第7話 『わたしが行ってみるとしよう』
少年はジュウベエに、自分はこの屋敷の主に仕えている、臣下の家の者だと名乗った。
まだ年少ながら、よく働くこの少年は、この主人には可愛がられ、ここには始終出入りしていたらしい。
ある時、別の臣下の一人が霊験灼かな有り難いものだと言って、どこからか怪しげな箱を持って来たという。
箱の中には、黒くて丸い宝玉が入っており、主人はそれを自室の床の間に飾っていたらしい。
そして、その頃より、ここの主人はおろか、出入りする使用人たちまでもが、原因不明の体調不良を起こし始めたのだ。
その宝玉に興味を引かれた少年が近づいたところ、その宝玉を持って来たという臣下の者に見つかってしまったらしい。
少年は、その臣下に酷く叱られ、挙げ句の果てに、首根っこを掴まれて、庭に放り出されたそうだ。
そのことがあって以来、暫くは、少年もまた、この屋敷に近づくことはなかったとのことである。
しかし先日、人づてに、ここの主人が療養のため転居したことを知り、少年は主人の許嫁と共に、久し振りにこの屋敷を訪れたのだという。
許嫁は、少年にこの屋敷の留守番を頼むと、主人が療養している別邸へと向かったそうなのである。
その許嫁が見舞いにいったきり、もう何日も帰らないのです——。
竹林に囲まれた閑静な場所にあるという、その別邸で療養している筈の主人とも会えないのだと、少年は言った。
許嫁なのだ。泊まり込んで看病しているのではないか——。
ジュウベエの言葉に、少年は首を横に振った。
許嫁と言うのは、自分の姉なのです——。
姉は、何の連絡もなく、何日も家を空けるようなことをする人ではない、と少年は言う。
そして奇妙なことに、自分が様子を伺いに別邸へと向かっても、そこには辿り着けないというのだ。
辿り着けないとは、どういうことだ——。
ジュウベエの疑問に、少年も首を傾げる。
信じられない話だが、別邸へと続く竹林の小径を、行けども行けども目的地には着かない。
ここ二三日は、日に何度も試しているのだが、それでも別邸には行けない。
今朝ほどに至っては、何か同じところを、ぐるぐると巡っているような気がしたというのだ。
試しに、目についた一際太い竹の根元に爪で傷を付けて、先に進んだみたところ、やはり見覚えのある竹が現れて……。
その根元には、先ほど付けた傷が残っていた——。という訳か……。
少年の言葉を、引き取って答えるジュウベエ。
何か、そら恐ろしいものを覚えた少年は、逃げるように屋敷へ戻ってきた。
そして、ひとりで途方に暮れていたところ、ジュウベエが尋ねてきたそうなのだ。
「ふむ。では、わたしが行ってみるとしよう」
ジュウベエの言葉に、少年は初めて笑顔を見せる。
何故、初めて会うわたしに、こんなことを相談したのだ——。
友人の屋敷を出る折りに、ジュウベエはふと聞いてみた。
あなたからは、この屋敷の主と同じような臭いがしたのです——。
少年は、少しだけ笑って、そう答えたのだった。
○ ● ○ ● ○
陽が少しだけ傾き、日差しも柔らかくなった頃、ハンゾウとミトは、この町の冒険者組合の詰所へと戻ってきた。
東側の見附台へと続く通路を隔てた、その横に、この町の冒険者たちが集う詰所はあった。
城下町でもあり、人の往来も多く、また東の山に設けられた関所の直近の宿場ということもあり、組合詰所も大きく立派なものだった。
一行が前日利用した詰所と、建物の造りや、内部の施設は似通っていたが、ひとつひとつの施設が広い。
商隊の護衛任務の冒険者たちだろうか。早くも、この日の任務が無事終了したことを祝って、杯を傾けていた。
荒くれ者揃いな冒険者の屯する中で、一人の旅の若い武士が茶を飲んでいるのが、ミトの目を引く。
青みを帯びた柔らかな緑色の羽織を着こなし、同じ色の瞳が印象的な、上品そうな佇まいの若い旅の武芸者。
遠目にも顔立ちの整っているのが判る美形ではあるが、その小柄な体躯故か、あまり強そうには見えない。
喧噪の中、何を話しているのか判らないが、彼は酔っぱらいに絡まれているようだ。
酔っぱらいの一人が何か言うと、びくっと立ち上がり、お茶もそこそこにその場を退散する。
後に残るのは、酔っぱらいたちの大きな笑い声。
不愉快な思いを感じたミトは、彼ら酔っぱらいに一言いってやろうと、一歩踏み出したところをハンゾウが引き止める。
