誰が為
「――以上が報告になります」
ロプサが話す事の顛末にクオルは頭を抱えた。
三徹目の脳には負担が過ぎるので現実逃避がてら遠くを見つめる。執務机に積まれた資料案件も大いに悩ましいが、今回の件は前代未聞だ。椅子に座っていなければ崩れ落ちていたかもしれない。
夜明けの空から昇る太陽の光が、とても眩しかった。
クオル・アポスロートはロプサの直属上司であり魂回収の第二部隊長をしている。
見目は二十代後半の気が強そうなクール美人であり、どんな状況でも身支度に気を配る女性として有名だ。艶やかな烏羽色の髪を丁寧にまとめ上げ、スリットのはいったロングスカートの黒スーツを着用し、薄いデニールの黒タイツを履いた長い脚を組みなおす。つり目がちな漆黒の瞳には疲労の色がはっきりと窺えた。
組んだ手に顎を乗せる。手入れを欠かさない黒一色に塗った爪を見ることで、いつも通りの平常心に努めようとした。
「つまり、異世界の少女を拉致してしまった……ということですか?」
「……はい」
「――わかりました。至急、各所に連絡し対処していきましょう」
「申し訳ありません。私の責任です。どんな処罰でも、免職も覚悟しています」
「その話は後です。まずは少女の待遇を最優先に考えましょう……そして、ロプサさん」
「なんでしょうか、隊長」
「案内時計の転移誤作動があったにもかかわらず、貴方が無事で本当に良かったです。体調不良や異変があるかもしれないので、必ず医務室へ行ってくださいね」
「問題ありません。それよりも、私はいったい、どうすれば……」
「ロプサさんは、どうしたいですか?」
「……私は、彼女を元の世界へ帰してあげたいと思います。それが私にできる責任の取り方です」
「では、具体的な計画を聞かせてください」
「第一に彼女の安全と生活の保障を。全て自費で賄います。そして――私に彼女の左目探しを行う許可をください」
「担当の引継ぎは一週間で済ますと保証できますか?」
「はい…………いえ、三日で終わらせます」
「急ぐ気持ちもわかりますが、ロプサさんが倒れてしまっては元も子もありませんよ。無理せず無茶してくださいね」
「ありがとうございます、隊長」
話がまとまり、引継ぎ作業をするべくロプサが隊長室から退室しようと扉に手をかけたが、それよりも早く扉が開かれる。目の前にはロプサの頭一つ分ほど背が低い同期のティビエ・マニユスが立っていた。
「隊長、追加情報が…………って、ロプサじゃねーですか! ようやく異世界回収から戻ってきたのか!!」
「先ほど戻ったよ。ティビエが残業とは珍しいな」
「俺だって定時で帰る予定でしたよ。ま、そうとも言ってらんねー大事件の発生中だ」
「ティビエさん、報告を」
「東側のキチイ森で目撃情報あり。顔は確認できてねぇが背格好から本人の可能性が高そうだと」
「これまでの状況を考えると回収部隊では手に負えませんね。
討伐隊に要請願いましょう。人里離れているのは幸いですが……まだ自我があるのかもしれませんね」
「だとしたら――とんだ化物だな」
柔らかなダークブラウンの髪をかきあげ整った顔を歪ませて笑うティビエにロプサは驚いた。
スーツを着ていても童顔のせいで眉目秀麗な少年を思わせる小柄な外見とは裏腹に、三人の中で誰よりも年上だ。荒っぽい環境で育ったゆえに敬語は苦手だが面倒見の良い男であり、普段なら快活な印象を与える黒い瞳が今は憎悪に燃えている。
「なにがあったんだい、ティビエ」
「……百年前のエルディエ帝国の継承式を覚えてますか?」
「確か式典中に血を浴びたような赤い魔物が乱入し大被害が出てしまったとしか」
「それ魔物じゃなくて魔厄らしいんですよ。それも突発性でね」
「まさか!? だとすれば、ティビエの弟が亡くなったのは」
「そいつが原因でしょうねぇ。なので私情挟んでも大目にみてくださいよ」
「ティビエさん、討伐隊への同行は許可できません」
