四話:新しき家族
朝日が燦燦と窓から差し込まれる部屋の中でハジメと巨躯のメイドという異様なシチュエーション。
金縛りよろしく全く動けないハジメにそのメイドは窓から離れベッドに向かってくる。そのスッと歩み出す洗練された立ち振る舞いは彼女(?)がメイドであるという事実を否応無くハジメに叩きつける。
近づいてくるお山に遥か彼方に吹っ飛ばされたハジメの理性が息も絶え絶え戻り、ハジメはベッドの上で退避行動を取ろうと起き上がろうとする。しかし自分の体がとても重く思うように体に力が入らないことにようやく気が付いた。
「ああ、まだ動かれてはいけません。」
ハジメの行動に慌てたメイドは歩を速め近づくが、その足は地響きを起こしても可笑しくないのにまるで水の流れのように自然足はこびなのだ。
「まだ無理は禁物ですよ。四日間も床に就いていたのですから。」
ハジメの肩をその巨大な手で押さえられ優しくベッドに戻され、肌蹴たシーツをハジメにかける。
「四日間!?」
「はい、あ、申し遅れました私はハンス・リュ―ウィッヒと申します。あなたのお名前を伺ってもよろしいですか?」
そう名乗るとハンスは丁寧に礼をした。
「あの、僕は藤堂朔と言います。」
「トウドウ・ハジメ様?失礼ですがどちらがファミリーネームでしょうか?」
「トウドウです。」
「それではトウドウ様、お体の具合はいかがですか?もしあれば遠慮せず私にお申し付けください。」
そこでハジメはふと気がついた。目の前のインパクトのあるメイドさんのおかげでその事が頭に入ってきていなかった事。
ハジメは首が動く範囲で周りを見回す。ハジメの寝ているベッドは簡素な作りではあるが生地はとても良いものが使われているのかいたく肌触りが良い。また部屋の様相も窓際に机が置かれているだけで明らかにハジメの部屋ではない。
そして今、目の前にいるメイドさんも人間かどうかはさておき日本人にはとうてい思えない。
置かれている状況を確認し、ハジメの顔はだんだんと青くなる。その表情の変化は第三者が見ても分かるほどだ。
「大丈夫ですか?顔の色がよろしくないようですが。」
「はい、あの・・大丈夫です。気にしないでください。」
「それでは何かお食事をお持ちしますのでお待ちください。」
そう言うと扉の前で深くお辞儀をするとメイドは部屋から出て行った。静まり返る部屋でハジメは腕を顔の上に乗せていた。
「くく、これは笑えない冗談だよな。」
巨大なワニに襲われた夢が現実ならば恐らくここは日本ではない。そればかりか自分がいた世界でもないだろうとハジメはそう確信していた。なぜならもといた世界にあんな戦車のようなワニはいなかったし、か細い少女が自分の背丈程の剣を易々と担いでいるなどありえない光景だ。
そしてハジメのベッドの横にはそれらが夢でないという証拠が置かれている。ハジメが寝巻きの変わりに着ていた白いジャージ。今は血に塗れくすんだ褐色の色に染め上げられていた。
それから暫くしてハンスがスープを持って部屋に戻ってきた。皿からは暖かな湯気が上がっている。だるい体をハンスの手伝いにより何とか起き上がるとスープを口に含んだ。それは本来とてもおいしいはずなのだが今のハジメには味わう余裕は無くスープを飲み終わると睡魔に襲われハジメは再び眠りについた。
―――――――
ハジメはマンションにいた。小さな頃に住んでいたマンションだ。その一室のリビングでハジメは再び小さな男の子と向かい合っていた。
男の子はじっとハジメのことを見つめ、その無機質な顔を彩る赤い瞳はどこまでもハジメの心を見透かすようだった。その双眸に朔はとても耐えられず目を背けた。
男の子は徐に両腕をあげハジメに歩み寄ってきた。その様子は親に抱っこをせがむ子供のようであった。しかし朔は顔を引きつらせ後退するが直ぐにリビングの壁に阻まれ退路を絶たれてしまった。男の子は直ぐ目の前にいる。
「やめろ、見るな。来るな」
それでも男の子は両腕を上げ朔ににじり寄る。
「僕に・・・僕に触るなーーーーー!!!」
目を瞑り雄叫びを上げた朔の手前で男の子は動きを止める。
目を瞑っていたためそのような動きに気付かずにしばらく朔はじっとしていた。やがていつまで経っても何も起こらないのをいぶかしみ恐る恐る瞳を開ける。
そこにはもう男の子の姿は無かった。
―――――――
「はあ・・はあ・・はあ」
シーツを肌蹴させ荒い息遣いをしながらハジメは目を覚ました。窓の外は明るく日は割りと高いようだ。
(夢か・・・・・。)
二日連続で見る男の子の夢。それも自分が小さい頃の姿。
「はあ・・・冷静に考えれば何子供の頃の自分にビビッてるんだ、僕は・・・。」
夢とは言え異常なまでの反応をしてしまった自分に若干恥ずかしく思いつつ起き上がる。
(今は夢の事なんかよりもこれからどうするかを考えないと。)
