プロローグ その1 ☆
――カタカタカタカタ……
徹夜で迎えた夏の朝。
俺は部屋でパソコンに向かいながら、黙々とキーボードを打ち叩いていた。
それも今、最後の文字を入力するところだ。
あとは決定ボタンを押せば……
――カタッ!
指先を弾くと、小気味のいいタイピング音が鳴った。
「あは、あはははは、アハハハハハ!」
ようやく、ここまで形にすることが出来たぞ……
俺は改めてデスクトップに表示されたファイル名に目を向ける。
――『アプリ間情報互換システム』
これは複数の情報を相互に干渉させ、偶発的に新しいプログラムを生み出すためのもの。
プログラミングが得意な俺でも、さすがに骨が折れたぞ。
こんなの高校2年生に出す課題じゃない。
そう毒づいてはみたものの、
自分の経歴を考えれば、それも仕方ないかと納得する。
なにせ俺はこのスキルを見込まれて今の学校にスカウトされたのだから。
とはいえこんなに苦労するなら、
やっぱり地元の学校に通っていればよかったかも。
そうすればこの夏休みだってもっと自由に遊べたのに。
すっかり新作ゲームも買いそびれてしまったじゃないか。
でもなぁ……
だからといって、地元は地元で問題があったんだよな。
「どっちにしろ無理ゲーだったんだよね、俺の場合」
そんなふうに愚痴をこぼしていると――
――ドンッドンッドンッ
突然、壁を叩き付ける大きな音が聞こえてきた。
あっ……
やばいっ!
『お兄ちゃんうるさいっ、その変な笑い方やめてよね!』
つい条件反射で妹の声が幻聴として聞こえたが、今は実家じゃない。
これはお隣さんが怒って壁ドンをしてる音だ。
高笑いなんてしてる場合じゃなかった。
すぐに謝まらないと!
「……ご、ごめんなさい」
怯えながら部屋の壁へと話しかけた。
お隣さんはとても恐い人なのだ。
はあ、妹ちゃん……
お兄ちゃんに一人暮らしは辛いよ。
こっちに来て、このアパートで一緒に住んで欲しい!
いつでも招けるように広い部屋を借りたはいいけど、全然来てくれないよ。
次に会えるのが来月なんてつらい。
俺は憂鬱な気分になりながらも、ディスプレイに視線を戻す。
もっともこのアパートではあんな怒鳴り声も、妹が恋しくなるのも日常茶飯事。
気持ちを切り替えないと、いつまで経っても課題が終わらないのだ。
俺は作業へと復帰するため、再びキーボードに手をそえた。
カタカタカタッ――
カタカタカタッ――
カタカタカタッ――
――再び作業に没頭し続けること数時間。
ようやく一段落がつくと、俺は携帯ゲーム機を取り出した。
うっかり外部メモリの容量がいっぱいで、これしか間に合わせがなかったのだ。
まあ、作業データを保存するだけだからな。問題はないだろう。
どうせただの課題データだし、元データもハードディスクにある。
ただデータを学校に運ぶためだけに、外部メモリが必要なだけだった。
それは言い変えれば俺はこれから、
学校に行かなければいけないということだけど。
夏休みなのに課題のせいで登校とは嫌になる。
しかも家から遠いという二重苦だ。
ただ愚痴ったところで、学校が来てくれるわけでもないし、
課題が進むわけでもない。
さらに言えば、渋々でも準備を始めないと作業時間まで無くなってしまう。
はぁ、とりあえずシャワーを浴びてくるか……
鞄に携帯ゲーム機を突っ込むと、俺はお風呂場へと向かった。
そうしてシャワーを浴び終えリビングに戻ってくると、
そのままソファーに座り込む。
髪の毛、乾かさなきゃ。
俺は洗面所から持ってきたドライヤーのスイッチを入れ、温風を吹き付けた。
そろそろ髪の毛も伸びてきてたよね。
でもこれはいつも妹に切ってもらってるし……
来月まで我慢しないと。
俺は長くなった髪を邪魔に感じながらも、じっと乾かし続けた。
やがてそれも終えると、
なんとなくテレビのリモコンに手を伸ばし、電源を入れる。
その途端にどこか見覚えのある風景が画面に映し出された。
どうやらローカル番組がやっていたようで、この町を取材しているらしい。
「ご覧下さい、ここが守留町の御繰川です!」
御繰川といえば、この町に流れている大きな川のことだ。
夏場は子供たちが遊んでいる姿をよく見かける。
俺は何かあったのかと、テレビに注意を向けた。
「この御繰川。実は先日の土砂崩れによる影響で、川底の地形が変わってしまったようなのです」
そういえば……
この前の異常気象のせいで土砂崩れが起きていたな。
お姉さんの言葉を聞いて、少し前にあったその出来事を思い出した。
「そのため水流にも変化が起こり、場所によっては急激に流れが速くなっているみたいです」
御繰川は子供たちの遊び場になってるくらい、
もともと流れが緩やかな川なのだ。
それがどんなふうに変わったのかとテレビを見てみるが、その様子はいつもと何ら変わらない。
綺麗な川面が穏やかに流れているだけだった。
見た目だけじゃ分からないのかも。
でも本当に流れが速くなってるなら、危ないんだろうな。
気を付けよう。
特に行く予定もないのだが、そんなことを思いがら立ち上がると、ふいに時計へと目が行く。
あっ、もう12時じゃん……
俺はテレビを切って、そそくさと着替えに袖を通し、急いで家を出た。
――ミーンッ、ミーンミンミンッ、ミーン
駅に向かう途中、全身汗まみれ。
夏はもう終ろうとしているのに、まだこんなに日差しが強いなんて。
帽子でも被って来たほうがよかったかもしれない。
そんな後悔が湧いてきた。
でも……
いまさら帽子のために戻るのも面倒だよね。
このまま行こう。
俺は脇に並ぶ田んぼを眺めながら、ひたすらその通りを歩いて行く。
駅前に着くまで、ほとんど景色が変わることはない。
守留町は農家が多いうえに、とんでもない田舎だからな。
唯一景色に変化が生まれるとしたら、御繰川に差し掛かる辺りだろう。
もっとも今は流れが速くなっているとテレビでは言っていたが。
そんなことを考えながら歩いていると、見覚えのある女の子を見つけた。
あれ……
カナちゃんだ。
お出かけなのか可愛いワンピースを着て歩いている。
俺は彼女に近寄り、声を掛けた。
「カナちゃん、どこか行くの」
「あっ……おにーちゃん」
彼女は透き通った瞳で、こちら見上げてきた。
「これからね、御繰川に行くの」
「えっ、御繰川。カナちゃん、今の御繰川は流れが速くなってるから危険だよ。行っちゃダメ」
「で、でも今日の川はいつもと違うんだよ。あれがみつかるかもなんだよ。おにーちゃん!」
あれ?
あれって何だっけ。
カナちゃんのあれと言えば……
ああ、あの話か。
まだカナちゃんはあれを探してたんだな。