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序編 1




「僕らはあの空に 何かを忘れてきたようだ


大事な 大事な 何かを


それは翼か それとも記憶か 知っているのはあの空だけ


ただ真っ青なあの空だけ」





少女は誰も通らない暗い道を歩き、一人、詩を呟いた。



消え入りそうな声で、誰に対してでもなく、ただ呟いた。



少女はそうすることで、いつも何かを思い出せた。



けれど、思い出した何かはひどく曖昧で、きまって記憶の海の深海に沈んでしまう。



青空


唯一確かな記憶にある、あの詞に出てきた言葉


少女はその意味が分からなかった。



青い


が色を表す言葉であるというのは分かるし





が宇宙と地面の間にあるものというのも分かる



けれど青空はどうしても分からなかった。



少女は歩くのを止め、空を見上げた。


そこに、青い空がひょっとしたら有るんじゃないかと思ったから



けれど、そこにあったのは



鉛色のコンクリートでできた天井だけだった。




























「アレンの奴、また仕事ほっぽり出して賭場に行きやがった!」



僕の右に座っている軍服を着た青年が毒づいた。


その手には軍から支給されたマグカップを持っている。



「"アレン少尉"でしょ、マシュー」



そう答えたのは僕らの背後に立っていた女性だった。




「あいつ二階級特進してからずっとこれだ。特進する前はそれなりに真面目な奴だったのによ」



マシューは女性に答えると、手に持ったマグカップの中に入ったコーヒーをすすった。



熱いのか、それともケチなのか、チビチビ飲んで



旨そうにしている彼の姿を見て、体の芯まで冷えていた僕は、思わず生唾を飲み込んだ。



夜勤に飲むコーヒーは最高だろうなぁ



僕の視線に気がついたのかマシューは口角をあげると、おどけて言った。



「ああ~~旨いなァ! やっぱり冷えた体にはコーヒーが一番だなァ!」



ぐっ



変な声が出てしまった僕は腕を体の前にクロスして、対ショック姿勢をとった。



我慢だ、我慢。



僕が効いたと悟り、マシューが畳み掛けた。



「....あら? 何もお飲みになりませんのリコさん?

あっ! ごめんなさーい、あなた先週で切らしたんですってねえ」



ズズズ


うめぇうめぇうめぇ!



「......」



「止めなさい、二人とも」



女性が、僕の振り下ろしかけた腕を掴んで言った。



「コーヒーなら、あと一週間くらいで補給部隊が来るからその時もらえばいいわ。それまでは......」



そう言って彼女はマグカップを僕に差し出した。

中からは湯気が立ち上っている。



「えっーと、エリー? これはコーヒーかなぁ?」



彼女の分を分けてもらえるのかと思い、思わず僕は声のトーンが上ずった。




「このお湯で我慢しなさい」


oh....湯 か......



