嫁捕り山奇譚(絵・鹿汰さま)
鹿汰さま(http://10773.mitemin.net/)のイラストに文章を付けさせていただきました。
ジャンルは指定なし、必須要素は「男性が烏天狗であること」の作品です。
隣の集落に一人で暮らす叔母が病の床に臥せていると聞いたのは、三日前のことだった。姉である母を頼って手紙をよこしたらしいのだが、病状など詳しいことは何一つ書かれていなかった。
お鈴の幼い弟も体が弱く、母は叔母の面倒を見に行く余裕などない。
そこで白羽の矢が立ったのがお鈴だった。花嫁修業の一環という名目で、彼女の元へ出向くように言い付けられたのだ。
夫に先立たれ、子供もなく暮らす叔母を不憫に思ったことはある。不憫に思いこそすれ、手伝いに行こうとは微塵も考えなかった。
「本当に行くの」
「叔母さんには世話になっているだろう? こういう時はお互いさまなんだよ」
母が申し訳なさそうに零す。
その姿に背中を押され、気乗りしないまま荷をまとめた。
問題は叔母の家に向かう途中にある山だった。その山は女子供でも半日あれば楽に越えられるような易しい道のりである反面、行方知れずになったという噂も多い。
行方がわからなくなるのは決まって嫁入り前の生娘であることから、いつしか「嫁捕り山」と呼ばれるようになっていた。
稀に山から戻ってくる娘もいるのだが、総じて呆けたように何を聞いても返事をしない状態になっているという。
はきはきと明るかった娘が虚ろに村を彷徨っている様は、お鈴も目にして衝撃を受けた。
行方知れずになるのは、ほとんどが夜の山道を一人で歩いている娘だった。
他の険しい山ならば夜闇で道を見失ったとも考えられる。嫁捕り山のように緩やかな道のりで、同じことが続けざまに起こるのは不自然だ。
村の者たちにできることは、娘を一人で歩かせないことと近隣の村同士で結託して宿場を設けることくらいだった。これらの取り決めが出来てからというもの、娘がいなくなる事件は格段に減っている。
それでも、急ぎの用で単身嫁捕り山に向かった娘が姿を消したなどという話はちらほら聞かれた。
お鈴も一人きりならば山越えを断ることが出来ただろう。ところが、運悪く同じ村まで行く行列が明日の朝一番に出発するらしいのだ。
それについて行きなさいと言われては、断るすべがなかった。
「……お世話になります。ご同行お願いします」
下げた頭に、大きな嘆息が降ってきた。
彼らの反応には薄々予測がついていた。お鈴が同行するのは、花嫁行列なのだ。祝いの列に病人を見舞う者がついて歩くなど縁起でもない。
肩身の狭い旅路を覚悟し、お鈴は花嫁行列から数歩引いた位置をついて歩いた。
前を行く人たちはちらちらと後ろを振り向いて、彼女の安全を気遣う素振りを見せてくれる。相変わらず、その表情は苦々しいものだったが。
これといって難所もない山を黙々と歩き続ける。華やかな衣装の上に旅衣を羽織った花嫁は、足元を見つめたまま四方を親類となる者たちに囲まれて歩いていた。
小石交じりの土を踏む音を追いかけるうち、言いようのない罪悪感が込み上げてくる。お嫁に行くということは、もっと幸せな出来事なのだと思っていた。これではまるで葬式の列だ。
自分のせいで、と自責の念に駆られていると、呼吸が苦しくなる。
「すみません、私はここで一休みします」
山道も半ばを越えたところで、腰かけるのにちょうど良さそうな切り株を見つけた。
重い空気に耐えられなくなっていたのは相手も同じだったようで、軽く会釈をしてそのまま先へ進んでしまった。
遠ざかる足音に心細さが増す。それと同時にこれでよかったのだという思いも湧いてきた。
四方を見回しても、人はおろか獣の姿さえ見えない。冷たく澄んだ空気は、得体の知れない恐ろしさを孕んでいた。
その時、山鳥が甲高く啼いた。
「ひっ……」
――まだお昼じゃない。自分から一人にしてくれって言ったのに、これじゃ子供の我儘と同じだわ。
震える体と心を押さえつけ、再び歩き出す。その歩調は先ほどよりも早く、ともすれば前を行く彼らに追いついてしまいそうなほどだった。
