生きるか死ぬか
血溜まりの中で見上げた夕暮れの空はとても綺麗だった。
月世は魔物から解放された安堵感と助けられた安心感を意識した途端、意識が遠のくような感覚に襲われる。疲弊していた魂は限界に近かった。
(もう、なにもかも……いやだ。いっそ、このまま)
視界が狭くなっていき目を閉じようとした時だった。突然、揺さぶられるような音が鳴り響く。驚いて目を開けると視界の端で男が竪琴で美しい音色をかき鳴らしていた。ジャックオランタンを被った姿は不審極まりないが、なぜか様になっている。
「眠ってはダメだよ。せっかく戻りかけているのに」
「ゃだ。もう、いやだ」
「そうだね。だけど、少しだけ引き留めさせておくれ」
「ぇ?」
「語り弾きが得意なんだ。此処で出会えたのも何かの縁。君の話を聞かせてくれないかい」
優しい竪琴の音色が奏でられる。落ち着いたテンポに明るい曲調は耳にすんなりと入ってきた。男は血で汚れるのを厭わずに月世の隣へ座ると、静かな音が重なり合う不思議な調べの演奏を始めた。
月世は男が語り弾きを得意というので、てっきり歌か話を聞かされるのだと思ったら、まさかの質問攻めにあう。柔らかな物腰と穏やかな口調で紡がれる歌うような問いかけに、月世は条件反射で答えていった。
「私の名前はルル。君の名前は?」
「……月世」
「ツキヨだね。良い響きの名前だ。どこから来たんだい?」
「……」
「答えたくないなら次にいこう。好きな色はどんな色?」
「青、かなぁ」
「そうなんだ。ツキヨは信心深いんだね」
「どういう、ことですか?」
「青は女神スオルの瞳の色じゃないか。大聖堂へ巡礼に来たのかい?」
「ちがい、ます」
「そっか。なら、今食べたい物は?」
「ぇ。……この状態で、食べることってできるのかな」
「アンデッドは器に魔石を埋めたり、体内にセムリを飼って飲食をしてるって聞いたことがあるよ」
「セムリ?」
「知らないのかい?セムリは粘性が高い液状の魔物さ」
「それってスライムみたい……どっちにしろ、私には無理そう」
「そっか。じゃあ好きな相手はいる?恋人でも家族でも友人でもいい。会いたい誰かはいるかな」
「愛良と……お父さんと、お母さん。でも会えないよ。会わす顔もない」
「なぜ?降誕祭で会えなかったなら、もう巡ってしまったのかい」
「……」
「ツキヨはアイラさんや両親との思い出は大切かな」
「うん、かけがえのない幸せな、思い出だよ」
「なら今のツキヨの望みは?」
「……左目を探さなきゃ」
「探してどうするんだい?」
「帰りるの」
「どうして?」
「帰って、謝らなきゃ、いけないから」
「誰に?」
「お父さんと、お母さんに……」
「ゆっくりでいいよ。ほら、ツキヨは何がしたいのかな」
「私、謝らなきゃ」
「なにを?」
「お父さん、ずっと黙ってて、お母さん泣いてた」
「落ち着いてツキヨ。ほら、竪琴の音色を聴いて」
「………っぁ、ぁあああ」
ルルの奏でる竪琴の音色が変わった。静かで懐かしさを感じさせては魂を揺さぶっってくる。ルルが問いかける月世への言葉は本能へ触れるようなものばかりで、返事を考えたり思い出を振り返るほどに忘れようとしたり気づかないふりをした数々の記憶が走馬燈のように流れてきた。
(私は恵まれていると思う。生活にも環境にも不自由なく暮らしている。愛されて大事にされるたびに――後ろめたくなる)
きっかけは入学式後のクラスメイトが言った何気ない一言だった。親に似てないと言われ、その時の月世は笑ってスルーしたけれど少しずつ己の出自に不満を持ち始めた。それから一年、家族アルバムや周囲の何気ない会話から詮索するうちに情緒が不安定となり、母を疲弊させ父には反抗した。罪悪感よりも悲壮感に酔い悲劇のヒロインぶって、注目を集めたいだけだったのかもしれない。隠されているから真実が知りたいのだと軽率な行動を起こしたくせに、結局は現実を受け止めきれない未熟な子どもだった。
