ホラーな墓場
目を開けたら墓場にいた。
随分と時間が経過していたらしく辺りは真っ暗で空に満月が浮かんでいる。
わずかな街灯があるだけの薄暗くて人気のない怪しげな墓場を月世はホラーゲームの世界に迷い込んでしまったのではと思った。黒い布の上で上向きに寝転がっていた月世は上半身を起こして座り込む。右を見ても、左を見ても、墓石と十字架しか見あたらない事を思ったよりも冷静に受け止めた。
(……渋谷じゃない。此処は、)
「気づかれましたか」
「!?」
「意識を取り戻されたようですね。記憶の混濁はございますか?」
あの時、月世の手を掴んだと思わしき声のする男が片膝をつき目線を合わせ話しかけてきた。様子を窺うようにジッと見つめてくる。
男は思ったよりも若かった。黒いスーツと薄墨色のブラウスを着た二十代の青年。落ち着きある低い声がもう少し年上にも感じた。癖のない七三分けの黒髪短髪、これといって特徴はないが顔パーツのバランスは良い。だが、ちっとも動かない表情のせいなのか取っつきにくい印象を与えた。
驚いたのは瞳の色である。細い黒縁の眼鏡レンズ越しでも見惚れてしまう虹色の輝き。オパールのような宝石がはめ込まれているみたいだと月世は思った。
月世を上から下まで観察し、何かを呟きながら男は月世の右手を黒い手袋をした手で壊れモノを扱うような仕草で慎重に持ち上げた。
「やはり、繋げただけでは無理がありすぎたか。魂は器に定着してるが反応なし。転移の影響が残っているのは確かだが、これは――」
「……さわら、ない……で」
掠れた声で、はっきりとした拒絶を月世は示した。男はすぐさま手を放す。そして深々と頭を下げ謝罪した。
「失礼しました。ご気分はいかがですか?なにか不調や違和感がございましたら仰ってください」
「……違和感が少しだけ。それよりも、あなたは誰で此処は、どこですか?」
「申し遅れました。私は死神のロプサ・イグニクス。此処はウェルノエア。貴女にとっては異世界といった場所になります」
「!?」
(死神? ウェルノエア?? ほんとに異世界!? トラックに轢かれた記憶はないから、死んでないよね私!? なら異世界転移……?地面が光ったわけでもないし、この人に連れ去られたというより私が追いかけて……それで――)
月世は驚きと動揺で声が出なかった。懸命に記憶を辿りながらも、痛みを全く感じないのだから、もしかすれば手の込んだハロウィンの悪戯か夢かもしれないと一縷の希望を持つ。
「ご気分が優れませんか?」
「……まだ混乱していて」
「無理もありません。私の不手際で貴女を巻き込んでしまいました」
「……どういうことですか」
「私は死神として魂を回収し神の御許へ送ることを職務としております。そして担当区域はウェルノエアから飛ばされてしまった魂を迎えにゆくこと。そちらの世界と繋がったのは偶然ですが、私はいくつかの魂を回収した後、貴女と接触してしまいました」
「あの時、どうして私の手を?」
「……貴女からウェルノエアの気配を感じました。しかし、あの時の私の告げた言葉に反応しなかった」
「迎えに来たって言ったのは、間違いだったんですか」
「そうなります。そして、私がウェルノエアへ戻る為に発動させた魔術具が誤作動しました。おそらくは、手を握ってしまった際に私の魔力が残り近くにいた貴女も転移対象としてみなされたと推測しております」
(つまり、追いかけた私のせいじゃん!!)
月世は頭を抱える。完全に自業自得だ。自分よりも年上であろう男にずっと頭を下げさせたままのロプサに申し訳なさすぎる感情と、やらかしてしまったという焦燥感でパニックになっている。
(数あるテンプレ異世界小説みたいに神様と会うこともないから、本当に手違い……)
とりあえず謝ろう。謝ってから考えようとした月世は勢いよく頭を下げた瞬間だった。
「ご迷惑をおかけして本当にすみませんでした!!」
ブチブチと糸が切れる音がすると視界が反転し、ボトッと重いナニかが落ちる音がした――
月世とロプサの目が合う。頭を下げ、下を向いたままのロプサと月世は真正面から見合っていた。驚きのあまり動きが止まり暫く声が出ない。
「…………え?」
「糸が切れてしまいましたか。申し訳ありません。持ち合わせのソーイングセットでしたので強度が弱かったようです」
「はい?」
「頭に触れさせていただいても、よろしいでしょうか?すぐに縫い合わせます」
「いやいやいや」
「そうですか。では、ご自分で頭を持ち上げて頂いても」
「いやいやおかしいでしょ!?」
「申し訳ありません。私の配慮が足らず――」
ロプサは淡々と真面目に会話しているが月世はとても混乱している。ゴロゴロと頭が転がると視界が回り続けるため夢なら覚めてと月世は願った。
「わたし、しんじゃったの……?」
「いえ、正確には死体になっただけです」
「それって死んでますよねっ!?」
「死んでますが生きてます。私が貴女に――」
「あなたは死神なんですよね!? だから、なん……で、どうして」
「落ち着いてください。説明しますので、まずは頭を戻しましょう」
ロプサが月世の頭をそっと持ち上げ首の上に置いた。位置を確認すると今度は両手で繋目を包み込む。
「”縫合せよ”」
白い光が首回りを照らした。すぐに月世の視界は元通りの座り込んだ状態となり、片膝立ちのロプサと向かい合う。
「違和感はございませんか?」
「視界が、変です。左側が見えにくいというか」
「左目がないせいでしょうか」
「……いま、なんて」
「左目がありません、と。まずは現状を説明する前にご自身の状態を確認してください」
月世は恐る恐る首を動かして自分の身体を見た。服装に大きな変化はなし、手足もちゃんとある。次にゆっくりと両手で顔を触る。最初は眼帯のせいで視界が悪いと思っていた。
けれど、気付いてしまう。
(眼帯が、左目に付け替えられてる……?)
