轢死
楽園。一体この美しい響きを持った言葉にどれだけの人が惑わされてきたか君、ちょっと考えても見てくれ!
無何有郷、桃源郷、ユートピアやエデンなどと言った言葉で言い表わしても構わないが、これらの幻想は、我々の心を強く掴んで離さず、これに理想を見た者たちを、湖に写った己の姿に恋をして身を投げたナルキッソスがそうであったように、破滅の淵へと引きずり込む。
これは明らかなことだ。何故って、歴史を振り返ってみればすぐわかることじゃないか! 楽園を追放されたものはいても、楽園に入ることを許されたものや、若しくは自分の力で創り上げるなんて芸当ができたものは一人だっていやしない。それどころか、理想郷を見つけられず失望のままに命を落としてしまったんだ。わかるだろう、これは明らかなことなんだ。理想は人を滅ぼすんだ!
しかし僕は、楽園というものにはあまり魅力を感じないんだ。そういったものよりはむしろ、崩れかかった廃墟であったり、ずっと昔に見捨てられた遺跡であったりといったものが、滅びかかっていて、今にも消え去ってしまいそうなものが好きだ。桜によく似ていると思う。桜が満開なのはほんのいっときで、盛りをすぎればまたたく間に散ってしまうが、枝についた花びらより、風に吹かれて舞い散る花びらのほうが僕の目に美しく映る。永遠の美なんていう欺瞞に対して、桜の美しさはなんて絶対的なものなんだろうか。
そういえば僕は君にこうやって相談に来ていた原因の心配事、それにはっきりした答えを見つけ出したからこうやって会いに来たわけだけれど、どうして僕が最近電車に乗ることに不安を覚えるのか、これからきっと君も得心が行くだろう。石ころを礫と言って、これには楽という文字が含まれているのだが、これはなぜだか君にわかるかい? 脈絡がないなんて考えちゃいけない、これでも考え抜いて来たんだから。最後にはピッタリと言いたいことにたどり着くんだから。
大昔の罪人の処刑法として石を投げるというものがあったそうだが(あなたがたのうち罪のないものがまず石を投げよという言葉もある!)、当時の人間にとっての最大の娯楽がこれ、つまり石打だったそうだ。
やっぱり人間の残酷さというものは古代から変わらないものなんだな。自分に危害が及ぼされない範囲から他人に危害を加えるのを、そしてそれを眺めることを"楽しむ"のは、水に落ちた犬を死ぬまで叩きのめすことを"楽しむ"のは人間の恐るべき本性と言えるだろうね。道理で楽園に入りそこねるわけだ!石を投げて楽しむと書いて礫とよませるのにはこんな由来があったんだよ。
それが一体電車となんの関係があるんだって君は思っているね。まあもう少し辛抱してくれたらすぐに分かるさ! なんだって君はそう青い顔をしているんだ? まあともかくとして、僕は礫という字に楽が含まれている理由を明らかにしたわけだ。
それで何がどうしたら僕が電車を恐れる訳になるのかってことなんだけど、君は電車に轢かれて死ぬことを轢死というのを知っているだろう? まあ電車に限った話ではないけど、僕は今電車についてのはなしをしているからね。ところで面白いことに、石に楽しいと書いて小さな石ころが、車に楽しいと書いて小さくばらばらになった人間の体が表現されるんだ。
驚くべきことに、こんなところにも楽園の頭は潜んでいたんだよ! それにどうやら、楽しいって字は小さく分解するという意味を持っているようだね。これは注目するべきことだろう。
ついでに"レキシ"って読みの言葉に英語でヒストリーという単語があるよね。この言葉も面白くて、英語の言い回しで「歴史は"見る"」ってのがあるんだ。君に英語を教えるのはアインシュタインに物理学を教えるようなものだから説明はいらないと思う。それで何が言いたいのかというと、人間は歴史から見られる客体であって、主体ではありえないってことだ。個人にとっての一大事は歴史からしたら取るに足らない些末なことに過ぎない。
僕は一体何者なんだろうと考えると、たまらない不安に襲われる。何しろ僕はちっぽけな人間で、僕じゃない誰かさんのほうがきっと僕より僕の人生をうまくやっていけるだろうからね。考える葦だなんてくだらない。ひょっとしたら考えないことが一番の幸福かもしれないのに。
