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般若の船  作者: 楠木夢路
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第二十一話

「奴はどれだけ人を欺いても、多くの人を殺めても良心の呵責など感じないのだ。罪悪感など微塵もないのだろう。悪いとも思わず平然としているのだから、動揺して尻尾を出すことなどない。倉田が云っておったであろう、奴は人の心を捨てたが故、常人では勝ち目がないと。だが私は『源之進ならば或いは……』信じたのだ。己を信ずることはできずとも、私は源之進ならば信じることができる。だからこそ腹が立つのだ。源之進、お前ほどの腕前なら常人とやらを越えて、右近を成敗できると信じたのだぞ」

 酒で赤らんだ源之進の潤んだ眼から涙が零れ落ちた。

「遠野、お前は……」

 格三郎も二人を見つめて熱い涙を拭った。

「それほどまでに、源之進を信じておられたとは……」

 源之進はぐいっとひと息に己が茶碗の酒を飲み干すと、空の茶碗を遠野に差し出した。

「私が愚かであった。遠野、私はお前のことをどうやら誤解していたようだ」

 遠野が茶碗を受け取ると、源之進はその茶碗に一升瓶を持ち上げてなみなみと酒を注いで「今宵はとことん飲み明かそう」と涙の跡のついたまま破顔した。

 遠野はごくりと注がれた酒を呑み「わかればよいのだ」とにやりと笑って更に続けた。

「だいたい、剣を持たずば、源之進に取り柄などないではないか。お前から剣術を取ったら、何が残ると云うのだ」

 聞いているうちに、機嫌よく呑んでいた源之進の顔がだんだん強張っていくのを見てとった格三郎がすかさず口を入れた。

「源之進とて取り柄くらいありましょう」

 遠野はさも驚愕した顔をして、格三郎を見返した。

「そんなものどこにあるのです。此奴ときたら、視野は偏狭、鈍感で観察力がない。まるっきり、愚鈍です。情に脆い上にお目出度いから、悪党に付け入られるのです。信念も義侠心も持ち合わせているにはいるが、何といっても腹の据わりが悪い。おまけに横着者だから誰かに尻を叩かれなければ動かないのだから困ったものです」

 酒がまわって饒舌になったのか、遠野の口は軽やかで止まることがない。

 源之進は会から顔をますます赤らめ、持っていた茶碗をどんと畳に置いた。

「遠野、お前という奴は。先ほどから黙って聞いておれば、結局、ただの悪口ではないか」

 源之進の怒りに、遠野は涼しい顔で応じた。

「一つでもほめてやったのだからありがたく思え」

「貴様という奴は……もう許せん」

 そう云った割に、源之進が遠野に殴りかかる様子はない。

 それどころか、己が茶碗をまた酒で満たすと機嫌のよい顔で飲み干した。

 格三郎は気を揉みながら事の顛末を見守っていたのだが、二人の様子に苦笑を漏らした。

「私はそろそろ暇する。お吉が心配しておるだろうから」

 遠野が「気を付けて」とにこやかに手を振ると、傍で源之進が「遠野、お前ももう帰れ」と怒鳴りつけている。

 遠野はといえば、腰を上げるどころかごろりと体を横たえた。

「私は今宵、ここに泊まると決めたのだ」

「また勝手なことを……。そんなこと聞いておらぬぞ」

「今云ったではないか。それに、お前が飲み明かそうと云ったのだぞ」

 言い争う二人は、格三郎が立ち上がったことにも気がつく様子はない。

(これなら源之進はもう心配ないであろう)

 格三郎はふっと微笑むと、二人の諍い合う声を背中に一人、源之進の屋敷に暇を告げた。

 外ではしんしんと雪が降っているばかりであった。


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― 新着の感想 ―
遠野と源之進の男同士の友情というか、憎まれ口を聞きながらもとてもいい関係ですね。 右近がまさかのーー、でも右近の境遇にも可哀想な所もありますね。 文章には心惹かれる所もあり、しみじみとした味わいがあり…
[良い点] 遠野と源乃進の関係がとてもいいですね。時代ものですけど最近でいうバディ感でしょうか、とてもよかったです。 右近には私も登場人物たちもwすっかり騙されてしまいました。今後、逃げおおせた右近は…
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