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転生悪役令嬢に幸福を与えない転生ヒロイン

作者: 月森香苗

※頭が悪いのではなく、性格の悪い転生ヒロインが主人公です。

(感想で性格が悪いのではないと多くのお言葉頂いてありがたい話です。癖があります)

※ふわっとした世界観に基づいています。

※勢いで書いた作品ですので矛盾点があるかもしれませんが、その時は矛盾解決方法について助言ください。

※個人の趣味嗜好にそぐわないと思ったら文句言うよりも、脳内から削除して他の作品を読んでメンタルリカバリしてください。

 現実を見ない女の自滅していく様は、あまりにも哀れだった。


 王都から離れた田舎の男爵家に生まれ育った私―アイリ=ファンベルは15歳になった貴族家の子女が入学を義務付けられる、王都にある王立学園に来ていた。我が家は元々曽祖父が商会で金儲けをして成功し、爵位をお金で買ってからの新興貴族で、代々商才があったおかげで現在も裕福な暮らしをしている。領地は狭くても国内をしっかりと押さえている商会を有しているおかげで生活に困ったことは一度もない。家はそんなに大きくないけれども使用人はしっかりと雇っているおかげで、私はお嬢様生活を満喫してきた。

 お金は最高だ。お金があれば外見を磨く事が出来るし、所有物も高級品を揃えられる。それだけでなく教育を受ける機会だってある。男女関係なくしっかりと学んで知識を有していれば商売の際に役に立つ、という家訓のお陰で私は兄と同じような教育を幼少期からしっかりと受けてきた。礼儀作法だって一流の教師を招いて教わる事も出来た。その先生は侯爵家の三女という生まれの方で、本来であれば男爵家如き相手にしないのだろうけれども、そこはお金を積んで解決した。

 一流に囲まれて育った私は男爵令嬢ではあるけれどもそこら辺の下位貴族の令嬢どころか、伯爵家の令嬢とかよりも断然磨き上げられているという自負がある。

 そもそも高位貴族と下位貴族の令嬢では圧倒的に受ける事の出来る教育に違いがある。その最大の理由はお金だ。お金がある高位貴族の令嬢は最高の教育を長期間受けることが出来るから淑女らしい淑女になり、そのお金がないから下位貴族の令嬢はどこか劣っているように見えるわけ。つまり、お金と時間があれば男爵令嬢でも高位貴族の令嬢に負けない振る舞いが出来るのだ。

 そして我が家は商会をしているだけあって外国からの書籍を取り寄せやすい環境もあって知識だってしっかりと叩き込まれている。言語だけなら現在五か国目を習得中。

 そんな私が王立学園の校門前で突如として脳にある記憶が割り込んできた。この世界は『転生した悪役令嬢が断罪を回避する為に奮闘する小説』をベースにしたものだ、という記憶が。そして私は『作中に出てきた頭がお花畑の転生ヒロイン』という役を与えられていた。

 冗談じゃない、というのがまず第一に思った事。

 この記憶が前世の記憶と呼ばれるような物かもしれないというのはなんとなくわかった。だけど、私がお花畑脳なヒロインというのは認められない。私は貴族の爵位を無視した振舞いをするつもりもなければむやみやたらに男性たちに声を掛けるような尻軽になるつもりもない。

 さあこれから教室に向かうぞという意気込みでいた時に湧き出た記憶のせいで動きが止まってしまったのは痛恨の極みだ。


 ふわふわのピンクゴールドの髪の毛は腰まで伸ばしていて触り心地は抜群。背は低くも無ければ高くもなく、ヒールのある靴を履けば男性とダンスを踊る時に最適ではないかという程度。スタイルは自分で言うのもなんだけど悪くないどころか良いとは思う。胸は程よい大きさで形は半球型。腰はきゅっと締まっていてお尻は小尻で上向き。スカートの下に隠れている太腿はちょっとだけむっちりしているけれども柔らかい。そして脚自体はバランスの取れた美脚。大きくぱっちりとした空色の目は印象に残りやすいだろう。

 確かに一回だけでも親密な関係を、と望まれるような体つきをしている自覚はある。だけど貞操観念はしっかりしている。不特定多数はお断り。一人の男性とお付き合いをするなら結婚までを考えたいという割とがっちりとした考えの私は、件の小説に出てくるお花畑転生ヒロインー長い。お花ちゃんでいいや。お花ちゃんのような行動は出来ない。無理。


 嫌になるわぁ、と思うけれどもそれを淑女教育の賜物である笑顔の下に隠して私は歩くのを再開する。ずっと立っているとただの不審者でしかない。

 歩きながら私の思考は止まらない。

 まず第一に、私は作品のヒロインとは全く異なる性格をしているし家庭環境も違っている。作中のヒロインは幼い頃に転生前の記憶を取り戻して逆ハーレムを狙うけれど、私にはそんな経験も記憶もない。今も前世の記憶というものは脳裏にあるけれども、それは本を読んだというような感覚に近い。私という自我を食い破ってくるようなことは一切ないので、生まれてから現在まで家族に愛され使用人たちに大事にされてお金をかけて育ててもらったという記憶しかない。

 次に、この世界が本当に作中の世界なのかということ。似ている所はある。でも別物だと私は思っている。だってよく考えなくても、決められたシナリオとか普通に生きてる上で考えられるような事ではない。なので、私としては出会う人たちの名前は同じかもしれないけれど別人である、という風に思っている。私自身が違うわけだし。

 最後に、作品では転生悪役令嬢が出てきて幼少期から色々していたようだけどこの世界に彼女がいたとしてそのような行動をしているのか、ということ。そうなると私は少々物申したいことがある。この作品の転生悪役令嬢―長い。転悪ちゃんでいいや。転悪ちゃんは婚約者がいるけど断罪されたくなくて他の人に救いを求めて最終的にお花ちゃんと婚約者が卒業パーティーで自分を断罪するのを回避してざまぁした後、直ぐに別の男とくっついてんの。お前も不貞ぎりぎりの事してるよね、と思ったのを思い出させてくれている、記憶が。

 いやね、断罪回避のために協力してくれている隣国の王子様に恋をしました。でも自国の王子と婚約中なのでお互いに想いを言い合えません。でも王子が断罪されて自由の身になれました。からの隣国王子が現れてプロポーズからの受け入れる、とかどう考えてもほぼ不貞じゃん。隣国の王子もどうかと思うんだけど。他国の婚約者持ちの令嬢に接近する時点でどうかと思うし、王子の結婚は個人の自由に出来ることじゃないわけで、なら根回ししてたとしてよ、それって結局略奪前提なわけじゃない。

