今世の渇望
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ではたくさんの評価、ありがとうございました。クィケッド視点が見たいという声をいただけたので、思い切って書いてみました。つたないですが、よろしくお願いします。
――出会ったのは、自分が14歳の時だった。
学院に飛び級で入学となり、その優秀さをひけらかしたかったのか、それとも縁作りのためか、父である内務卿に連れられて宮へと参上したのだ。
しかしながら、まだまだ子供の自分を連れてできる話などすぐに終わり、あまり遠くに行かないようにとだけ言われて放り出されたのだ。
好きにしてもいいといわれたところで、部屋で大人しく本でも読んでるくらいしかできない。とっくに読み終わった本は文字をただ眼で追うだけで、もはや苦痛に近かった。
「――だぁれ?」
きぃ、と微かなドアの音に振り返れば、紫紺の丸い瞳がこちらを見ていた。皇帝の住むこの宮にいる子供、それも王族特有の紫の瞳。
「皇女殿下、」
ぽつりとつぶやいた言葉に少女はぷくりと頬を膨らませる。
「レティーシャよ。皇女じゃないわ」
レティーシャという名前こそが皇女のものだ。当然、嘘だとすぐにわかったが、流石に言えずに口を閉ざす。幼い皇女は見知らぬ自分に興味を持ったらしかった。
「あなた、だーれ?」
皇女は同じことを尋ねて、ひょこりと部屋に入って来た。ぎょっとしたのはこちらだ。いくら自分が危害を加えるつもりがないとは言っても、もっと警戒心を持つべきではないのか。
「わ、私は、クィケッド・ポーリトリオと、」
「クィケッドね!ね、クィケッドの眼の色は泉の色ね。あなたの眼からは、世界は青に見えているの?」
隣に座るなり、皇女は不思議そうに微笑んだ。
「…皇女殿下、」
「レティーシャよ」
「…レティーシャ様」
「様もつけてはだめ!ね、どうなの?」
指を突き付けられて、困ってしまった。仕方がない、と己に命じて口を開く。
「レティーシャ、貴方の眼は紫ですがあなたの眼から世界は紫色に見えていますか?」
「ううん。太陽は赤だし、月は黄色。星は白っぽく見えてるわ」
「それと同じで、私の眼も貴女と同じように見えていますよ」
「そうなの!」
皇女、いやレティーシャは目をキラキラさせてにっこりと笑った。
「クィケッド、貴方はどこから来たの?」
「ポーリトリオ領の、…あぁ、地図を見せましょう、」
名前を上げてもよくわかってないのか、皇女は首をかしげるばかり。仕方がないので、部屋にあった地図の前に立つ。
「これをご覧ください」
「国の地図ね」
「そうです。今、あなたがいるのが、この中央で二重丸になっているおところです。私は、この右側の斜線になっているところから来たんですよ」
「馬車で来たの?!」
ぱっとその瞳が輝く。馬が好きなのだろう。期待に満ちた目にこちらの顔が緩んでしまう。
「えぇ、馬には乗ったことがありますか?」
「…あるけど、一回だけ。私が怪我をしたらダメだって、」
くるくると変わる表情に振り回されてばかりだ。それでも悲しそうな顔は見ていられなくて、慰めの声をかける。
「そうですか、…では、身体が大きくなったらまた乗れるようになるかもしれませんね。私もそうでした。」
「クィケッドも小さいときは乗れなかったの?」
「えぇ、おう、レティーシャはいくつですか?」
「9歳よ」
「でしたら、私よりすごいですね。私は10歳まで馬には乗れませんでしたから、」
「…私、すごいの?」
「えぇ」
頷いただけだ。それなのに、彼女はぱっと星が煌めくように笑顔をこぼした。見とれていると、とんっと軽い体重が腕の中に飛び込んでくる。咄嗟に支えようと身体を抱きかかえれば、皇女はきゃーと笑い声をあげて頬を摺り寄せてきた。
「クィケッド!ありがとう!」
その声があんまりにも嬉しそうで、こちらまでその喜びが伝線したように口元が弧を描いていた。自分の絵がを見て、彼女はますます嬉しそうに笑う。だが、がたん、と廊下で物音をしたのを聞きつけると小動物のように飛び上がった。
「…あ、わ、私に会ったことは、ないしょね?」
そういって来た時と同じようにぱたぱたといなくなってしまった皇女殿下。
自分が、ばっちりしっかり心を奪われたのはこの時からである。