「わかってますよ。自分の実力くらい把握してる――ほんとは、俺が消してやりたいがな」
「ティビエ……」
「もうすぐ娘の誕生日だ。死ぬわけにはいかねーですよ! それに……レアノグ出身の俺が魔厄の恐ろしさを嫌でも知ってますから。だからこそ魔厄が発生しないよう魂を回収するさ」
滅多にみせないティビエの悲痛な面持ちに二人は押し黙った。
死神になる者は二通りだ。先天的に魂を視認し触れる才を持ち招集される場合と魔厄の影響を受け後天的に才が開花し志願する場合があり、その中でも優秀な才を持つ死神だけが、魔厄へ対抗できる唯一の存在とされている。
魔厄は自我を失くし次の転生が叶わなくなった哀れな厄災だ。諸説あるが魔厄は死神に回収されなかった魂の成れの果てと云われ、堕ちた魂が別の器へ入り込み、見境なく魂を奪い消滅しない限り活動を続ける。
しかし、魂に触れる死神だけが持つことを許される魂を刈り取るための魔術具、大鎌だけが魔厄を消滅させることができるのだ。
そして、最も魔厄が発生しやすいのはウェルノエアで唯一の島国レアノグ。ゆえに死神結社の本部は中央に位置する城下町のペミンクに創設された。
クオルはティビエから渡された追加情報の資料と隊長室の壁に大きく飾られたレアノグ王国の地図を見比べ顔色を変える。レアノグは魔物が多く生息し自然保護の認定を受けているキチイ森が円のような形で国土の大半を占めていた。
クオルはすぐさま一心不乱にメモを書くとティビエに渡す。その緊迫した表情にロプサは嫌な予感がする。
「ティビエさん、今すぐ記録部に向かいコチラの資料を集めてください。あとは任せます」
「了解だ」
ティビエはメモを見て驚いたようにロプサを見たが、すぐに隊長室を出ていった。
クオルは立ち上がりロプサと向き合う。ヒールを履いて目線が近いぶん、その瞳に焦りの色が見えた。
「ロプサさん、少女の種族を教えてください」
「おそらく、人間かと」
「名乗りは交わしましたか?」
「いえ。私の名だけを告げましたが聞いてはおりません」
「では、魂の気配を辿るのは難しそうですね」
「なにかありましたか」
「現在、行方不明だそうです」
「……教会からの連絡が?」
「えぇ。スピレドが探しているそうですが捜索に難航しているようです」
「隊長、急ぎ彼女の安否を確かめに行きたいので許可をください」
「もちろんです。しかし、貴方の案内時計は強制送還を発動したばかりで魔力切れなのでは?」
クオルの指摘を受け、ロプサは懐から案内時計を取り出した。
ジャラリと細い鎖が音を立てる。見た目は古金色の懐中時計だが、美しい細工の施された蓋を開ければ透明な文字盤のしたに無数の歯車が埋まっている。中心の小さな虹色の魔石は弱弱しい光を放ち、長短の異なった六本の針が止まっていた。
「ロプサさんも随分と魔力を消耗しています。それでも、少女の元へ急ぎたいのであれば私が代わりに魔力併給をしましょう」
「……重ね重ね申し訳ありません」
ロプサはクオルに案内時計を手渡した。
受け取ったクオルは魔力を込めようとして異変に気付く。残業が続いたせいかと思ったが、どうにも上手く魔力併給が出来ない。
「おかしいですね……故障でしょうか? 魔術具不良の可能性もあるので技術部に連絡しましょう。残念ですが使用できません」
「それでは、すぐに別の案内時計を」
「落ち着いてくださいロプサさん。焦る気持ちはわかりますが、専用品である案内時計を簡単に用意することはできません。別の移動方法を考えましょう。とにかく西側へ向かいますか?」
「私がもっと早く近隣の教会へ保護を頼み強制送還が発動する前に立ち会うことができていれば!! ……しかし、彼女はなぜ行方不明に?」
「おそらく、人間であったからスピレドに驚いて逃げてしまったのでは」
「どういうことですか?」
「見た目ですよ。人間はウェルノエアに住む種族とは異なりますから」
