看板娘と修道女
ピクシン村で唯一明かりが灯っている”降福亭”に着いた。
真昼間だが、アンティークな店内は数人の村人や観光客で賑わっている。
二人は空いてる席へ腰かけると看板娘のリディベが近づいて来た。やや癖のある暗赤色の長い髪を一つにまとめ、透き通るような白い肌と人形のように整いすぎた顔立ち、抜群のプロポーションを強調させるハイウエストの黒いコルセットスカートと上品な濃い橙色のブラウスを着た姿は貴族の令嬢のようで、父親のティビエとはあまり似ていない。
赤みがかった黒の瞳は眠たげだが口を開けば見た目の印象はガラリと変わる。リディベはアンニュイな雰囲気とは正反対の快活とした笑みを浮かべていた。
「ロプサさんじゃねーか!久々に来てくれて嬉しいぜ!!」
「久しぶりだねリディベ」
「いらしゃいクオルさん!この前はエパエルの実を沢山くれてありがとな。コンポートにしたからデザート食べてってくれよ。親父の自信作なんだ!!」
「ならデザートセットに濃いめのフォーシーをお願いしますね」
「私も同じものを」
「はいよっ」
リディベは二人に元気よく挨拶し注文を取って厨房へ戻る。途中で酔っ払いの客に絡まれたが華麗にあしらい追加注文をせしめていた。その様子を見守りながら二人はテーブルに注文が運ばれてくるまで休憩を取る。
「そういや聞いたか? さっき森で干からびた若い娘の死体が出たんだとよ」
「聞いた聞いた! たしか森番が騒いでたな。降誕祭の日に出たもんだから死神に
来てもらうよう村長に頼んでたわ」
「けど年寄り連中は観光客が被害にあっただけじゃー動かねえつもりだぜ」
「だろうなぁ。それに、どうせ広場で痴話喧嘩してたのが原因だろ? だったら教会から神父様に来てもらったし解決だと思ってるんだろうよ」
「あの二人に降誕祭の山車を壊されて大変だったぜ。やっぱ男が犯人だったのか?」
「さぁな。ま、ダンピールの男に女を取られそうになってブチ切れしてたからな」
「ダンピール? 村はずれに住んでたが少し前に死んだんじゃ」
「そりゃ父親の方だろ? 一人息子はダークエルフとのハーフだから顔が良いって昔から村の女が持て囃してたじゃねーか」
「イケメン滅べ」
「たしか里帰り中って誰かが言ってたな。降誕祭に墓参りとは良い心がけじゃねーか」
「女連れじゃなきゃりゃ許す。墓前に嫁を連れてきてたら敵だ」
「喜べ独りだ」
「良いやつだな!」
「結局、事件は吸血鬼カップル破局の末ってな。あ、男は逃亡中らしいぞ」
「また警備の仕事が増えるじゃねえかよ……カップルで降誕祭を祝ってるだけでも許せねえのにっ!」
「独り者はツライねぇ」
「前日に振られて仕事するしかないお前よりマシだ!」
「なんだとコノヤロー!」
「やるのかコノヤロー!」
「「……来年の俺たちに乾杯!!」」
一触即発かと思われたが、二人はグラスに残った酒を一気に飲み干すと昨夜行われた降誕祭がいかに盛り上がったかを語り、来年こそは彼女をつくると意気込んでいた。その様子に聞き耳を立てずとも聞こえていた周囲の客が拍手を送り、誰か一人が歌い始めると瞬く間に店内へ酔っ払いたちの聖歌が響き渡る。
降誕祭は女神生誕の日であり死者の魂が戻ってくる日として毎年盛大な祭りを行う。家族や恋人、友人や仲間など大切な人と過ごすウェルノエアで一番盛り上がる祭りだ。
しかし、世の中には降誕祭にも関わらず働きづめの者もいる。死神の二人はもとより、飲食店として稼ぎ時のリディベは休む間もなく働いている。厨房から出て来たかと思えば両手のトレーには小さなグラスが店内の人数分あり、各テーブルへ配っていく。
そして騒がしい店内でも良く通る声で叫んだ。
「お前ら、まだまだ祭りは終わらねぇよなっ!」
「おうともよ!」
「女神スオルに万歳っ!」
「看板娘サイコ――!!」
「リディベちゃんカワイイよー!!」
「私からのサービスだっ! 降誕祭を祝して乾杯っ!!」
「「「乾杯っ!!!」」」
乾杯の音頭を最後に店内は静まり返った。
テーブルに倒れこむ村人や、肩を組んだままの観光客が床に沈んでいる。まさに死屍累々の光景だ。ロプサは空になったグラスを見つめ、クオルは苦笑いでリディベに話しかける。
「……彼らに何を飲ませたんですか?」
「親父特製の回復薬だ!ただし酒飲んでる場合はオヤスミ三秒の副作用つきだけどな」
「さすがティビエ。客相手にも容赦ないね」
「毎年この時間あたりに出すんだよ。降誕祭の降福亭で恒例な店じまいの仕方さ。ただし効き目は十分だけ」
