シンクロ(同調)
回復した男、毬藻。
連絡の途絶えた吉良・・・・ジャズバー・・・
半径一キロ以内には、美術館、オーケストラ会場、音大、と
客が入る要素が、全て揃う。
「ここが、本当に私の店?」
「店内の内装は、お前の好きにすればいい」
ついこの間まで、腕を競い合い盛んに行われていた、ライブハウス
でのバンド少年、少女たちによるライブ。
防音設備は十分だった。
ジャズバーを持つという女の夢が今目の前にある。
「また笑った、今度はもっと濃い匂いがするわ」
「十分なだけの金は振り込んだ、また連絡するよ」
吉良が走り去った後、すれ違いでやって来た
一級建築士の肩書のある名刺を差し出す男が言った。
「遣り甲斐のある仕事だ、宜しく」
「確か・・・先週の・・」
テレビ番組で・・・・・・・・・。
「見てくれましたか、吉良さんに頼まれちゃ、どんな仕事も
後回しだ、命の恩人だからね」
ガランとした店舗の中で、女は何度も思い描いていた
自分なりのイメージを、名刺にあった雪野という名の
建築士に伝えていった。
「さっそく当たってみます。中々のセンスの持ち主
とは聞いて居たが、面白い」
「問題はピアノですね」
「すべて吉良さんが話を付けてあるそうで、一階の
床を一度壊します」
「そんな・・・・」
余程無理を言って頼み込まなければ、・・・・女は
吉良に連絡するが、何度かけてもガイダンスが。
数百メートル離れた路上に、真っ二つになったスマホが落ちていた。
次の日の朝刊の片隅に、埠頭に浮かんだトラック運転手の男
という記事が載っていたのを、幸来たちは知らない。
男は歩けるまで回復を見せていた。
「ちょ、何処に行くんですかまだ駄目です」
「見つかっちまったか」
「ちょっと目を離すと・・・ポッケの中、預けてください」
渋々毬藻の手の平に、財布と車のキーが載せられる。
「明後日まで我慢してもらいます」
「明後日?」
「実家に帰る休暇をもらいました」
「俺の行きたいのは君の家じゃないぜ、北海道さ」
「だから実家です」
そうか毬藻か。
「わかった、その代り」
「目、目を閉じてください」
触れるか触れないか、の唇。
「仕事が終わったら来ます、だから・・・」
「居るよ」
「居なかったら先生に、セクハラされたと伝えますから」
「そいつは怖いな」
毬藻は悪戯気に苦笑しながら出て行った。
暫くの間、庭先の木の枝でじゃれ合うムクドリの
やり取りを見ていた男が静かに目を閉じた。
静かになった室内に安心したのか、片方のムクドリが
窓辺に飛び移った。
暫く、右に左に傾げていた首が、木の枝に向いた。
ほぼ同時に、寝返りを打った男、木の枝から飛び立ったムクドリ。
驚いたムクドリが、飛び立ったムクドリを追い、飛び立った。
ほんの数秒空いたドアから、眠っている男を確認した毬藻が
くすくすと笑いながら静かにドアを閉めた。
にやけた顔で、男の持っていたキーを顔の前で
チャラチャラと振る毬藻だった。
俺は、窓辺の鳥の声で目を覚ました。
左手に感じた違和感。
左手を広げてみる。
小さなメモが握らされている。
(起きたら、鏡を見てください)
毬藻が買ってきたのだろう。
病院には不釣り合いに見えるスリッパが、揃って置かれている。
ベッドから滑り出た俺は其のスリッパを履き鏡に向かった。
「なるほど・・・・」
映った顔の唇、一回り小さな口紅の跡。
確かめるように、それを指で触れながら苦笑した俺は
洗面台の蛇口を捻り、それを洗い流した。
何時もより、まだ三十分は早い。
開け放たれたドア。
「朝食取ったら、支度してください」
「手作りか・・・どういう風の吹き回しだい」
「先生が一日早く休暇をくれたんです」
言いながら出される、靴下、上着、明らかに自分好みとは
言い難い衣類。
「これ、毬藻が・・・?」
「似合うと思って・・・気に入らなかった?」
「いや、幾らだった」
「私からの退院祝いです」
「わかった・・その代りと言っては何だが、昼食は俺に
恰好付けさせてくれ」
「はい・・もう少し済ませることあるから、着替えててください」