なだらかな下りの坂道は、大きく回って向きを変える。これを抜ければ叔母のいる集落はすぐだ。木々の間から下の道を覗くと、花嫁行列の姿が見えた。
恰幅の良い男性が、全身を揺さぶっている。品の良さそうな女性は口元に手をあてがっていた。
笑っているのだ。
気が付いて、お鈴の動きが止まった。
――やっぱり、あのぎこちない雰囲気は私のせいだったんだ。
「……お嬢さん、具合でも悪いんですか」
背後から声を掛けられて、心臓が止まる思いがした。振り向くと、背が高い青年が心配そうな顔をしてお鈴を覗き込んでいた。
汗を押さえるためか、額に巻かれた手拭いに目を惹かれる。
切れ長の目は全てを見透かしているようで、反射的に視線を外す。
「なんでもありません。どうぞ、お気遣いなく」
「なんでもない? その表情を見ていれば、嘘だというのはすぐに判りますよ」
青年の視線はお鈴の足元に向かい、嘆息が漏れた。
「鼻緒が切れているではありませんか」
どれ、と屈みこんだ男は、形の整った眉を八の字にしてお鈴を見上げた。
「あいにく、この手なのを忘れていました」
差し出した両手には、何重にも包帯が巻かれていた。自分で巻いたのか、ところどころ浮いたりずれたりしている。
その包帯を鼻緒を作るのに十分なくらいの長さだけ解くと、懐から小刀を取り出して切り落とした。
「えっ……」
包帯の間から覗いた青年の腕に、驚きの声が漏れる。薄紫の鱗のようなものが見えた気がしたからだった。
――かさぶたを鱗と見間違えたのかもしれない。
大きな事故にでもあったのだろうか。それとも奇病の類だろうか。
得体の知れない男の姿に興味を惹かれていることに気が付いて、お鈴は自戒した。青年はそのことを知ってか知らずか、お鈴に寄り添うように立っている。
「さあ、鼻緒を直したら共に行きましょう。この辺りは物の怪が出ると言います。お嬢さん一人では危険ですよ」
親切な申し出に甘えることにして、手早く鼻緒をすげ替えた。
道中、青年は何も聞かなかった。
会話こそなかったが、邪険にされている様子もなく居心地の良い時間だった。素性も何一つ知らない相手なのに、別れを惜しく思ったのは初めてのことだ。
「私はここで。……また、会えますか?」
「どうでしょう。会いたいと思っていれば、出会うこともあるかもしれませんね」
意味ありげな笑みを浮かべて、青年は歩み去った。その後ろ姿を見ていると、ため息が零れそうになる。
別れ際になって初めて目にした微笑みは、お鈴の心を陥落させるのに十分な効果を発揮した。
かくして無事に叔母の家へと辿り着いたお鈴だったが、叔母宅では心ここにあらずというありさまだった。
皿一つ洗うにしても、手を滑らせて割る。洗ったはずの洗濯物は染みが残ったままの上、しわが寄ったまま干されている。叔母の世話どころか自分のこともままならない様子に、逆に心配をかける羽目になった。
幸いにも叔母の病状は心配していたほどではなかった。
二日後にはお鈴と談笑できるまでに回復し、山越えの際に出会った青年の話を聞きいて得心したようにうなずいた。
「どこの誰かはわからないけれど、素敵な人に出会ったんだね」
「ええ。……また、会えるかしら」
「どうだろうねぇ。こうも手掛かりが少ないと探すに探せないだろうし……。一番は村に戻って別の良い男を見つけることだろうさ」
叔母の言葉に落胆の色を露わにする。すると、叔母はそれを見て「若いねぇ」と笑うのだった。
お鈴は帰りの道を誰にも同行を求めず、必要以上の時間を山の中にいた。
前に青年と出会った辺りにいれば、彼にまた出会えるのではないかと希望を抱いていたのだ。
じきに日が暮れる。
判然としなくなった手元に気付き、ようやく我に返った。暗くなる前に人家に入るならば叔母の家に引き返すのが最も安全かつ確実だろう。
――それも半日以上前に帰宅の途にさえ就いていなければ、の話だが。
今さら引き返すのも憚られるし、と考え込んでいるうち、ついに辺りは闇に包まれてしまった。
月明かりさえ木々に遮られて届かない。