************
失敗した、と思った。それこそ、天才と称されてきた自分が、今、地団太を踏むくらいには悔しくてならない。皇女殿下の、婚約が発表されたのだ。うかうかしている間にこのざまだ。大方、王家と縁を作りたい侯爵家から懇願があったんだろう。どかり、と机を蹴り飛ばす。
友人であり騎士となったジェフリーは普段クールぶっている自分が此処まで荒れているのをただただ呆然と見ていた。
「まぁ、荒れるのはわかるけどよぉ、」
「煩い」
「いーから、聞けって。いいか?レティーシャ皇女のお相手は彼女より3つ下だ。つまり、件の侯爵令息殿が学院を卒業するまで猶予がある。入学してもいないんだ。5年はある。婚約ったって、まだ仮決定でしかねぇわけだし、それまでの間にお前がバッチリ出世して皇女略奪しちまえばいいだろ?」
それは非常に希望に満ちた言葉だった。もっと言えば、現実とはかけ離れてるといってもいい。だって普通に考えれば、皇女が婚約者をコロコロ変えるなんて醜聞に近いのだから。けれども、その時、荒れ狂った自分にとっては一筋の光にさえ思えたのだ。
「……そうだな」
「だろー?な、まぁちょっとは落ち着いてみろよ。お前の頭、こういう時が出番だろ?」
それからは。学院をスキップで卒業し、とにかく宰相を目指して様々な政策やら執務やらを行った。内務卿だった父のおかげで縁つくりは驚くほどすんなりといったし、とんとん拍子の出世に自分のことながら笑ってしまいそうになった。
――しかし。
「皇女殿下は?」
「顔には出さねぇようにしてるみたいだが、ありゃ、かなり憔悴されてんな」
「…無理もない。弟君だけでなく、婚約者まで、あのような、」
ふつりと続く言葉を喉奥に引っ込めた。現在、護衛騎士を務めているジェフリーもまた、首を振るばかりだ。
学院に訪れた一人の少女。彼女に引き寄せられるように、皇子殿下、侯爵令息、騎士候、伯爵令息と次々に有能だったはずの青年たちが堕落していった。それぞれ、良家の令嬢と婚約をしているものばかりというのもまた、醜聞となって民の間に広まっている。
被害者であるのに渦中に巻き込まれる格好になった皇女は、どれほど苦しんでいるのだろうか。
「公爵家の方はどうなってんだ?」
「…実家はすでに静観の姿勢を取っている。令嬢は療養ということで家に下がっているしな」
「なにが起こっても関与しないってことか。手厳しいな」
公爵家は愛娘の名誉とその品性までも傷つけられたのだ。件の少女を抹殺しようとしないだけ穏健なのだろう。いや、今は傷ついた娘をこれ以上傷つかせないように守ることが先決だと判断したのかもしれない。賢明なことだ。
「このままいけば、グランツィード殿下は皇籍を失われる」
「…ってことは、」
「レティーシャ皇女殿下が、いずれは皇位を継がれることになる」
一応、皇族には従兄のニール卿がいらっしゃるが、現状は直系であるレティーシャ皇女の方が優先される。皇女の父母である現皇太子夫妻が御子に恵まれる可能性もあるが、そうなったとしても皇女が中継ぎとして数年は国を治めることになるだろう。
「皇子殿下が皇籍を失うような事態になれば、当然、侯爵のとこのぼんくらも家を出されるな」
「あぁ、皇女の婚約は白紙に戻る」
「口、笑ってんぞ」
「………気を付ける」
そうはいっても、笑いが止まらなくなりそうなのだ。だってそうだろう。仮に、皇女の婚約が白紙に戻れば、最も都合がいい位置にいるのは自分なのだ。こちらが年上で、婚約者も無し。この国の宰相である自分と皇女が婚約することは国の結束力を強めるうえでも、国に不審を持った民の眼をそらす意味でも、またとない手段だとわかる。
一度諦めかかった人が、目の前で待っているのだ。浮かれない方がおかしい。
「皇女殿下は、国領地で国を動かす練習をしていただく」
「はー、同時に帝都から出してスキャンダルから守るってわけか。愛だな」
「国を継がれるのであれば、余計なことに巻き込まれて評判が落ちるような事態になってはならないからな」
これまで、自分はいくつも選択を間違って来た。皇女である彼女に会ったことを父に告げなかったこと。彼女を好きになっていたのに、何の行動も起こさなかったこと。
…そして、ここで、彼女を帝都から出してしまったこと。
************
何を言われたのか、理解ができなかった。
