第10話 『ちょっとー、ここ開けなさいよーっ!』
「ちょっとー、ここ開けなさいよーっ!」
小屋の外にひとり取り残されたミトは、手のひらで戸をバンバンと叩く。
「嬢ちゃんの仕事はな、表にいる連中の相手だっ。どこでもいいっ。とにかく逃げまくれっ」
ハンゾウのとんでもない返事に、ミトは思わず戸を蹴っ飛ばした。
「ハンゾウったら、覚えてなさいよーっ!」
捨て台詞を吐き捨て、振り向いた彼女が見たものは、建物の陰から姿を現す正体不明の輩ども。
手に得物はないようだが、何やら、いやらしい笑みを浮かべているようにも見えなくもない。
「こういう時は……、自己流秘技っ! 中央突破ーっ!」
元気良く目の前の通りに飛び込み、勢い良く駆け出してゆくミトであった。
ミトの軽快な足音と、それを追っていったであろう複数の足音が去っていった頃。
ハンゾウが戸を開けると、そこに立っていたのは中年の武士が3人。
お昼頃にジュウベエが、うっかりと倒してしまった男たちである。
「お疲れ様ですな、ハンゾウ殿」
彼らの挨拶に、軽く一礼を返すハンゾウ。
「この後は、この前話した手筈通りに願う」
「付かず離れず、彼女を見守るのですな」
「ああ。あの嬢ちゃんの相手をするんじゃ大変だろうが、よろしく頼むぞ」
「はっはっは。では我々もぼちぼち参りますか。ハンゾウ殿にもご武運を」
踵を返し、歩き出す中年武士たち。その歩みはゆったりと見えて、意外な程の速さで町の中に消えていった。
「なにをやっておるのだ。鬼か、貴様は」
一連の出来事を呆然として見守っていたジュウベエは、掴み掛からん勢いでハンゾウに詰め寄る。
「あの者たちは公儀の役人、先の宿場の警護役といったところか。しかも腕も立つ。足捌きひとつとってもそれが判る」
「ああ、大体そんなところで正解だな」
「そんな者たちを統べる貴様は何者だ」
「言っただろう。只の冒険者だよ。その仕事のひとつには、家出人の捜索と保護なんてのもある」
「あの娘のことか……」
「ああ、あの嬢ちゃんを、無事に連れ帰るってのは並大抵のことじゃねぇ。しかも悪徳手代の件も同時に片づけなきゃいけねぇ」
「ふむ」
「だから、嬢ちゃんのことは地元の者たちに任せた。手代の方もお前さんに丸投げしたいが、そういう訳にもいかんだろう」
「うむ」
「だいたい、お前さんだって、行きずりで出会っただけの嬢ちゃんのこと、守ってたんじゃねぇのか」
「あれは、わたしも家を飛び出してきた身の上。子どもとはいえ、男の旅を放ってはおけなかっただけなのだ」
「ははっ、正体は大志を抱いた少年じゃなくて、跳ねっ返りのとんだお転婆お嬢様だったけどな」
「全くだ」
口ではそう言いながらも、心配そうにミトが逃げたであろう方向を見やるふたり。
「では俺たちも御役目を果たしにいこう」
「助太刀してやる。有り難く思うのだな」
ジュウベエとハンゾウは、来る相手に向けて足早に歩き始めた。
○ ● ○ ● ○
その男、元は辺境の小国ながら、その一角を治める一族のひとりであった。
その辺境の国では、先の大戦前までは身分制度が非常に厳しく定められており、力はあれども下級の身分の者が上に取り立てられることはなかった。
大戦の後は、新しい領主が配され、新たな体制の許、その制度も大幅に改められる。合議制によって、その職に相応しいものが就くようになったのだ。
しかし辺境の、そのまた地方の支配を任されていたその一族は、大戦の後も何らかの手管を用いることで、その地での変わらない権力を保ち続けていた。
無論、表向きは合議の結果ということになっているが、反対意見のひとつもなく満場一致での決定、という不自然な長への就任は続く。
一族の無碍なる支配を正そうという、心ある一派が現れようとも、何故か、その都度彼らは退けられ、その末路は言わずもがなである。
あまりにも辺境の、あまりにも小さな町での話。その町の惨状は表に出ることもなく、一族の独裁によって、下級階層の民の暮らしは酷くなる一方であった。
一族にとっては自分たちの優位性は常識であり、下級階層の民を甚振っているという自覚すらなかった。下級民の犠牲さえ連綿と続く歴史の一つであるという認識だったのである。
例えば、それは楽しい夕げの時間、その家の末の息子が如何に厳しく、粗相をした下級民の使用人を躾けたか、という話題が武勇伝として笑い話になる程度に、当たり前の出来事であった。
そして一族の搾取により疲弊した町から、遂に他国へと逃げ出す者が出始めた頃に事は起こった。支配者一族の屋敷が次々と炎上。何人かは生き残ったらしいが、その後は行方知れず。一族は、ほぼ全滅となったと伝えられている。
町中の重要な拠点に点在していた彼らの屋敷は全てきれいに燃え尽きたものの、近隣の建物には一切燃え広がることはなかった不思議な火難。
立ち上る煙と燃え上がる炎の中、鬼のような影が蠢いていた、などと言い出す者まで現れたが、それは恐ろしい火難の中で見た幻であろうと思われた。
町の民の多くは、ようやく一族の悪事に気がついた小国の領主が、何らかの方法で彼らを粛正したのだろうと噂した。
そんな曰く付きの一族の生き残り。今は遠く離れた地で、悪徳手代の用心棒を生業としているのが、この慇懃無礼な若旦那なのであった。