プロローグ
目を覚ましたんだ。
何も知らない、わからない病室で。
この病室には飾り気というか、色がなかった。一面が真っ白なのだ。
あるのは、俺が寝ていたとされるベッドと、心電図、あとは、花束、だろうか。独特のこの匂いは――あぁ、百合の花か。てことは、俺は死んだのかな。
はは、あの世ってのは何もないんだな。
俺は、病院で死んだから、ベッドの上で寝ているのかな。
わからないな。
ドアが開いた。中から入ってきた二人の顔に見覚えがある気がしたが、どうでもよかった。
死んでいないのならそれでいい。生きていれば何かできるかもしれないから。
「永い眠りでしたね。碓氷さん」
俺の名前を、白衣を着た医者らしき男が話しかけてくる。
「どれくらい寝ていたのでしょう」
俺はあたりを見回す。
目に留まるのは――医者の持っているカルテらしきものだろうか。
洋画などのSFとかでよく見るものだった。透明で、青いパネルのようなものを医者はせわしなく動かしていた。
そこに今日の日付が載っていた。2098年12月23日。
本当に、どれくらい寝ていたのだろうか。寝る前の記憶は、あまりにも断片的で、思い出すことができない。
「そうですね。ざっと五十年くらいでしょうか」
五十年か。てことは、俺はかなりの高齢なんじゃないかな。
「俺の、今の年齢は……」
「そうですね……推測で申し訳ないのですが、多分七十代ぐらいかと」
もうそんなにいっていたのか。それにしては顔に皺がない。手も健康な青年のものに見える。
「しかし、永い眠りから覚めたのです。君にはぜひ、うちの部隊へ所属していただきたい」
もう一人の、英国風のスーツに身を包んだ軽薄そうな男がそういう。
「部隊?」
「えぇ。あなたが所属していた自衛隊の、現代版と考えていただいたほうがわかりやすいでしょう。実態は少し違いますが。詳しい話は後程」
「それは、強制なのか?」
「強制は致しません。我々はあくまで個々人の思想を尊重します。ある程度は」
まったく食えない男だ。
「俺は、あんたらの得体のしれない部隊に所属する気はない。あんたのことも信用に値するかわからないからな」
「それは残念です」
本当に残念がっているのか疑問ではあったが、これで得体のしれない部隊に所属せずに済みそうだ。
「それでは、退院のお話を」
そこからは、事務的な話だった。
俺は退院した。
行く当てもないから、とりあえず放浪してみることにした。
お金は、前の通帳を持っていたらしく、問題なく引き下ろすことができた。
それにしても、あの真ん中にそびえる塔みたいなものは何だろう。
好奇心に引き寄せられるように、俺は近づいてみた。
~~~
「故障だって?」
一人の、ガタイのいいスキンヘッドの男は、報告してきた男を貫かんばかりの眼光で睨んだ。
「はい。一時的になんですが、セキュリティに障害が発生していて、一般人でも地上に出れる状態になっています」
報告してきた男は、慣れているのか、睨んできたスキンヘッドに怯えることなく淡々と報告をする。
「――各階層の部隊に伝えて、エレベーターの封鎖を行え! 今すぐにだ!」
横に控えていたメガネの男にスキンヘッドが命令を下す。
「は、はい!」
メガネの男は、あぶなかっしく歩いて、各層に連絡を始めたようだ
「君は、セキュリティ障害の原因を探れ。早急にな」
「了解であります」
~~~
ほぼ同時刻……。
「すっげぇ。SFなら宇宙エレベーターみたいなものか。まぁ、あいつらの話を信じるならここは地下なんだろうけど」
好奇心に負けて、俺はエレベーターに乗り込んだ。
地上に行くのはどれだろう。
まぁ、一番上の奴を押せばいいだろう。
ドアが閉まり、エレベーターが動き始めた。
もう着いたのか。テクノロジーの進化というのは侮れない。
外に出ると、そこは、廃墟が並ぶ街の中だった。
晴天の空と相まって、一つの風景画のような印象を受けた。
――怪物さえいなければ。
街中のいたるところに、ゾンビ映画でよく見る者たちばっかりだった。
一人が気付いた。
つられるように、周りの奴が気付く。
――まずい!
とっさに逃げることを考えた。しかし、どうやって?
「おい、こっちだ!」
と、ゾンビどもを跳ね除けながら、一台のジープが突っ込んできた。俺の前で見事にドリフトし、ドアが開く。運転をしていたのは、女性だった。
「何ぼさっとしてやがる! さっさとしろ!」
女性は不機嫌を隠さないほどにはいらだっていた。
これ以上怒らせても怖いと思ったので、俺は乗り込むことにした。
荒い。荒すぎる。
運転というよりは、暴れ馬に乗っているような気分だった。
自衛隊の装甲車で山道を登った時がそんな感じだっただろうか。
それにしても、この人。妹によく似ているような。
「どうした? 俺の顔なんかじろじろ見て」
「あぁいや、少し知人に似ていてね」
「……そうか」
少しタイムラグがあったのが気になったが、今はそれどころじゃない。
どうやらここいらのゾンビは、ものすごく足が速いようだ。
今は時速120km/sぐらいで走っているが、すぐ後ろにゾンビがいる、という状況だった。
時速にして110km/sぐらいだろうか。少しでも気が緩んでスピード落とそうものならすぐにえさになってしまうだろう。
「――もうちょっと飛ばすかね」
「……は!?」
俺はあまりの女性の非常識ぶりに耳を疑った。
――本当に飛ばしてやがる!
今は時速200km/sを優に超えている。こんな街中で、しかもがれきが散乱しているこの中で。いかれているとしか思えなかった。
「考えなしか君は!」
「君に言われたくないね! あの『棺桶』の中にさえいれば安全だったのに!」
急ブレーキをかけたような感覚に襲われた。
女性が半クラッチにして勢いよくハンドルを切ったと思ったらサイドブレーキをかけたのだ。
――ドリフトする気か!?
横転しかかったが、無事に(?)曲がりきることができた。
「本当に、君には感謝しかないよ」
「そりゃよかった。この光景を見て、もっと感謝してほしいものだがね」
皮肉を込めて言ったつもりが、皮肉で返されてしまった。
従順に従うまま、女性の見るほうをやると、僕は一瞬美しいとさえ思った。
人の営みの消えた廃墟群。それは地平線までずっと続き、本当に人がいないのかと、正直疑ったぐらいだ。
しかし、そろそろ夕焼けだというのに、ビルの明かりがつかないのがその証拠だろう。
「これは……一体?」
「日本の残骸、といえば聞こえはいいがね。第三次世界大戦と、パンデミックの遺物さ」
女性はどこから取り出したのか、タバコを吸っていた。
「僕の知っている日本は、こんな姿じゃない!」
「そうだろうね。君が眠る頃、同時に、戦争は起きたのさ。君が知らないうちに、この日本の正義感は変わってしまった。戦前のようにね」
僕は、自分でもわからないまま、こぶしを握り締めていた。
「悔しいかい?」
「いや、これは決意だ。僕は今日この日のために、生きていたのかもしれない」
日本を救いたい。
僕はいつしか、そう思っていた。
廃墟群を見たから、ゾンビどもを見たから。
それは僕の知っている日本じゃない。
だから僕は、僕の知っている日本を取り戻すために、頑張ろうと決意した。