「――皇女殿下が、亡くなられました、」
何を言っている。そう告げようとして、声が出なくなった。深呼吸するのに、息が吸えない。指先から書類が零れ落ちてコップを倒した時のように広がった。
「ジェフリーが、護衛に着いていたはずだ」
「……皇女殿下を襲った輩は、卑怯にも、グランツィード皇子殿下の紋章を掲げ、油断させたのです。ジェフリー閣下は、毒矢を受けながらも戦い、10人近くを切り捨て、皇女殿下に逃げる猶予を、与えられました。ですが、」
どうにか喉から絞り出した声はひきつっていたし、報告する部下の声もまた、震えていた。無理もない。国の大会で優勝したこともあるジェフリーが、普通の戦いだったら負けるはずがないのだ。皇族の紋章の悪用。あってはならないことが、起こった。
自分と違ってあまり頭の回らないあいつは、簡単に騙されてしまったのだろう。
「皇女殿下の亡骸が、玉座の間に、」
その言葉とともに足がばねのように跳ね上がった。部下に労いの言葉をかけることも忘れ、体当たりするようにして扉を開ける。蹴り倒した椅子が後を追いかけるように大きな音を立てた。ただ、走った。みんながみんな、泣き出す寸前の顔をしている。皇宮がこんなに暗く静かなことなんて、初めてだ。
走るのは苦手だったはずなのに、己の足がすさまじい速度で回っているのがわかる。宰相が廊下を走るなんて咎められても仕方ない事態なのに、誰も何も言わない。
倒れ込むようにして開けた扉の向こうでは、彼女の母である皇太子妃が人形のような顔で立っていた。その隣には夫の皇太子がぶるぶると肩を震わせている。中央に置かれた黒い棺。ふらりと足が飛び出した。挨拶もせずに飛び出すなど、本来なら非難されるような礼儀を欠いた行為なのに、誰も何も言わない。
白い花ばかりが敷き詰められた箱の中で、穏やかな顔をして皇女は眠っていた。
「レティーシャ様、クィケッドです。私に、報告しにいらっしゃったのでしょう?」
眠っているだけだ。すぐに起きるはずだ。自分の声が薄い膜を通したように遠く聞こえる。
「起きてください、レティーシャ様。貴女の先日提案された政策、素晴らしかったんですよ。これを応用したものを国でも行おうと思っているんです。起きてください。お疲れだったんですか、レティーシャ様?ジェフリーの護衛じゃ、のんびり外を眺めるなんてできなかったでしょう?あいつは、煩いくらいおしゃべりだから。起きてください、まだ、私には、伝えねばならないことがあるんですよ」
私が言葉を紡ぐたびに、皇太子妃の顔がじわじわと、まるでひび割れたように歪み、泣き崩れていく。それを視界の端に納めながら、冷え切った彼女の頬を撫でる。
「貴女が、今日いらっしゃったら、大切な話をしようと思っていたんです。貴女の今の婚約を破棄して、私があなたと婚約すると、そういう、話を、しようと思って、」
握りこんだ彼女の指先は、細いのに彫像のようにかたくて、その瞬間、泣いているのか叫んでいるのか、わからなくなった。たった一つだったのに。一番、一番欲しい、ただ一つだったのに。
友人を失い、最愛を失い、私はそこで一本、線が切れた。
後に、皇女に狼藉者を差し向けた主犯が件の少女の実家であったことが分かり、彼女は一族郎党とともに処刑される。グランツィード皇子は姉の葬式にだけは出席を許され、そこで漸く己のしでかしたことを思い知ったのか、ただただ泣くばかりであった。帝位は従兄の公爵殿下が継がれたが、一人の少女が引き起こし、一人の皇女が亡くなることで閉幕したこの一連の事件は、帝国に大きな爪痕を残すことになる。
・
・
・
筈だった、のだが。
目を覚まして、まず場所が学院の寮部屋だったことに、とうとうここまで頭がイカれたか、と絶句した。
「おーい、クィケッド?今日、お前出かけるんだろ?さっさと起きて朝食、食いに行こうぜ!」
ドアを開けて飛び込んできたジェフリーに再び言葉が奪われる。これは、なんだ。今自分は、都合のいい夢を見ているのか。
「え、お、おい!?ど、どうしたんだよ。怖い夢でも見たのか?」
背中をさすってくれる手が温かくて、こいつが生きているのだとそれだけが伝わってきて、生まれたばかりの赤子のように、大泣きした。
「――おや、クィケッド、どうした?」
