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《農家レストランでの一幕》



 農家レストラン『棚田の里』は、小洒落たログハウスのようなお店だった。


 耕作放棄された棚田のスペースを活用した一階建ての小さなレストランで、中には座敷が一つと四人がけのテーブル席が二つ。そして外には、眼下の棚田を一望出来るテラス席が二つ設けられている。


 その開放的なテラス席に、件の小原さんは座っていた。


 春と言ってもまだ肌寒い時期。丸テーブルの上には湯気を立てるお茶が置かれている。


「どうも、小原さん。ご無沙汰しています」


「ん? ああっ、柳瀬さん! こりゃどうも!」


 小原さんが僕らに気付いて立ち上がる。


 肉体労働をしているだけあって小原さんはガタイが良かった。


 シャツの上からでも上腕二頭筋や大胸筋がその存在を主張している。


 定年退職して富豪地区で農業を始めたという話だったから、すでに70近いはずなのに全く老いを感じさせない。年相応なのは大分寂しくなった頭だけだ。


「今日は一日、お世話になります」


 こちらも最近髪が薄くなり始めたうちの父親が、小原さんに軽く頭を下げる。


「いやいや柳瀬さん、むしろこっちが頭下げないかんくらいで。もうワシらも歳ですから、自分と母ちゃんだけで稲植えるとなると腰が痛うなって困ってたんですわ。やから柳瀬さんたちに手伝って貰えるとワシらとしても大助かりなんよ」


 え。この人でも腰が痛くなる作業って、どんだけキツイんだよ田植え。やりたくない。果てしなくやりたくない。


 しかし、うちの父親は僕の気持ちなぞ無視して返事をする。


「そうですか? ボクらに出来ることがあったら何でも言って下さい」


 おいこら、勝手に約束するなよ。僕に出来ることなんてお茶汲みくらいだぞ?


「おお、こりゃあ頼りがいのある助っ人や! ところで、そっちの別嬪さんは奥さんかえ?」


 小原さんが顔を母親の方に向けて尋ねる。実に田舎のおっちゃんらしい話しの振り方だ。


「ああ、うちの妻です」


「主人がいつもお世話になっております。妻の節子です。こっちは息子の――」


 ほら、挨拶しなさいと言わんばかりに母親に背中を押される。分かってるって。


「――高俊です。よろしくお願いします」


「お父さんに似て、賢そうな息子さんや。何歳かね?」


「15です。今年で高校生になります」


「そうかそうか。……うん? 15歳やったら道隆さんとこの祈里ちゃんと同い年やな」


 小原さんが独り言のように呟く。


 ふうん、富豪地区にも僕と同い年の奴がいるのか。この集落では幼稚園と小学校しか見掛けなかったから、中学生は町の学校へ出て行っちゃって富豪地区には残っていないもんだとばかり思っていた。


「へえ、高俊と同い年の子が?」


 父親が、僕と同じ疑問を小原さんに投げかける。


「そうなんよ。自分は富豪の集落に残るんや言うて、一人だけここから町の学校まで通ってなあ。本当、地元想いのええ子なんよ。いつもこの農家レストランで手伝いまでしてくれて――あれ、そういや今日は見かけんな。どうしたんやろ。おーい、明美ちゃん!」


 小原さんは農家レストランとテラスを繋ぐガラス戸を半分程開けると、厨房に向かって叫んだ。


「――なによ、幸雄さん?」


 十数秒後、三角巾を被った気の強そうなツリ目のおばちゃんが厨房から顔を覗かせる。


「なあ、今日は祈里ちゃんどうしたんや?」


「祈里ちゃんなら今日は『星が窪』の草刈りと花植えよね。そうそう、ちょうど良かったわ! 幸雄さん、祈里ちゃんにお弁当届けてくれん? あの子、いっつも最後まで『星が窪』に残るやろ? 毎回お昼に帰って来れんでご飯食べ損ねてばっかりやから、可哀想やきお弁当用意したんよ。持って行って!」


