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《遠い、星が窪》


 星が窪までは看板の指示通りに歩いて行くだけだった。


 ただその看板が曲者で、道中には国交省の立てた案内標識と集落の住民が立てた案内板が入り乱れていて非常に分かり辛い。


 星が窪まで残り2.8kmと書かれた住民お手製の看板を越えたと思ったら、大分歩いてから残り3.0kmと表示された道路標識が現れたりする。


 歩けども歩けども中々縮まらない距離表示に、僕の精神はガリガリと削られていた。


 もうすでにかれこれ一時間は歩いているのだが、まだ星が窪は見えてこない。


 明美さんの説明によると星が窪は隕石が落ちて出来たと言われる窪地で、今はキャンプ場になっているのだそう。


 僕はそれを聞いてキャンプ場だから麓の川沿いにでもあるんだろうと勝手に思い込んでいたのだが、予想に反して看板の示す矢印は山の上へ上へと伸びている。


 それにしてもなんで、所要時間の2倍が過ぎても辿り着かないのか。


 ここに来て、僕ははたとその理由に思い至る。


 則ち、幸雄さんの言っていた往復1時間とは星が窪に車で行った場合にかかる時間だったんじゃないかと。


 そりゃそうだ。農家レストランまで軽トラで来ていたのだから、星が窪にだって車で行くだろう。


 それなら、徒歩の僕は一体どれくらいの時間がかかるのか。


 看板のせいで歩いた距離すら曖昧なため、見当も付かない。


 最初は片道30分だと思って景色を楽しむ余裕もあったのだけど、今は蓄積されていく足の疲労でそれどころじゃなかった。


 これでは田植えとお使い、どちらが楽だったかわからない。


 僕は腕に伝わる弁当の重みに苦しみながら、憂鬱な気分でノロノロと歩き続ける。


 そうして星が窪に辿り着いたのは、結局、更に一時間が経過してからのことだった。










「――や、やっと着いた?」


 ログハウスに扮した公衆トイレを坂の上に発見して、僕はキャンプ場への到着を予感する。


 思わず小走りになりながら山頂までの最後の坂を駆け上ると、微かに人声が聞こえてきた。


「これは……歌、かな?」


 キャンプ場の入り口からは花壇の道が続いていて、僕は歌声に導かれるようにまだ何も咲いていないその花道を抜ける。


 そうしてキャンプ場の広場にまでやって来ると、歌声は明確に聞き取れるようになった。


 これは一昔前に話題となった、携帯会社のCMソングだ。


 夢見る少女がずっと探し続けていた運命の人に出逢う、確かそんな感じの歌詞。


 その曲を、本家よりもずっと透明感のある声で歌い上げている。


 僕は歌声に引き寄せられ、広場の端にまで達する。


 そこには10m程の急な下り坂があり、その先に少年野球のグラウンドくらいは入りそうな大きい窪地が広がっていた。


 これが噂の、星が窪だろう。


 隕石が落ちたと言われる星が窪の中心地には、雨水が溜まって池になっている。


 その池を囲う柵により掛かるようにして声の主は歌っていた。


 ボーダーのシャツに深緑色のジャンパーを羽織った、同い年くらいの女の子。


 さっきまで作業をしていたのだろう、肩までかかる髪は後ろで一つに束ねられ、首には手ぬぐいが掛けられている。


 たぶん彼女が、明美さんの言っていた――


「――なに?」


 いつの間にか歌は終わり、僕の視線に気付いた少女がこちらを向いていた。


 彼女の吊り上がった瞳が、正体を見定めようと油断なく僕を見つめている。


 ヤバい、今の僕って彼女から見たらまるで覗きの犯人じゃないか。


「そ、その誤解で――って!? うわあああああああ」


 慌てて釈明しようとした僕は、目の前が急斜面であることを忘れて身を乗り出す。


 結果、体勢を崩し、転ばないよう必死で坂を駆け下りるはめに。


 広場から池の畔まで到達したところで、僕の空回り気味の足がようやく止まる。


 顔を上げるとそこには、僕の醜態を不審な目で見つめる少女。


 何か言わなきゃと動転した僕は、つい要らないことを言ってしまう。


「いや、ええっと――歌、上手いんだね?」


 馬鹿か僕は! これじゃ盗み聞きしていたと認めるようなものじゃないか!