まずは父である内務卿に会いに行く。目的は一つだ。
「父上、私はレティーシャ皇女を娶りたいと思います」
がしゃん、とティーカップが揺れて音を立てた。
「、クィケッド?」
「私は、本気です父上」
「……それは私に進言をしろということかい?」
困ったように笑う父に向けて私はにっこりと笑みを浮かべた。
「はい。勿論、実力でもって皇女をいただく気ではありますが、略奪婚と言われるのは私の本意ではありません」
「……わかった、王に進言しておこう」
数秒目を閉じて私の随分な発言は聞かなかったことにしたらしい。父は不敵に笑う。
「あぁ、けれど、皇女と息子の婚姻を勧めたがっている侯爵家を黙らせるくらいの実力は示しておくれよ?」
「はい」
言われるまでもない。
まずは、飛び級か。今まではさっさと卒業してもつまらないだけだと思っていたので適当な返事をしていたが、そうも言ってられない。推薦状を書いてもらわねば。
「あれ?クィケッド、早かったな!」
ジェフリーは丁度鍛錬が終わった後だったらしく、疲れたぜーと笑いながら部屋に入って来た。
「ジェフリー、」
「ん?なんだ?」
けらりと笑う男に向けて、私は一度深呼吸をした。
「私と一緒にさっさと卒業して、騎士団に入らないか?」
「……本気で言ってるのか?」
遂におかしくなりやがった、という小声が聞こえたが無視して、にやりと笑う。
「おうとも。」
ジェフリーの真似をした口調に、ますますその眼が不審なものになる。
「私は決めたんだ。欲しいものは我慢しないのに限る。その目的のためにも、手を組まないか」
「……飛び級の試験勉強、ちゃんと助けてくれよ?」
ジェフリーもまた、張り合いのない子供遊びの剣技には飽き飽きしていたのだろう。口角を上げて私の手を取った。
**************
「――それは、本当なのか、」
その言葉を聞いた瞬間、足が椅子を蹴飛ばしていた。
「クィケッド様!?」
知らせてくれた従者が声を出したが、それより早く一気に廊下を走って階段を駆け下りる。玄関の目の前でちょうど馬に乗ろうとしているジェフリーを見つけて、思わず笑みが浮かんだ。ベストタイミングだ。
「ジェフリー!」
「ん?どうした?」
「私を王宮まで連れていってくれ!!」
とるものもとりあえずの格好の私に驚いた顔をした後、緊急事態だと判断したらしく表情は一気に真面目になる。
「対価に、今度の認定試験の面倒を見てやる!」
「ほんっと!最高の親友様だな!」
すぐさま馬をこちらに寄せたジェフリーに礼を言って飛び乗る。従者の悲鳴が聞こえた気がしたが、知るものか。
――レティーシャ皇女殿下が熱を出されたそうです、なんて、聞いて平静でいられるわけがない。
馬上でそれを告げれば、ジェフリーはひくりと米神を震わせて、ふざけんなよ!と怒鳴ってきた。
なんてひどい奴。
**************
「レティーシャ様、お久しぶりです」
「お久しゅうございます、クィケッド様。どうされたのですか?こんな時期に、」
ベッドの上でちょこんと座っているレティーシャ皇女は嬉しそうにしながらも、どこか戸惑ったように微笑んだ。こんな時期、という言い方からして学院が試験期間だということは聞き及んでいるのだろう。
皇女という恵まれた生まれにもかかわらず、他人を気遣える優しい心。考えれば考えるほど、彼女こそ統治者として相応しいのでは、なんて思ってしまう。
統治者なんて矢面に立つ真似、彼女にさせるわけもないのだが。
「倒れた、とお聞きして、居ても立ってもいられずに学院を飛び出して参ったのです」
「まぁ、」
冗談だと思ったのだろう。それでも心配されたのが嬉しいのか、小さくはにかむ。そんな姿はまだまだ幼い少女でしかない。私は一冊の本を取り出す。二人で静かに話せる機会など、そうそうない。ならばさっさと話だけでも進めてしまった方がいい。
……病人に対して言質を取るという方法は少しばかり強引だと自覚はあるが、時間がないのだ。
「これは?」
「外国の言語の本です」
「どうして、わたくしに?」
皇女の紫の瞳が不思議そうに揺れる。可愛らしいなぁ、と心の中で和まされながら、もっともらしいことを告げた。
「皇族の役目には諸外国への訪問もございます。私は学院を卒業した後、外交官や内務官を務めようと考えています。その際、もし、姫様がお嫌でなかったら、私と共に隣国や諸外国を見て回ってもらいたいと思っているのです」
