五 初戦
嵐町の大通り。沈みかけの太陽が町の景色を橙色に染め上げ、長屋に影が落ち始める。
商店は店先のかがり火に灯油を注ぐ。未だ商店を回る者もあれば、家路に付く者もいる。
その雑踏の中を、ふらふらと歩いて回る男があった。
月光殲が一人、蓮離れである。
彼は敵の巫覡を探し歩きながら大通りを物色していた。
ふと、彼はひとつの店先に気を取られる。
それは、植木を売る商店であった。
店先に並んでいるのは大小様々な植木たち。黄色い花を咲かせるものもあれば、血を吸ったように真っ赤な花を無数につけたものもある。
「物騒な花だなァ。町民もこんなものを好むのかい」
彼はそんな風に独りごちる。
彼には花を愛でる、と言う感覚がほとほと理解できなかった。
喋りもしないし、動きもしない。
こんなに鮮血のような真っ赤な色をしているのに、少しの殺しにも役に立たない。挙げ句の果てに売り払ったところで大した金にもなりはしない。
そんな塵のようなものをなぜ金にも幸福にも満たされた奴らがこぞって買いにくるのか、彼は理解に苦しむと思いながら一蹴して、またふらふらと離れて行こうとする。
が、真横で熱心に植木を見ていた者の会話が、蓮離れの意志をわずかに乱した。
「ねえ、ご覧なさいな、このお花。とっても綺麗よ」
「本当だ。これは立派なツツジだね」
「ねえ、まるでりんごみたいに素敵な赤だわ」
二人の夫婦らしき男女が、先ほど蓮離れが卑下した花を指差しながら近づいていった。
蓮離れが血のようだと思った赤は、女にはまったく持って別のものに見えているようだった。
「どいつもこいつも平和ボケしてやがる」
きっとこいつらは呪いなんてものも知らないんだろう。
呪いを扱う巫覡として生きてきた者たちのことなんて認識すらしていないのだ。
馬鹿らしい。
馬鹿が馬鹿なものを愛でるなんざ、呆れもんだと、彼は思う。
けれど蓮離れはどうしてか、そこから立ち去ることができなかった。
「このお花、母様に渡したら喜ぶかしら。母様は赤がお好きなのよ」
「いいんじゃないかい。君の母上は近頃体調を崩しているんだろう? このツツジを見れば、元気を出してくれるかもしれないよ」
「そうね。そうしましょう」
女は恍惚でうっとりするような目をツツジ、と呼ばれたその花に向ける。
男が手をあげて植木屋の店主を呼んだ。
二人はそれを、この場にいない誰かのために買おうとしているようだった。
「花は人にあげれば、喜ぶモンなのか」
蓮離れは先刻貰い手を見つけたツツジの横の、黄色い花を見やる。
どんなにじっと目を凝らしてみても、蓮離れにはそれが素敵なものとはどうしたって思えはしない。
彼はその黄色い花の植木を持ち上げてみる。
しかし、彼の手が植木にふれたその瞬間—
今し方彼が掴んでいた黄色い花が、まるで炎でも受けたかのように焼け焦げていった。
みずみずしい茎も、見事に咲いていた黄色の花弁も全て、無惨にも黒々しい灰となっていく。
彼の体に刻み込まれた呪詛が、花を枯らしたのだ。
「あぁ、そうだったな」
あっという間に枯れるた花と、垂れ下がった彼の袖から露わになった悍ましいまでの刺青を見て、周囲の人々が悲鳴をあげる。見れば先ほどツツジを買った夫婦も、蓮離れの顔を見て、化け物を見るような目を向けているではないか。
蓮離れは今一度、自分の身の上を思い出した。
賑わった町で笑う彼らは、所詮蓮離れとは違う。彼がこうして外に出て俗世と関われば、決まってこうした目を向けられるのだ。
「やっぱり俺には似合わねぇ」
彼はとうの昔に知っていたはずのその感覚を、再び思い知らされた。
「なんてこった! てめえなにしやがってんだい!」