 王子とお花畑脳みそ持ち転生ヒロインは馬鹿だと思う。だけどそれ以上に国を跨いでいる時点で隣国王子は国交をなめ腐ってる馬鹿だと思う。仮にこちらの国王に話を通していたとして、王子を斬り捨てる為に内密にしてるならそれはそれで腐りきってる、というかその前に王族なら監視者もいるだろうから監禁するなりなんなりしてお花ちゃんから引き離せよと思うよ。


 という事をつらつら考えていると受付に到着したので名前を告げればクラスを教えてもらえたのでそちらに向かう。ちなみに、校門からここに来るまでに小説内でお花ちゃんは王子に自ら突撃してイベントを作り出すみたいな事をしてたらしいけれども、そんな面倒なことを私はしない。王族に自らぶつかりに行くとか、教室に行く前に断頭台に行くようなものでしょ。

 学園にはいくつかの科がある。貴族科、領主経営科、淑女科、騎士科、侍女科。そして特進科。この特進科は学園でもトップレベルの教師が高度な学習をしてくれるという事で受け入れ人数は少ない上、事前試験を受験しなければならない。私はどうせ学ぶならとことん勉強をしたいと思って思い切って特進科の試験を受けたけれど無事に合格したのでここに配属される。なお、作中のお花ちゃんは淑女科だ。転悪ちゃんは貴族科で、王子は特進科、他の攻略対象者は様々な科にいる。王子と同じというのが悩ましいけれど、最先端の学びを得られるので気にしない。

 科ごとに棟が分かれている上、そこから人数に応じてクラスがわけられるけれども特進科は少人数なので一クラスしかない。入学式というものは無くてそれぞれのクラスで担当の教師からの挨拶と今後のスケジュールなどを告げる位のものだ。卒業パーティーはあるけれども入学はそうじゃないので私はちょっと安心した。


 教室に向かうと机はたった十五個しかなくて、それぞれに資料が置いてあり、一番上に個人の名前が書かれているので私は自分の席を探して座る。ちなみに私は寮暮らしではなく父が所有している王都の商会から通う事になっている。警備を雇っているし従業員もいるし、何よりも生活居住区に使用人を雇ってくれたので何不自由ない。ありがとうお父様。

 まあそんな関係もあって初日は気合を入れて早めに出たけれども思わぬ記憶に翻弄されつつ、まあ遭遇して思い出すよりも良かったとは思う。

 席は横に三人が五列並んでる状態で、教室は広く人数が少ないので余裕がある。私の席は廊下側の一番後ろ。成績や爵位とかで前から詰められるので妥当な席だと思う。

 机は結構大き目で椅子は座り心地が良く、なんというか、商会にある会長室の机と椅子のような感じ。机を持って移動しましょうとかそういうのは無さそう。後、席替えの必要性もないからか机には鍵が掛けられるようになっている。ここに貴重品を入れることも出来るので席を立つ時は鍵を掛けましょうと言う事かな。原則として教科書などは持ち帰るか鍵のかかる引き出しに必ず入れる事、となっている。紛失したら個人の責任だそうだ。資料によると。当然だと思う。

 それにしても、こんな立派な環境を与えられて勉強しないとか、馬鹿じゃないのかと思うので私は真面目に頑張りますよ。

 そうこうしてる間に段々人が来て、私が一番爵位が低いので頭を下げて待っておくべきかと思ったけれど、資料によるとその部分は省略していいそうだ。そうじゃないと私なんか全員が集まるまで頭を下げ続けなきゃいけなくなる。そして授業に関しては身分を問わず、という事らしい。それもそうか。そうでなければ討論が出来なくなる。

 でも、授業に関しては、というところが重要である事はわかる。授業以外は身分が関わるということ。つまり、授業に関する事以外で話しかける時には貴族マナーを守りましょうと言う事だ。ちょっと面倒だなぁとは思うけれども、社交界の縮図なのでこういうのも実践勉強しましょうと言う事だとあたりを付ける。


「ごきげんよう。お名前をお伺いしてもよろしいかしら?」


 しっかりと読み込んでいると声を掛けられて顔を上げると、とても綺麗な女性が私を見ていた。慌てて立ち上がるとスカートを摘まみながら出来るだけ優雅に見えるようにお辞儀をする。


「ご挨拶申し上げます。ファンベル男爵家のアイリと申します」

「わたくしはシャンディラ侯爵家のマリアンヌですわ。同じ特進科の女性という事で仲良くしていただけると嬉しいわ」

「ご丁寧にありがとうございます。至らぬところも多々ありますので、是非ご教授いただけると嬉しく思います」

「ふふ。ファンベル様、そんなに緊張なさらないで。わたくし、貴方の事を実は存じ上げておりますのよ」

「え?」


 軽やかに笑われるマリアンヌ様に私は翻弄されてしまう。何故ちっぽけな男爵家の娘などを知っているのか。


「礼儀作法の家庭教師にケイティというものがおりませんでしたか?」

「はい。ケイティ様には大変お世話になっております……まさか」

「叔母ですの。わたくしの父はケイティ叔母様の一番上の兄ですのよ」

「まあ。それでは私の未熟さをお聞きになられているのですね。恥ずかしいです」

「まさか!非常に優秀な生徒と伺っておりましたの。今年、特進科に入学されると聞いてましたので楽しみにしていたのです。是非、わたくしのことはマリアンヌとお呼びになって?」

「畏れ多いことです。それでは私のことも是非アイリとお呼びください」

「ふふ。アイリ様、よろしくね」

「はい。マリアンヌ様」


 なんという偶然だろう。私の礼儀作法を教えて下さった先生がマリアンヌ様の叔母様だったなんて。それでもちょっと嬉しい。一番身分が低いので蔑まれるのかと思いきや、とても好意的でいてくださるマリアンヌ様はとてもお綺麗な方だ。ふわふわとしたチョコレート色の髪の毛に甘い琥珀色の眼が綺麗。

 と、マリアンヌ様を立たせ続けるわけにはいかない、と私はマリアンヌ様の席に彼女を誘導する。着席している男子生徒はこちらをちらちら見ているけれど、知ったことではない。とても美しく麗しいマリアンヌ様と自覚ある可愛い私が並んでいると目をひく事だろう。それも特進科なので頭の良さはここにいるだけで証明されている。

 私の性格は悪いけれど、マリアンヌ様はその見た目通りきっと優しいはずだ。軽やかに笑われた時のあのあどけなさは演技では出せないものだ。

 軽くお話をさせていただいていると、扉が開き、一斉に人が立つ。私は背を向けていたので慌てて振り返り、誰よりも真っ先に頭を下げた。見るからに高貴だと分かる外見。王家特有の艶やかな金色の髪の毛に神秘的な紫の瞳。左右対称の顔には神が計算して配置したのではないかと言われる顔の各パーツが収まっている。王子だ。王子。作中でお花ちゃんに篭絡されてお馬鹿になってしまい断罪される第一王子に間違いはない。


「全員頭を上げてくれ。今日から共に学友となるのだから、挨拶は気楽にして欲しい」

「殿下、それは担当の教師との挨拶が終わるまでは難しいと思われますよ」

「お前は私に対して遠慮がないね、アドルフ」

「学園においての行動はある程度許容されておりますので」

「まあいいよ。私が許すと言ったので皆、頭を上げてくれ」


 王族の許しを得たからと言っても私が頭を上げるのは最後だ。マリアンヌ様が動かれてから私は最後にゆっくりと頭を上げる。これが身分だ。王族は尊い存在で許しなくお言葉を掛けることなど許されない。なんでお花ちゃんは出来たの、本当に。お花畑から華麗に綿毛が舞い上がったの?


