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冬の地平線 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 つぶらやくんは、「冬の地平線」を見たことがあるだろうか?


 ――地平線くらい、いくらでも見ているって?


 ははは、確かに見晴らしのいいところだったら、どこでも見えるだろうさ。

 でも、僕が言っているのは、「冬の」地平線さ。それも冬の日にいつでも見えるもののことを指しているんじゃない。冬に限りがあること……それを伝えるために、存在するのだと聞いたんだ。

 僕自身も、実際に体験するまでは全然信じていなかったんだけどね。その時の話を聞いてみないかい?



 冬の地平線を見に行かないか?

 そう誘ってくれたのは、僕の祖父だった。もう2月に入ろうというこの時期の日曜日は、僕にとってはまだまだ冬真っ盛り。外に出たくない気持ちでいっぱいだった。

 おまけに、僕は生まれてからここまで、身体が弱いと来ている。季節の変わり目は体調を崩しがちなだけに、できる限り暖かい場所でぬくぬくしていたい。


 そう伝えたけれど祖父は、「いまじゃないと、見られない。もったいないから来い」と、いやに強引だった。もうあらかじめ母親たちを説き伏せているようで、僕が嫌がっても、「いってらっしゃい」と送り出してくる始末。

 豪勢な昼ご飯をおごってもらうことを条件に、僕はとびっきりの厚着をしてから、祖父の後に続いて、家を出た。



 僕の家の近くにある、バス停まで歩いていく。

 あちこちの家も、すでに正月飾りを引っ込めて久しい。当時、6歳の僕にとっては、めちゃんこ疲れた時期でもあったよ。食べたり騒いだりで、てんてこ舞いだった。

 一方の還暦過ぎた祖父は、ひたすらに落ち着いていた。餅をのどに詰まらせないよう神妙な顔で雑煮をすすりながら、テレビで静かに駅伝を見ていた姿が印象に残っている。


 後になって考えてみると、それもおかしくはない話だった。

 僕にとっては生涯6回目の正月。記憶がはっきりしている時期から数えたら、もっと少なくなるだろう。大イベントのくくりだ。

 でも祖父は60回の正月を経験している。週一回のアニメに置き換えてみると、すでに1年は見続けているのと、ほぼ同じ感覚だ。そりゃ、メリハリをこさえなくっちゃ飽きが出てくる頃合いだろう。


 バスの席に隣り合って腰かけながら、祖父は僕に一年間のことを尋ねてくる。

 入学してから、この正月休みが明けるまでのこと。はじめはかったるく思っていたのだけれど、祖父が聞き上手だったのだと思う。ゴールデンウィーク明けでの運動会あたりから、僕は完全に乗り気になってしまい、ちょっと話を盛りながら、続けてしまう。

 祖父は僕の言葉にうなずきながらも、ときどき、すっと目を細めることがあった。何か遠くを見やるかのようで、目線は僕の頭の上を向いている。何を見ているのか、尋ねてもはぐらかされてしまったけどね。



 バスが終点に着く。ここは地元のターミナル駅で、朝と夕方は学生や社会人であふれかえるところでもあった。

 僕たちは駅の改札とは、反対側へ足を向ける。駅前の銀座通りを過ぎ、もう少しえっちらおっちら歩くと、やがて海の見える国道にぶち当たるんだ。

 空はどんよりと曇っている。予報では晴れと話していたはずなのに、いまにも雨や雪がちらつきそうな、薄灰色の雲が空を席巻している。

 ただ海のずっと向こう側。うっすらと島影が見える遠方には、不自然ささえ覚える、真っ白く明るい空が広がっている。

 雲が絵だとしたら、その途中に白い絵の具をまんべんなく塗りたくったか。あるいは、雲が描かれている部分を、途中でちぎり取ってしまったか。そう思わせるほど、ぴっちりと空と雲の境がぴっちり分かれていたんだ。


「いいか。もうじきわしたちの頭上を『冬』が通り過ぎていくはずじゃ。そうすればここから先の寒さは残り香のようなもので、じきに消えていこう。

 そのうえで、向こうから『春』が来るならばなおよし。これから多幸ある証じゃ」


「どんな風に?」と僕が尋ねる前に、空には変化があった。



 ひとことでいうと、紫色の波っていうのかな。

 灰色の雲をじゅうたんに、その上を転がるローラーを思わせるように、わっと紫色の膜が一気に途切れのある空の彼方へ滑っていった。

 わずか二秒ほどのことだったけど、はっきりと見えて、僕は祖父の袖を引っ張って「見えた、見えた!」とはしゃいだよ。まるで雨上がりに虹を見つけたときのような心地だった。

 けれども、祖父の反応は思いのほかにぶかった。「うん、そうかい」と、バスの中で僕の話を引き出したのが、ウソのような冷たさだったんだ。しかも僕の方を見ないまま、じっと空をにらみ続けている。


 それからほどなくして。引いた潮が再び満ちてくるように、今度は空の向こうの切れ目から、あふれ出してくるかのように、白い光の膜が押し寄せてきた。

 紫の波を送ったときと同じように、雲全体を漏れなくなめながら、僕の頭上を通り過ぎてはるか背後へ駆けていく。その動きを追って、つい振り向いちゃったけど、すぐに光は目に見えなくなってしまった。

 祖父が振り返ったのは、僕に遅れて数秒。完全にタイミングを逸してしまっている。にもかかわらず、遠くの空を見やりながら、バスの中でも見せたあの目を細める仕草をし始めた。

 そして一言。「見えたんだな?」と神妙な顔で尋ねてきたんだ。



 祖父が亡くなったのは、それから一カ月後。僕が新しい年度を迎える前だった。

 ついこの間に検診を受けていたはずなのに、前回からの短い期間では考えづらいほどの、内臓の弱り具合だったって聞いた。

 祖父は話していた。「向こうから『春』が来るなら、多幸がある証だ」と。

 やはりあのとき、祖父には「冬の地平線」が見えていなかったんじゃないかと、僕は思っている。そしてあの場所以外で、僕が冬の地平線を見ることはできなかったけど、こうして生きているんだ。

 けれど今は、また冬の地平線を見ようという気にはならない。

 自分の終わりが分かってしまうより、ずっと生き続けるかのような心地で、ポジティブに行かないと損だもんね!


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― 新着の感想 ―
[一言] 拝読させていただきました。 冬の地平線。そしてやってくる春。 神秘的な情景が目の前に、うかびます。 おじいさん見えなかったのかな。 主人公は季節のギフトと一緒におじいさんの優しさのギフトを…
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