ゲラゲラと隣のマシューが笑い出した。



「いいんじゃないか? お上品だぜリコ。味がねぇのに不満があるなら雑草でも煎じて飲めよ」



と悶えながらマシューは言葉を捻り出した......捻り出しやがった。



「だから、止めなさいって」



彼女がまた僕の腕を掴んだ。



カラン



高い金属音をたてて知らぬ間に僕が握っていたナイフが地面に落ちる。


その音で僕は冷静になって、彼女にお礼を言った。



「君がいなければ、今頃、僕は目の前の男....いや、クソイ●ポ野郎をボロ雑巾に、いや、ほつれた繊維にしてしまうとこだった。ありがとう」



「それは、お礼というよりは、俺に対するお礼参りだな」


マシューが言った。




僕が地面に座り直すとエリーが僕の左に腰かけた。


左から香った彼女の香りで、僕は少しドギマギした。


マシューに気づかれたら、またからかわれる


僕は、心を悟られまいと、さっき地面に落ちたナイフの手入れを始めた。


ズズズ


音がして彼女の方を見ると


僕に差し出したお湯を自分で飲んでいた。


僕の視線を感じたのか、彼女は瞳を僕に向けた。


目があってしまった僕は、照れ隠しに目をそらして言った。


「そっそういえば、エリーは支給品あとどれ位残ってるの?」


「そうねぇ」


彼女は唇に指を当てて少しの間考えた。


「9mm弾が60発 5.56mm弾が100発、野戦糧食(レーション)が十八個に、コーヒーはあと半袋くらい

煙草は私、吸わないからゼロよ。

ああいうのはね、他の人との交渉に使うのよ」



「交渉?」



隣で焚き火にあたっていたマシューが聞き返す。



「そ、交渉。弾やコーヒーや食べ物と交換するのよ。ヘビースモーカーのアレンとか呼んでなくても私のとこに何度も来たわ」



僕の頭には煙草を旨そうに吸うアレンの姿がうかび


そういえば一度彼がこう言っていたことを思い出す。



人を殺した俺は地獄に落ちるが、煙草さえありゃ

そこは天国に等しいんだよ



あれは僕が彼に地獄に落ちるのを恐れるかと聞いた時だった。



「へぇーそういう使い道もあるんだな」



マシューが言ったその言葉にアレンの姿は直ぐにかき消えた。



「あっ!」



何かに気がついたらしい彼が声をあげる。嫌な予感だ



「なあリコ、お前確か煙草吸ってなかったよな?」




「なっ何いってるんだよ、僕は喫煙者だよ。どれくらいかと言うと、それこそそこらの雑草を燻して吸うぐらいにね」




僕は同様を押し隠して答えた。




「ふーん、そうか」




彼はそう言うと、胸ポケットから煙草を取り出し、焚き火で火をつけそれを口にくわえた。


彼は深く息を吸い込み、僕の顔に向かって紫煙を吐き出した。



「ゴホッゴホッ!やめろよ....ゴホッ!」



顔に嫌いなタバコの煙を吹き掛けられた僕は、たまらずその場でむせてしまった。


マシューはそれを見てニンマリと笑って言った。



「煙草もってるんだろ? よこせよ」



「ダメだよ、煙草はいざというときの交渉のためにとってあるんだ」



実際僕は、椀仔(ワンチャイ)地区から、この深水湖(シャンスイポ)地区に配属されるずっと前から、蓄えていた。


そのせいか背嚢(はいのう)の中は、いつも煙草の巻き紙の臭いで一杯だった。



僕から力づくで奪おうとしたマシューがエリーの存在に気がついた。



エリーはこちらを見て拳を握っていた。



彼は暫くして舌打ちすると視線を僕から焚き火に移した。




三人の間に沈黙が訪れた。


バチッ


薪が火の中で弾ける。



遠くの方でも僕らの仲間が焚き火をしているらしく、談笑している声が聞こえてきた。



一ヶ月間この戦線は今までのどの地区よりも安全で、そして平和だった。



焚き火をするだけで敵の銃撃にあうわけでもなく、地元住民に見せかけた少年兵が手榴弾片手に特攻もしてこない。



だが、その平和もあと一週間で終わりを告げるだろう。



元々この戦線は配給不足を鑑みて、前線を押し上げるのではなく、押されないように防戦を敷いていた。



次の配給部隊の到着によって状況は変わる。



前線は押し上げに移行し、後方の僕らも動き出さなくてはならない、あの血と硝煙の香りがする戦場へと。






「.........」




「あーあ、リコがまたなんかブツブツいい始めた」



うんざりした様子でマシューが言った。




「彼の癖なんだから、ほうって置きなさいよ」



害があるわけでもないでしょう



エリーが言った。



すこし経って大きなあくびをしたあとにマシューが尋ねる。



「なぁ、今何時かわかるか?」



「今は......朝の七時ね」



エリーが年代物の腕時計を取り出して答えた。



「もう七時か......大昔にはタイヨウの光ってやつで眩しい時間じゃねぇか」



時間外労働しちまった


マシューはそう言って立ち上がり、何本目かの煙草を足でもみ消すと、僕を揺さぶった。



「おい、リコ! しっかりしろ、交代の時間だ」



僕は我にかえった。



「あっ、ゴメン、またやってた?」



「ああ、いつも通りな、よくわからん言葉をぶつぶつと」



僕は立ち上がって背伸びをした。ずっと固い地面に座っていたせいかお尻が痛かったし、それに眠かった。



遅れて、エリーが立ち上がると、僕らは各々のテントへ帰路についた。



その道中で、僕は何気なしに空と呼ばれる、かつて上にあったとされるものを仰ぎ見た。



そこには当たり前にただ暗いコンクリートでできた天井が広がっているだけだった。



そう僕らは何百年も前に空を失ったのだ。



「おい、リコ。まだ、独り言の途中か? 往来の邪魔だぞ」



マシューは振り返って立ち止まっている僕に言った。



辺りは朝ということもあって慌ただしくなってきている。


僕が立ち止まっていることで迷惑しているのは明白だった。



「ああ、ごめん。今、行くよ」



僕は彼に謝ると、自分のテントへと再び歩みを進めた。







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