44
流れるクラシック……ではなく、どこか民謡的な雰囲気のあるフォークロック。みちるやはくりの好みとは違う、穏やかなロックを聞きながら、私は紫煙で灰と部屋を穢し、開封してしばらく経ったブランデーを注ぎながらYARNを開く。
「チッ」
YARNはメッセージ欄を開くたびに一瞬暗転するのが気に入らない。お陰で顔の火傷跡が嫌でも目に入ってしまう。
とはいえこのくらいは受け入れないといけない。そんな些細な事にイラついていたら、夜に窓を見る事すらできなくなるから。
イラつきを抑えるように煙を吸い込み、吐き出し。渇いた喉にブランデーを流し込む。鼻腔で混ざり合う、ニコチンとオーク樽の香り。気分がイラ立つ時はこの手で落ち着かせるに限る。
「ふふっ、良かったねみちる」
みちるからの連絡に思わず口がほころぶ。友達が三人増えたという報告に、四人でくっ付いて撮影された写真が添付されていた。
グーサインしている猫のスタンプを送って、次の報告、ひとみからの定時連絡に移る。
ギプスを外すような様子も、無理やりギターの練習をしようとする様子も無し。
みちるはきちんと治療をしようという意識があるようで、ひとまずほっとした。
永井みちる、という女は……私から見ても、かなりのギターキチだ。中毒者だ。私にとっての酒や煙草に、いやもしかしたらそれ以上に依存しているかもしれない。
その様子は、どのようなバンドだろうと、どれだけ重なろうと、どれだけ連続出勤になろうとトラを断らない様子からも見て取れる。
だから憧れた。だから嫉妬した。……だからバンドを組んだ。ギターに狂い、人生を全て捧げた女だから。
そしてこれからも、ギターの腕を磨き続け、演奏し続けるだろう。そう確信していた。
それだけに、治療よりもギターを優先するかもしれないと心配していたのだが……その心配も杞憂に終わってくれたようだ。ひとまず安心した。
確認の証として適当なスタンプ……猫がドラムを叩いているスタンプを送って、スマホをテーブルの、ブランデーが残ったグラスの隣に置いた。
怪我をした友達は治療に専念。とりあえず友人としてはよかったと安堵した。安堵したが……
「……これからどうしようかな」
みちるに非がある訳ではないが、みちるのせいと言わざるを得ない。こうも立てていた計画が潰れるとは思わなかった。
ひとみの上達速度が異次元なくらい速い……のは良い予想外だったし、曲もある程度揃えることができたのも行幸。
ただ、みちるが怪我をしてしまった……というのは、不意に飛んできた変数にしてもあまりにも影響が大きすぎる。
別にみちるを責める訳ではない。ただの被害者、同情こそすれそれ以外の感情は……不安と心配くらいなもの。
……みちるが長時間ギターに触れられない、というのが不味い。かなり不味い。
「……腕、落ちちゃってるよなあ」
三日サボれば素人でもわかるくらい腕が落ちる。と言われている。
もちろんみちるがサボっている、と言いたいわけではない。治療の為の、完治の為の不可抗力だ。だが不可抗力、仕方のないことだからといって……非情ながら、腕が落ちるのを防いでくれるという訳ではない。
病人の話をしよう。一週間寝たきりだった人間が元の筋力を取り戻すのにかかる時間は、寝ていた時間の約四倍と言われている。
それが全治二か月……ギタリストとして、それだけの時間触れられないというのはあまりに長い。
元の腕を取り戻すのにどれだけかかるのか想像もつかない。だからこその不安。なんとか女子高生というブランドが生きている状態でメジャーデビューをしたいところだというのに。
「……みちる?」
と、自分勝手なことを考えていたところで不意にみちるから連絡が来た。
『新曲完成しました』と簡素な文字と、MP3ファイル。相変わらず事務的なメッセージ。
「相変わらずだなあ」
乾燥をお願いします、と簡単な言葉で〆られているのに思わず笑ってしまう。
もう少し砕けて話してもいいのに。
スピーカーに繋ぎ、みちるが作った曲を再生する。
みちるが作った曲。私が作る、将来上達するのを見越してのスパルタなメロディとは違う、きちんと今のひとみの腕に合わせた、無理のない曲。
これを採用するかどうかはともかく、相変わらず完璧な仕事ぶりだ。
「……?」
だが、何かが引っかかった。
みちるが作る歌詞も曲も、いつもどこか暗い雰囲気というか、闇を感じさせるものではあった。だが今回の曲は、どこか暗すぎるというか……。
曲を中断し、みちるへ電話をかける。通話ボタンを押す。コール音。コール音。コール音……。
電話に出た。
「……みちる?」
『あっ、りっりんさん……あの、どうかしましたか? かっ、感想、メッセージ、えっと文章、で残した方が良いと思うんですけど……』
「……」
『……り、りんさん?』
声はいつもと同じ様子。相手を気遣い、怯える声。
だが、いつもとは違う。口下手で、人と目線を合わせるのが苦手な子ではあるが、人と話すのに飢えてるところがある筈だ。
途中で切ろうとなんて、しない筈だ。
「……いつもの曲と様子が違かったからかけた」
『えっ……そっ、そうでしたか……? いつ、いつも通りに作れたと、思ったんですが……』
「悩みとか、不安があるなら言って」
『えっ、と、その……だ、大丈夫ですよ……? 私はちゃんと、元気にやれてます』
みちるの返答。いつもと違う、硬さの感じる声。初対面の時と同じくらい──いや、初対面の時よりも、怯えた様子が伝わってくる。
これは……何かある。上手く言えないけど、何かとんでもない不安を抱えている。そんな気がする。
とはいえ私には上手く言語化できない。たった十数年しか生きていない、人生経験のない子供だ。だから、電話でみちるの感情を、本音を引き出すなんてことできない。
「……みちる」
『はっ、はい!!』
「明日……いや今日、予定ある?」
『と、特にありませんが……ぎ、ギターも弾けませんし……バイトの方もお休み取らされてますし』
「じゃあみちるの家行くから。お昼ごろに」
『えっ!?』
「それじゃ、おやすみ」
『ちょっ、りん、りんさん!?』
だから直接会うしかない。無理矢理にでも約束を取り付ける。
何を抱えているのか、全部吐き出してもらわないと。
グラスに残ったブランデーを一気に飲み干し、私は歯を磨くために立ち上がった。
時刻は深夜。いつもならこのまま朝までベースを弾いたり、曲を作ったりして四時に寝て夕方に起きるんだけど……みちるのことがある。今日はもう寝ないと。




