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青い少女(絵・太郎さま)

太郎さま(http://9610.mitemin.net/)のイラストに文章を付けさせていただきました。

ジャンル・必須要素は指定なしの作品です。

挿絵(By みてみん)




 彼女は、青かった。髪は晴天の空を移したような青で、瞳は夜の静けさをたたえた濃紺で。お気に入りのワンピースは洗濯しすぎたせいか色味がくすんでいた。けれど、元は髪と同じ鮮やかな青色をしていたんだろうと思う。

 白い肌に青が映って、心なしか彼女の顔色は悪かった。その儚げな様子さえも、僕を魅了してやまなかったのだけれど。


 僕とは違う彩色を持った彼女は、近づきがたい雰囲気だった。

 遠くから眺めているだけで、幸せな気持ちになれる人だった。

 声を掛けるなんてとんでもない。まして、触れるなんて想像もつかなかった。


 それなのに、僕の記憶の中には手に触れられる距離に彼女がいた。彼女の香りを感じながら、談笑していた。

 あれはいつのことだったろう……――。




「アオちゃん……?」


 無意識のうちに、道端で鉢合わせた女性に問いかけてしまった。相手は不思議そうにしている。

 僕もまじまじと彼女を見つめて、慌ててお詫びをした。クリーム色のスーツを着た女性は、漆黒の髪を後ろで一つにまとめていた。そこに彼女の面影はひとかけらたりとも存在しない。

 勘違いに至った原因を探りながら、首をひねって歩き出した。


 考えてみれば、彼女と最後に会ったのは十年以上も前のことだ。もうとっくに顔も声も覚えていない。あるのは、青いイメージだけだった。

 とはいえ、髪まで真っ青な子供がいるはずがない。何かの思い違いだろう。


 ――彼女の記憶自体がおぼろげなのに、どうして。


 そもそも、彼女の名前は「アオ」ではなかったはずだ。何を思ってあの女性を「アオ」と呼んでしまったのだろう。

 悶々と考え込む間に、自宅に着いてしまった。手は勝手に椅子を引きパソコンの電源に伸びる。青一色のスクリーンの中から、レポートフォルダを開いた。

 山のようなレポートを消化しなければいけないのに、パソコンに向かう手は一向に進まなかった。


「……チッ、大学生も楽じゃないな」


 気分転換に部屋の中をグルグルと回る。頭と体の疲労度合いが釣り合っていないから効率が上がらないのだと思い立って、腹筋を始めた。運動不足の体はすぐに悲鳴を上げたが、荒く息を吐きながらカウントを続けた。

 十回、二十回、三十回……。数を重ねるごとに雑念が消え、思考が澄み渡る。その反動か、呼吸すらままならず、喘ぐように空気を取り入れた。

 百回を越えた辺りで、数えるのが面倒になった。途端に、なぜこんなことをしているのかという疑問が湧き上がる。疑問は虚しさに変容し、床に寝ころんだ。


「こんなことしてたって課題は終わらないよなぁ。外でやるか」


 思い立って、ノートパソコンを鞄に詰めた。あいにく図書館のような静寂の空間に行く気分ではない。

 ほどよく雑音があって、長居できる場所。いつも利用している近所のファミリーレストランが妥当なところだろう。




 昼食には遅く夕飯にはまだ早い時間だった。にもかかわらず、店内には若い男女の姿が多数見受けられる。中には近くの高校の制服を着た者たちもいて、ドリンクバーの機械の前でたむろしていた。

 みんな考えることは同じなのだ。


 多少の雑音は求めていたが、間近で騒がれては進むものも進まない。

 僕は店員さんに高校生グループから離れた席にしてくれと耳打ちした。

 嫌な顔ひとつせず、僕は店の奥のボックス席に通された。


「空いている時間ですので」


 はにかみながら会釈した彼女にこの店イチオシのグリルチーズハンバーグとドリンクバーのセットを頼む。痛い出費だが、これが僕なりに思いついた恩返しの方法だった。


 まずは目覚ましにコーヒーを、とドリンクバーのコーナーに向かった。

 何の偶然か、そこにいた先客は先ほど間違えて声をかけてしまった女性だった。


「……あっ」


 女性も気が付いて会釈してくる。気まずい沈黙が流れた。


「先ほどは失礼しました。知人に似ていたもので、つい……」

「ああ、そういうことでしたか。私ったら、新手のナンパかと思って」


 伏し目がちに答えた彼女に、ようやく合点がいった。

 目元が、似ているのだ。

 遠慮がちな瞳が震え、視線は店の奥へと逃げ出した。その方向には僕の席がある。


「あの……、そろそろ料理が来る頃と思いますので」


 そう言い残して、彼女はボックス席の方へと歩き去った。




「やっぱりだ」


 僕の一つ手前が、彼女の席だった。ここまで偶然が重なると、なにか恣意的なものを感じる。

 ボロボロと崩れるミルフィーユと格闘していた彼女は、困ったように眉尻を下げた。


「すみません。偶然なんですよ」


 我ながら聞き苦しい弁解をしつつ席に着く。ほどなくして、高温の油をはね散らかすハンバーグが運ばれてきた。


 その日はそれだけで別れたのだが、僕たちの偶然はその後もたびたび訪れた。この導き合わせは何かのご縁なのだろう。

 二人でそう話し合い、自然と交際が始まった。




 ある雨の日だった。傘を持たずに会社に行ったというので、彼女を迎えに行くことにした。ところが、彼女のお気に入りの水色の傘は骨組みが曲がっていて上手く開いてくれない。