決定打は愛良の家で見つけたアルバムの写真。母たちが友人の結婚式で仲良く写る姿に違和感があった。少しお腹の目立つ愛良の母と細いままな月世の母。ウェルカムボードに書かれた日付は夏の終わり。秋生まれの月世と春生まれの愛良は顔を見合わせる。その後、月世は意識的に両親を避けるようになった。
(嫌われたらと考えるだけで頭が真っ白になって、良い子でいなきゃって思うほどに苦しくなって、迷惑をかけて試すようなことばかりした。結局、勝手に傷ついて周りを困らせて自己嫌悪した――)
一度芽吹いた負の感情は消えることなく積もっていく。愛されると実感する度に嬉しいよりも、本当なのかと疑う気持ちが強くなって気が滅入った。それでも、幸せな家族のままでいたいからと必死に変わらない様子で気づいた事を隠し続けるようにした。けれど、誕生日を迎える前日の夜。大切な話があると告げた神妙な両親の顔を見て傷つく前に自衛するだけだと、思い返せば最低すぎる言葉を言った。
『本当の親じゃないくせに。もう気づいてるよっ!でも話さなかったら変わらないでいれたのに……ひどいよ。なんで私が悩まなきゃいけないの!?こんな思いをするならいっそ――』
そのまま部屋に駆け込んでドアに鍵をかけた。翌日はコスプレの準備があるからと普段よりも早く家を出て、両親とは顔を合わせないようにし朝から愛良に泣きついた。
そして、空元気で楽しんだハロウィンのイベント帰りに異世界へ転移。今思えばフラグ立ちまくりだと月世は思った。
「それでもフラグの回収が早すぎるよね」
「改修?女神となにか関係があるのかな」
「悪い子じゃなくなったら許してくれるかなぁ」
「懺悔は教会でしておくれ。それにしても執着と後悔が強すぎる。どちらにしろ戻ってこれたからいいけれど危険だな。ねぇツキヨ、君は」
「……だけど、血が繋がってない私を」
「あ。まずいなぁ……不安定だから干渉したくなかったけど手段は選んでられないか。ほら、私の瞳を見てツキヨ」
「だから、逃げたんだ――言ってしまった言葉の責任を取らなきゃって」
「……あー、なんて言ったんだい?」
「死にたい、消えてしまいたい」
「”とまれ”ツキヨ」
ルルの赤い瞳が妖しく揺らぐ。竪琴の音は止まっていた。
月世の顔を両手で包み無理やり目を合わせ、強い命令口調の言葉を浴びせたルルの言葉通りに月世の口も表情も”とまった”ままの状態でぼんやりとしている。その様子を注意深く観察し、ルルはあることに気づいた。
「ツキヨは変わった魂をしてるね。もしかして異世界から戻ってきたのかい?」
「……戻る?」
「”こたえられる”よねツキヨ。君の事を知りないな」
「自業自得で……きっと罰があたったんです。だから、死体になったし、元いた世界から消えて此処にいるんですよ」
「おやおや随分と歪な因果だねぇ。さてと、私にできるのは此処まで……あとはツキヨしだいだよ」
「私、しだい」
「そう、このまま生きるのも死ぬのも君しだいさ」
「……私まだ生きたい、生きていたいよっ!」
月世は魂の底から叫ぶ。
手足は辺りに散らばり、内臓はぐちゃぐちゃで、一部の骨が見えている。制服もさっきまで無事だったスマホもボロボロで無傷なのはステッキくらいだ。
凄惨な状態すぎて生きているとは言えない現状だとしても、月世の思いは変わらない。涙が零れずとも、泣き声を上げることで自分が此処に”生きている”ことを証明した。
***
夕陽が沈んでゆく。
月世は視界が赤く染められ眩しさに目を細めた。だんだんと暗くなっていく周囲の地面には黄色の魔石が散らばりはじめている。大きな風が吹き木々が騒めいていて、静かになっていた森の奥地が突然、明るくなったかと思えばルルに白い光がぶつかった。
「彼女から離れろ」
問答無用と言わんばかりにルルの背後から攻撃しているのはロプサだった。月世は驚きのあまり咄嗟の言葉が出ない。月世にとってルルは紅いコートをマントのように靡かせて魔物を一掃し、カボチャを被って顔を隠したヒーローだ。この現場を見てロプサがルルに襲われたと勘違いしているのだと思い慌てて声を上げる。
