第5話 『実り多きものでありますように』
ウツホラキリは黙して語らず。
精霊に語りかけることで、その力を借りて術を発動することのできる、山の民の術士、赤ヒゲ曰く。
ワシの知っとるツクモガミは、夜中になると、月の光を浴びて動き出すそうじゃが、その刀は、普通のツクモガミ……普通のと呼ぶのもおかしな話じゃが、それとは、ちぃっとばかし違ってるようじゃのう。
まるで、刀に精霊でも宿っとるような気配を感じる。精霊というものは、この大地の上、どこにでもおるもんじゃ。精霊とて、特に人に益をもたらそうとも、害を加えようとも思ってはおらん。ただ、そこにいるだけのものじゃ。
「つまりは、この刀は使い手によって、その姿を変えるのかもしれん。こやつの今後は、お主次第じゃということかのう、紅目の」
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ミトは、掌の丸い玉を感慨深げにじっと見ていた。
彼女が、ぐっと拳を握りしめれば隠れてしまいそうなそれは、淡く黄色に染まり、部屋の灯りをそこに映している。
正面に座る森の民の鑑定士。「クガネ」の通り名を持つその女性。
その通り名の元になったであろう、秋の稲穂のように揺れる、豊かな黄金色の髪をかきあげ、ミトよりも、少しばかり藍が濃い瞳を細くする。
ミトよりも何年も長く生きている彼女にとって、ミトは、この界隈で久し振りに出会った同胞というばかりではない。
彼女は、もう何十年も前に、森の民としては珍しく、故郷の森の都を出て術士を志した。
森の民と言えば、積み重ねた知恵と、熟練した技があれば、術など如何ほどのものか。大切なのは日々の研鑽であり、それは森の都の中でも充分可能であると考えている者が大多数のようだ。
実際大半の者は、その長い一生を、森の都の内側で研究や、研鑽に明け暮れて過ごしている。一方、未知の世界を追い求めるが故に、故郷を飛び出す者も、そう多くはないが確実に存在した。
クガネは、そういった少数派なのだ。好奇心いっぱいのミトは、まるで故郷を飛び出した頃の自分を思わせる。故に彼女がミトを気に掛けるのも、そのことがあるのに他ならない。
クガネが、術士から、それがかなりの上達を見せたのにも関わらず、鑑定士へと志を移したのには理由がある。
彼女は術の研鑽を重ねる一方、次から次へと現れる妖石や術の施された道具などの不思議な物を、持ち前の好奇心で、研究し始めたがきっかけだった。
隣の部屋で、その友人だという胡散臭そうな、しかしながら『力』が溢れ出ている男と話しているであろう、山の民の術士からの影響も大きかった。
どこからか流れて来た、赤ヒゲを名乗る、その山の民は、その暫く前から、この町を拠点として冒険者として活動していた森の民である彼女に、躊躇いもなく声を掛けてきたのだ。
その頃、地方の人の町ではまだ、森の民も山の民も稀な存在であり、また両種族ともお互いの誇りを懸けて、馴れ合いを良しとせぬ時代であった。
声を掛けてきた山の民と共に依頼をこなすうちに知ることになる、彼の様々な分野における知見の広さは、森の民である彼女をも驚かせた。
クガネは森の民としてはまだ若い。そのクガネよりも、更に短い年数しか生きてはいないであろう、山の民の術士、赤ヒゲに遅れを取ったとは、彼女自身は思ってはいなかった。
もとより、心の垣根が低かった彼女は、自分の知らないことを知っている山の民である彼に、種族の壁を越え、尊敬の念を抱いた。
そして、自分の知らないことが、まだまだこの世には沢山あるということに気付かせてくれた、鑑定という職に心惹かれたのだった。
先刻、ミトと名乗るこの同胞の娘と、胡散臭いが手練れであるらしい冒険者が持ち込んだ妖石の数は、尋常ではなかった。
ひとつひとつの大きさも、通常のものより一回りは大きい。しかも、持ち込まれた時点で、かなり浄化されていたのだ。
どういう術か、或いは技を使って妖討伐を行ったのか。この娘がやったのか、あの冒険者の仕業なのか。森の民の鑑定士、クガネの興味は尽きない。
ミトから話を聞くというよりは、その大半の時間は、彼女からの質問攻めの受け答えに費やしたクガネであった。
質問の合間に、熱心に語られるミトの討伐の話は、クガネの疑問に答えを出すものではなかったが、嘘や誇張はないと感じられた。