「わたくしで、よろしいの?」
『前も』思っていたけれど、この人はなんて聡明なんだろうか。子どもには難しい言葉のはずなのに、きちんとこちらの意図を理解しているのだ。留学の話をほのめかしつつ、将来の約束をする。少女は期待されていることがわかるのか、嬉しそうに笑って一生懸命勉強する、と言ってくれた。
『前も』、そうだった。あの時も、実地で学べと言わんばかりに直轄領に放り込んだというのに、皇女は顔をこわばらせながらも同じように笑ったのだ。一生懸命勉強する、と。
「姫、私は貴女の婚約者となりましたが、今すぐにあなたに私を好きになれというのは、きっと難しいでしょう。ですから、些細なことでもいい、私を『頼って』ください」
本当のところは好きになってほしい。なんたってこちらは一生分越しの片思いなのだから。
けれどまだ年端もいかない少女に受け止めろというのは酷な話だ。だからこそ、頼れと、信頼してくれと願う。
皇女は少し驚いたように目を見開いて、ふわりと花が咲くように微笑んだ。冷たかった指先に血が通うような、何かが満たされたような、幸福感。
「ね、クィケッド様、私、お花以外のプレゼントを頂いたのは、貴方が初めてです。『頼っていい』なんて、言っていただいたのも、初めて。……貴方は、まるで魔法使いみたい。私が一度ももらったことがない『欲しかったもの』をいつだってくださるの」
あぁ、と優秀な頭が裏の意図を悟る。決して皇女は語りはしないだろう。けれど、けれど自分も同じなのだからわかる。わかってしまう。
「だから、私、きっと貴方を好きになれるわ。貴方を信頼して愛することができると思うの」
今この瞬間、己を稲妻のように貫いたのは、歓喜だ。目が回るような、泣き叫びたくなるような、身体の中に熱い何かが突き刺さって涙腺を刺激する。
ばれぬように、気づかれぬように、とそればかりを意識して私は皇女を抱きしめた。
**************
さて、それからは。
あまり語るべきではないのかもしれない蛇足だが、私の暗躍話を言わせてほしい。
グランツィード殿下の根本的な歪みを私は見つけた。姉のレティーシャ、婚約者となったフランドール嬢。どちらも才女であり、殿下と同じくらいに優秀な御二方。この二人に囲まれて育った殿下は、『できすぎる女性』に対して劣等感を強めていたのである。
剣や武術といった身体的な訓練があまりされなかったことが彼の劣等感を一層強めたのだろう。なので、私はあらゆるものを一通り学ばせてみるべきではと宰相である父に進言し、グランツィード殿下に魔法や武術を習わせたのである。
結果は、大成功。
殿下は素晴らしい剣の才能を持っており、稲妻のような鋭さとスピードは5代前の皇帝を思い起こさせると評判になった。魔法に関してもそこらの子供顔負けの才能を発揮し、殿下の『自分は婚約者や姉に劣っている』という劣等感を打ち砕き、自信を持たせるには十分だった。
何より、決定打となったのは避暑に赴いた直轄領で、はぐれの魔獣と遭遇したことである。
婚約者のフランドール嬢は魔獣の悍ましさに青ざめ動けず、レティーシャ皇女は攻撃魔法への適性が少なく結界を張るので精いっぱい。そんな中、二人を庇うようにグランツィード殿下が剣を振るい、私やジェフリー率いる護衛騎士たちと協力して見事に魔獣を退けたのである。
この一件後、フランドール嬢とグランツィード殿下の仲は一層深まり、互いに思い合い、信頼し合う仲となった。前世での一歩引いた関係よりはずっと安心できる。
レティーシャ皇女も『前』よりもグランツィード殿下との時間を取るようになり、フランドール嬢とも将来の姉妹として非常に仲良く過ごされている。
「――レティーシャ皇女殿下」
「なんでしょう、宰相閣下」
真面目腐って話しかけた私に、レティーシャ皇女は悪戯っぽく笑って同じように公の口調で応対する。この人のこういうちょっとした遊びに付き合ってくれたり、機転を利かせられるところも好きだ。
「実は、貴女に留学の話が出ているのです」
もしも、ということはいくらでもあり得る。その時に一番優先するべきは、彼女を守ることだ。手っ取り早いのは事件の渦中から遠ざけてしまうこと。その場にいない人間はどうやったって問題になりえない。