照らすものを持たないお鈴は途方に暮れる他なかった。月を隠した雲は、ぽとりと滴を落とした。時を追うごとに滴は増え、雨の匂いが立ち込める。
なすすべもなく、葉を大きく広げた木の下へ逃げ込んだ。
このままでは嫁捕り山の化け物に襲われてしまうのではないか。怯える目を山頂の方角へ向けると、微かな光が明滅しているのが見えた。
どうやら山越えをする者が持つ提灯の明かりらしいと知って、安堵と警戒がないまぜになった感情に襲われる。その間にも提灯の光はお鈴の方へ向かってきていた。
――迂闊に道の外に隠れれば、足を踏み外して斜面を転げ落ちるかもしれない。
自分のいる位置が掴み切れないために身を固くするばかりのお鈴の耳に、土を踏む音が届いた。幻のようだったささやかな響きが、次第に質量を伴い迫る。
光は、いつしか間近にあった。動けば空気の流れで存在を気付かれてしまうだろう。息をつめて相手の様子を探った。
どうやら、向かってくるのは男のようだ。
細身だが力強い筋肉が感じられる足元から、ゆっくりと視線を上げる。提灯の朧な光に映し出されたその顔に、強い衝撃が走った。
――あの青年だ。
出来過ぎた偶然か。あるいは、化かされて見えた幻覚か。
猜疑が頭をぐるぐると回った。思考よりも早く迫りくる青年と、目が合った。
薄い唇が優しげな弧を描き、解ける。一秒が永遠にも思われる中、お鈴の体は血液を無くしたように冷え固まった。
風が頬を打っている。
ごうごうと激しい音が周囲を包んでいるが、不思議と風は弱い。次第に覚醒する意識の中で、お鈴は自分が誰かの腕に抱かれていることを知った。
恐る恐る顔を上げて、その人物を確認する。やはり、そこにいるのはお鈴の心を奪った青年だった。
「目が覚めましたか」
身じろぎに気付いて、青年がお鈴を抱く腕に力を込めた。頭の位置が変わり、青年の肩口に頬を乗せる形になった。途端、切り裂くように冷たい風が吹き付ける。
雨を降らせていた雲が途切れ、月明かりが景色を露わにさせた。
「……きゃっ」
青年の腕の中で、自由の利かない体を目いっぱい動かす。恥じらいをかなぐり捨てて青年にしがみつくと、軽い笑い声と振動がお鈴を包んだ。
「お嬢さん、空を飛ぶのは初めてですか?」
山頂を目指して悠々と舞う彼の背中には、一対の翼があった。烏を思わせる羽は夜闇と同じ色をしている。
――夜に山に入ると、天狗に攫われる。
子供だましだと思っていた伝承が頭をよぎった。嫁捕り山には、本当に天狗がいたのだ。驚きをこらえながら、努めて明るい声を出す。
「初めてよ。……悪くないわね」
「おや、悲鳴を上げた割に威勢が良い」
嬉しそうな青年の返答に、顔が見えないながらも安心して身をゆだねた。
「私をどこまで連れて行くの?」
「僕の塒です。あなたの仲間もたくさん居ますよ」
「それなら、ここで降ろして。私はあなたと二人きりがいいの」
嫁捕り山の尾根は、すでに遠く離れていた。こんなところに降ろされては、帰る道も見つけられないだろう。
それでも。お鈴は我儘を言わずにはいられなかった。
「初めは皆そう言います。大丈夫、すぐに慣れますよ」
僕にとっては、全員が特別ですから。
断言する力強さに押され、無意識にうなずいていた。
「どうして、私を連れに来たの」
「お嬢さんが会いたがっていたからです。一途に想ってくれる相手を蔑ろにはできませんからね。――それに、あなたは匂いが素敵だ」
生まれて初めて言われた言葉に、一瞬で全身が熱を帯びた。
「どうしても一人きりがいいと言うなら、他の女性は処分しましょう」
「……処分?」
「僕のことを他の人に話さないようにしてから、村に帰すのです」
青年の言葉で、呆けたようになった村娘の様子に合点がいった。
誰かがお鈴と同じことを求めたか、本人が帰宅を懇願したかでああいう状態になったのだ。ならば――。
「お願いするわ」
「わかりましたよ。我儘で美しい僕の花嫁」
青年が羽を畳み、ぐっと前傾姿勢になった。迫る地上には、巨大な鳥の巣を模した建造物が見える。
ここで、新しい生活が始まるのだ。昇り始めた朝日を見つめ、お鈴は胸を高鳴らせた。