時折話しに出てくる、この場にはいないジュウベエという剣士らしき男も、もとより胡散臭い風体のハンゾウも、謎を深めるばかりの存在である。
ただ、ミトの話を聞く限り、クガネには、そのふたりは信頼できる者たちのように感じられた。
ミトが彼女に見せた妖石は、きれいに浄化されていた。最早『宝珠』と呼んでも差し支えないくらいに。その石の玉にも、興味の及んだクガネは丁寧に検分する。
それは、まるで聖なる土地で浄化されたものか、山や森の持つ大地の力によって、長い年月を経て浄化されたものであるかと見間違うほどであった。
森の民の鑑定士や、山の民の術士が手を加えなくても、その玉は見事に力の器となっていたのだ。
大切にしなさい——。
そのことをミトに伝えて、クガネは、彼女の掌に玉を返す。
ミトの掌の玉が、微かに彼女の力に反応しているのを見て、クガネも彼女には何某かの『力』を持っていることを確信した。
クガネは、その玉を見つめるミトの表情の中に、かつての自分を思い出す。そして、ミトの旅の無事を願わずにはいられないのだ。
「思っているよりも、この世はずっと広いのよ。あなたの旅が、実り多きものでありますように」
ミトは、首から下げた玉の入った袋を、何度となく手に取っては、懐の奥にしまい込むという仕草を笑顔で繰り返している。
先刻まで、話をしていた同胞のお姉さんが、袋を加工し、首から下げられるようにしてくれたのだ。
そのお姉さんは、忙しいのか先に部屋の奥の扉から出て行ってしまって、室内にはミトがひとりきりだ。
隣の部屋のハンゾウたちの話が終わるまで、この部屋で待っていてくれとのことだった。
あのお姉さんが、良い人で良かった。お話しも、楽しかったし——。
彼女は、ミトの生まれた森の城下町より、更に北にある森の民の都で生まれ育ったらしい。
そこから、冒険の旅に出て、東の都に移り住み、今はこの町が気に入っているとのことだ。
確かにこの町は良いところのようだ。町の真ん中の小高い丘には立派なお城があり、町中は人の往来も多く、賑わいを見せる
しかし何より、西側にはすぐ側に険しい山々が聳え、南に下れば間もなく海に至り、北へ向かえば深い森が続いていた。
森の民であるミトにとっては、そしてあのお姉さんにとっても、冒険心をくすぐられる町に違いない。
あの山を探索するだけでも何年か掛りになりそうだ。しかし、ミトはあの山を越えた、向こう側にも行きたいのだ。
お姉さんも、昔あの山の向こうに行ったことがあるらしい。一人では渡れない大きな河や、舟でないと渡れない海。
そして辿り着くのは西の都。これまでは、ぼんやりと西の都へ行ってみたいな——。そう思っていたミト。
今や、何故だか、この冒険の旅の目的地は、西の都しかないとさえ思い始めていた。
旅の仲間とは、ほんのまだ何日かの付き合いで、ミトにもふたりのことは、良く判ってはいない。
しかし、ミトの話を聞いたお姉さんは、彼女自身にとっても謎ながら、彼らふたりは、きっとミトのことを守ってくれる存在になるでしょうと言ってくれたのだ。
ミトが、ハンゾウから授かった銃を撃ち、ジュウベエは、そこから放たれた光の矢で妖の核を撃破した。
その結果として出来上がった、この小さな丸い玉は、ミトにとっては、この冒険の最初の成果だった。
その最初の宝物というべき、この宝珠を、ミトの同胞であり冒険の先達とも言えるお姉さんに誉めてもらったのは僥倖としか言いようがない。
何回も手に取っては、眺めてしまう。手に取れば、自然と笑みが溢れてしまうミトであった。
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それじゃあ、よろしく頼むぜ——。
ハンゾウが、赤ヒゲと最後に挨拶を交わしていると、コンコンと扉を叩く音がする。
「お話終わりそう? ハンゾウ」
隣の部屋で待たされて、退屈していたであろうミトが、扉を開けて顔を覗かせた。
「ああ。待たせちまってすまねえな」
こっちは、俺の昔馴染みだ——。
ハンゾウが紹介するのは、ミトにとって、初めて間近に接する山の民。
彼の姿は、家の者に聞いて育っていた、ミトの偏った山の民に対する考えを一蹴するものだった。
「お主の言っとった嬢ちゃんってのは、この娘っ子のことだったか」
初めまして、じゃな——。
赤ヒゲの差し出した手を、ミトは躊躇いもなく取る。
「ワタシはミト。西へ旅をしているの」
三人でね——。