レディーシャ皇女は不思議そうに首を傾げた。
「留学?」
「ええ、隣国スミスフィールドにて、殿下により高い学問を修めていただこうと」
「ですが、私は皇宮で家庭教師を取っておりますわ」
首を傾げた皇女に私は静かに頷いた。
「確かにその通りです。実は、これには実績作りの意味があるのです」
「実績作り、」
紫眼を瞬かせた皇女に私は指を一本立てて見せる。
「この国では貴族の女性が学問を修めにくい、のはご存知ですか」
「えぇ、学院は男女共学ですから、交際関係に気を遣うと伺っています」
「その通りです。そこで、男女を別学にしてしまうのはどうかという話が出ているのです」
私がそこまで言うと、皇女は察したらしく成程、と頷いてくれた。
「私は女子学院を体験するのと同時に、この国で女子のための学び舎を作る場合を想定して視察をしてくる、というわけですね?」
よくできましたの言葉の代わりに、皇女の頭をそっと撫でた。さらさらと金髪はいつまでも撫でていたい柔らかさでうっとりしてしまうのだが、にやけきった顔をさらすわけにいかないので理性の力で手を引き剥がす。
「あの、閣下。一つ進言をお許しください」
「なんでしょうか?」
「その、一人で外国に行くのは私、少しばかり不安です。なので、グランツィード(おとうと)の婚約者であるフランドール嬢を伴うことはできますでしょうか。彼女は未来の皇妃。学院に入学するにしても周囲を気遣うばかりで、自身のために学ぶことが難しいと思うのです」
渡りに船だ。公爵家としてもいつ醜聞に巻き込まれるかわからない夜会や学院での生活を避け、皇女の友人として留学し、将来の皇妃としての教養を身に着けるというのは願ってもないことだろう。
「許可できるかと思います」
「本当!?…よかった、」
たぶん、この方は覚えているのだろう。小出しにして気づかれないようにしているようだが、こちらがどれだけあなたを見ているのか、わかってないのだ。
けれど、それでいい。
**********
正直に言おう。危険から遠ざけるために留学という形をとったのだが、たった1か月で私は後悔し始めている。
「――クィケッドのばか、あんぽんたん、おたんこなす…」
グランツィード殿下の罵倒の声にも力がない。その様子をジェフリーはけらけら笑う。
「おいおい、お兄さん方。休憩はあと5分だぜ?」
「うっうっ、クィケッドが姉上と一緒にフランドールまで連れて行くから僕はこんな風になってしまったんだ……あぁ、フランドール……」
グランツィード殿下は心底フランドール嬢にほれ込んでいるらしい。3日とおかずに手紙のやり取りをしているところからもわかるのだが。
「つーかよぉ、殿下はこんなところに来てていいんですか?学院は大変でしょうに」
自分が苦労した記憶があるからか、ジェフリーはそうグランツィード殿下に話題を振る。殿下は不機嫌そうに首を振った。
「正直に言えば、フランドールと姉上がいないせいで張り合う相手がいなくてつまらなくてしかたない。部下を見作ろうにも、ヴィジェット以外は乱暴者が多いし、期待外れだった。もう見切りをつけて、飛び級の案件を満たして、さっさと卒業してしまおうかと思ってもいる」
ヴィジェット、確か『前世』では学院卒業後、騎士団に入り、レティーシャ皇女の護衛を務めた一人だった。若いが剣筋がいい、とジェフリーが褒めていたのを思い出す。
「ほかにも伯爵家や侯爵家のご令息など、高貴な方々もいらっしゃったでしょう」
前世ではあのあたりとつるんでいたはずだ。私がそう水を向けると、殿下は思いっきり眉根を寄せた。
「なんというか…、あいつらは底が浅い。宰相になりたいと腹黒を装っている割に考えに固執して保守的すぎるし、騎士を目指すなんて言う割には視野が狭すぎる。あれでは姉上やフランドールを守れないし、クィケッドやジェフリーともうまく組めないだろう」
その言葉にジェフリーが感動したように両の手を握った。私も同様だ。
「殿下…大きくなられましたね…」
「う、うるさい!僕がしっかりしなければ、フランドールを守れないだろう!」
「皇女殿下は入ってないのですか?」
「何を言ってる」
グランツィード殿下はあきれたようにため息をついた。
「姉上はお前が絶対に守るだろう」
何という殺し文句!!