「やめとけ、嬢ちゃん。良くあることだ」
「なんでよ。ああいう手合いにはビシッと言ってやんなきゃ」
「それに、あいつはそんなに弱いやつじゃないしな」
「ハンゾウ、彼の知り合いなの。もしかしてお友達?」
「えっ、いや……まぁ……。同じ冒険者として、そんな気がしただけさ」
憤慨しているところを止められて、訝しむミトを、宥めるハンゾウは、何やら不自然に話を逸らした。
「それより、当面のお小遣いだ」
ハンゾウは、銅銭の詰まった袋を差し出す。
「これは、さっきの……?」
先ほどの紙弊の束を、冒険者組合に預け、一部を銅銭と換えたらしい。
「ああ、全てを銭に換えちまうと、重たくてしょうがないだろ。こうして少しずつ持っとくのが良いって訳さ」
どうやら、ハンゾウの持つ認識票と照らし合わせることで、いつでも預けたり引き出したり出来るとのことだ。
へー、便利なのね——。
意外なところで、冒険者組合の報酬の仕組みを知って、感心しているミトであった。
まだ陽は傾き始めたばかりか。面倒だが、今のうちに話だけでも聞いておくとするか——。
ハンゾウは、銅銭の詰まった袋を覗き込んで、にこにこしているミトに声を掛ける。
「俺はちょっとばかし野暮用を済ませてくる。嬢ちゃんは部屋で休んでるといい」
「そんなこと言って、またワタシを置いてけぼりにするんじゃないでしょうね」
「そんなんじゃねぇって。何なら、そいつで好きなもん、いくらでも食べてくれても構わねぇ」
訝しげなミトを、銅銭袋を指してジュウベエは宥める。
「ふーん。じゃあ町に出てもいいの? ひとりだけで美味しいもの食べちゃおっかなー」
「ああ、上に登って右奥が嬢ちゃんの部屋だ。出掛けるんなら、日が暮れるまでに戻れよ」
「うーん。それじゃあ、大人しく待ってるわ。出来るだけね」
まだ少し、片頬だけ不満を残すミトの頭を撫でるハンゾウ。
「良し、いい子だ」
「だから、子ども扱いはやめてよ」
再び頬を膨らますミトに、にやり、と相変わらずの胡散臭い笑みで返すハンゾウであった。
○ ● ○ ● ○
友人の屋敷から暇しようと、門戸を開けたジュウベエを玄関から追って来た少年。
もうすぐ、日が暮れます。どうぞこれをお使いください——。
そんなに長居をしたつもりもなかったのだが——。
ジュウベエが辺りを見渡せすと、確かに武家屋敷の並ぶ路地は、夕暮れ時の気配に包まれていた。
見れば、少年はその手に、何か丸くて平たい黒塗りの器を持っている。
それは——。
不思議に思うジュウベエの前で、少年は慣れた様子で蓋を外し、それを上に持ち上げると、蛇腹状になった提灯の胴が現れた。
はい、自分の姉が使っていたものなのです——。
懐から、蝋燭と火打石を取り出して、円筒状の提灯に灯を点そうとする少年。しかし、巧く火が付かない。
どれ、わたしがやろう——。
ジュウベエが、蝋燭に火を点す様を、見守りながら少年は謝る。何故かその目は、じっと火を見ていた。
自分には、巧く使えないのです——。
ジュウベエが提灯を下げ、立ち上がる。今度はじっとジュウベエの顔を見つめる少年。
その提灯には、この辺りでは有名な神社でお祓いを受けた、ご神木が使われているそうです——。
それで、夜道を照らすと、狐や狸の妖に化かされないそうですよ——。
少年の言葉に、ふむ、と頷くジュウベエであった。
○ ● ○ ● ○
閑静な武家屋敷が軒を連ねる路地を、城に向かってハンゾウは足早に進んでいた。
西の都に向かう旅の途中、果たさなくてはならない任務を幾つか抱えていた。
城に向かっているのも、抱えている任務のひとつのためである。
全く以て勝手なやつだ。君なら楽勝だろう、じゃねぇだろ——。
自由にやらせてくれる一方、厄介そうな依頼を受けてきては、ハンゾウに投げる上役。
心の中に、少し気取った言い回しが好きな上役の顔を思い浮かべ、ひとり毒づくハンゾウ。
あいつもあいつで、自分が出ていきたいってのがあるんだろうが——。
立場上、上役自身が現場に出られないことは、重々承知はしている。
まあ、仕方ねぇか。こういうのは、俺の望みでもあるしな——。
ふっと溜息をひとつ吐くと、その表情からは日頃の胡散臭さは消え失せ、引き締まった顔つきへと変わってゆくのであった。