愛良は左目にものもらいが出来た。なので左目に眼帯をし、月世は逆側の右目に着けたはずだった。嫌な予感がしたまま眼帯をずらして左目を触る。
「――っ!!」
ぽっかりと空洞があいていた。左の眼球がない。月世は怖くなって両腕で自身を抱きしめた。そして感じる異物感。まるで、右の二の腕と肘の間に繋目があるような、服の上からの触感に絶望した。
おそるおそる制服の中へ手を入れて触っていき、他にも左の太腿の縫い目を見つける。月世の身体は首、右腕、左足の三か所が黒い糸で丁寧に細かく縫われていた。
(痛くないのは魔法のおかげなのかな……?)
月世の思考が妙に冴えてくる。動揺しすぎると一周回って冷静になるようで自分の身体の状態を確認し終えると真剣な表情でロプサに向き合った。
「私の身体はバラバラになったけど生きていて、イグニ……? えっと、ロプサさんが魔法で戻してくれたのですか?」
「はい。ただし、私はおこなったのは身体を繋げただけ。五感や神経などは範囲外ですので、どのような状態であるか教えて頂けると助かります」
「五感と神経……そうですね、口の中は少し血の味がします。見たり聞いたり触った感覚もわかります。においも……微かですが感じることが出来るみたいです」
「痛覚などはありますか?また空腹感や疲労感は感じますでしょうか?」
月世は力げなく首を横に振る。ロプサに言われ、ようやく気付いた。死体の身体は肉体疲労や暑さ寒さ、痛みもなければ空腹感もない。生命活動は止まっていた。
(まるで生きている実感がないみたい)
とてつもない不安が月世に襲いかかる。手を無意識のうちに握りしめ、震える声でロプサに問いかけた。
「わたし、ずっと、このままなんでしょう……か」
「順を追って説明します。まず、貴女は異世界転移しました。その際、本来であれば定員一名の転移魔術具を使用した影響で貴女の器は転移の衝撃に耐え切れず生きたままバラけてしまいました」
「――ぁ……っ」
「しかし、幸いな事に魂は無事であり今も器に定着しています」
「あの、それってどういうことですか?」
「魂とは誰もが持つエネルギーであり存在の証とされてます。器とは魂が宿るモノ、つまり身体です。魂が消滅せず器に定着していることで、存在活動が可能とされています。貴女の場合は転移後に異世界であるウェルノエアへ着地できなかった為、器が破損し今は死体となっています。ですが魂を正常に保ったままなので、一定の条件を満たした上で元の世界へ帰れば器は元通りになるでしょう」
「元の世界に帰れるんですか!?それに、生き返れるってことですよね?」
「はい、ただし同じ場所への転移は条件があります」
「条件ってなんですか?」
「まずは同じ日時であること。つまり一年後の黄昏時です」
「え」
「そして、大変申し上げにくいのですが――」
「……まさか魔王を倒せとか」
「いえ、魔王は関係ありません」
「この世界って魔王いるんですか!?」
「おりますが直接関係することはありませんので。今のところですが」
「……では、条件はなんですか?」
「転移前と同じ状態でいることです」
「……え?」
「つまり、貴女の左目が見つからない限り元の世界には帰れません」
ロプスが言いにくそうにしていた理由は左目だった。月世は首を傾げる。左目もそこらへんに落ちていて、すぐに見つかるのではと思ったからだ。
「貴女の身体は転移の際にバラけました。大きなパーツはすぐに見つかり拾い集める事が出来ましたが、小さなパーツ……飛び出した左目は間に合いませんでした」
「右目は眼帯のおかげで飛び出さなかったんですね」
「おそらくは」
「でも、この辺にあるんじゃないですか?」
「……それが、貴女の左目は魔物に奪われてしまいました」
「魔物?! っていうか奪われたってどういうことですか!?」
「私の責任です。大変、申し訳ございません」
「まさか、食べられて……なくなっちゃったんですか? 私の、左目……!!」
「わかりません。ですが――」
「やだ、なんでっ、どうしてっ……いや、いやぁっ!!!」
月世は叫んだ。声をあげ哭いた。両手で頭を抱え込み思考が真っ白になる。呼吸も荒くなったが、ちっとも苦しくない。そして、目から涙が流れることもない。
変わりに左目を強く抑え込んだせいで空洞から血が溢れ、頬をつたっていた。