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ライブハウス『TRITONE』の喫煙所。排気口に吸い込まれていく煙を眺めながら、わたしは煙草を吸っていた。
打ちっぱなしのコンクリートに覆われた、ライブハウスという彩られた箱とは違う、文字通り隔離されたような箱内。わたしの目の前では先ほどからバンドマンらしき男。壁にギターケースを立てかけ、灰皿スタンドの前でライターをカチカチと鳴らしている、もう片方の手にはスマホ、たまに火が問題なく付いたのに煙草に火を付けず消しているのは、画面の方に意識が集中しているからだろうか。
そしてその後ろにあわあわとたたずむ、ライブハウスという場所には似つかわしくない格好をした女。もじゃもじゃにぼさついた長い髪に、自身の無さを表しているようなとてつもない猫背。レジ袋と2リットルくらいの水が入ったペットボトルを持った手はアル中みたいにプルプルと震えている。この少女、制服のまんま喫煙所内に入って大丈夫なのだろうかと、他人事ながらちょっと心配になる。
「あっ、あのっ、すすすすみません」
おっ、勇気出した。ほほえまし気に笑みを浮かべるわたし。我ながら気持ち悪いな、なんて思いながら紫煙を吐き出す。
「あん? って、なんだ永井ちゃんか」
「ひえゃ」
どんな声だよ、どこから出た声だよ。不意打ちに聞こえてきた奇声を出さないよう笑うをこらえる。
男は画面から目を離し、女の方に目を向けた。そして手の袋に気づいたのか、「わりぃ」と一声謝ってからその場をどいた。
少女は安心したように息を吐いて、内部に仕込まれている受け皿に入った煙草を袋の中に移す。その後灰皿に水を入れ直し、セットしなおす。随分と慣れた手つきだ
袋を縛り、こちらへ頭を下げて喫煙所を出ようとする少女。
「あっ、ちょっと待ってくれ」
「ひゃいっ!? なっ、ななななにか粗相をいたしましたでしょうか……!?」
それを呼び止めるバンドマンらしき男。
ナンパか? にしてはまだちょっと早すぎる、時間帯も少女の年齢も。男の方は見るからに成人しているようだし、時間も、まだ箱内でライブすら始まっていない。バンドマンがそんな時間にナンパするとは……ライブ終わりにお持ち帰りするのならあり得るか。
流石に止めようと動こうとしたが、どうやら杞憂だったようだ。
「いや、じゃなくてだな……うちのメンバーのギターがちとばかし来れなくなったもんで、幽霊に助っ人を頼みたい」
幽霊、このライブハウス『TRITONE』を拠点に置く助っ人専門の凄腕ギタリスト。
ギターとベースギターが弾けるだとか、来れなくなったメンバーの生霊を憑依させてメンバーそっくりの演奏をしてみせるだとか、本当かどうか疑わしい噂がここら一帯で広まっている謎の存在。
わたしが態々この箱に来たのも、彼女を一目見ようと思ったからである。ようやくその姿を目の当たりにできる……期待に胸が膨らんでしまう。
「店長に話を通しておいてくれ」
「わっ、わかりました……りっ、リハの方を少しズラすことになりますので、ごっ、ご了承ください」
「わかってるって。頼んだよ」
そう言って男と少女は一緒に喫煙所を出ていった。オープン時刻まであともう少し……二本くらいは吸えそうだ。
バンドメンバー集めないとなあとか、そんなことを考えながら煙草を二本、三本と灰皿スタンドに煙草を飲み込ませていく。パーカーのポケットに入っているスマホが振動した。スマホで時計を確認すると、そろそろオープンしてそれなりの時間となっていた。
少しぼうっとしすぎたようだ。
わたしはまだ半ばまで残っている煙草の火を消して、少し駆け足で喫煙所からライブハウスへと降りて行った。
「……遅い」
「別に、いつものことでしょ。はくり」
「いつも遅いから怒ってるんだよ、りん!」
長い金色のポニーテールを揺らしながらわたしのバンドメンバー(仮)のはくりが、腰に手を当ててぷりぷりと怒っていた。手にはドリンク、オレンジジュースだろうかが入っている。
