第2話 『へへっ、ありがとう』
「おやおやー、どうしたのさ、ふたりとも。黙ってワタシのこと見つめちゃって」
ジュウベエは、いつもの鹿爪らしい顔で腕組みをしており、ハンゾウは無言で、何やら盛んに自分の頭と目を指差す仕草を繰り返している。
「あれ、もしかしてふたりとも、お風呂上がりのワタシに、ようやく大人のオンナ感じちゃったの? でもダメッ。まだ心の準備が……」
ジュウベエは、相変わらずの真面目くさった表情のままであり、これという変化は見て取れない。しかしハンゾウの顔は、心なしか引きつっているようにも見える。
「えっ、そうじゃないの。じゃあこの旅の装備かな。昨日と同じものなんだけど、少しずつ女の子っぽくしてみました。どう? 可愛くなったでしょ? 後はコレを頭に……」
そう言って鏡に向かったミトは、そこに映った自分の顔をみるなり慌て始めた。あれっ、あれっなどと口走りながら、髪や顔のあちらこちらを確かめるように触っている。
「ふむ、その髪はどうしたのだ」
「嬢ちゃん、目もおかしくなってないか」
ゆっくりとこちらを振り向くミトの、短めに切り揃えられた髪は、淡いながらも奇麗な黄金色、大きく見開かれた瞳は瑠璃色をしていた。
その髪の色や瞳の色と相まって、整った目鼻立ちと、すらりとした立ち姿は、この世のものとも思えぬ美しさを醸し出す。
ただし、黙って佇んでいれば。という残念な注釈付きではあるが。
「見ーたーなー」
「うむ、確かに見ている」
「見たな、じゃねぇだろ」
ミトは溜息をひとつ吐くと、居住まいを正し、ふたりに頭を下げる。
「隠していて、ごめんなさい。ワタシは森の民の一族なの」
そう謝ると、髪の毛で隠されていた耳を、ふたりに見せた。
その耳は、我々の耳よりも少しだけ長く、少しだけ尖っている。
「うむ、それは判っていた」
「俺も、前から知ってたぞ」
「ええーっ。なんでよっ?! なんで判っちゃったの?!」
驚いている彼女に対し、ふたりは至って冷静だ。
「わたしは、昨日は長いこと身近にいたのでな。君の発する気が、常人のものとは、少々違うように感じていたのだ」
「なんでもなにも、俺の仕事は家出人の捜索と保護なんだぜ。そんなこたぁ、知っていて当たり前じゃねぇか」
「えーっ、じゃ、何で知ってんのに黙ってたのよ。ふたりとも」
うんうんと互いに頷き合う、ふたりの予想外の反応に、今度はミトが唖然としていた。
「別に隠すようなことでもあるまいが、本人が隠したがっているのだ。判っていても、黙っているのが礼儀というものだろう」
「俺も、お嬢ちゃんが折角巧いこと変装してたのに、なんで自分からバラしちまうかなぁ。なぁんて思ってさ」
暫く、何かを考え込んでいた様子のミトだったが、やがておずおずと口を開いた。
「ふたりとも、森の民なんかと一緒に旅をするのは、嫌じゃないの……?」
森の民も山の民も、その存在は古くから知られていた。彼らは、もう千年以上も前から、北の地を治めていたと伝えられている。
まだ人の都が、西にひとつしかなかった頃より、時の権力者たちは、度々彼らを懐柔しようと、あるいは支配下に入れようと企てていたようだ。
当然のことながら、彼らが、その求めに応じることはなかった。積極的に攻め入ってくる訳ではないが、独自の戦力を以て、都からの軍勢を悉く追い払ったのだ。
それから長い間、彼らとの交流はなかった。紆余曲折を経て友好的な関係を結ぶに至るのは、先の大戦の中での話となるのだが、それはまた別の物語となる。
森の民と、山の民との間にもまた、長い間確執があったようだが、その両者を含めた我々が、共に天下泰平の世を築いてゆくことになったのは、その大戦から少しだけ後の話であった。
そんな謂れのある森の民であるミトは、元は北にある森の民の都で生まれ、今は東の都で暮らしている。
移り住んで何年かは、屋敷の中だけで過ごし、町中に出るようになったのはごく最近の話だという。
もっとも、寿命の長い森の民のことだ。最近、と言うのが、どのくらい前なのか、ジュウベエたちには見当もつかない。
それに加え、彼女が町に遊びに行く時は、いつも数人の護衛付きで、変装してからでないと許されなかったらしい。
