ひどいゆめをみている
風が吹き抜けて、しばらく使わなかった縫い針に触れたときを思い出す。静かで鋭利な冷たさが、もうすぐそこに次の季節があるのだと教える。
行儀が悪いとわかっていながら、セイラはベンチの上で小さく折りたたむように足をあげた。膝を抱えて、乾燥した肌のシワをなんとなしに眺める。
2ヶ月前の深夜1時、セイラはここで同じ格好をしていたところを、巡回していた警察官に見つかった。
かろうじて名前が言えるくらい、身元を示すものはポケットに入っていた近くの学園の生徒証のみ。ここがどこだかもわかっておらず、なんでここにいるのかも覚えてなかった。
持ち物は、パーカーの右ポケットに入っていた生徒証と小銭入れ、反対側に入っていた古臭い鍵の束と、身につけていたメガネとネックレス、いっぱいつけたピアスと指輪。それと、地方の土産物屋に置いてあるような小さな剣のキーホルダー。
髪の色は暗いけれど、目には金色のカラーコンタクト。爪は黒く塗られ、短いスカートからのぞく脚には紋様のようなタトゥー。なぜか足は裸足だった。
どこからどうみても、不良少女が逃げ出してきた図。
だから警察官は初め、家出した高校生だと判断した。何かの事件に巻き込まれたのかもしれない。どこかから裸足で逃げ出すような出来事が。そう思って、いた。
その少女が、学園に在籍した記録がまったくないと知れるまでは。
菊池セイラと書かれた、学園のものであると証明されるはずの写真と一緒に生徒証に施されたプレス。
その形を指でなぞって、セイラは軽くため息をついた。
なにもかも覚えてない。それは嘘じゃない。
だって、私はこんな平和なセカイをしらない。
暗くなるまで公園を遊びまわる子供たち。
夜中まで煌々と光るコンビニの灯り。
深夜まで走る電車。
綺麗に舗装された道路。
整然と並ぶ街路樹。
ここは、とっても平和で美しい。夢を見てるみたい。
「でも、すっごく、さみしい…っ」
会いたいよ、パパ、ママ。待っててね、必ず帰るから。
それまで、生きていてね。もうちょっとで、戻るから。
◆◆◆◆◆◆
先ほどまで炯々としていた街頭が点滅した。まるで何かの合図のように、規則性と不規則性をもって。
不安定な視界から、冷気が這い寄ってくる。
明るくなる度に影が大きくなっていった。
ふくらんでいく不自然な闇が、ぱかっと口を開ける。
「おまえたちに居場所なんてないよ。」
私に居場所がないように。
この世界には、この平和な夜には、私たちが入っていい場所なんてない。
「おまえたちは闇へ還ればいい、戻れる場所があるのだから、私が送ってやる!」
鈍色の鞘から抜き放たれた刃が鋭利な光を宿す。
怪しく蠢く闇の塊がカタチをとった時、セイラの身長を軽々と越えて倍近くになった。
2ヶ月前は裸足だったが、今は編み上げの革ブーツがしっくりと馴染む。靴底が砂利をなぶる音が遠くに聞こえる。
装飾のついた柄を痛いほど握りこみ、その剣先をしっかりと闇にむけた。
バケモノはセイラへ襲いかかる。覆うように広がる闇に、セイラは迷わず斬りかかった。
◆◆◆◆◆◆
学園の好意で在学が許されたセイラは、時計の針が天頂を指すのを心待ちにしていた。
あと三分が長いんだよな、と思いつつ窓際に座る友人に目を向けた。
相手も同じようなことを思っているのだろう。視線が絡んで、知らずに口角が上がる。
「はい、じゃあ今日の授業はここまで。菊池、蓮見、おまえらちゃんと聞いてたかー、昼が待ち遠しいのはわかるが先生傷付くぞー。ハイきりーつ、れーい、チャイムなるまで座れ!」
化学お決まりの由賀ちゃんスペシャル挨拶(由賀先生命名)を聞き流し、チャイムに備える。
ここでできた友人、蓮見和とはお互いに信じられないほど馬が合う。旧知の仲のような気がしてくるほど、行動も思考も手に取るようにわかった。
だから、この視線の意味なんて考えずともわかる。
3.2.1
「「Go!」」
チャイムが鳴り始めると同時に立ち上がって教室を出る。
廊下を走ると隣に並んだ蓮見が笑った。
「おーいおまえら、廊下ははしるもんじゃねーぞー。」
由賀先生の間延びした声が後ろから聞こえたが、関係ないとばかりに空いている窓から飛び降りた。
「セイラの身体能力には驚かされるわー。ワタシ以外で初めて見るわよ、2階から飛び降りても何ともないコ。っていうかアンタ女の子なんだからスカート抑えるくらいしなさいよ、いくら黒タイツ履いてるとはいえ、見てるこっちは居た堪れないわ。」
第二ボタンまで開けたシャツを、それでも暑いと中に風を送り込んでいた蓮見が言う。少し長めに伸ばしたウルフカットの髪をかきあげている。胡座をかいた膝の上に置いた麦茶が汗をかいてスラックスにシミを作っているのを見て眉をひそめた。
見た目は立派な男子高校生だが、蓮見は好んで女言葉を使う。
「いいじゃん減るもんでもないし。それより天むすが食べれないことの方が私にとっては問題。最優先は天むす、OK?」