「………」


 少女は僕を不審者だと判断したのか、何も言わずに立ち去ろうとする。


「ちょ、ちょっと待って!」


「わたし、早く戻らないといけないから」


「僕は明美さんにお弁当を渡すよう頼まれてきたんだよっ」


「……明美さん?」


 少女は明美さんの名前を聞いて、ようやくまともに聞く耳を持つ。


「そうそう。明美さんが言ってた祈里って、君で合ってるよね?」


「……そう、だけど」


「はいこれ、お弁当」


 また不審者扱いされて受け取り拒否でもされたら堪らないので、僕は直ぐ様手にしていたお弁当の片方を少女に渡す。


「それじゃ、僕はこれで」


 ここで一緒に和気藹々とご飯を食べるのは無理だ。


 如何せん、ファーストコンタクトが酷過ぎる。


 僕は自分用のお弁当が入ったもう一つの袋を隠すように持って、元来た道を戻ろうとする。


 しかし少女は少し迷う素振りを見せた後、それにストップをかけた。


「……お弁当、あなたの分もあるんでしょ。食べてから帰ったら?」


「え……いいの?」


「何をそんなにオドオドしているのか知らないけど、わたしは別に怒ってないから」


 そう言って彼女は早足で僕を追い越すと、キャンプ場の広場にある屋根付きのピクニックテーブルへと陣取る。


「ほら、座ったら?」


「お、お邪魔します」


 僕は言われるがままに丸太椅子へ腰掛け、ビニール袋からお弁当を取り出してテーブルに広げる。


 初対面の人間とこんな気不味い雰囲気でご飯を食べることになるとは。


 せっかくここまで苦労して運んできたお弁当なのに、なんとも報われない。


「明美さん、頂きます」


「……頂きます」


 少女はお手拭きでしっかり手を清めると、手を合わせて食事の挨拶を口ずさむ。


 僕もそれに習って挨拶し、手を合わせる――その瞬間、少女の箸が閃いた。


 彼女の箸は何故か僕のお弁当へと伸び、メインであるチキンカツを奪い去る。


「ちょっと、それ僕のチキンカツ!」


「拝聴料」


「そんなっ!?」


 彼女は僕の抗議を無視して豚カツを口に運び、咀嚼する。


「ああっ……」 僕のチキンカツ……。


 確かに僕は彼女の歌を盗み聞きしてしまった。しかし、元はと言えばこいつが大声で歌っていたのが悪いのだ。僕は勝手に歌声が耳に入ってきただけ、不可抗力じゃないか。なんでチキンカツを奪われなきゃいけないんだ。