「待ってロプサさん!ルルさんを攻撃しないでください!!」
「……ルル?おい、今すぐその被り物を取れ」
攻撃は当たっていたはずなのにルルは平然としていた。威嚇とはいえ、そこそこ強く放った魔法に対して全くの無傷なことに訝しむロプサはルルへ両手を向けたまま距離を詰めていく。緊迫した状況の中で、カボチャの被り物に手をかけたルルを月世は下から見上げていた。
カボチャの被り物を取ったルルは人の良さそうな若い男だった。秀麗な顔立ちと優し気な赤い瞳、夕陽に照らされた金色の髪と褐色の肌が印象的だ。目が合った月世に微笑みを向けカボチャと竪琴を抱え直して立ち上がると、ルルはロプサへ振り返り優雅に腰を折った。
「はじめまして死神の方。私はルル、ただの吟遊詩人だよ」
「ここで何をしていた」
「森が騒がしいから様子を見に来たんだ。そしたらヨメンクの群れに襲われていたツキヨを発見して」
「ルルさんが魔物から助けてくれました!それから、ずっと傍にいてくれて……」
月世が今までの経緯を説明した。ロプサは話を聞きながら、ゆっくりと近づき月世の状態を把握して目を見開く。そして至る所に散らばったモノに気づき顔をしかめ自責の念から呟くように謝罪の言葉をはき頭を下げた。
「遅くなって、本当に申し訳ない」
「えっと、その大丈夫です。まだ生きて?ますし!……だからロプサさん、そんな顔しないでください」
「ですが」
「痛くないし、動けないだけですから。あの、ロプサさんの魔法で今朝みたいに繋直したりって」
「この状態から器を元に戻すなんて死霊術師でも無理なんじゃないかな?バラけた四肢はともかく、失った血肉を戻すことは難しいし時間を戻すのは禁術だよ」
「そんなっ!」
「……ご安心ください。私の魂に誓って貴女を戻してみせます」
月世に対して宣誓するロプサをルルは黙って見ている。月世はロプサの言葉を動揺しながらも信じることにし小さく頷いた。二人の様子を興味深く観察しているルルへロプサが声をかける。
ロプサはルルに対して警戒を完全に解いたわけではないが、攻撃の構え止め改めてルルにも丁寧に頭を下げた。
「早とちりしてしまい申し訳ありません」
「怪我はないから気にしないでいいよ」
「彼女をヨメンクから救って頂き私からも礼をさせてください」
「お礼なんていいよ。面白いモノも見れたしね」
「……つかぬことを尋ねますが貴方のご出身はどちらでしょう。種族的にも、この辺りでは見かけない方ですが」
「レアノグだよ」
「こちらへは何をしに?」
「降誕祭だから帰省したんだ。故郷のピクシン村にね」
「村の方でしたか。今年もロバマザンガーが美しく飾られてましたが」
「おや?セティタスじゃなかったかな」
「よくご存じで。――では、山車が壊れたことはご存知ですか」
「その場にいたから知っているよ。派手に壊れてたね」
「その関係者が亡くなったことも?」
「へぇ。知らないな」
「昨日、森で発見された死体をご存知ないと」
「疑われてるのかな?たしかに揉めた現場へ居合わせたけど、あの時以外は関わりがないね。魂に誓ってもいいよ」
「……そうですか」
「ところで、ツキヨのことだけれど」
「彼女は私が保護しますので、ご心配なく」
「いやいや、名乗りも交わしていないような相手には任せられないよ。いくら君が死神とはいえね」
対峙する二人の間には探るような空気が流れている。ルルが先に動こうとした時だった。ロプサはそれよりも早く倒れたままの月世へと駆け寄ってルルの前に立つ。
「得体の知れない貴方よりはマシだ」
「おや自己紹介はしたはずだけどね」
「あまり死神を舐めるな……魂を見ればわかる。貴方は――」
背の高いルルがロプサを見下ろす。その瞳は赤い輝きを見せていた。口を挟める状況じゃない月世は黙って成り行きを見守る。
その頃には、すっかり夕陽が落ちて周りの景色は薄暗くなり少し欠けた丸い月が見え始めていた。