「OK alright、アンタが食い意地張ってんのはよぉくわかった。だから食べながら喋るのやめなさい、汚いわ。」
エビ天のしっぽをくわえていたセイラは、中に身が残ってしまったのがわかって肩を落とした。
もったいない、今日はしっぽも食べちゃおう。
「セイラは本当に天むす好きねえ。毎日よく飽きないわ。」
自分のカツサンドに手をつけ始めた蓮見が呆れた目をこちらに向けてきたので、睨みつつ二つ目の天むすに手を伸ばす。
「いいじゃん天むす美味しいし。蓮見もカツサンド好きでしょ。いちごミルクなんて日に何リットル飲んでんの。」
セイラが言い返すと、蓮見は持っていたペットボトルの麦茶の底で額を小突いた。
今日は麦茶だと言いたいらしい。
「話変わるけどさ、アンタどうすんのこれから。」
一つ目のカツサンドを食べ終えた蓮見は、麦茶を口に含んでからセイラに視線を向けた。
「探してるんでしょ、帰る方法。なんだってそんなトコに帰りたいのよ、コッチにずっといればいいじゃない。」
「蓮見…」
「そんな危険な真似し続けて、傷だらけになって、アンタの守りたいものは守れるかもしれない。でも、誰がアンタのことを守るの。さっきも言ったけど、アンタ女の子なのよ。無理しなくってもいいじゃない。帰らなくっても、コッチで幸せになれるのよ。」
蓮見には、自身の境遇を話していた。
というより、蓮見は何も言わなくても察してくれていたから、話さなければいけないと思った。
「蓮見、私ね、ここに来れて幸せだった。」
ここは本当に平和だ。
建物は崩れていない。硝煙の匂いもしない。無理矢理奪われていく命も少ない。
なんて素敵な、夢の世界。
だけど、セイラがいた世界は違う。
毎日多くの命が失われた。毎日どこかの街が滅んだ。毎日なにかと戦っていた。毎日生きるために必死だった。
「こんなに幸せな生活に長く浸ってたら、私きっと腐っちゃう。守りたかったものを忘れちゃう。それじゃダメなの、私は、私だけは戦い続けなきゃいけないの。」
この世界に来た日、私は絶望した。
自分が必死に戦っていた裏で、こんなに平和な世界があったことに絶望した。
酷い夢だと思った。現実はあんなに厳しくて辛いものなのに、この夢は優しくて幸せすぎて、酷い。
「あそこには、私が大好きな家族がいるの。私だけがパパとママを守れるの。だから、戻らなきゃ。あっちに天むすはないけど、パパとママはあそこにしかいないもの。」
だからセイラは、せめてこっちに居られるあいだだけでも天むすをたくさん食べて置きたい。蓮見と話していたい。
勉強だけを教えてくれる学校で、授業を受けたい。
「蓮見、私、明日の夜帰るよ。方法はもうわかってるんだ。今までありがとう。楽しかった。」
「そっか…そう、明日の夜なのね。」
蓮見は何も言わずに聞いてくれた。
もう決めたことだから、応援しようとしてくれている。
セイラには、本当に蓮見の考えていることが手に取るようにわかった。
受け入れられないほど幸せな世界で、たった唯一全て受け入れられた彼だから、分かり合えることができた。
「明日は学校サボって遊びに行こう、こっちの世界のいいところ、いっぱい紹介してあげる。」
笑った蓮見の目尻に光るものが見えたが、見なかったふりをした。
◆◆◆◆◆◆
幸せだった。とても、幸せだった。
「蓮見、蓮見!ちょっと…目をあけて!蓮見!」
これは罰だ。そう思った。
◆◆◆◆◆◆
菊池セイラは瓦礫の上に立っていた。
薄氷や琴線よりしっかりしていて、脆い足場だと思う。
「ごめんね、蓮見…ごめんね、ごめんね…!」
蓮見和は白いベッドの上に寝ているはずだ。
「助けるから、必ず…助けるからね、蓮見。蓮見は、戦わなくていいんだからね。戦うのは、私だけでいいの。」
セイラはまたこの世界に立った。
パパとママのいるこの世界に。守りたいものがたくさんあるこの世界に。
そのせいで、蓮見をこちらに連れてきてしまったけれど。
そのせいで、蓮見は目を覚まさないけれど。
「菊池、そう思い詰めんな。大丈夫だ、ちゃんと、蓮見は俺が連れて帰るから。」
「由賀先生…由賀先生も、ごめんなさい。巻き込むつもりなんて無かったの。一人で帰るつもりだった…!」
セイラと蓮見が学校をサボって遊んだ“最後の日”、始まりの公園で蓮見と別れたセイラはそのまま公園に留まった。
陽が沈むまで遊んで、月が高いところに来ていた。
蓮見は、一人で残ったセイラを心配して戻ってきてしまった。異形の闇と戦うセイラのもとに。
由賀先生は、近所のコンビニに買い物に行く途中だったという。近道に突っ切ろうとした公園で、セイラから逃れようとした闇に標的とされた。
由賀先生を庇ったのは蓮見だった。
そして、3人でこちらに来てしまった。
残していくべき二人を連れて、セイラはまたこの地に降り立った。
「本当に、ひどい夢ね…」
セイラはまだ、ひどいゆめを見ている。
私の想像力じゃこれが限界だった