「随分と早いな。ティビエにしては良心的すぎるんじゃ」
「昔は夜までぐっすり使用だったけど、店に居られても邪魔だから改良したんだって。起きたら気分爽快でそのまま仕事へ行くも良し、帰って寝るも良しの優れものだ!!」
「でもって?」
「やっぱロプサさんにはお見通しかー」
「養成所時代に散々リディベの薬を味わったからね」
「親父が迷惑かけてスマン。この回復薬はちょっと気前が良くなるだけで害はないさ! ……今のところ」
「ティビエさんの薬には日頃お世話になってますし、きっと大丈夫ですよ。たぶん」
「つっても薬担当の兄貴がいねえから今年は俺が代わりに使ったんで、おそらくっす」
「不安しかない」
店内の客を介抱しながら会話に入ってきたのは降福亭の店主であり、ティビエの弟であるココだった。濃い橙色のシャツと黒いエプロン越しでもわかるガタイの良い肉体、刈り上げられた焦げ茶色の髪、男らしい顔つきと兄とよく似た漆黒の瞳。ココは自分よりも大きな客を豪快に持ち上げ次々と椅子に座らせていく。
「兄貴が祭りの日に仕事って珍しいっすね。なんかあったんすか?」
「……いろいろ、ありましてね。ココさんにもご迷惑をおかけし申し訳ないです」
「謝らないでくださいよ! クオルさんには家族みんな本当に感謝してるんっすから!」
「そうそうっ! 親父が家に帰ってこれるようになったのはクオルさんのおかげだ。真昼間にお疲れさん、二人とも。コレ店からのサービスな!」
リディベが二人の前に運んできたのは甘酸っぱい果物のエパシルを包んだパイと湯気の立つフォーシー、そして注文したデザートセットとは別に持ち帰り用の焼き菓子だった。
「店じまいなのにいいんですか?」
「もちろんっすよ。お勤めご苦労様です……さて、そろそろ客が起きだすな。リディベ会計の準備を頼む」
「はいよ」
「また騒がしくなるかもしれませんが、少しでも休んでくだせぇ」
「二人とも、濃い目のフォーシーは眠気覚ましになるけど飲みすぎはダメだぞ!」
「そんじゃ、ごゆっくり」
窓から暖かい太陽の光が差し込み店内を明るく照らした。
目を覚ました客は上機嫌で会計を済ませていくと、テーブル下に置いてあったカボチャの被り物を装着して意気揚々と店を去る。祭り余韻の喧騒が終わり、降福亭にようやく落ち着いた真昼間の静寂が訪れた。
二人は店の厚意に感謝しながら、エパシルのパイを食べゆっくりとフォーシーを飲み干した。香ばしいフォーシー豆の香りと爽やかな苦味とほのかな酸味が口に広がる。至福の時間を過ごした後、いつの間にか会計を済ませていたクオルにロプサが慌てたが笑顔で頷くだけだった。
***
リディベとココに見送られ二人は降福亭を出ると、ピクシン村のすぐ近くにある西側のキチイ森を抜けロプサと月世がいた墓地を目指す。
夕晴れの空が広がった頃、二人は教会に到着した。
森はずれの古い教会の中で数人の修道女が慌ただしく駆け回っている。その中で、クオルとロプサに気づいたスピレドが白い髪を靡かせ走り寄ってきた。
「クオルさん、緊急事態だよ……森の中で死体が出たんだけど魂が見当たらないんだ」
「それは吸血鬼の女性の魂ですか?」
「そうだよ。神父様が村長に呼ばれて駆けつけた時には器に無かったらしい」
「手遅れになる前に探さないと不味いですね」
「それと、ロプサさんに謝らなきゃならないんだけど」
「隊長から聞いてるよ。スピレドへの配慮が欠けていて悪かったね」
「……いいや、私がもっと注意していれば」
「二人とも反省は大切だけど、今は少女も魂も探すには時間が惜しいです。私は神父様に話を聞いてきます。ロプサさんはスピレドと少女の捜索を開始してください」
「わかりました」
「スピレド」
「なんだい、クオルさん」
「朝早くから大変な仕事を引き受けてくれてありがとう。疲れているでしょうが、もう少し私たちに力を貸してください」
「――もちろんだよ。クオルさんの役に立つなら喜んで」
スピレドは報告する間ずっと俯いていた顔をあげた。涙で潤んだ目を拭い期待に応えるべく奮起している。クオルはスピレドの頭を優しく撫でると、耳元で何かを呟きその場を後にした。
「ロプサさん、まずは墓地に向かってもいいかな」
「もちろんだ」
「ちなみに周辺の土地勘あるかい?」
「あまり自信ないかな」
「なら一緒に行動した方がいいね。彼女は墓地の柵に飛び込んで崖から落ちたんだ。下は川だから、すぐに崖を駆け下りたんだけど」