 コンビニでビニール傘でも買おうかと提案すると、彼女はにこりと笑って僕の傘へ入ってきた。


「私はこれで十分だけど?」

 

 窮屈ながらも一つの傘に身を寄せ合って歩いていると、彼女が不意に呟いた。


「あなた、初めて会った日に私のことを『アオちゃん』って呼んだでしょう。その子、どんな子だったの?」

「昔のことだから、覚えてないよ」

「嘘。覚えてなかったらとっさに名前なんて出てこないんじゃない?」


 怒らないから、と促されて、僕はしぶしぶ口を開いた。


「本当によく覚えていないんだよ。その時自分がいくつだったとか、彼女とどのくらいの間一緒にいたかとか。何一つはっきりしない。でもね、とてつもなく青が似合う子だったのは確かなんだ」

「それだけ?」

「それだけって……。近付きがたい感じだった気がするし、仲も良くなかったんだよ」


 曖昧な記憶を辿っていると、懐かしさが込み上げてきた。

 僕が感慨にふけっているのが気に食わなかったのだろうか。彼女は口を引き結んで視線を逸らしてしまった。


「ごめん……。なんか変なこと言った?」


 不安になって尋ねるが、ますます不機嫌な顔にさせてしまう。

 完全にお手上げ状態だった。雨のおかげで離れていきこそしないものの、微妙な居心地の悪さは拭いきれない。


「本当にそれしか覚えてないんだ」


 何を思ったのか、寂しそうな表情を見せた彼女は傘から抜け出した。

 壊れた水色の傘を力ずくで開く。骨組みがきしむ音は、悲痛な叫びのようだった。少し濡れた彼女が滴を散らしながら一回りした。


「私、あなたが言う『アオちゃん』だったんだよ」


 脈絡のない彼女の告白に、僕は呆気にとられるばかりだった。

 目を丸くする僕にはおかまいなしでボロ傘を差した女性は訥々と語り始める。その姿は僕の知っている彼女ではないようで、遮ることなどできなかった。


「小さい頃、青が好きだったんだ。服も青、カバンも青、靴も青で揃えてた。でね、お盆におばあちゃんの家に来たとき、たまたま従姉のお姉ちゃんがいたの。お姉ちゃんは美容師をやってて、『そんなに青が好きなら髪も青にしてみる?』って聞いてくれた」


 別々の傘を差しながら並んで歩く彼女は、少し上を仰ぎ見ているようだった。僕は静かに歩調を合わせて、雨音にかき消されてしまいそうな彼女の声を必死で拾い集めた。


「最初はびっくりしたけど、シャワーで落ちるって言うからお願いしたの。染め上がった髪は思ったより青くて、嬉しかった。大人たちが止めるのも聞かないで外に遊びに行ったんだ。しかも、一週間ずうっと。

 そこであなたに出会ったんだと思う」


 記憶違いだと思っていたことが次々に繋がって、奇妙な感覚にとらわれた。


「てっきり自分の思い違いだと……。青い髪の子供なんて見かけたこともなかったしさ」

「だよね。私も恥ずかしくって封印してたもん。だから、最初はあなたが他の女のこと考えてるんだと勘違いしてた」

「一度だけ、君と話したことがあったんだ。その時のことは覚えてる?」


 僕が問いかけると、彼女はもちろんとうなずいた。


「いつも私のことを物珍しそうにみている男の子がいてね、その子ったら私が近づくと逃げちゃうの。いよいよ明日、家に帰るって時になって運悪く雨が降り出した。髪を染めてるのは水で落ちる染料だから、慌てて木陰に逃げ込んだんだよね。そうしたら同じところにあなたも飛び込んできた」

「言われてみれば、そうだったかもしれない」

「私は手も顔も真っ青になってて、絶対にヘンだったのにあなたは『綺麗だね』って言ってくれたのよ」


 しみじみと語る彼女には悪いが、自分がそんなにませた子供だったというのは記憶になかった。

 お互いの記憶がかみ合わなくても、突き詰めようという野暮な考えは浮かばない。代わりに、一つ質問をした。


「今でも青は好き?」

「好きだけど、どうして?」

「ううん、変わってないんだなと思って」


 笑いながら誤魔化す。

 ――次に会う時に青い傘をプレゼントしようと心に決めながら。

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