低い柵の合間から、顔をひょこりと覗かせたその小さな獣は、小さな声で一声だけ鳴いた。
まあ、この子はうちで飼っている猫ですわ——。
ミトの背後に立っていた娘は、仔猫に声を掛けながら、仔猫が顔を覗かせている柵へと向かう。
柵を潜り抜けた仔猫は、娘に向かってまっしぐらに駆け寄ると、その足下に頭を擦り付けた。
先刻、お屋敷に立ち寄った折りには、姿が見えなかったので心配しておりました——。
しゃがみ込んだ娘に顎の下を撫でられて、ごろごろと喉を鳴らす、虎に似た小さな獣からミトは目が離せない。
都の屋敷で暮らす彼女は、その家の者から話に聞くばかりで、本物の猫を見るのも触るのも初めてだったのだ。
あのモフモフとした毛並み……。ワタシも撫でてみたいな——。
娘に教えられて、ミトはおそるおそる、そおっと猫の首筋に指を伸ばしてみる。
その毛並みの柔らかさは、伝わってくる体温と相まって、彼女の顔は自然に綻んだ。
もうっ、ネコときたら何で、こんなに可愛いのかしら——。
元より、森の獣とは馴染みのあるミトは、獣を愛でる気持ちは人一倍強い。
もふもふと、暫く喉元を撫でていると、その仔猫は、ふと我に返ったかのように、ミトの撫でる手を抜け出す。
仔猫は、小径の先へと飛び出そうとしていた。
ミトの視線は手から離れた仔猫の行方を追い、娘は仔猫に呼び掛けた。
呼び掛けられた仔猫は立ち止まり、半身を振り返らせ、ミトと娘の顔を交互に見上げる。
そして、ふたりを促すかのように、一声鳴き声を上げると、再び小径の先へと向かって駆け出した。
ミトと娘は、小径に寝かされている者たちに一礼すると、仔猫の後を追いかけるように、その場を後にしたのだった。