「ああ、マリアンヌ嬢、君もこの科にいたんだね」

「王国の若き太陽にご挨拶申し上げます。第一王子殿下、お久しぶりにございます。この度、学友となる栄誉を賜れたこと、誇りに思います」

「流石、シャンディフ家の令嬢。気楽にして欲しいと言っても無理かな?」

「畏れ多い事にございます。ですが、殿下のお望みでしたら出来る限り努力致しますわ」

「ならば、私の願いだ。このままだと折角学園に入学した意味がなくなるので、教室内での言動は緩めて欲しい。勿論、君達にも立場というものがあるし私にも立場がある。それを踏まえた上で、よろしく頼むよ」


 つまり、馴れ馴れしくしすぎなければ話しかけてもいいよ、という許可をくださったという事か。でも私としては第一王子に近付くつもりはない。もしもいるなら転悪ちゃんが暴走しそうな事を私はしたくないもの。

 マリアンヌ様のお側に立っていた私に殿下の視線が向けられるので思い切り床を見た。とてもではないけれど顔面直視は出来ない。美しすぎて目が潰れそうだ。何度でも言うけど、なんでお花ちゃんはこの顔面で目を潰さないで突撃できたの?


「マリアンヌ嬢、こちらの令嬢は?」

「はい。ファンベル男爵家のアイリ様ですわ。わたくしの叔母の生徒ですのよ」

「君の叔母というと……レディ・ケイティかな? 彼女の生徒となると、相当優秀ではないか」

「ですから学友となりましたのよ。アイリ様。こちら、我が王国の第一王子殿下ですわ」

「お……王国の若き太陽に、ご挨拶申し上げます。ご紹介に預かりました、ファンベル男爵家が娘、アイリにございます」


 声が震える。いや、無理。最高水準の教育は受けたけれども、それでも精々侯爵家とかそこら辺までの対応が出来るレベルで、王族とか無理に決まっている。日々つやっつやに磨き上げた外見も、自身で光を放っていそうな第一王子を前にかすんでしまう。お花ちゃん、なんでこんな人を篭絡出来たの!?


「気楽にしてというのは無理だろうけれど、同級となったからには共に切磋琢磨していこう、ファンベル嬢」

「大変光栄なことにございます」


 高過ぎもしなければ低すぎもしない聞き心地の良い声が本当に素晴らしい。きっともっと年齢を重ねると深みを増していくのだろう。この方は王になるにふさわしい威厳を持っている。うん、廃嫡の憂き目に遭わせてはいけない。


「殿下、席はこちらですよ」

「ああ、分かった」


 びしりと動けない私から視線をそらした第一王子。このクラスの女子は私とマリアンヌ様しかいないようで他は男子生徒だけど彼らもかなり緊張しているらしい。そりゃそうだよね。王族はあまりにも雲の上の人だもの。その中で侍従なのか護衛なのか、すらりとした殿下よりも少し背が高く体格の良い男の子が殿下に声を掛ける。アドルフ……アドルフ様というのは作品の中で殿下を最後の最後まで諫め続けた忠義に篤い立派な侍従だ。というか侍従よりも護衛の方がメインだけど幼い頃からずっと一緒にいるので侍従のお仕事も出来るというか。

 お花ちゃんに篭絡されて溺れていく殿下からお花ちゃんを引き離そうとして失敗した上、転悪ちゃんを欲しがった隣国の王子の罠に掛かって大けがをする不遇のキャラ、それがアドルフ様。彼自身公爵家の次男で跡取りに長男がいるからと第一王子の傍に控えていた忠義の人。前世の私はこのアドルフ様という人が好きだったようだ。赤髪赤目、不遇キャラ、忠義、体格がいい。

 うん、私もかなり好ましいと思うような男性だ。殿下と同じ年で作中でも明言されているけれども攻略対象キャラじゃないのでお花ちゃんも転悪ちゃんも完全にスルーしてた人。だけどどこをどう見てもとても素敵な人じゃない。男らしい顔立ち。でも殿下の前ではほんの少し気を抜いているのか目元が緩んでいる。ときめいてしまう。


「アイリ様……アイリ様?」

「はっ。あ、マリアンヌ様。申し訳ありません。あまりにも緊張しすぎて意識が飛んでいました」

「そうよね。わかるわ。王族の方との交流など滅多にない事ですもの」

「ええ」


 時間も時間なのでそそくさと席に戻る。人数が少ない教室で良かった。改めて確認すればやはり私とマリアンヌ様以外は男性ばかり。

 殿下のお席は最前列の真ん中。窓側の方は男子生徒で廊下側の席にアドルフ様がお座りになっている。マリアンヌ様のお席は窓際の前から二列目。最後列廊下側の私の席とマリアンヌ様の席以外は子息達が着席している。どの方も殿下からお言葉を掛けていただいた私への嫉妬とかそういうのは無く、緊張に満ちている。それもそうか。特進科は最先端の勉強が出来るわけだから上昇志向が強いタイプが在籍する貴族科とは違うよね。

 特進科は最先端の勉強が出来るけれども、それは国内のみならず国外の最先端もという意味だ。つまり、この科は外交官の育成も兼ねている。第一王子とて国王になる場合は外交が必要になるのでその為にここにいる、のだろう。多分。王族のことはよく分からない。

 取り敢えず箔付けの為にという理由では入れないクラスだ。求められるレベルが高すぎる。



 担当の教師が入室し、第一王子から挨拶が始まり、私の挨拶で終わる。我がファンベル男爵家は最も低い爵位ではあるけれども、中堅どころの貴族までならファンベル商会は知っているもので、おかげで伯爵家くらいまでの子息は「ああ、ファンベル商会の」という感じで納得してもらえた。こう、ファンベル商会はお金があるから従業員の教育もしっかりとしている。高位貴族にも対応出来るようにそれはもうみっちりと。おかげで中々に好評を頂いているのだ。やはりお金は正義ね。


