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ライブ当日、私は足立山さんが用意(全額出そうとしていたので説得して私と半々で出した)オーダーメイドのスーツを着て、ギターケースを背負って電車に揺られていた。
予定通りいけば時間の一時間目にライブハウス『TRITONE』までたどり着けるだろう。ちょっと満員気味というか、座ることができない状態だったのは残念だったけど……まあ、そこは仕方がない。
電車が停まり、目的の駅で降りる。後は数分歩くだけ。駅近、というには少し距離が離れているかもしれない。
「……私、浮かれてるなあ」
最後のスタジオで練習するのは約二時間後。二時間も前に着いちゃう、久しぶりのライブにかなり浮足立ってしまっているらしい。我ながら馬鹿だなあ、とは思う。
でも久しぶりのライブだし、まあしょうがないよね。うん。コンビニで珈琲でも買って、少し時間を潰してから『TRITONE』に行こう。いやその前にお昼を食べた方がいいかも。久しぶりに店長さんが本業でやってるタコス屋さんに寄って、ワカモレ食べてからみんなと合流して……。
なんてことを考えながら階段を降りて、改札へ──
「あっ……れ……?」
背中にちょっとした衝撃が走ったかと思うと、階段の硬い感触を足が感じなかった。
浮遊感、普段と違う重力に引かれる感じ。スローモーションで視界が落ちていく。
どう動くべきか。何を優先させるべきか。ギター、いやスーツ……違う、スーツは新品だから汚したくも破りたくもないけれども、演奏に支障はない。
階段の足場に着地すればいい。と思ったものの、踏み外してしまう。滑る。落下する。
視界が落ちる。私の身体が落ちているんだとすぐにわかった。本能がギターケースを、ギターごとクッションにしろと警告する。だがそれに、ギタリスト……異常者の思考がNOを突き付ける。ギター第一、ギター優先と。相も変わらずろくでもない頭だ。
身体をクッションに。駄目、私の身体だとクッションにならない。ぶつけて流血したらライブどころじゃなくなる。
身体を下に。ギターケースは丈夫だけど、軽めの身体とはいえ40キロくらいのものに押しつぶされて無事で済むとは思えない。
私は手すりに手を伸ばす。骨折しても捻っても、手なら痛みを我慢すればギターは弾ける。
十段くらい飛んだかな。鉄の感触を感じた瞬間に思い切り握る。着地の仕方なんて知らない。ましてや階段の上なんて。踏み外す。身体が重力に引かれる。着地。掴んでいた腕がボキッ、と音が鳴る。
ぐにゃっと視界が浮いた。遅れて、足を捻ったと気付く。
「────!!!!」
痛い。凄く痛い。なんで怪我って認識していない間は気付かないことがあるのに、この目で確認したらすんごい痛みが走るようになってるんだろう。
階段という通路、通勤か遊びにか行く乗客の人達の通行の邪魔になってしまうけど、あまりの痛さにしゃがみこんでしまう。
すみません、邪魔ですよね。私の横を見降ろされながら通り過ぎていく人たちに申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまう。
邪魔にならないよう、手すりの方に移動。下り側で手すりを使う人は壁側のを使うだろうから、中央に配置されている手すりの……こう、空きスペース? 階段と手すりの間の空間の身体を置く。ここなら多分邪魔になりにくい……んじゃないかな。
左手がぶらぶらと揺れる。脱臼、だよね多分。骨折はしていないと思う。すっごい痛いけど。
足も、捻っただけではあるけど結構痛い。動けないって程ではないけれども、エフェクターを踏むのに支障が出そうだなあ。
私をの背中を物理的に押した人の姿は見えない。まあ、見えていても捕まえる事は不可能だけども。
「……仕方ない、か」
こんな不幸に見舞われるのも慣れている。この諦めの速さばかりは前世の環境に感謝……はできないけども、突き飛ばされて、その犯人の姿は見えなくて、泣き寝入り。今の状態じゃどうしようもない。
駅員や警察に連絡しても時間を取られてしまう。二時間早く着いた、とはいえ事情聴取となったら二時間なんて時間はあっという間。
残念だけど、私に悪いけど、私はそんなものに時間を費やしている時間は無い。
「……あの、大丈夫、ですか?」
「あっ、えっと、だい、大丈夫です……少し、あしっ足を挫いちゃっただけで……あはっ、あははっ」
急に声をかけてくるのは心臓に悪いなあ!? いや準備してもこんな反応取っちゃうけどさ。
OLさんに差し出された手を借りて立ち上がる。うわっすべすべ。綺麗な手。
ってあっ、こっちの手脱臼してる方だ……痛い、すっごい痛い!! お姉さん引っ張り上げてくれたけど脱臼してるから変な伸び方してる!! ごめんお姉さん怖がらせて!!
「あの……救急車、呼びます?」
「いえっ大丈夫です! そんな大事じゃありませんので……!! あのっ、うっ……腕を押して、いただけますでしょうか。外れてしまって……るみたい、で」
「本当に大丈夫ですか!?」
「大丈夫です! はい!! なっ、なので思いっきりおしっ押し込んでください!!」
うう、本気で心配してくれてる……お姉さんの優しさが痛い。でもそこまで心配しなくてもいいの、こういうの慣れてるから。
お姉さんは恐々とだけど私の手を取って、二の腕に向かって思いっきり押し込む。ちょっと痛い、というか意外と力あるねお姉さん? というか痛い痛い痛い! すっごい痛い!! でも悲鳴は飲み込む!! だって心配されたくないから!!
やがて腕の痛みがピークに達した辺りでコキッと音が鳴った。なんかじんじんと余痛がするけど……指を動かしてみる。外れていた箇所が鈍く痛むけど問題なく動く。
「な、治っちゃった……?」
「はい、すみませんでした」
お姉さんにお手を煩わせたので謝る。いや本当、日曜日だってのにスーツ姿ってことは忙しい身分だろうに私なんかの為に時間を使わせてしまって申し訳ない。
指はとりあえず動く。動かすたびに痛みが走るけど……応急処置だから仕方ない。
足は……まあ、大丈夫かな。捻ってすごく痛むってだけで、折れてる訳ではないっぽいし。
「……本当に大丈夫ですか?」
「あっ、はい! あの、お陰様で……ほら、手も動きますから!! ゆっ、指も!!」
これ以上心配させないよう左手を見せて指を動かす。グーパーって動かせるでしょ? いけるいける。
お姉さんは心配そうな顔をしていたけど、私が大丈夫って言ったので少し後ろ髪引かれるような感じで階段を降りて行った。
……よし。それじゃあ私もそろそろ動くかな。たしか行きがけにコンビニか薬局あった筈だし。
手すりを握って、ゆっくりと階段を降りる。こういう怪我をすると、普段何気なくやれてたことって特別な事だったんだなーって実感するよね。しないかな? どうなんだろ。
……まあいいか。とりあえず、ここから動かなきゃ何も進まないし。
そうして私は、降りるたびに痛む足を引きずりながら、なんとか階段を降りて、駅を出たのだった。