既にライブは始まっていたようで、テンポよく刻まれるドラムやベース、観客を魅了させようとかき鳴らされるギターと歌声が狭い箱内一帯を濁流のように埋め尽くしている。
「というかまだ学生なのにヘビースモーカーなのはどうかと思うよわたし、花のJKだよJK!」
「はくり、おっさん臭い」
わたしがそう言うと、口答えするな―と袖で鼻先を叩かれる。萌え袖とも言えないくらいだからちょっと怖いんだよなあ、はくりのこれ。
「……もし引き込めて、幽霊が嫌煙家だったら辞めてもらおうからね、煙草」
「はいはい、わかってるって」
隠れて吸うようにするよ、と心の中で付け加える。
と、わたしもドリンクを買わねば……。
「コークハイください」
「りんてめぇコラァッ!!」
スパァーン、と景気のいい音で叩かれた……ドリンクの人引いてるじゃん、まったくただのジョークだというのに。
わたしも手堅くコーラを頼み、とりあえず飲んで一息つく。と演奏が終わったようだ。良い演奏だった、惜しみなく拍手をする。まあわたしの拍手ってなぜか全然音が鳴らないんだけど。
わたしが入った時に演奏していたバンドははけ、次のバンドメンバーが機材をセッティングする。
「……あっ、あの人」
「りん、知ってる人?」
「まあ、ちょっとね」
先ほど煙草を吸っていた男はベースを持っており、正規メンバーであろうドラムとベース、そしてボーカルギターも滞りなく演奏のセットアップをしている。
ただ一人、先ほど喫煙所にいた女性、あのメンバーの中で唯一未成年だとはっきりわかる少女は、ギターのセッティングこそ問題なく行えているが、まるで借りてきた猫のようにというか、居心地の悪さをこちらにも伝わるレベルで感じさせていた。
「がんばれー」
わたしの蚊ほども届かない声がはたして届いていたのかどうかはわからないが、応援を送っておく。応援せず失敗するのを見守るより、応援して失敗してもらった方がこちらとしても気分がいくらか楽になるから。
バンドメンバーたちは簡単に名乗りを上げ、少女だけは「だっ、代役です……!」とだけ言って自己紹介を終えた。
明らかにコミュ障、しかも挙動が色々と小動物を思わせるくらい怯えている……その様子に、あのバンドのファンらしき人は少し不安そうに見つめている。
「ねえ、りん。気づいた? あのウルフェンってバンド、多分ファンだろうって人以外全く心配した様子見せてないの」
「うん。普通あんなバンドマンが上がってたら、ファンでなくても少し出来に不安を抱えるもんだけど……それが全く無い」
わたしがコーラをじゅっ、と飲み干した直後、演奏が始まった。
ドラムとベースが鎖となり、獰猛に歪ませたギターを飼いならす。時折演奏がぴたりとやみ、音がしんと止まる。21世紀の精神異常者に大きく影響を受けているように感じられた。
かなり難易度の高い曲だ。ドラムやベースといったリズムを取ってくれる音も無くなるのは、ギタリストからしたら突然暗闇の中に放り込まれるようなもの。それをここまで完璧に演奏するのは流石だ。
「すげぇ、まんまGONさんのギターだ……」
「流石は幽霊、コピーのレベルがヤベェ」
そう、獰猛にギターを吠えさせているあの少女はただの代役。彼らとの練習も、1時間にすら満たない程度でしかないだろう。
だというのにこの女、完璧に弾いている。変拍子の曲に合わせて、タイミングを一つもずらすことなく。
……ただ
「……痛々しいくらい個性が無いね」
はくりの言葉にわたしも頷く。
GON、というギタリストの代役として入った彼女のギターは、なんというか……どこか借り物の感じがしてならなかった。
まるで自分の音というものをナイフでそぎ落として無理やり合わせたような……そう思わせるくらいに彼女のギターには、何も込められてはいない。ただGONという人の音をそっくりそのまま憑依させているだけ。
「うん。あれこそが幽霊……アタシたちの探し求めていたギターだよ、きっと」
痛々しく誰かに合わせる幽霊を見つめて、わたしはニヤリと笑みを浮かべた。