「アイリ様、昼食はどうされるの?」

「はい。今日は食堂に行こうと思います。どのような食事を提供しているのか見てみたくて」

「ふふ。ならわたくしもご一緒してよろしい?」

「マリアンヌ様が宜しければ是非」


 午前は注意事項やこの学園での過ごし方、学園の理念などの説明に使い、早速今日から授業が始まる。午後でお昼休憩はなんと二時間ある。というのも、流石王立学園。高位貴族の方も通われるような場所なので焦らせない急かさないという風になっている。時間で言えば、十一時半に午前の授業が終わって午後の授業は一時半からという感じ。まあこれだけあればお花ちゃんだって色々出来るだろう。

 マリアンヌ様と共に食堂へ向かおうとしたら、第一王子―クリストファー様からお声がかかった。


「マリアンヌ嬢、アイリ嬢。私とアドルフも一緒に良いかな?」

「まあ殿下。ローゼンハイツ公爵令嬢はどうされましたの?」

「ああ……前もって声は掛けたのだけれども断られていてね」

「はぁ……ローゼンハイツ公爵令嬢はあの時からあまり変わっておられないようですわね」

「そうだね」


 苦笑するクリストファー様と少しだけ不機嫌そうなマリアンヌ様。クリストファー様の後ろに控えるアドルフ様に私は視線を向ける。二人には分かり合えても私にはまったくわからない。


「ローゼンハイツ公爵令嬢は殿下の御婚約者の方です。現在は貴族科に通われているのですが……その」

「アドルフ、言い淀まなくていいよ。あまり好意を持ってもらえないようでね。とは言えども、私に至らない所があるのだと思う」

「殿下はお優しいからそうおっしゃいますけれど、あの方の行動は好ましいものではありません。殿下とて幼年の頃より王族としての公務の中で出来る限りの交流を果たそうとされていらっしゃいますのに、あの方は話し合う努力を放棄されていらっしゃいます。本来であればあの方もこちらの特進科に進学せねばならないのに貴族科に在籍していること自体おかしいのですよ」


 マリアンヌ様が怒ったように言う。転生悪役令嬢アクシア=ローゼンハイツ。やはり彼女はいるのだ。そして作品と同じような状況であることはわかった。まあだからと言って「原作の強制力」なんてものを信じていない私は心底どうでもいいと思っている。貴族社会に生まれ貴族社会で育ち、特権を利用して生きてきた人間は責務を果たさなければならない。アクシア=ローゼンハイツに求められているのは第一王子の婚約者という立場。その為に教育を受けてお金を掛けられている。だというのに彼女はその責務を果たさず特権ばかりを享受しようとしている。これは貴族としては由々しき問題だと思う。


 転生悪役令嬢物の作品で、お花畑ヒロインは自分こそこの世界のヒロインであり主役であり世界は自分の為にあると叫び、悪役令嬢がそんなことは無いというけれども。でも悪役令嬢自身が自分こそが主役だとどこかで思っている所はあるのじゃないだろうか。シナリオの強制力が、と言いながら自分はそれに逆らうような行動をする。もしも強制されてどうにも出来ないシナリオがあるならそもそも悪役令嬢だって逆らえないのに。自分には特別な力があると思っているから出来ているのじゃないだろうか。


 そんなことは無い。シナリオも強制力もないから自分の意思で自由に動けているに過ぎない。だというのに彼女たちは思い込んでいるのだろう。馬鹿らしい。大体そう言う展開になると「おかしい。原作ではこんな行動してなかったのに」と思うわけ。当たり前じゃない。誰かの行動が違えばそれに影響されて別の行動を誰かが取り、それは波及していく。連鎖反応が起きてそれに即した行動がされるだけ。シナリオなんてないから当たり前なのに、誰よりも思い込んでいるのが愉快で愚かで滑稽で仕方ない。


「アドルフ、四人分の席を確保していてくれ」

「わかりました」

「殿下、わたくし達は同席するとお返事しておりませんのよ?」

「駄目かな?」

「……はぁ。アイリ様、宜しいかしら?」

「え?はい。ですが、私はご存じのように男爵家の者です。同席をして失礼な姿をお見せする事になりかねません」

「マリアンヌ嬢ならば良いのに?」

「私のマナーを見て下さった教師であるケイティ先生からは侯爵家までならば大丈夫と仰っていただきましたが、王族の方と同席するほどのマナーは学んでおりません」

「うーん……君はしっかりしているね」

「畏れ多い事にございます」

「ならば、そうだな。マイケル=ホッセル、ホーエン=マルヒレラ。君達もこれから昼食かな?」


 私が頑なにお断りしたい態度でいると、クリストファー様は少し悩まれた後、教室から食堂に向かおうとしていた二人を呼び留める。二人は伯爵子息と子爵子息で、国内貴族の爵位的には辺境伯を除いて全部そろった。

 クリストファー様からお声掛けされた二人は硬直したようだが、出来るだけ丁寧になるような言葉遣いでそのつもりであると告げる。すると、クリストファー様はにこりと笑ってこう言った。


「ならば、特進科の昼食交流会という事にしよう。既に食堂へ赴いたものや家から持ち込んで食事をしている者は本日参加は出来なかったが、改めて少人数だからこそ出来る交流会を行えば良いとは思わないか?」

「……確かに、それでしたら」


 マイケル様は伯爵子息、ホーエン様は子爵子息。確かにこのお二方がいれば男爵家の私がいてもそこまで不自然にはならない。そしてこれが交流の意味を持つというのであればあまり遠慮しても逆に失礼に当たる。

 巻き込まれた二人には可哀想だけれども、確かに十五人しかいないので出来るだけ友好的にはなりたいと思う。それに上手く行けば我が商会の売り込みだって出来るのではないか。

 という事で、本日は六人で食堂に赴く事になった。

 先頭にマイケル様とホーエン様、その後ろをクリストファー様とアドルフ様、そして最後尾にマリアンヌ様と私が歩いている。先頭にマイケル様とホーエン様がいるのは安全面の為にも壁となるわけで、本人達だってわかっていてアドルフ様に言われて頷いていた。万が一にも何かが起きたとして、一番恐ろしいのは王族であるクリストファー様の身に危険が及ぶ事。安全対策は強固にしているだろうけれども、それでも不測の事態というのは起こりえるのだ。

 各科では制服が異なり、特進科は白ベースのジャケットに濃紺の男性はトラウザーズ、女性はミモレ丈のワンピースとなっている。縁取りは金でシックな感じになっている。

 特進科の生徒が六人、しかもその中にクリストファー様がいると分かると食堂にいた生徒たちはざわついた。そして女子生徒たちは後ろにいる女子であるところのマリアンヌ様と私を視界に入れて……殺意の籠った視線を私に向けてきた。うん、わかっていたけれどもどうしようもない。