 胸中では彼女に対するチキンカツの恨みが渦巻いていたが、実際にその怒りをぶつけるようなことはしなかった。


 だって、女は恐ろしい。奴らは一攻撃すれば十やり返してくる生き物なのだ。僕はそれを母親で学んでいた。


 泣く泣く、僕は残った脇役のオカズで白飯を食べ進める。


「――それで、あなたは何しに来たの?」


 お弁当を大方食べ終えた頃、僕は少女からそう尋ねられた。


 またさっきの件を蒸し返すのか。今度は盗み聞きした罪で何を取るつもりだ。


「だから僕はただお弁当を届けに来ただけで、決して盗み聞きするつもりじゃ」


「そうじゃなくて。あなた、この地域の人じゃないでしょ。こんな田舎に何しに来たの?」


 ああ、なんだ。そういうことか。


 僕は庇うように持っていたお弁当をテーブルに戻す。


「うちの父親が小原さん――幸雄さんと知り合いで、田植えの手伝いに来たんだ」


 僕は父親が幸雄さんの取材をしていたことから、ここに至るまでの経緯を簡単に説明する。


「……そう。それで、田植えは済んだの?」


「いやあ、お弁当届けてって明美さんに頼まれたから」


「してないんだ。サボり」


「んなっ、それはないだろ。お前のためにわざわざ届けに来たんだぞ」


「お前じゃない」


「はぁ?」


「わたし、小原祈里。あなたは?」


「……柳瀬、高俊だけど」


「うん。高俊、お弁当ありがと」


「――っ」 いきなり名前呼び捨てかよ。


 呼び捨てしてきた当の少女はなんでもない顔をして、食後のフルーツに手を伸ばす。


 くそっ、意識している僕が馬鹿みたいじゃないか。


 彼女に負けじと僕は無心でお弁当を食べることに集中した。


「――はい、ご馳走さま」


 小原がお弁当を食べ終わり、立ち上がる。僕はまだデザートのオレンジに取り掛かったところ。


 そういや、小原ってここまで何で来たんだろう? もし車でお迎えが来るのなら僕も一緒に乗せて行って貰おう。なんせ車は楽だ。徒歩で片道2時間の道が車だと30分だもんな。文明の利器バンザイ。


「ねえ、小原はここまでどうやって――」


「――祈里」


「え?」


 急に言葉を遮って、自分の名前を主張してきた小原に僕は戸惑う。なんだ一体。


「小原ってこの地域には沢山居るから、名前で呼ばないと誰のことを言ってるのかわからない」


「ああ、確かに幸雄さんも明美さんも小原だっけ」


「そう。だから名前で呼んで」


 いきなり女子を名前呼びとか、慣習のない僕にはキツイんだけど。


 僕はしばらく黙秘を貫いたが、ジッと見つめてくる彼女の視線に根負けして目を逸らしながらポツリと呟く。


「……祈里さん」


「さん付けとか気持ち悪い」


「普通逆だろ!?」


 せっかく言われた通り名前呼びしてやったのに、なんだよその言い草は!


「いいから、これから名前は呼び捨てにすること」


「ああもう分かったよ――祈里。これでいいんだろ」


 僕は頭をガシガシ掻きながら、彼女の名前を言う。


「分かればよろしい」


「はぁ……それで話を戻すけどさ、祈里は星が窪まで何で来たの?」


「螢一おじさんの車」


 よし、来た。これで僕は二時間かけて下山せずに済む。


「それじゃ、帰りもそのおじさんが乗せて帰ってくれるんだよね?」


「螢一おじさんは草刈りが終わってすぐ帰っちゃったから、もう居ないけど?」


「えっ」


「それがどうしたの?」


「……じゃあ、祈里はどうやって帰るのさ」


「自転車も何もないんだから、歩きに決まってるでしょ」


「嘘だろ……また歩くのか……」


 僕はぐったりとウッドテーブルに突っ伏す。


 往復4時間の登山なんて、明日絶対に筋肉痛で動けないぞ。


 なんでお使いなんて引き受けたんだ2時間前の僕。大人しく田植えやっとけよ。


 僕が頭を抱えて過去の選択を悔やんでいると、片付けを終えた祈里はピクニックテーブルの屋根の下からスッと出て行く。


「それじゃ、わたしはこれから農家レストランの手伝いがあるから」


「いや、徒歩なら帰り道一緒だろ?」


「早く帰らないといけないから、近道するもの」


「え、そんなのあるの? ちょっ、僕にも教えて!」


「地元の人だけが知ってる抜け道だからダメ。じゃあね、高俊。長い下り道だけど頑張って」


 そう言うと祈里は僕が来た方向とは逆、キャンプ場の奥地へと向かって駈け出した。


「いや祈里、待ってって!」


 慌てて僕はビニール袋にお弁当を放り込み、祈里を追いかける。


 すでに彼女は窪地の坂を上り終えていて、まだ坂の下にいる僕からは姿が見えなくなる。


 遅れて僕が窪地から脱した時には、祈里はもう山のどこかへと消えてしまっていた。


「……え。これってまた、片道2時間コース?」


 こうして僕は一人、悄然としながら元来た正規ルートを戻ることになったのだった。




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