正直なところ、僕は最近君の出してくれる薬(こんなところにも!全く頭がどうかなりそうだ!)をあまり真面目に飲んでいないし、君にとって扱いやすい患者ではないことは百も承知なんだけどね、どうか遮らずに聞いてほしい。僕が君の思い通りにならないことはいつだって君のせいじゃないのは一番君がよく知っているだろう? それに今君は、僕が論理性に欠いた支離滅裂なことを喋っていると思っているね。それについては僕が一番良く知っているから。
それに僕が薬を飲まないのにはちゃんと理由があるんだ。罪人にとっての手錠と僕にとっての薬は同じだ、要するに罪人が初めて罪人らしくなるのは手錠に繋がれたときで、僕が病人であることを認めるのは薬を飲んでいるときだってことだ。
見たくもない自分の姿を強制的に客観視させられるのは君に想像もつかないくらい屈辱的で、ほとんど拷問的と言ってもいいくらいだよ!君はそれを僕に強いようってんだからな! 君が心根の正しい人間だってことを知らなかったら今頃君を心底恨んでいただろう。まあ君は医者で、医者には医者なりの従うべき良心があるんだろ。僕にそれは理解できないのだけども。
ところでさ、思えば薬も、もとは草をすりつぶしたものだったのだからやっぱり楽という字は分解するという意味を持っていそうだね。それでちょっと思いついたんだけれど、苦しみは楽しみの反対の概念だけれど、これもやっぱり意味を、それも象徴的な意味を持っているんじゃないかな。
苦味は舌を強張らせるし、"古"くなって"枯"れた"草木"もやはり"固"くなるだろう。すると苦しみは楽しさとは反対に、凝固させる性質を持つわけだ! こんなことを思いつかずに今日まで過ごしていたなんて! これは君、明らかに僕の意見を補強するのもだよ。
してみると、死後硬直にはこんな解釈ができるかもしれない。死の苦しみから人間の体はしばらくの間固まって仕舞うが、それから開放されるに従って体は楽になっていき、最後にはバクテリアに食われて分解されてしまうんだ! もちろんこれは戯言に過ぎないってことはわかってるけどね。
それで話を戻すけど、礫と轢と薬と、こいつらには見かけ上だけでない、共通したものを、共通した本質的な意味を持つことに僕は気づいたんだ。気がついたかい?また更に君は青くなったね。そう、これらには死にまつわる概念を含んでいるという共通点がある。それに苦しみも死と密接に関連した言葉だから、図らずも苦楽は裏表の関係どころか同じ次元の話であることが証明された。
一体これは偶然の一致だろうか? きっともとの意味を糺して行ったら、偶然でしかないなんて味気のない結論が出るのだろうけど、この一致は僕の心に不思議な鮮烈さで迫ってくるんだ。この一致は僕にとって意味がある。
毎日乗っていた電車に、すべてのものが逃れ得ぬ、絶対的な真理が隠されていたんだ!このことが僕を不安にさせていたんだ。いや、このことだけじゃない、他のすべてのことが僕を押しつぶそうとしてくるんだ。実際僕たちはいろんなところで押しつぶされているからね。
今や僕の心を慰めるのは憂鬱さだけだ。いかなる楽しみも僕を喜ばせはしない。幸せは歩いてこないかもしれないけど、不幸はレールを軋ませながら恐ろしいばかりの速度で迫ってくる。それはきっとプラットフォームに向かう電車のように僕を追い抜かしてゆくだろう。それが僕には心地よいのだ。
君はえらく動揺しているね。
一体全体、電車の他に人をここまで不安に陥れるようなものがあるだろうか? 無表情で電車の大きな口に飲み込まれていく人々。満員電車の中で十分に手足を伸ばすことも叶わず、半径1メートルに一ダースは他人が詰め込まれているのに文句も言わずじっと立ち尽くす人々。各人ごとの降りる駅で無言で人を押しのけながら大きな口から吐き出される人々。他人に全く無関心で目の前で人が刺されようが気が付きもしなさそうな人々。
うざったい野暮な釣り広告が僕の精神を蝕むようだ。けたたましいレールの音だのが僕の精神を蝕むようだ。蝕まれるたびに心が穏やかになるようだ。血に染まった石ころは誰かの楽しみになるだろう。レールの下には石ころが敷いてある。明日は薬を飲んで行くことにしよう。明日は楽しいことがありそうだ。
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