最終章 timeaftertime
この話はここで最終話といたします。
あれから二年後。
音音のピアノに合わせ、サックスを吹く男。
カウンターの中では、バーテンダーがカクテルグラスを磨いている。
カランッ、ドアが開く。
スーツ姿の客が、同じくスーツ姿の女性をカウンターから
一番ピアノが良く見える席へ座らせた。
「何になさいますか」
「そうね、お勧めで」
「俺は、滴るような血の色で頼む」
常連客が、ぽつぽつと顔を出し始める。
「これを音音さんに」
カウンターの男から受け取ったグラスを、女はピアノの上に置く。
空になったグラスを手にした女に、音音がウインクした。
中断したサックスの男が、カウンターの男にほほ笑んだ。
「俺にも一杯くれないか」
「バーテン、やってくれ」
出されたグラスをグイッと一気に煽った男が
深く息を吸って、再びピアノに合わせ始める。
時刻が十時半を回った頃には、カウンターと三つのテーブルを囲む
席は、すべて埋まっていた。
時々休憩を入れる音音が、テーブルに着く。
席を立つとき、音音の手に小さなメモ書きが。
次の休憩で着いた席でも、それは同じ。
次も同じ。
ピアノに着けば、そのメモに書かれた曲を弾く。
それを楽しみに、やってくる常連。
何度聞いても飽きない、口々にそう言う常連。
満席の札が掛けられているはずの、ドアが開く。
時々酔った客と呼ぶには似つかわしい者も来るが、
その人物を見た常連の誰もが、笑みを返す。
バーテンダーが、大きな荷物を抱えた人物に
アンティ-クなチェアーを出す。
荷物はケース。
膨らんで括れ、また膨らんだケース。
取り出された、深い味わいのある艶やかな木目の
バイオリン。
ピアノの前で、それを取り出した女にウインクする音音。
サックスの男も同様に。
おんながゆっくりと音を奏で始める。
今度はピアノがそれに合わせる。
追いかけるサックス。
客からの注文が、増え始めた。
此処までで、誰一人帰ろうとする者はいない。
時々席を立つ者はいるが、トイレか注文に行くだけで
また自分の場所だ、と言わんばかりに席に着く。
「来たか」
カウンターの男が、振り向きもせずドアの呼び鈴の音に
耳を澄ませて言った。
ブロンドの髪を後ろで結い上げた、外国人女性。
数か所ダメージを受け破れたまんまのジーンズに
ジャズシンガーの顔が大きくプリントされたシャツ
の背中、サングラス。
ボタンは一つしか止められていないそこからは
ボディ-ピアスと、ブラジャーが覗く。
水着かも知れない。
バーテンダーが、そんな彼女にグラスを渡した。
その拍子に、グラスの壁に当たったロックアイスが
音を奏でる。
ピアノの前のステージに、歩み寄った彼女。
一瞬会場が、何の音もなく静まる。
おんながグラスを掲げた。
どの客の手にも、バーテンダーの手にもグラスが。
店内に響いたグラスを打つアイスの音。
女が丁度CD一枚ほど歌い上げた頃になって
ようやく何人かの客が、席を立った。
バーテンダーが、ドアに掛けられたプレートを
裏返した。
「凪、喉カラカラ何か頂戴」
「順に言ってくれ」
それぞれが頼んだ酒が、カウンターに並んだ。
「まさかお前とこうして店を持つなんて
小説の話しみたいだな」
「殺しかけた男と、殺され欠けた男か・・確かにな」
「そんなこと言ったらこっちもそうね、恩人だった
私が助けた彼女の彼に、彼を助けられて今こうして
同じ店の中で働いているんだから、しかも妹さんと
演奏まで」
「私なんて、あの時誰かの電話で車を飛び降りなかったら
死んでたんだから、今だに誰からの電話か解らないけど」
「音音、本当にまだ気付いて居ないのか」
吉良が含み笑いを浮かべ言う。
「吉良はわかってると言うの?」
「なあ幸来」
バイオリンケースを抱え立ち上がった。
「さあ・・・どうでしょう」
隣のスーツ姿の男に目を向ける。
「俺も今の話で分かっちまった」
「もう本人忘れてるかも知れないけど」
吉良の電話に私の番号・・・・そうか・・・。
「ニッキ・・・あなたね」
「会ってみたかった、それが理由だったかな」
「ここに居るみんながニッキに・・本当に小説の中みたい・・」
「明日は早い、俺たちは帰るぞ」
「空港でな」
音音が、そのあとを追った。
「俺たちも帰るか」
スーツ姿の二人が立ち上がる。
「毬藻、日高に行ったらお父さんによろしくね」
「姉さんこそ、美味しいワイン待ってる」
「先に帰っててくれ、掃除終わったらすぐに帰る」
カウンターから出た凪が、二人の女性に言った。
店内に流れるジャズソングを聞きながら、床にモップを走らせていく。
カランッ・・・。
「もう閉・・・・・うそだろ・・・」
「いい店ね・・・ニッキの言った通り」
いつの間にか裏返してあったプレートが。
ど・・どうぞ。
凪の憧れ・・・店の名前・・・シンシア。
シンシア ステファニーローバー、が本名。
「ブルックリンのワインが飲みたいわ」
凪の手が震える。
「一人で飲むの?」
凪は震える手で自分にも。
店内のミュージックを、止めた。
暫くして流れた曲、スローテンポな曲・・・。
「サックスは出来る?」
吉良に教えたのは、凪だった。
凪はサックスを手にした。
「一曲合わせて・・・」
彼女がステージに立った。
ベッドに横になって
時計の音を聞き
あなたのことを思うの
繰り返しの輪に
捕まってしまった
その混乱は
何も新しいことはないの
以前の焼き直しだわ
温かい夜は
ほとんど終わっちゃった
記憶たちのスーツケース
時が流れて
時々あなたは私の事を
思い浮かべるわよね
私はとても先まで
歩いてきてしまった
あなたが呼んでいる
あなたが言っていることは
聞こえない
そして言うの:
“ゆっくり行け”って
私は遅れてしまうの
秒針が巻き戻るわ
もしも迷ったら、
見てみなさい
そうしたら私を
見つけられるわ
何度でも何度でも
もし遅れてしまったら、
あなたを追いかけるわ
待っていてあげる
何度でも何度でも
私の写真が
色あせた後でも
そして暗闇が
灰色に変わっても
窓から外を眺めて
あなたは、私が
大丈夫かを思うのでしょう
心の深く奥底から
秘密は盗まれた
時間切れだと
ドラムが鳴るの
もしも迷ったら
見てみなさい
そうしたら私を
見つけられるわ
何度でも何度でも
もし遅れてしまったら、
あなたを追いかけるわ
待っていてあげる
何度でも何度でも
あなたは言うの:
“ゆっくり行け”って
私は遅れてしまうの
秒針が巻き戻るわ
もしも迷ったら、
見てみなさい
そうしたら私を
見つけられるわ
何度でも何度でも
もし遅れてしまったら、
あなたを追いかけるわ
待っていてあげる
何度でも何度でも
凪にとって、夢のような誕生日になった店内で
ニューヨークの歌姫の声が響いた。
この時のツーショットが、今も店内の客を
見つめている。
お時間をこの話に使って下さった方々へ
本当に有難うございました。
いつか本当に自分の小説でお会い出来たら・・・・・・
貧乏作家を夢見つつ・・・またお会いしましょう。
不器用な黒子でした