店の奥から怒りで顔を真っ赤にした店主がずかずかとやって来る。
が、その時の蓮離れにはもう目の前の花など見えていなかった。
無論、植木屋の店主も、彼を狂った物の怪だと恐怖する周囲の人間も、すべて。
「……見つけた」
彼は不意に、鉢から手を離した。
まっ逆さまに地面に叩きつけられた植木は鉢ごと崩れて、無惨にもその姿を散らす。
蓮離れはその無骨な性格に反して、巫覡の匂いを嗅ぎ取ることに殊の外長けていたのである。
どれだけ人で溢れていても、彼にとっては関係ない。
彼はわずかな呪詛の匂いを嗅ぎ取り、捉えた獲物を決して逃さない。
蓮離れは心ここに在らずといったように店主にも落ちた鉢にも目を向けないで歩き出す。
「見つけた……見つけた見つけた見つけたァ!」
近頃の蓮離れはお偉方の呪殺ばかりで巫覡と事を構えることがないのに、至極退屈していた。
そんな彼にとって敵国の巫覡と戦を交えるなど幸甚の至り。
彼が決戦の初陣を飾ることになるのも、至極納得の話である。
では、そんな彼の目に止まったのは誰か。
花喬影が一人、柳緑の浴衣を見に纏う黒鷹である。
彷徨の時期たる少年らしい小柄な体貌に反して、いっぺんの曇りも無い翡翠の瞳には子供らしからぬ頑強な意志が宿る。
それは巫覡として黒鷹が経験してきた尋常ならぬ辛苦を、そして彼がただならぬ覚悟でこの巫覡の戦いに臨んでいることを思わせる。
黒鷹は自分の存在が敵に勘付かれたことに気づいて舌を打った。実のところ黒鷹は先に蓮離れを見つけ己が姿を現さぬままに呪い殺すつもりであった。
しかし実際といったらどうだ。
蓮離れの人間の域を超えた呪詛探知の才によって、自分は今まさに姿を晒す羽目になった。
こうなっては分が悪いと、黒鷹は迷うことなく退却しようとする。
しかし、蓮離れを前にそれは叶わなかった。
黒鷹は蓮離れに背を向けた途端、尋常のものでない恐ろしい空気の塊が自分に迫っているのを感じたのである。
これは逃げられない。
相対するしか術はない。
そう思った時にはすでに遅かった。
彼は振り返った瞬間、目前に蓮離れの狂喜に満ちた顔を見、指先まで余すことなく入れ墨の入った拳を受けた。
蓮離れの肌と黒鷹の肌が触れた瞬間、彼の体に稲妻が落ちたかのような痛みが走った。かと思えば次の刹那、それは肌が焼け爛れる火傷のような痛みへと変化する。
黒鷹はあまりの痛みに苦悶の表情を浮かべ、それでも如何にか受け身の姿勢をとると蓮離れと距離を置く。
彼は今一度自分の状況を確認しようと殴られた腹の部分を覗いたが、激しい痛みに反して肌は燃えることも火傷を残すこともなく常のままである。
それがなぜか、そして蓮離れの巫術がなんたるかを、彼は完全に理解した。
蓮離れの手に刻まれた入れ墨、それは手に留まらず捲られた腕の節々まで、果ては足元まで深く彫られていた。
よく見ると、今し方殴られた彼の右拳には「炎呪詛印」との文字が刻まれている。
炎呪詛印—人の肉体を内側から焼け爛れさせる呪詛の一種である。
そう、彼の体に刻み込まれていたのは入れ墨でありながら、ただの入れ墨ではない。
蓮離れは呪詛を身体中に刻みつけ、肌と肌の接触によって呪殺する感染呪術の使い手だったのである。
「随分とイカれた手法を使うんだな」
黒鷹は痛みなどまるで気にしない風を装って、蓮離れを笑い飛ばした。
蓮離れはへえとわざとらしく驚いて見せる。
「一文字一文字それは丁寧に彫って頂いたものだ。お前様はさぞ痛みに悶え苦しんでいるのだろう? 哀れな小僧よ」
「いいや、呪いの効果なんてのは大したことじゃない。イカれてんのは呪詛を全身に纏ってるあんたのことだ。常日頃呪詛に触れるなんて正気じゃない」