「今日は特進科の者達と交流を目的とした昼食を行うので挨拶は申し訳ないが遠慮してくれるとありがたい」


 我先にとクリストファー様に挨拶に来ようとした人達をクリストファー様は先制する。そう言われてしまえば誰も挨拶が出来なくなるが、一人一人対応しているとクリストファー様のお食事をする時間が無くなる。

 クリストファー様のお陰で王族の方が代々入学すると使われるという席に案内されたのだけれども、私とホーエン様は本当に困った。明らかに立ち入ってはならない場所だと分かってしまうから。だが、クリストファー様から言われてしまえば逃げようもなく、ホーエン様と共に恐る恐るその場所に足を踏み入れる。やはり鋭い視線は向けられたままだ。

 よく見て欲しい。私とホーエン様は非常に困惑しているし動揺しているし、何なら遠慮しているというのを隠していない。


 席順的にいわゆる下座という所に私は腰を下ろしたけれど、ホーエン様が椅子を引いて下さったので本当にありがたい。マリアンヌ様の椅子はマイケル様が引いていた。紳士教育としてエスコートの仕方というのがあるらしく、私は兄の練習に散々付き合ったことがあるけれど、お二人は中々に上手だと思う。それでもアドルフ様がクリストファー様の椅子を引く姿が一番素敵だったけれど。ああ、やはり顔が良い。

 食事はある程度不作法でも見逃してくださるそうだけれど、これも折角の機会だからと私はマリアンヌ様にご指導を頂くことにした。それを見たマイケル様とホーエン様もアドルフ様にお願いをしていたようで、快く了承していたアドルフ様はやはり素敵。

 当然ながら王族のクリストファー様のマナーが最も素晴らしいのだけれど、あれは参考にしてはならない。

 ナイフやフォークの使い方は、ケイティ先生のお陰でかなり良いものだと言われているし、実際にクリストファー様からも「男爵家で学ぶレベルではない」と仰って頂いたけれど、やはりマリアンヌ様の素晴らしく無駄のない動きを見ていれば自分のもたつきを感じる。マイケル様とホーエン様はアドルフ様から助言を頂いていて羨ましい。でも女性と男性では見せ方が違うので私はマリアンヌ様という素晴らしい淑女から学びます。よく考えて欲しい。普通は教わるのにだってお金がかかるのに、これは好意なのよ。無料なのよ。無料でこんなに素晴らしい機会を得られるならば習得するのは当たり前でしょう。

 後にこの発言を聞いたマイケル様とホーエン様には「流石ファンベル商会の御令嬢」と言われた。


 クリストファー様は食事の合間に様々な質問を私達にした。興味のある学問からどのような学習をしたいのか、どの国に興味があるのか。どのくらいの言語を学んでいるのか。領地は現状どうなっているか、など。質問ではあるけれども中々鋭いところを突かれていると思う。領地の状況をこの年できちんと把握できている者は割と少ないのではないだろうか。少なくとも、嫡子であればまだしも後継者ではない者でありながら把握しているという事が持つ意味。光り輝く素晴らしい顔面を持っているだけでなく聡明さもお持ちなのだろう。なのになんでお花ちゃんに篭絡されたの。洗脳か何かしたの?お花ちゃん。

 ファンベル男爵家の領地は特産らしい特産がない代わりにファンベル商会があるのでそれを全力でアピールした。クリストファー様以外に。当たり前だ。王家には王家御用達の商会というものがある。ファンベル家はそこに食い込むつもりはない。王家に食い込んでしまうと厄介なことがある。御用達というのは本当にありとあらゆるものを調べられるのだ。後ろ暗いところは全くないけれども、やはり独自のルートを持っていてそれは海を越えた国ですら含まれるのであまり王家に干渉されたくない所ではある。真っ当な商会なので困らないけれども利用されるのは勘弁して欲しい。なので王家はまず除外。マイケル様とホーエン様のお家はどうやら既にお世話になっているとのことだったので、狙うはマリアンヌ様、と私はマリアンヌ様にアピールをした。

 私の美を維持している中に化粧品開発というのがある。最高級の化粧水を始め、白粉や口紅も全て素材から製法にこだわっている。私自身が実験台となって生み出しているものだ。そして肌質の違いがあるので家の誰も彼もが化粧品を使っている。父や兄、使用人達も含まれている。料理長に至るまで全員。おかげでファンベル家の人間は何時でも自慢できるつやつやのお肌をしている。

 というのをマリアンヌ様に貴族らしい言葉で説明したところ、軽やかに笑いながら「近々我が家にお呼びするわ。アイリ様ったら、可愛らしいわね」と仰って下さった。やはり根には商人魂があるのです。


「ならば、我がレーベルーズ家も商会を呼ばせてもらおうかな」


 唐突に割り込んできたのはアドルフ様で、私は思わず目を見開いた。レーベルーズ公爵家は国内でも一番か二番に力を持つ公爵家だ。転悪ちゃんのローゼンハイツ公爵家は現状クリストファー様の婚約者の家という事で少しだけ前に出ている感じだけど、クリストファー様の信頼している護衛であり侍従であるアドルフ様もローゼンハイツ家に負けていない。そんな家に商会を呼んで下さるというのはあまりにも光栄な話だ。


「母と姉が、最近美容で困っていると言っていたので」


 困ったように笑うアドルフ様、素敵です。前世ではかめらなるものがあり、この瞬間を切り取るという写真というものがあったというし、すまほやらも同じ事が出来るそうで、それが切実に欲しくなった。絵師も素晴らしいけれども、今この瞬間を切り取りたい。ああ、アドルフ様素敵。私に知識があればすまほというのは無理でもかめらなるものを気合と根性で生み出していただろうに。

 ちょっとだけ見惚れながらも悟られないように淑女の笑みを浮かべながら私は是非よろしくお願いします、と頭を下げる。商会としてはやはり高位貴族との縁を持ちたいしね。


「流石に私の家においでとは言えないからね」


 どこか寂しそうなクリストファー様だけど当たり前です。商会としてなら公爵家をお伺いする事は出来る。何せファンベル商会は既に国内を制覇してるからね。色んな領地に支店だってあるし、流通面だって整えている。馬車も安全安心を目指しているし、お金をかけて護衛だって雇っている。当然だけど、裏切らないようにお給金だって高めにしているので金で裏切らせるなんてことは無理。

 というのは置いておいて、王家は無理がある。冗談でも口に出されたら困ってしまう。何がって、王家御用達の商会を敵に回しかねないから。国内制覇しているけれども独占しているわけじゃない。持ちつ持たれつの関係なので手を出してはいけない領域というのはわかっている。幸いにして王家御用達の商会関係者は少し上の世代なのでここにはいないけれども、迂闊な発言は避けていただきたい。