「まさか川に落ちたのかい!?」
「わからない……溺れるのが一番危険だから真っ先に水の上から探したんだ。でも、落ちた形跡は見あたらなかったよ」
「なら、木に引っかかった可能性が高いな」
「たぶんね。それと、コレはロプサさんの礼衣かい?」
スピレドがロプサに渡したのは、ロプサが月世の為に使っていた黒いローブだった。礼衣とは、黒のローブ、黒スーツと薄墨色のブラウスを合わせた死神の制服である。中でもローブは認識阻害と防御性に優れた魔術具であり、失くした場合は自腹で補償しなければならない特注品だ。
「拾ってくれてありがとう」
「これ、最初は彼女が抱えてたんだ。けど、私を見た時に落としちゃって」
「……彼女は異世界の人間という種族でありウェルノエアに住む我々とは姿が違うんだ、だから」
「なるほどね。悲鳴を上げて逃げられてしまったから少し傷ついていたんだ」
「嫌な思いをさせたね……本当にすまない」
「もういいよ。それよりも、どうやって彼女を探そうか。他の修道女にも手伝ってもらってるけど手掛りが一つもないんだよ」
「そうか……黒いハンカチは周囲に落ちてたか?」
「墓場にはなかったね。ローブの中じゃないのかい?」
「見あたらないね。もしかすると彼女が持っているとか」
「ならロプサさんの魔力を追えば見つかるかもしれないね」
「可能性はある。さっそく追ってみるよ」
魔力とはウェルノエアにおける無機物や有機物、その全てに存在するエネルギーである。魔力は魂との関わりが強いため死神であれば自分の魔力を追うことが可能だ。
ロプサは月世が壊した柵の前で集中する。微かにだが自分の魔力を森の中で感じ取ることが出来た。
「――見つけた。随分と遠くに反応があるな」
「魔物が騒がしかったけど、まさか追われているのかい?」
「わからない。今は動いていないから逃げている様子はないけど……とにかく急いで迎えに行こう」
ローブを羽織りなおしたロプサは崖から飛び降りる。
ロプサの両手の平が白い輝きを放ち空中で自身に浮遊魔法をかけると音もなく着地した。一方、スピレドは修道服を翻しながら崖の少ない足場に糸を這わせ軽やかに地面に降り立つ。
「彼女が落ちた時は、すぐに後を追って崖から降りたんだけど川に何か落ちた音がしたから急いで水辺に向かったんだ」
「川は深いから落ちているとすでば手遅れになりかねないな……」
「でも衣服やそういった形跡が見あたらなかったから、どこかの木に引っかかってたんじゃないかな。今度は木の上から探してみるからロプサさんは魔力の痕跡がないか探してほしい」
「わかった――あの辺りだな」
ロプサは僅かに残った魔力を見つける。指示した場所へとスピレドが糸を使って木の上を移動すると、不自然に折れた木の枝を発見した。その周辺からスピレドが比較的に新しく残された移動の形跡を見つけ、ロプサの魔力を頼りに月世が進んであろう森の奥へと進んでいく。
ロプサは魔力を辿りながら歩みを進めていたが、不自然に散らばった黄色の魔石と血の痕跡を見つけ足を止める。
「どう思うスピレド」
「この辺り一帯の魔物は気性が荒いんだ。縄張り争いがあって魔石が散らばっていても不思議じゃないよ……でも、こんな戦闘の後は初めて見るね」
「飛び散ったような血か。乾ききっていないのを見ると、まだ新しいな」
「どうやら何かを追って戦闘したみたいだ。この先へ続いているけど、まさか」
「なにかわかったのかい?」
「魔石の質からしてヨメンクだと思うんだけど、森の奥に住処があるから獲物を追い込んだのかもしれないね」
「その獲物って」
「あの娘の可能性が高いんじゃないかな」
スピレドは魔石を手の平で転がしながら周囲を観察した。
ウェルノエアにおいて、死体は魔力処理をしない限り時間と共に器が消化され魔石へと変わる。朝方にスピレドが退治したヨメンクも魔石へ変わっていたので、墓地へ向かう途中に拾っておいた魔石と見比べた。
「スピレド、悪いが一度教会に戻って隊長に報告を頼みたい」
「かまわないけど案内がなくても平気かい?」
「魔力と魔石を追えばなんとかなるだろう」
「森の奥地は通信機が使えないから気を付けてね」
「忠告ありがとう。もしもの時は頼んだ」
「あまり任されたくないけど、クオルさんなら何とかしてくれるさ」
「そうだな」
日暮れが近づき薄暗くなる周囲を警戒しながら、スピレドにクオルへの報告を任せたロプサは先ほどよりもペースを上げて月世の捜索を続けていった。