第二話 ニイゴ
●「さて、と。Ready?」
そう言うとニイゴはセンゴに目で合図を送り右手を上げ胸の前で指をテチッと弾いた、次の瞬間、一行はオーストラリアの記憶に移動する、木造一軒家のボロシェアハウスのリビングが次の舞台だ。
ちなみに直前の勝負で得た満腹感はリセットされていた。この美味しバトル空間ではどれだけ飲み食いしてもターン移行の都度リセットされるので二日酔いなどは無い、辛いものを食べても胃や尻の穴が痛くなることも無い。
「ボブのタイレストランのチリダックかあ!本場タイ人もこの辛さには泣くってエクストラスパイシー仕様ナ!コイツがあったかあ!攻める!攻めるねえニイゴちゃん!」
サンゴがボロソファーに深く身体を沈めながらはしゃいでいる。オージー野郎どもと共同生活をしていた頃を思い出しているのだろう。リビングにはボロ長ソファが3つと粗末なテーブルがひとつあった。
そしてそのテーブルの上にはデリバリーされたばかりのチリダックとスチームドライスが五人分置かれている。南半球の夏らしい生温い夜風が吹き込んでくる。ニイゴはニルヴァーナのネバーマインドのディスクをCDラジカセにセットする、一曲目が流れ始めた。
「イチゴボーイ、ボブってのはよ、タイ人の奥さんがいてな、この街では珍しいタイ料理レストランのオーナーなんだ、オールウェイズスマイルのナイスガイメーン」
「ベトナム戦争の時に出会ったんだってネ、奥さんと。ボブ、元々はアメリカ人サ、まあもっと言うとアメリカ軍の脱走兵なんだけどネ!あの見た目は気の良さそうなノッポのおっちゃんあれで結構修羅場くぐってるんだぜ!」
「彼はいつも貼り付けたような笑顔でねえ、目は恐ろしいほどまったく笑ってませんでした、それでいつも店の厨房に一番近い奥の席に座っていてねえ、何をするときも入り口の方を神経質に見ていましたよ」
イチゴは目を白黒させていた、未来の自分が留学してここまで馴染んでいるという事実がここに来てもまだ受け入れられないようだ。他の三人はそれを気遣ってかいろいろと少年に話し掛けて落ち着かせていた、単に懐かし話で盛り上がっているだけのようにも見えたが。
「で、ニイゴちゃんはサ、この勝負、チリカモとシロメシだけで仕掛けンの?ン?あるンでしょ、この激辛グルメを盛り上げるブツがサ!」
「ふぉっふおおおっ!(サンゴも煽るのう!ノリノリじゃのう!)ふぉっ!ふふぉ!ふふぇ!ホッふぇー!(ワシも、もー我慢出来ん!早う!早うもってこんかーい!)」
オーウェル、ヒィーウィーゴー、向かって右側の口の端をあげてニヤけたニイゴはまずキッチンの冷蔵庫から茶色い小瓶を取り出し投げてよこしてきた。その麦酒の名はヴィクトリアビター、通称VBだ。
そしてキッチン横の自室からオレンジジュースのペットボトルにホースを刺してこさえた自作の水パイプと、どんぶりにまるで飯のように盛られた「不思議なタバコ」の葉を持ってきた。
「で、出たーッ!『不思議なタバコ』ッ!やっぱ出て来るよネ!」「まあそうなるでしょうねえ、フフフ」「ふぉっ!ふぉっ!(期待を裏切らんのう!)」「え?…なんなんスか、その…」
「『見るからに人生終わってる感満載の造形物は』だろ?まあ俺も初めてこのテの水パイプ見た時はそう思ったもんだぜイチゴボーイ」「そーそー、それも『自作かよ!いったいどんな顔しながらコレこさえたんだよ!』ってナ!」
「御託はもう充分だ、さあ始めよう!一服つけて、乾杯しよう!ではお先に」トコトコ…「じゃあジブンはヨンゴの旦那の次いかせてもらうヨ!」トコトコ…「ふぉっ!(この水パイプのトコトコサウンドがたまらんのう!)」トコトコトコトコ…
「マジっスか、この人たち…」「まあ気持ちは解るが受け入れろイチゴボーイ?」「ウ、ウス…ではいかせてもらうッス」トコトコトコトコトコトコトコトコ…「ヘイ!思い切り空気と一緒に吸い込んで!そこで息止めて!そう我慢だイチゴボーイ!」