そこでハジメはふと何かの気配を感じ枕の横に視線を送りギョッとしてしまった。
そこにはチョコンと座る黒い子狐がいた。ふかふかで手触りの良さそうな毛に覆われ、愛らしく円らな紅の瞳が覗いている。ハジメと視線が合うと三叉のふさふさとした尻尾をフリフリしてハジメの膝の上に乗ってスンスンとしきりに嗅いでいる。その仕草にハジメの心は打ち抜かれた。
「か・・可愛いいいーーー!!なんだ、この生き物。尻尾が三叉だけどそれを越えて可愛する!!!」
「クルルルル」
子狐を抱き上げ顔に寄せるとハジメの頬をペロペロと舐め甘声を上げる。するとハジメのテンションもぐんぐん上がっていく。
「おー、よしよしよし。よしお前の名前は・・・・クロだ。クロー、ああ良いな、癒される。」
「クルルルルル」
コンコン
ドアをノックっする音が部屋に響きクロにメロメロになっていたハジメは我に返った。
(やばい・・)
クロを急いでシーツの下に隠すと同時にドアが開けられた。
「失礼するよ。おや、目を覚ましていたのだね。具合はどうかな。」
男性は髭を蓄えた男性で白髪混じりの金色の髪にグレーの瞳で穏やかな雰囲気をまとう。そしてその後からあの巨躯のメイド、ハンスが入ってくる。ハンスは椅子一つをハジメのベッドの脇に置くとドアの脇に控えた。
椅子には男性が腰掛朗らかな笑顔でハジメに向き合った。
「やあ、初めまして。私はテウストラ家当主ロイス・アルデ・テウストラだ。」
「ハジメ・トウドウです。」
「ああ、宜しくハジメ君。早速だがハジメ君はどこから来てなぜシュティルの森にいたのか聞いても良いかな?」
その質問にハジメは考える。正直に答えたとして信用してもらえるだろうか。
「えっと、信じていただけないかも知れないのですが、僕は日本という所の生まれでして、朝目が覚めたらそのシュティルの森でしたっけ?その森の中でいきなり大きなワニに襲われて僕もなぜあそこにいたのかわからないんです。」
「ワニ?ああ、それはレンドラのことだね。そうか、分からないのか・・・・。」
「そうなんです。信じられないかもしれませんが。」
ハジメの口調は自信なさげに目を伏せてしまった。
「ああいや、いいのだよ。ところでそのニホンというのはどういう国なのかな。君が着ていたその生地を見させてもらったのだが見たこともない生地でね。その上この縫い目の正確さから見てもかなりの技術が発展した国なのかな?」
「そうですね。恐らくそうだと思います。」
この世界の文化・技術レベルはよくわからないが、ロイスやハンスの衣服を見る限りでは中世のヨーロッパくらいの印象を受ける。しかし何と説明したらいいのか分からず押し黙るハジメにロイスは言葉を続ける。
「ハジメ君も不運だったね。何、私は君を無下にしようという意思はない。ただ、君の両親も心配していると思ってね。詳しく聞きたかったのだよ。」
ハジメの言動には所々違和感があることにロイスは眉をしかめずにはいられなかった。まずレンドラのことをワニという聞きなれない単語を使い、森にいたことも本人は分からない。それなのに故郷はここからずっと遠いと言う事を知っている。
記憶喪失も疑ったが自分の名前も覚えているのでその可能性も薄い。嘘をついているとしてもこのよう見え透いた嘘など誰にでも分かる。
残る可能性は一つ。それはハジメがこの屋敷に担ぎ込まれる前日、つまり五日前に起きた事との関係だ。四日前にシュティルの森で何者かによる大規模な魔術行使あり大穴が穿たれたのだ。残念ながら行使した者達は術に巻き込まれたのか発見することは出来ず術は失敗したと誰もが考えていた。
(しかし、こうして翌日彼が現れたのは偶然としては出来すぎていると考えるのが妥当だな。術の行使者の一人か。それならばカシュロウの氓との関係を考えるべきだが・・・)
「ところでハジメ君、君に見てもらいたい物があるのだが。ハンス!」
ドア脇に控えるハンスを呼ぶと小箱を受け取り蓋を開けた。ハジメは覗きこむように箱の中をみるとそこには手のひらより小さい銀色の十文字を呈した銀細工が入っていた。
(十字架?いや十字架というよりも手裏剣みたいだな。)
キリスト教の十字架よりも交差する棒と棒の交差部分から均一に伸び例えるならば×印に近いとハジメは感じた。
「触ってみるかい?」
興味深げに箱の中を覗くハジメにロイスは提案した。もしハジメがカシュロウの氓であるならばこれからする行為は絶対に許さないはずだとロイスは考えていた。
十文字の銀細工を掴み上げ差し出されたハジメの手の平に置く刹那
カランカラン
銀細工はハジメの手をすり抜け床に落下した。もちろん落としたのはロイスがわざと行ったことだ。信者であるのなら自らが信仰する神のシンボルを汚されれば激昂するなりそれ相応の反応を示すはずである。
(さあ、ハジメ君はどうする?)