呪詛を彫る、ということ。それは単なる装いとしての入れ墨とはまるで意味が異なる。
他人を呪うほどの呪詛を己が体に刻むというのは、その呪いに絶え間なく晒され続ける痛みを蓮離れ自身が負わなければならないということと同義である。
蓮離れは全身に刻まれた呪いひとつひとつを今まさにこの瞬間も受け続けていたのである。
その痛みは常人には到底耐えられるものではない。それが複数あっては尚のことである。
黒鷹が彼を狂っていると思うのも、至極当然のことであった。
「へへっ、巫覡たるお前様の目にも俺が奇怪に映るとはなんたる愉悦! 俺はどうやら痛覚というのがはなから抜け落ちてしまってるようでなァ。きっと神様が与えてくだすったんだ。だがよ、不公平なことだとは思わないか。俺はもしも神に願えたんなら、こんな才ではなくあたたかな家族と食事に囲まれる平凡な身の上を望むんだ」
「未だそんな雑念に囚われているなんてな、巫覡として鍛錬が足りないんじゃないか」
「へへっ、そうかもなァ!」
蓮離れは再び右の拳を振り上げて、地面を蹴る。
今度は黒鷹も同じように拳を振っては蓮離れに近づいていった。
黒鷹の反応速度は遅い。若さに頼っただけの拙い体術だ。
「死ねぇ!」
蓮離れはその拳を黒鷹の額目がけて押し込んだ。
が、次の瞬間彼の拳が空を切った。
黒鷹が即座にしゃがみ込んだのだ。
蓮離れは、自身の下腹部を狙われるかと構えたがそうではなかった。
蓮離れはその時、まるで命を吹き込まれた生き物のように地面を蠢く己の影と、先ほど鉢を落とした植木屋の店主の影が結びついたのを見た。
蓮離れはすぐに黒鷹の体を蹴り上げようとする。
しかし、黒鷹の狙いはもはや蓮離れではなかった。
彼は蓮離れではなくまさに影が絡みついたその店主の方へ駆けていき、懐に忍ばせていた刀をその影の心臓部に深く突き刺した。
植木屋の店主と、蓮離れの体の同じ部分から同時に栓を抜いたように血が吹き出す。
蓮離れはそのあまりの痛みにうめいた。
黒鷹は二人の人間の影を結びつけることで、その命運を双方に対応させるという類感呪術の持ち主であった。
彼は逃げることを諦めたその瞬間から虎視眈々と、蓮離れと他人の影を結びつけられるその瞬間を狙い澄ましていたのである。
人々から悲鳴が上がった。
黒鷹はすぐに懐刀をしまいその場を離れようとする。
が、
「生きて帰ることなど許さんぞ。共に地獄に落ちようぞ!」
その足を蓮離れの左手が掴んだ。
蓮離れの常人離れした胆力はすさまじいものであった。彼は心臓から血を吹き出しても倒れず、笑って見せたのである。
ただでさえ腹に火傷のような痛みを抱えた黒鷹に、それ以上のどんな痛みが耐えられただろう。
「凶刃加身!」
「アアアアアアァ!」
黒鷹は火傷の痛みに加えて、全身を刀や包丁で皮を剥がれ、滅多刺しにされるような激痛に襲われた。もはや立つことは叶わない。
地面に倒れ痛みに呻く彼にとどめをさすように、蓮離れは再び左手で彼に触れた。
「すま、ない……」
それが黒鷹の最期の言葉となった。
彼はその短い人生を壮絶な痛みと共に終えた。
「無念」
そして、その死体に折り重なるようにして蓮離れも倒れた。
彼の心臓には到底修復できぬ大きな穴が空いていた。
いくら彼が全身を刺されるような痛みに耐えられようと、燃えるような痛みに挫けずとも、黒鷹の巫術で負った物理的な傷には耐えようがなかったのだ。
ついに両者が息絶えた。
嵐町の大通りは阿鼻叫喚の有り様である。
二人の巫覡の壮絶なる戦いが一分とかからず終結したことを誰が信じられよう。
これは巫覡が相見えた際の、その巫術の恐ろしさを両衆にとくと知らしめる戦いとなったのである。