「私の説明不足のせいで、彼女に危険が――」
「悔やんでも仕方ありません。本部から距離はありますが、今から行けば夜には着けるでしょう」
「しかし案内時計なしでは教会まで急いでも二日は必要ですが……っ隊長!?」
「さて、ロプサさん。しっかり捕まっていてくださいね」
クオルはスーツの上着を脱ぎ、代わりに黒のローブを羽織った。ローブとブラウスの背中側は肩甲骨まで開かれており、その背には鴉のような翼が広げられている。
そして、ロプサを横抱きにしてバルコニーへ近づくと、自動で開いた窓から出て勢いよく飛び降りた。
***
二人は空を飛んでいた。
クオルは黒い翼を羽ばたかせながら腕の中のロプサに話しかける。
「さて、ロプサさんの魂の状態ですが」
「なんのことでしょう」
「とぼけてはダメですよ。他の死神なら気づかないと思いますが、私は視える方なので」
「……隊長にはお見通しでしたか」
「やはり死霊術を使ったのですね」
「その場で可能な唯一の償いだったので」
「制約は?」
「私の魂を代償に彼女の時間を止めました。日没に合わせて――」
風がロプサの言葉をかき消した。
しかし近距離であったクオルの耳には届いたようで驚きのあまり目を見開く。
「ロプサさんのしたことを咎めはしません。ですが、最善を尽くしてください。これは上司命令ですからね」
「わかりました、隊長」
「――さて、この調子でいけば教会への到着は日没前ですね。朝から抱えられたままでは窮屈でしょうし、道中のピクシン村で休憩しますか」
「……隊長には迷惑をおかけし申し訳ないばかりです」
「体が鈍っていたので丁度良い運動ですよ。それよりも、こんな真昼に空いてる店があるといいのですが」
「ティビエの実家なら営業しているかと」
「ティビエさんの?」
「降誕祭の日は毎年翌日まで営業になるから手伝わされるって愚痴ってました」
「だから去年はお疲れだったんですね。気づけなくて不甲斐ないな」
「隊長にこれ以上良くしてもらうのは申し訳ないからと、必死に隠してましたから。
ですので私が言ったことは内密にしていただけると助かります」
「わかりました。ですが、大切な部下の健康を守るためにも配慮に勤めますね」
「部下一同、できれば隊長に休みを取って頂きたいのですが」
「去年まとめて取りましたから。それに、私には……さぁ、村が見えてきましたよ」
クオルはピクシン村の入り口を目指した。
キチイ森の西側に位置する砦に囲まれた小さな村だが、家々は壁がオレンジ色で屋根も濃緑色に統一されており、美しい建築と硬い皮をした甘い野菜のサキュスを使った美味しい料理が評判の観光スポットである。
「隊長、お聞きしたいことがるのですが」
「なんですかロプサさん」
「なぜ、私を運んでくださるのでしょうか?魔厄が出たのは東側ですし隊長が指揮を執るのであれば西側に来る必要などないのでは」
「……これは私の予感なのですが、資料を見た限りなら魔厄がいるのは東側で間違いないでしょう。しかし、もしも自我が残っている例の魔厄であれば迷うこともあるかと思いまして」
「迷う?」
「私は堕ちる前の彼と知り合いでしたから。一部では有名ですが、物凄い方向音痴なんですよね。だから迷って西側にいれば危険極まりない。幸い、東側には優秀な死神が大勢おりますし私一人が西側に行っても大丈夫でしょう。それに少女の保護も急ぎたいですしね」
「隊長は、彼の方のことを」
「これ以上は守秘義務のため言えませんが……もしもの可能性に賭けたいのかもしれませんね」
ロプサからはクオルの表情が見えなかったが、その声音は少し震えていた。
間もなくしてピクシン村の入り口にクオルは着地する。
太陽が昇った昼間の村は閑静としていたが、盛大に祝われた祭りの後と色とりどりなセティタスの小さな房状の花弁が村中に残っている。そして、村の奥へ進むにつれ騒がしくも楽しそうな笑い声が響いていた。