「殿下、あまり軽やかに冗談を言っては駄目ですよ」

「ああ、そうだったね」


 アドルフ様が取りなしてくれたおかげでこの話は冗談という事でまとまった。それにしても、ぐさぐさとした視線は突き刺さる。クリストファー様は今後も特進科での昼食交流をする予定らしいので、私とマリアンヌ様は参加する事になるだろうから、私の気苦労は絶えない。

 そして私はちゃんと気付いているよ。転生悪役令嬢アクシア=ローゼンハイツ。貴方が私を視界に入れて絶望と安堵の笑みを浮かべた事を。でもね、貴方わかってないよ。全くわかっていない。自分の置かれている立場を一つも理解していない。

 何故私がここにいるのかを理解していないし、隣にいるマリアンヌ様を視界に入れていないのも駄目。本来淑女科に入ってなければならない私が何故特進科にいるのか、不思議に思わないでいるのが駄目。

 流石、作中において「私は凡人だから」と己を認識していたアクシア=ローゼンハイツ。貴方は間違いなく凡人だわ。だからきっと、取り返しのつかない失敗をしてしまうと思っていたの。





 それから三年後、アクシア=ローゼンハイツは国王陛下に召喚され謁見の間にいた。彼女の隣には彼女の父が神妙な面持ちで顔を伏せている。アクシアは全くわけがわからないという様子で周囲を見渡している。そして視界に私を捉えると何とも言えない表情をしていた。


「これは既に定まった事である。アクシア=ローゼンハイツ。そなたと第一王子クリストファーとの婚約は解消された。そしてそなたは速やかにシュヴァッタ国の後宮に入るように」

「え……」


 国王陛下からの命である。驚愕と言った表情を浮かべる彼女を私は冷静に見ている。明日は学園の卒業パーティーが行われる為、その前日に彼女にこの決定を告げることになった。


「な……何故、わたくしが……」


 震える声のアクシア。貴方は本当に何も考えていなかった。ここはどこまでも現実でしかないのに。貴方は一人夢想の中に生きていた。


「理由はわからぬか」

「わ、分かりません」

「そなたが第一王子の婚約者としての責務を果たしていなかったからだ」

「それは! クリストファー殿下が、あそこにいるアイリ=ファンベルさんと親しくしていたから」

「そのような事実はない」

「え……」

「クリストファーとアイリ嬢はどこまでも学友としての距離を保っていた。何より、アイリ嬢は一年と半年前よりアドルフ=レーベルーズの婚約者である。故に、彼女はアドルフの婚約者としてクリストファーと接する機会は確かにあった。しかし、クリストファーに付けている監視者からの報告や学園の教師からも一切の不貞の事実はないと証言を得ている」


 奇跡としか思えないが、私はアドルフ様の婚約者になっていた。レーベルーズ公爵家は本当にファンベル商会をお招き下さったので、父と共にお伺いをさせていただいた。アドルフ様のお母様と嫁がれたお姉様から私が使っている化粧品について問われ、私の体質に合わせて作ったもので、いくつかの種類がある事や、肌には人によって相違点があり、皆同じものを使っていればいいわけではない事などを説明させていただいた。

 また、他にも珍しい爪紅や社交界で流行しているけれども扱いの難しい動物性香料ではなく植物性香料などを売り込んだ。宝石などはやはりファンベル商会でも中々難しいところであるが、こういった日常品でありながら社交で影響を及ぼすような小さなアイテムは私が得意としていた。とは言っても前世の知識なんてものは全く活用されず、必死に手あたり次第挑戦してどうにか形にしたものばかり。爪紅は正直爪に塗るだけなんだから簡単に出来ると思っていた。でも実際は中々難しかった。解決の糸口は他国の少数民族で、そこでは爪に色を乗せていた。幸運にも話を聞く機会を得られたので色々聞いて、そこからこの国で入手出来そうな材料を模索しつづけた。何度も失敗したけれども完成した時は嬉しかった。そして同時に爪紅を落とす除去剤も開発した。そして除去剤の後のケア用品も用意したり、爪を飾る小さなアイテムだって準備した。これらの開発年数はかなりかかったけれども、それでも私が学園に入学する前に完成したので、レーベルーズ公爵家の婦人方に売り込んだ。結果、大変気に入られた。

 昨今の社交界の流行は少しばかり停滞していたそうで、そこに現れたのが鮮やかで煌びやかに彩られた爪とふわりと花を思わせる香料。下手に他に手を出さず、この二点に絞ったおかげでレーベルーズ公爵家の夫人と嫁がれたアドルフ様のお姉様は最先端を行く女性としての価値を高めた。

 私としてはこれを機にファンベル商会の名を高めるつもりであったし、実際に高位貴族の中でも格の高い公爵家や侯爵家の皆様の意識の端に留めて下さったのだけれども、公爵夫人からの囲い込みが起きた。そして私がアドルフ様に心を寄せている事も露呈していた。隠しても滲み出ていたようだ。しかし、家格に差がありすぎる。男爵家から公爵家にというのは無理な話だ。

 しかし、アドルフ様はそもそも次男で後継者ではない。そこでレーベルーズ公爵家が有している伯爵位をアドルフ様が賜り、私はなんとマイケル=ホッセルの家であるホッセル伯爵家と養子縁組をした上で嫁ぐという事になった。伯爵家であれば公爵家の次男との結婚はあり得る話で、しかもこれはレーベルーズ公爵家とホッセル伯爵家にとっても中々にいい縁談になるという事だった。

 ファンベル男爵家としては私の気持ち次第だという事で、自由にしていいと言われた。既に私という存在はファンベル家に大きな利益を提供したという事なので。やはりどこまでもファンベル家は貴族というよりも商人だ。貴族になったのは単純により大きく商売を広げる為だっただけで。

 アドルフ様は良いのか、と混乱したけれども、アドルフ様も私に心を寄せて下さっていた。

 最初こそあまりにも家格が低いので、教育もまともに受けていないのではないかと思っていたようだけれども、きちんと見ていれば幼少期から教育されている上、商人として実績を残していて、学業も一切の妥協をしていないという事に気付いて下さったようだ。

 クリストファー様との距離も決して間違えず、それどころか商会を経由して得た諸外国の表に出ないけれども市井に触れていれば気付くような予兆などを授業を介して伝えるという所も評価してくださったようだ。これはその通りで、海の向こうの国で内乱が起きそうだという予兆を掴んだりしたらある程度情報を精査して、私はそれを授業で分かる人には分かるような形で伝えてきた。そしてクリストファー様はその情報を持ち帰り、王宮の外交担当者と綿密に確認し合って調査したりしていた。

 おかげで私の価値というかファンベル商会の価値は特進科に通う人々にもしっかりと認識してもらえた。勿論これは他の商会だってしている事だろう。しかし、この年代においては私くらいしか彼らに齎す事の出来なかった情報だ。