「ケムリ吐き出すときはゆっくりとナ!ここでむせると、あとツラいゼ?」「さあビールを飲みましょう!一服つけたあとで飲るVB、たまりません!俺達に乾杯!」「ふぉ!(乾ファイッ!)」
他の四人が当たり前のように一気飲みをしているのでイチゴもボトルから口を離すことが出来ない、ケムリの吸引で酷く渇いたのどに無理矢理ビールを詰め込む。
するとサラサラシュワシュワと冷たい液体が胃に落ちていくのが感じられた、そして次にそれが全身を駆け巡ってゆく、その初体験の快感がボーイを包んだ。これ、不思議なタバコのトコトコ効果だ。気が付くと小瓶は空になっていた、かなり長い間飲み続けていたように感じたが、実際は十秒も経っていなかった。
「エブリワン、セットアップOK?じゃあ」「おっ始めるとしますかネ!」「ウ、ウス!(身体が重い!周りが回ってる!あれ?まだ数分しか経ってない?時間の感覚がおかしい!)」「イチゴくん、一服つけて頂くご飯はこれまた激烈美味しですよ!」「ふぉっ!(オナニーも最高なんじゃ!)」
●「いただきます」それと同時に"Lithium"のイントロがCDラジカセから弾き出された
彼らは実際は半時間ほどでそのエスニック激辛料理を食べきっていたのだが、ただ不思議なタバコのトコトコ効果によって時間の感覚が狂っていた彼らにとっては、無限にも続くのではと思われたセルフ拷問タイムがであった。それが今やっとで終わったのだ。
何を達成したのか解らない達成感、そしてある種の奇妙な連帯感といった、そんな無意味で無価値でしかない、しかしやけにポジティブな感情に5人は呆然と浸っていた。ニイゴのフラットはダウンタウンにあった、夜が更けてきたからであろう、サイレンやクラクションノイズ、時々怒号と悲鳴、静かなリビングの窓の外はいつも通りそこそこ騒がしかった。
「…(…よく頑張ったな、イチゴボーイ)」「…(中三の夏合宿、思い出したッス)」「…(あの頃のラグビー部の練習、ハードだったからネェ)」「…(ラグビーと言えば日本代表がW杯で南アフリカ代表に勝ちますよ)」「「「…!(なッ!!)」」」三人はソファーに沈めていた身を乗り出す。
「ふぇぇ…(日本でW杯が開催されての、スコットランドとアイルランドとサモアに勝ってベスト8ぞい)」「「「マジkッ!!ガハッ!ガハゲヘッ!ゴホゴホーッ!!」」」三人は一斉にむせはじめ、のたうちまわった。まあ無理もないだろう。
ボブのスペシャルチリダックは食べている最中は勿論、食後もしばらくは喋ることが出来ない、口の中にへばりついた辛味成分の刺激でむせてしまうからだ。そしてそのせき込みは瞬時に口から体内に燃え広がり、相乗的に全身に苦痛を与える、なんでこんなモンを食べたのか深く疑問に思う時間帯だ。
だが実際そのチリダックはある種悪魔的な魅力があり確実に中毒性があった。少なくとも食すれば毎回未体験ゾーンに連れていってくれるというのは、歪んだ好奇心、すなわち怖いもの見たさ、が旺盛なアカルにとって好物足り得るものであった。
トコトコ効果で感じやすくなっている身体に冷たいビールと激辛の鴨、この肝試し快感チャレンジに背を向けるアカルはどこの世界にもいない、そして追ってかっこむ白飯もチリカモ美味しの楽しみを盛り上げている、白飯はどんな世界でもいい仕事をするのだ。
口の中は激辛を超えた激痛に支配されており、激辛は主に鼻や目、食道や胃で対処された。だが舌は、そんな中で冷静に脳に美味し情報を送信する仕事をこなしているから驚きだ、人体って本当に不思議、そんな感じだ。
激辛味に紛れているがその味付けはかなり濃かった。スプーンで鴨と辛味汁をすくい白飯にのせメシごとかっこむ。鴨の野趣溢れる味と香りには激辛がよくあう。肉部分も勿論美味しだが鴨はやはり脂身と皮の部分が最高に盛り上がる。