その言葉にジェフリーがけたけた笑いながら真っ赤になって震える私の肩を勢いよく叩いた。
**********
魔力量が通常の数倍の学生が現れた。
その言葉を聞いて、ついにきたか、と私はそっとこぶしを握った。
魔力量が極端に多い人間は、自らの身を守るため無意識のうちに様々な魔法を使う。強大な魔力は人間に恐れられやすい。害される可能性を減らすために、氷結や麻痺、特殊な精神魔法として魅了を使う。
前世でも懸念材料として挙がっていたが、きちんと症例があったわけではなかったので、人々にまでは浸透しなかったのだ。
それを、他でもない私が事例研究の一つとして取り上げ、どのような場合があるかというのを発表したのである。この研究が私の学院での卒業証明課題になり、一足飛びで宮仕えを可能にしたのだ。
発表したことを簡易にまとめれば、『害される可能性を減らすために、魔力量の多い子供は何かしらの魔法を使う。世話する側・指導する側はそれを踏まえて抗魔具を身に着けるべきだ』ということ。
懸念材料でしかなかったことを事例とともに証明し、誰にでも起こりうると私が主張したことで、最先端の学問を収めるこの学院では教師だけでなく生徒にも抗魔具が配布されることになった。制服に直接、魔力を込めた糸を縫い付けるという格好なので、まず違和感はもたれない。
そうして、入ってきた少女は。
「どうぞ、こちらです」
「…うわ、なんだあれ」
「グランツィード殿下のあんな顔、初めて見たな」
気味の悪い毛虫を見たような反応をしたジェフリーに私はため息交じりに告げた。
気分を切り替えて前を伺う。
少女に無理やり腕を引っ張られている殿下の顔は…なんと表現しようか、父親と母親の良いところを取り合わせた、と言われる美貌を嫌悪感で歪めきっていた。周囲の子息や令嬢たちの同情の眼差し。ああいった目を殿下が向けられることは今後一生ないだろう。
視察という名目でお忍びでやってきたが、面白いものが見られた。まぁ、レティーシャ皇女とフランドール嬢には告げないでおこう。そう思ったとき、ふと、違和感を持った。
「うん?」
「どうした?」
「ヴィジェットは、どこだ?」
「――ここです」
ジェフリーがぎょっとしたように目線を落とした。ヴィジェット・コーレン。皇子殿下の侍従が隈の酷い顔で立っていた。
「ふふ…あのイカレ女が来てからというもの、殿下は無理やりに腕を引かれ、それを阻もうとしたほかの面々が、あの取り巻き連中に睨まれ、学院の秩序が崩壊寸前ですよ」
「教師陣は何をしているんだ」
思わず苦り切った低い声が出る。おー、こえぇ、とジェフリーが笑うせいで長くは続かないが。
ヴィジェットは目を伏せて呟く。
「エンデウス先生が、」
「エンデウス?」
首を傾げたジェフリーにヴィジェットが嘆息する。
「あのですね、エンデウス伯爵家の当主の弟君が、教師なんですよ」
「うん」
「で、その……あの女の取り巻きその3になっておりまして」
「とっとと辞めさせろ」
冷え切った声は案件を切り捨てるときと全く一緒のトーンで、慣れているジェフリーはけらりと笑うだけだったが、ヴィジェットはさっと顔を背けて聞かなかったふりをしていた。いけない。思わず気が高ぶってしまった。一度深呼吸をして、紙を書きつける。後ろについてきていた部下の一人に渡して、
「理事長に届けろ。宰相が『この事態の対応如何によっては、管理運営能力を問わねばならない』と言っていたと付け加えておけ」
「はっ」
部下は風のように走り出す。それを見送ったジェフリーがくくっ、と喉を震わせた。
「あのご令嬢は退学か?」
「退学者を出すというのは外聞が悪い。ベルシュ学院あたりに転校になるだろうな」
ベルシュ学院とは平民向けの学校である。もちろん、平民向けとはいっても優秀な平民は、ここで己の力を発揮することで皇族や貴族に仕えられるので出世の道の一つともいえる。
だがそれは、普通に入った者の場合だ。彼女のように帝立の学院からの転校とあれば、まず貴族たちとの接点は持てないだろう。
「随分甘い対応だな」
ジェフリーはどこか呆れたように言う。確かに彼女自身に咎めはないし、ベルシュで頑張れば再考の余地もある。
「子供相手に大人の対応をしたら、こっちの面子が割れるからな」
だが、大人には大人の対応だ。つまり、エンデウスは学園追放は免れないだろう。まぁ、可哀想だが実家でしっかり躾けなおしてもらえばそこそこの暮らしはできるのだ。憐れむ必要もない。
そう思った時だった。
「――え、嘘っ!クィケッドにジェフリー!?」
良く通る少女の声が自分たちの名前を呼んだ。役職名ならばまだしも、名前を敬称なしで呼ばれることなど学生以来だ。ぎょっとして思わず一歩下がったし、ジェフリーは騎士の本能なのか柄に手をかけていた。隣のヴィジェットをさりげなく庇う位置に立つのもさすがだ。