 アドルフ様はそんな私に次第に好意を寄せて下さっていた。そこに来て公爵夫人の囲い込みがあったものだからしっかり便乗した。伯爵になるのは良いのかと思ったけれども、クリストファー様のお側につくにあたって爵位があるのは有利になれども不利にならず、しかも領地は無く名目の物で、私と婚姻する場合は公爵家が所有する王都の屋敷の一つを下さり、王宮へ通うのも問題がないというらしい。

 そうして様々準備が整った上で、無事に私とアドルフ様の婚約がなされた。勿論、ファンベル男爵家と縁を切ったわけではない。養子になっても私は両親と兄を愛している。ホッセル伯爵家の皆様もそれをわかって下さっているし、レーベルーズ公爵家の皆様もそうだ。私には実の両親、養子先の両親、そして未来の義理の両親と三組の親がいるという状況になっている。マイケル様とは養子縁組した事により兄と妹になった。婚約式は小規模で行ったし、ファンベル商会を広めたいというのもあって学園に通っている間は便宜上『アイリ=ファンベル』を名乗っているけれども、書類の上での私は『アイリ=ホッセル』になっている。


 本格的な囲い込みが出会ってから八カ月目くらいで、そこからさまざまな手続きや根回しなどをして婚約者になったのは七か月後。つまり一年半前に私はアドルフ様の婚約者になった。そこにはクリストファー様のお力添えもあった。信頼出来る侍従であり学園では護衛もしているアドルフ様の婚約者になるわけだから、王家に少なからず近寄ることになる。王家からの調査は入ったし、私もしばらくの間監視されていたけれども、それを乗り切ったおかげで無事に婚約出来た。アドルフ様がその立場でなければそれらも無かったけれど、クリストファー様に近い人だからこそ徹底的に調べられた。

 王家が出した結論は『アイリ=ファンベルはお金を豪快に使うが、必ず利益を出す人間である』という事らしい。どういう事だろうか。私はお金を愛しているけれども。お金があれば何とでもなると思っているけれども。

 貯め込むだけでは経済は回らない。お金は使って利益を生み出すもの。死んだお金など価値はない。

 我が家で雇う使用人、商会の従業員には惜しみなくお金を使う。最高の教育を施す。そうする事で彼らの価値を上げる。どれだけ引き抜こうとも我が家以上の給与を払い続けることが出来るのか。不正を働かせようとして裏切りをさせようとしても、今の環境を捨ててまで選ぶ価値があるのかなどを叩き込んできた。商人の家に雇われている従業員は当然損得勘定で計算する。そして誰もがファンベル商会を選ぶ。当たり前だ。家族が病気になれば最優先で特効薬だって取り寄せたりしているし、年老いて働けなくなったら退職金だって惜しまない。忠実な人間一人という価値は計り知れないものだからこそ、そこにお金を注ぎ込み、長い間ファンベル家に勤めてくれる者を育てる。

 使用人をただの『モノ』として扱う貴族には絶対に理解出来ない事だろう。そうする事で我が家の情報は外部に流出しないという状況を作り出してきたのだ。爵位をお金で買った曽祖父が。


 私は社交界の中心になりたいわけではない。ただ、自分の生み出した女性を美しくする商品を広め、利益を生み出したいだけだ。だからアドルフ様が例え伯爵ではなくて子爵や男爵、騎士爵とかでも問題はない。平民になっても、となるけど別に平民でも平気。その時はファンベル商会のアイリとして公爵家を始め多くの貴婦人に私の商品を売り込む商人になればいいだけだし。

 私はお金を愛している。そしてそれと同じくらいアドルフ様が大好き。だからこそ、クリストファー様との距離を絶対に間違えず、誰にも疑われないよう潔白であるように努めていた。特にマリアンヌ様と行動を共にさせていただき高位貴族の立ち居振る舞いを直に教えていただいていた。

 決して婚約者以外の男性と二人きりにならない。家族や婚約者以外の男性と身体的接触を行わない。という当たり前の事を徹底してきた。当然だけれども、養子に入ったマイケル様とは極稀に社交の場でエスコートされていたけれども、この時はアドルフ様も了承の上、実兄とその妻には傍に控えてもらった状態で、婚約者のいないマイケル様の婚約者のいる義妹という立場でいた。

 徹底した行動のお陰で私に後ろ暗いところは一切ない。

 それをアクシア=ローゼンハイツは何故知らないのか。それはクリストファー様を避けて会話もまともにしなかったからに他ならない。王族に嫁ぐ立場なら当然だけどアドルフ様や私の事を知っていなければならないのに、彼女は王子妃教育を受けて直ぐに屋敷に戻るという生活。交流の場を設けても理由を付けて短時間で切り上げる。

 彼女自身は断罪回避の為だったのだろう。でも、現実を見ていない。

 それもあってクリストファー様とアクシア=ローゼンハイツの婚約の解消は必然となった。ローゼンハイツ公爵とて何度も彼女に掛け合ったが、彼女は一切行動を改めなかった。結果、ローゼンハイツ公爵は公爵家並びに一族を守る方向に舵を切らざるを得なかった。彼女を婚姻による外交政策の駒にする事でローゼンハイツ公爵家の立場は守られるように実に入念な根回しが行われた。どんな相手でも国王の妃になる。大事に育てた娘をそんな場所に送るのは公爵だって辛いだろう。しかし、隣国トルベニアの第二王子と密会していた事実がある以上どうしようもなかった。

 アクシア=ローゼンハイツはトルベニア国第二王子のフォカロスと親密な関係になっていた。フォカロスは身分を隠してこの国に留学してきて、貴族科でアクシアに出会った。クリストファーとの関係が上手く行っていなかったアクシアに同情し、彼はアクシアを娶ろうとしてトルベニア国に根回しをしようと動いたそうだ。そしてトルベニア国から内密に打診が来たのだけれども、それを許すような我が国ではない。

 アクシアがフォカロス王子にどんな話をしたのかは知らない。彼女の中身はどこまでも凡愚で現実から目を逸らし続けた女だ。被害者ぶって同情を買うような発言をしていたというのは監視者から報告されているらしい。私は詳細を知らないけれど。二人の距離は近付いて、道ならぬ恋に溺れた悲劇の恋人気取りをしていたとアドルフ様に教えていただいた。

 その報告書をトルベニア国の国王に送った結果、フォカロスの根回しは失敗した。そもそも彼だって婚約者候補が三人もいたのだ。それを捨ててアクシアを選びたいなど何を考えていたのか。王族の結婚は個人の感情に委ねるものではなく、国益を最優先しなければならない。その中で愛情を芽生えさせるものだ。というよりも、貴族とは基本的にそのようなものだ。