ベビーコーンや丸っこいキノコといったタイメシ定番野菜はビールのいいおつまみになる。他にも玉ねぎや青菜といったベジがふんだんに使われており、その食物繊維喰ってる感がわずかながらこの超罪飲超悪食の罪悪感を薄めてくれていた。
食べ進めると真っ赤で丸っこい唐辛子に遭遇する、まるで魔界村で全身紅蓮の飛翔悪魔が登場した時のような絶望的存在感を見せつけているが、ここは怯んだ心をヤツに悟られる訳にはいかない、勝ち誇った余裕の笑顔を見せつけて勝負一択だ。
案外ビックバンなんてものは激辛料理から生まれたものなのかもしれないな、などといったトコトコ思考のあれこれくだらない、本当にしょうもないことを考えながら食べ進めるのも、このニイゴプレゼンツのトコトコ美味しの醍醐味と言えよう。
「…サイモンの最後は10人からの男に殴られ蹴られ犯されながら致死量の冷たく白い粉をポンプされて、だそうですねえ」「メーン…まあそうなっちゃったかー」「てかもう死んでるヨ、仲間が気い遣ってジブンにはナイショにしてんのヨ」「…地獄っスね」
サイモンはニイゴが外様ながら幹部にまで昇りつめた地元ギャングが元締めをやっている不思議なタバコ販売チェーンの末端の売人で、ダメな男ながらどこか憎めない所があり、何かと気にかけていたニイゴは彼の窮地を2度救ったことがある。
「ウチらではご法度の冷たく白い粉をよそから仕入れた上に水増ししてさばこうとして失敗した、あれが決定打でしたねえ」「テリーがサイモンの頭にファッキンGUN突き付けて『全部喰え!』ってな」「流石にお人好しのジブンもアレは助けにいけネーヨ」「…ウ、ウス(想像を絶するヤバさだコレ!)」
「サイモン泣きながら、口から粉をボロボロ落としながら、アウアウ両手山盛り分全部残らず喰わされてましたねえ、トラウマです」「あれでヤツは人が変わったメーン、ケツアナファックされて喜ぶ異常に陽気なキチガイカマ野郎になっちまった」「ヤツがショッピングモールのルーフに全裸で登ってうんこションベンたれ流しながら"Let it be"熱唱した事件もナカナカのナカナカだったヨ!」
「あのセンパイ、ごめんッス、オレ気分悪くなっ、よ、ヨコになっていいスか?」唐突に始まったナイトメアトークに悪酔いしてバッド入ったイチゴが脂汗を流しながらうめく。「ほっ(気が付いたら知らぬ間にバッドホイホイの最悪セットアップになっとった!いかんいかん!)」
「ああ、いけませんねえ、ワタシとしたことが」「ヨワヨワのイチゴボーイ可愛過ぎるメーン…思わずファックしたくなるメーン…」「コラッ!ニイゴ!イチゴちゃんのブルブルが倍になったじゃん、ヤめんカイ!」「ほほっ(じゃあ次に行くとするかのう)」
「楽しい時間は過ぎるのが早いですねえ、って!ま、まだ1時間経ってない!?」「ヨンゴブラザー、ジョークは、え?いやいやブラザー1時間勘違いしてるメーン!メーン?」「マジか、マジだ!まだCDが終わってネーヨ!」
「ほほい!(さあ!火星に出発じゃ!地球は月の裏側から監視されているからイヤなんじゃーい!)」「ちょっ、行先は大丈夫なんですか!?サンゴさん!?」「いやまだジブンどこ行くか告げてネーシ!」「ってか、アーッ!このファッキンジジイ、俺の秘蔵のKKK(Kんなに小さいのにKんなに効いちゃうKみっ切れ)1シート全部喰ってやがるメーン!?」「ブツブツ…(オレ、解った、サイモンさんは幸せの中で逝ったんだ…)」
「ホエーッ!ホエーッ!(安心せい!独り占めはしとらん!おまえらのビールにもひとかけづつ入れておいたぞい!)」「「「ファッキューメーン!」」」「ブツブツ…(オレ、すべてが解ったよ、サイモンさんはやっとで地獄から解放されたんだ…けど…彼に天国や地獄は、無い…)」うわーっ!いったいどうなってしまうんだーっ!アカルたちの狂乱夏祭りの行く末や如何にーっ!ごちそうさまでしたーっ!