「あ、あの・・・・ごめんなさい!!」
「!?」
「わざとではないんです。言い訳にしか聞こえないかもしれないですが、まだ病み上がりで手元が覚束ないというか、ととにかくごめんなさい!!」
ハジメの反応はロイスが予想していたのとは真反対だった。激昂するわけでも罵倒するわけでもなくまさか謝罪されとは思ってもいなかった。
「いや、気にしなくいい。私にも落ち度があったからね。ハジメ君、これが何か分かるかね?」
「いえ。十字架か何かですか?」
その反応はどうやら演技ではないようだ。それは長年人を相手に商売をして培った目だからこそわかる。
彼はこの銀細工の事を知らないということはカシュロウの氓の可能性は極めて低くなる。
「これはね、カテナと言うのだ。カシュロウの氓はわかるかい?」
「いえ・・・」
「そうか、では基本的なことから説明しようか。この大陸ウェルドの殆どの地域ではトルナ神を崇拝するトルナ教で占められている。
神代の時代にトルナ神がこの地上におわしたこの世界はとても平和だった。ところがその平和を打ち砕く存在が現れた。それがカシュロウだ。」
そこで一拍おくとロイスは話を続ける。
「カシュロウは黒髪に紅の眼を有し、神にも匹敵する力を以ってこの大陸を蹂躙しようとした。しかしトルナ神はそれを許さず兵を挙げ、カシュロウは蛮族を引き連れ壮絶な戦いを繰り広げた。そして激戦の末カシュロウを打ち破ることは出来たがトルナ神はその時の傷により地上を去った。
しかしカシュロウの意思を継ぐ者達が現れた。それがカシュロウの氓だよ。彼らはカシュロウのように黒髪でこのカテナを持っていたのだ。」
「持っていた?」
「そうだ。先ほどの話にはまだ続きがあるのだよ。今から60年ほど前にトルナ教とカシュロウの氓が激突したのだよ。いや、一方的な虐殺と言った方が正しいのかもしれない。トルナ教会はこの地を守りカシュロウの災厄から人々を守るためカシュロウの氓を聖戦の名の下に殺していったのさ。
まあ、神代の時代から数百年の時が経っていたからね。多少蟠りはあったがカシュロウの氓は私たちと変わらず一般生活の中にいたのだよ。しかし聖戦が始まり、カシュロウを信仰する者、黒髪の者は捕らえられ審問も無く処刑された。今では黒髪を持つ者などそうそう目にしなくなった。」
「そんなの酷い。」
「ああ、そうだね。確かに酷い。だが彼らも救われたのではないかな。」
「?」
「生まれながらにしてカシュロウという軛に縛られ、多くの者が後指を指されて生きていく。それをトルナ神が開放してくれたのだ。」
「なっ・・・!?」
「そしてトルナ神に使える我々はそれを手出すけをすることができたのだ。これほど誉れのある事は無いとは思わないかね?」
「そんな訳が無いだろう!!」
ハジメはロイスの胸ぐらを掴み叫んでいた。
いくら世界が違うとは言え、価値観、宗教観が異なるとは言え現代日本で育ったハジメにはそれらを受け入れる事は出来なかった。まして神を盾に人を殺すという道理に嫌悪の念を覚える。
「トウドウ様落ち着いて下さい。お体に障ります。」
ロイスの胸ぐらを掴み食い付かんばかりのハジメの手をハンスが制していた。そこでハジメは我に返り慌てて手を放した。
「す・・すみません。」
狼狽しつつもハジメは頭を下げ自らの行為に後悔した。この異世界で危機から救ってくれた恩人に手を上げたこともそうだが、ここを追い出されれば今のハジメにとってはデメリットが大きい。だがどうしても言わなければ気が済まない。
ハジメは顔を上げロイスの瞳を真っ直ぐ見据え、ロイスも真顔でハジメの瞳を見つめる。
「ですが、神の名の下に人を殺すのは間違っています。僕には人殺しの理由を神に押し付け自らを正当化するのは人の欺瞞にしか思えません。それは本当に神を信仰していると言えるでしょうか?」
視線をはずさずロイスに自分の思いをぶつけ、暫く沈黙がする。
「くく・・・はははは、いやすまない。そうだね君の言うとおりだと私も思うよ。」
突如笑い出したロイスをハジメはポカンと見つめ、そこでハジメはロイスの真意に気がつくと恨めしそう見る。