「一度こっそり一人で出掛けたんだけど、すぐ見つかっちゃってね。連れ戻されて、兄様にものすごーく叱られたの」
兄様曰く、町は怖いところだ。一人で出歩いて攫われたらどうする。お前は可愛いから目立たないように変装までさせているのだ。
ミト自身も、その折りに同い年くらいと思しき町の子どもたちに、森の子だー、と指を差されて笑われたことに甚く傷ついたという。
「でも町は、楽しかったわ。珍しいものも、美味しいものもいっぱいあって」
町も、そこに住む人々も、嫌いになった訳ではない。しかし兄様の過保護とも言えるやり方は、ミトの世界を確実に狭くしたことは確かだ。
しかも、それ以降は兄様の監視も、より一層厳しくなり、一人で屋敷を抜け出すことなどは、到底できなくなってしまったらしい。
ただ、屋敷を囲む林から裏の方へと続く森や丘へは、いつでも出入りは自由で、兄様と二人、弓の稽古などに良く出掛けたという。
森の中であれば、兄様の決めた範疇内ながら、ミト一人で出掛けても良かったようだ。それからは、毎日のように森を駆け回っていたそうである。
森の中ならば安全、というのが、森の民たる所以だ。町に住む民の親ならば、子どもには、昼間であっても「森に近付くのは危険である」と教えるであろう。
しかしミトはその森で、弓の修練を重ね、食べられるものと食べられないものとを見分けられるようになり、道具がなくても時間や方向が判るようになったという。
「そんなある日ね、いつもの丘より、もう少し高い丘に登ってみたのよ」
登りきったところで振り返ってみると、自分の住む屋敷や都が眼下に見渡せて、とても良い景色だったとミトは言った。
「でも上りきって最初に目に入ったのは、ずうっと遠くにあるフジの山ね」
ふむ、富士の山か。あれは美しいものだ——。ふたりも頷いている。
「で、足下の丘を下って、森を抜けて、草原を渡って、山を越えて、このままずーっと真っすぐ行けば、そこまで辿り着けるんじゃないかと思ったの」
ジュウベエは口の端を無言のまま上げ、ハンゾウは笑いを堪え切れないように相槌を打った。
「笑わないでよ。その話をしたら、兄様にも笑われたわ。その頃は、まだ子どもだったんだから仕方ないじゃない」
いつになくミトの態度はしおらしい。ふたりの視線を外すように、そっと目を伏せる。
「昔から憧れてたのよ。お屋敷から出て、兄様の手を借りずに旅をするのが。でも都では、森の民って珍獣みたいな扱いなのかな、って考えが拭い切れなくて……。ふたりにも、一緒に旅してもらえないんじゃないかって、思ってたんだ」
その言葉にジュウベエとハンゾウは、顔を見合わせ、そしてまたミトに視線を向けた。
「笑ってなどおらぬ。君は森の民であることを、どこか引け目に感じているようだが、そんなことはない。昔、わたしの同門にも、確か森の民の里の出の者がいたが、とてつもなく強かった。いつまでも衰えぬ身体に、積み重ねられる研鑽。素晴らしいではないか」
「先の大戦じゃ、森の民も山の民も、人と手を取り合って妖どもと戦ったって話だぜ。まあ、その戦の後は、連中も大半が国許に帰っちまったらしいが、今でもたまに見かけるし、そう珍しいもんでもねぇよ。あんまし気にしなさんな」
「そうかしら。どうも子どもの時に、笑われたってのが気になっちゃって仕方ないのよ」
「それは笑われたのではなく、笑い掛けられたのではないのか。森の民ならば、それを誇りに思えば良い」
「都のガキどもにとっちゃ、珍しいのは森の民じゃなくて、嬢ちゃんみたいなベッピンさんだったんだろ」
それを聞いたミトは破顔一笑。あっさりとご機嫌になると、ふたりに握手を求めた。
「へへっ、そうかな。ありがとう、ふたりとも。元気出たよ」
ミトの差し出した、その手を取りながら、ジュウベエは続けた。
「では、さっそく剣の修行だ。まずは基本の素振りから始めよう」
うへー、としかめっ面のミト。冗談ではなく本気で修行を始めようとするジュウベエ。
そんなふたりの遣り取りを、ハンゾウは、日頃の胡散臭さは何処へやら。優し気な瞳で眺めるのであった。