あれだけ血まみれだった、シャツとパンツ。
クリーニングが済まされ、バッグに収まっている。
腕のいいクリーニング屋だ、そんなことを思いながら
来てみた服に思わず首を傾げてしまう。
「今流行りか・・・それにしても・・」
含み笑いとため息が止められなかった。
「お~、来た時とは別人だ、すっかり毬藻色だな」
「気持ちのいい子だな」
「おお、お前にしちゃ真面な意見だ」
「ほっとけ」
「ここも、今じゃすっかり毬藻色だ、患者も院内が
明るくなったって言ってる」
「先生、済みました~」
「おう、ゆっくり親孝行して来い、ソイツ何に使ってもいい」
「はーい、これ」
受け取ったキー。
「これ・・違うぞ」
「毬藻に言ってある、レンタカー屋に置いておけばいい」
腕を組んで来た毬藻が見上げる。
「行きましょうか」
昨日見た時は、空白部分の多かったホワイトボード。
びっしりと、少々丸味がかった文字で患者の予定が
書き込まれていた。
「これお揃いなんですよ」
カラフルなキャップ。
これで毬藻のコーディネイトが完成するのだろう。
素直に受け取ったそれを、そんな思いで被った俺だった。
ゆっくりと閉まったドアの向こう。
「さ~て、おれも毬藻の自信作って弁当で朝飯とするか」
デスクの上で開かれた弁当。
「何だこれは」
誰もいなくなった院内に、笑い声が響いた。
「そそっかしいのは、変わっとらん」
白米の上、鮮やかな色でハート形のそぼろ。
何も知らなかった男は、普通の弁当を食ったのだった。
毬藻は、空の弁当箱に、満足だった。
車内での毬藻の笑顔が、知る由もない勘違いの中
男に向けられていた。
遠く離れた地で、知り合ったばかりの男に思いを寄せる
二人、徐々に二人を引き付けていくのは何なのだろう。
そしてまたもこの、別人のようなファッションに身を包んだことが
男を危険から回避させるのである。
まさに、シンクロと呼ぶに相応しい姉妹の
不思議な力が、少しずつ見え始めていた。
真っ直ぐに向かう空港までの道で、黒服たちの
乗った車とすれ違った二人は、北海道に向かう。
教授の口から出る、思わぬ人物の名前に、男は
驚かされることを、まだ知らない。
その頃、不安を拭い切れぬまま、マンションの一室で
店内に飾られるであろう歴代のジャズシンガーたちの
レコードを整理する女の姿があった。
一本の連絡を受けた。
連絡の付かなかった吉良が、取り壊し中の学校
を見つけてくれたとの雪野からの一報だった。
真実はわからないが、安どのため息が出たのも確かだった。
好きな個所の材料を・・との相手方の好意に
雪野と待ち合わせをした女は、マンションの
ドアをロックし、いつも吉良とそうしていた
ように、キーをある場所に隠しておいた。
ヒールが床を打つ音が、エレベーターに消えた。
「吉良を・・・・そうだ、捜査の目は綺羅に向く、頼むぞ」
「言われた通り、ニューヨークに向かったんだろうな」
「先程、空港に送って行ったと・・」
「うむ、・・・いつもの料亭抑えておけ」
「済んでおります」
見事に手入れの行き届いた庭園の、鹿威しが辺りに音を響かせた。
戻った竹筒に再び清水が溜まり始めていく。
一匹の蜘蛛が、そのすぐ隣の池に落ちた。
小さな波紋が広がっていく。
ゆっくりと近付いた黄金色の魚体、一瞬のうちに
浮かんでいた蜘蛛の姿は、水面に消えた。
待ち受ける吉良に迫る危険を、知らせるかのようにも見えた。
その出来事を、はらりと舞い落ちた紅葉が作った
小さな波紋が、広がり消していった。
女のバッグで、振動があった。
「はい・・・」
「行先はNY、吉良が危ない・・・」
ッーツ―ツー・・・。
「す、すいません、今日は一人でお願いします」
「あっ、・・・・・・」
信号待ちだった車から、飛び降りるように出た女は
素早く見つけたタクシーに手を上げた。
走り去るタクシーを、雪野は茫然と立ち竦み見送っていた。
読み辛かったかも知れません。
こんな感じで続きますが、宜しくお願いします。
またお会いしましょう
不器用な黒子