「は、初めまして!私、「――最近の学生は、随分と礼儀を知らないな」
走り寄ってきた少女に、冷え切った声が出た。穏和で温厚という評判が後ろを向きそうなくらいに冷めた対応。
「我々は視察だ。この場合であれば殿下にお目通りをとやってきた外部の大人に対して、あまりにもうかつな対応だ。子供すぎる」
「え、」
「対応がまるでなってない。いつからこの学院はそこまで程度を落としたんだ」
苛立った声を少女にぶつける。呆然とした少女が、小さい声で嘘、と呟いた。何が嘘だ。
「――う、っ嘘よ!!クィケッドはこんなに冷たくない!!」
その絶叫に顔が引きつった。なんて無礼な、と周囲の学生が驚愕と動揺でざわめく。隣で聞いていたジェフリーは目を丸くし、ヴィジェットは、またか、と小さい声で呟いた。
「どうして?好感度が足りてないから?でも二作目は最初から皇宮だったし、ここでフラグを立てておかなきゃ、」
精神病の疑いもある。思わず脳内で冷静な声が医者のような診断を下す。
「何をしている」
「まぁ!殿下ぁ!私、」
ぱっと顔を輝かせた少女を一瞥すらせず、グランツィード殿下は嘆息して自分をねぎらった。
「宰相、すまないな。忙しい最中に」
「いいえ。そちらの少女、身分は?」
「あぁ…男爵家だったな」
「覚えていてくださったのですね!あ、私、これでも成績は、」
「後で伝えておきましょう。ベルシュの学長は旧友ですので、すぐに手配も済みます」
「何から何まですまない」
「いいえ、ここでは殿下といえど一介の学生、慣れぬ苦労もございましたでしょう。寧ろ、ここまで遅れたことを申し訳なく思います。書類などは私に直接お渡しください」
書類とはこの少女の退学願いである。正確には、学業を学ぶに値しないとする案件をそろえた報告書。上が握りつぶす可能性があるのなら、こちらに直接持ってきてもらえばいい。多少雑多な仕事が増えようとも、安全には変えられない。
「?どうしたの、二人とも」
「ヴィジェット、すまないがこちらの少女を学院応接室へと案内してくれ。書いていただきたい書類がある」
自分の言葉に少女はぱっと顔を輝かせた。自分が認められたとでも思ったのだろう。
「あ、あの!私、まだまだ学ぶことがあるので、卒業までは待ってほしいんです」
「あぁ、ご安心ください。貴方がより学びやすいように、環境を整えるだけですから」
嘘は言ってない。
より学びやすいように(高位の貴族のいない場所に移動させて)、(殿下方の)環境を整えるのだ。
何一つ嘘は言ってない。
少女はきらきらした表情でヴィジェットに案内されていく。すでに部下を向かわせているので、書類にサインをすれば彼女からの転校願いは即日受理される。残りの部下にも、馬車と荷物の運び出しを指示したので、おそらく本当に今日中にはすべてが終わるだろう。
…もしあれ以上妙なことをいうのであれば、病院の方の手配も必要になるが。
*********
その日は、よく晴れた日だった。人々の祝いの言葉があちらこちらから降り注いでくる。緋色の絨毯の上でゆっくりと息をついた。
「しっかりしろよー」
けらけらと最前列で野次を飛ばすジェフリーの隣にはレティーシャの支度を手伝って遅れたらしいラポラが少し困ったような顔をしている。ジェフリー様、といさめている姿はずいぶんと仲睦まじい。婚約の話を持ってこられたときはいつの間に知り合ったのかと色々と驚かされたが、相性はいいらしい。
「――では、花嫁の入場です」
皇帝陛下とともに、皇太子殿下よりも上座で待つという経験はおそらく私くらいしかしたことがないんじゃないだろうか。皇太子殿下は真白のドレスを揺らす娘をいとおしそうに見つめながら、歩く。周囲の眼差しもこの時ばかりは、父親への同情が強い。
がらん、がらん、と大きなベルが鳴る。20回、レティーシャの誕生を祝う数まで鳴らし続けられるのだ。真っ白なドレスがひらひらと天使の羽のように揺れる。無性に、泣きたくなった。誓いの言葉なんて、言うまでもなく、この人を守り、慈しみ、愛するために自分は今ここに立っているのだ。
「……姫様、大丈夫です。必ず、私があなたを守ります。…愛して、守り続けます」
誓いの言葉の後、そっとレティーシャを引き寄せて告げれば、彼女は瞬きを繰り返して必死に涙を散らして、笑って言った。
「ねぇ、クィケッド様は知っていた?私だって、貴方を愛しているし、守って見せます」
思わず、目が合った。紫水晶の瞳がきらきらと輝いている。次の瞬間、渾身の力で抱きしめていた。周囲から男の者だろう、ひゅー!と口笛が上がり、女性たちの笑い声が響く。泣きそうな顔でなければいい、とそう思いながら笑った。
「……神よ、感謝いたします、」
最愛が、今己の腕の中にいる。途方もない幸福感に、クィケッドはレティーシャを抱き上げて笑った。