「いやいや、気分を害したなら謝ろう。申し訳なかった。既に気がついているとは思うが君を試させてもらった。君の人となりを見たかったからだ。話を聞く限りでは君には少々特殊な事情があるようなのでね、それを全て聞き出すには時間を要すると思ったのだ。だから先に君と言う人を見定めたかったのさ。」
「そうだったんですか。」
そこでハジメは力が抜けベッドのヘッドボートに凭れ掛かった。
「ところでハジメ君、もし君が良ければこの屋敷に滞在するといい。家族にも紹介したい。」
その言葉は今のハジメには願っても無い言葉であり、既に答えは決まっていた。
「ご迷惑でなければ是非お願いします!」
「そんなに畏まることは無いよ。ハンス!」
ロイスはドア付近に待機する巨人メイドの名前を呼ぶと、ハンスはそれだけで主人の意図を汲み取りドアを突然開けた。
「きゃっ!?」
「わ!?」
ドアの支えを失い二人の人物が倒れこんできた。どうやらドアに耳をあて会話を聞いていたのだろう。
しかしロイスはその事を特に気に留めた様子も無くにこやかに二人に話かける。
「私の娘と息子だ。さあ、二人とも新しい家族に挨拶なさい。」
二人はバツの悪そうにしているが立ち上がりハジメの顔を見ると笑顔を向ける。
「初めましては可笑しいわね。改めまして、私はフィルス・フラス・テウストラです。」
少女はそう言うとスカートの端を軽くつまむと挨拶する。その姿にハジメは目が釘付けになってしまっていた。それは森でハジメを助けてくれた人。
森では軽装の鎧を身に着けていたが今はワンピースに色はサックスブルーを基調とした清楚な感じであり、それを真珠の髪により華やかさを醸し出していた。
「は、初めまして僕はマチス・クラウ・テウストラです。よ、宜しくお願いします。」
緊張しているのか少々顔を赤らめ挨拶をする少年。歳は10歳位だろうかロイス譲りの薄金の髪とあどけない中性的な顔立ちである。
「ハジメ・トウドウです。こちらこそ宜しくお願いします。」
そうしてハジメは二人の顔をみると会話か途切れた。
(あれ、何だろう?会話が続かないぞ。そして何故二人とも顔を赤らめているだろう?)
訝しげに二人の顔を見つめると二人とも視線をそらした。
「はは、いたし方あるまい。健全な男子の証拠だ。」
ロイスの言葉にふとハジメは思い出し自分の下腹辺りをみる。クロがいるであろう所は小山になっておりこれは見ようによってはというよりは誰が見ても誤解する構図だ。
「違います!違うんです!待って二人ともそっぽ向きながらゴニョゴニョと話を展開させないで!!」
シーツをガバッと取り小山の正体を見せるとクロはすやすや丸まって眠っていた。
「ね、わかったでしょ。・・・・二人とも目を開けて、真実から目を背けないで!!」
「ほお、これは・・」
ロイスの興味深げな反応にフィルスとマチスはさらに瞼に力を込めた。
「シカタガナイワ。ハジメモオトコノコダモノ!!」
「ショウガナイヨ。ハジメサンダモノ!!」
「お願いします。僕に弁解させて下さい。そしてマチス君、君とは後でお話しする必要があるようです。」
「二人とも心配はいらないよ。目を開けて見てご覧。」
父親の言葉だからなのだろうか、フィルスとマチスは恐る恐る開ける。
「な、この子って可愛いー!!」
フィルスはクロを抱き上げると自分の腕に抱えた。
「姉様そんなに触ったら。お父様、この子は魔獣ですよね?」
「恐らくそうだろうね。ハジメ君、この魔獣はどうしたのかね?」
「朝、目が覚めたら脇にいました。」
「どこからか迷い込んできたのかした?きゃは、とても人懐っこいわ。」
抱き抱えたクロに頬を舐められ嬉しそうにするフィルス。
おっかなびっくりしつつもクロの背中を撫でるマチス。
「しかし、まだ子供か。大人しく害意もなさそうだから問題はあるまい。」
そんな二人に暖かく見守るロイス。
(家族か・・・・)
先ほどロイスは自分の事を新しい家族と呼んでくれた。その言葉にハジメはどこか落ち着かない気持ちになっていた。
新生活がスタートと思ったらようやくベッドを抜け出すところまでしかいけませんでした。
次回から、次回から本当に始まりますので。