「いやあ、ワシも持って行ってあげたいんやけど、これから柳瀬さんたちと田植えやから」


「柳瀬さん?」


「ほらワシ、この間新聞で『仁淀グリーン』を取り上げて貰うたろ? こちらがその時の記者さんで、柳瀬さん」


「ああ、あの記事書いた! どうも、ここのレストラン任されてる小原明美言います。そこの幸雄さんとは同じ名字やけど勘違いせんといてね。別にお嫁さんとかじゃないき」


「ちょっと明美ちゃん、その言い草はどうかと……」


「しかし困ったねえ、せっかくお弁当作ったのに」


 シラッと小原さん――幸雄さんの抗議を無視した明美さんは、頬に手を当てて思考する。他にお弁当を届けてくれそうな宛がないか考えているのだろう。


「別にボクら、お弁当届ける間くらい待ってますよ?」


 見かねて、父親が助け舟を出す。


 しかし幸雄さんは渋い顔のままだ。


「いやーでも、『星が窪』はここから結構遠くてなあ。往復1時間はかかるんよ」


「幸雄さん、お客さんを待たせてまでのことじゃないき。別の人探すから気にせんといて」


「おう、そうしてくれ。すまんなあ」


 そう言って明美さんは僕らに会釈すると農家レストランの厨房へと戻って行く。


 幸雄さんは申し訳無さそうにしながらそれを見送り、ガラス戸をカラカラと締める。


 そんな時、父親が僕の肩をせっついた。


「おい、高俊」


「なにさ?」


「お前、代わりに行ってきてあげたらどうだ? さっき散歩したいとか言ってただろ」


「そうね。高俊、ちょうど同い年の子なんだしお弁当届けてあげなさいよ」


「ええっ」 なんだって僕がそんな面倒臭いことを!


 僕のあまり気乗りしていない様子を見て、父親がコソッと耳打ちしてくる。


「良かったな、これで田植えをサボる口実が出来るぞ」


 ……なるほど。そういうことなら話は別だ。

 

 僕は早速、田植えとお使いどちらが楽か考える。


 幸雄さんは『星が窪』まで往復1時間だと言っていた。田植えはお昼の休憩までのおよそ2時間仕事。しかも動きづらい泥の中で屈んでの作業だ。舗装された道をただ歩くだけのお使いの方が100倍楽だろう。


「あの、すみません」


 そうした打算を済ませた僕は、意を決して幸雄さんに声をかける。


「うん? どうした? ええと、高俊くん」


「そのう……僕がお弁当を届けに行ってもいいですか?」


「えっ? 高俊くんがかえ? なんでまた」


「いや……ええと、富豪地区ってすごい景色がいいじゃないですか。僕もちょうど散策してみたかったんです。それに、同い年の子なら僕も仲良くなれるかもしれませんし。だから、もし良ければ僕に行かせてくれませんか?」


 僕はなんとか適当に理由を見繕う。全ては田植えをサボるために。


 名前しか知らない女子よ、すまんが僕のサボる言い訳になってくれ。


「しかしそんな、お客さんにお使いさせるなんて」


「幸雄さん、気にせず使ってやって下さい。誘って頂いた幸雄さんには申し訳ないですが……」


「いや、わしはいいんやけど……本当にええんか? 高俊くん」


「はい。田植え、手伝えなくてすみません」


「それはええよ。本当やったらワシと母ちゃんでやる作業なんや。柳瀬さんと奥さんだけでも十分人手は足りてる。そうやな、それじゃ高俊くんにお願いしようか」


 幸雄さんは再び、ガラス戸を開けて厨房に向かって叫ぶ。


「明美ちゃん! 柳瀬さんとこの息子さんがお弁当持って行ってくれるそうや!」


「あら、そうかえ! そりゃ助かるわ! ちょっと待ちより、坊やの分もお弁当用意したげるから」


 厨房から明美さんの大きな声が返ってくる。どうやら僕が代わりに行くことは了承して貰えたようだ。


 良かった、これで大手を振って田植えをサボれる。


「――幸雄さん、これつまらないものですが」


「いや奥さん! そんな気を遣わんでも良かったですのに」


 問題が片付いたのを見て、大人たちは社交辞令へと戻る。


 そんな3人を尻目に、僕はこっそりガッツポーズを取る。


 今回の小旅行の鬼門、田植えを思わぬ形でクリア出来た。最早僕に怖いものなど――母親くらいしかない。


「高俊、何か失礼なことを考えてない?」


「はははっ、早くお弁当届けに行ってあげないとなあ!」


 人前のためか笑顔で威圧してくる母親から、僕は逃げるようにして店内へと繋がるガラス戸を潜ったのだった。




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