 私とアドルフ様はお互いに思い合っていたけれど、そこには家に利を齎すからこそ許されたわけで、私が何も持ち合わせていなければ認められなかった。だから必死に私は私の価値を上げて有益であると証明し続けてきた。私自身、語学の習得を最優先にしていたので、アドルフ様がクリストファー様について諸国を巡る時に同行する事が出来る。通訳だって可能だ。何よりも、ファンベル家がしっかりと広げてきた商会の力は外交にほんの少しでも役立つ。

 己の価値を磨かなかったアクシアは自分を悲劇の渦中にいると思っていたのかもしれない。私がクリストファー様の心を奪う人間だからと思い込んでいたのかもしれない。きちんと冷静に状況を見ていればそんなことは無いと直ぐに分かる状況にあったのに。

 アクシアがそんな状況だし婚約の解消は想定されていた。結果、マリアンヌ様が新たなる婚約者候補として挙がったのは必然だった。年が近く家格に問題がなく、王立学園の特進科での成績も申し分がない。王子妃教育とあまり変わらない授業内容のお陰で実際に学ぶものは想定よりも少なく、一年ほどの時間があれば十分に水準を満たした。というよりも、それだけで十分な教育をまともにこなそうとしなかったアクシア=ローゼンハイツは婚約者として認められないというのは当たり前の話だ。

 特進科に入れば王子妃教育の大半は免除される。だからアクシア=ローゼンハイツは特進科に入らなければならなかったのに彼女は逃げた。貴族科に逃げ込んだ。そして自滅への道を辿った。

 マリアンヌ様とクリストファー様の関係は良好だ。情熱的な愛情はなくとも互いを尊敬しあえる環境は学園に整えられていた。婚約者候補として王宮でも交流する場を設けられて二人は様々な討論をしていたらしい。

 クリストファー様はお花ちゃんのように篭絡される事なく聡明で優秀な第一王子であり続け、学園をかき回す私はアドルフ様と婚約した。

 アクシア=ローゼンハイツと彼女に巻き込まれてしまったトルベニア国第二王子のフォカロスだけが自滅への道を辿る事になった。フォカロスとてアクシアがきちんとしていれば彼女に接触することなく帰国し、彼の三人の婚約者候補から一人を選んで王弟としての道を進んだことだろう。しかしその道は断たれた。彼は卒業パーティーに出ることなく強制的に帰国させられた。一応授業単位は取得していたので認定証は国王あてに送ったようだけど、彼の未来は決して明るいものではないだろう。


 そして自滅したアクシア=ローゼンハイツは明日の卒業パーティーには参加出来る。多くの監視者がついた上で。そしてそれが終わり次第速やかに西にあるシュヴァッタ国に移送される。シュヴァッタ国は独特の文化を形成している国で美食の国として有名である。数多くの香辛料を交易品としているが、大変に高価な品である。シュヴァッタ国はハーレムがある国で、後宮に妃を入れるのであればその代わり輸出する香辛料の税を下げるというのがあり、それに便乗した形になる。

 アクシア=ローゼンハイツを最大限に利用しようというわけだ。アクシアとしては、早く婚約を解消してくれれば良かったのにという気持ちだろう。だが、ローゼンハイツ家との婚約は意味があった。政略なのだから意味しかなかった。

 婚約解消が最近可能になった理由として、アクシアの年の離れた弟と、国王の側室から生まれた王女の婚約が調ったからだ。本来その王女は別の国に嫁ぐ予定だったのだけれども、内乱が起きて婚約が解消されたのだ。そう、海の向こうの国だ。王女が成人して臣籍降下して大公位を得て、アクシアの弟がそこに婿入りする事で王家とローゼンハイツの政略が果たされるという事になったので、今になってアクシアとクリストファー様の婚約が解消されることになった。

 彼女がきちんと役目を果たしていれば王女は別の国の年が合う王族と新たなる婚約を結んで嫁いでいた事だろう。王女殿下の気持ちは分からないけれども、噂によれば他国に嫁ぐのは寂しいと嘆いていたようなので、国内に留まれる未来が出来たのは王女にとっても良かったのではないだろうか。

 時間は十分にあった。現実を見て振り返りやり直す時間はたっぷりとあった。しかし彼女はそれらを捨ててしまった。国王陛下もクリストファー様も待ってはいたのだ。ぎりぎりまで。しかし、フォカロスとの密会、親密な関係は見逃せなかった。王族に嫁ぐ女性の能力が多少劣るのはどうにでも補助出来る。しかし異性関係は許されない。王家の血を繋ぐのが使命であるのに、それを揺るがすような行為をする彼女は、王族に嫁ぐ以前の話、貴族の令嬢としてあまりにも非常識過ぎた。

 貴族としての特権を甘受しながら責務を果たさないのは許されてはいけない。平民は貴族の生活を成り立たせるために税を納めている。貴族は平民から受けた税で恵まれた生活をしている分、彼らに還元しなければならない。アクシアと王族の婚姻はそれに関わるものであった。可哀想なアクシア=ローゼンハイツ。前世の記憶というものがよみがえり、自由恋愛が当たり前の世界の知識を有してしまった上、変な知識を持ち合わせてしまったために彼女はこの世界に適合出来なかった。前世は前世として割り切って良いところだけを頂いて、きちんと貴族の責務を果たしていれば彼女には輝かしい未来が待ち受けていたのに。


「ローゼンハイツ公爵。支度は調っているな」

「はい。明日の卒業パーティーが終了次第、出立出来るようにしております」

「ショーンと第三王女ファリシアの婚約については明日発表を行う」

「御意」

「クリストファーとアクシア嬢の婚約解消。アクシア嬢のシュヴァッタ王国の輿入れ。クリストファーとマリアンヌ嬢の婚約発表も明日行う」

「え……マリアンヌ様? クリストファー様とマリアンヌ様がこんなに早く婚約するなんて……不貞をしていたのは彼らという事ですか!?」

「アクシア!黙りなさい!」


 国王と公爵が淡々と話している最中、思わぬ事を聞いてしまったという表情を浮かべながらアクシアは二人の会話に割り込んだ。それがどれだけ非常識であるかも理解出来なくなっていたのだろう。大声で公爵が娘であるアクシアを叱るが、国王はよいよい、と軽く手を振ると、何の感情も浮かんでいない目でアクシア=ローゼンハイツを見下ろしていた。


「何を言っている。そなたが婚約者の責務を果たさなかった事。第三王女ファリシアの婚約が解消されたためそなたの弟であるショーンとの婚約が可能になり王家とローゼンハイツ家の政略が果たされるとみなされた事により、マリアンヌ嬢が婚約者候補になった。だが、そなたが少しでも我が身を振り返り責務を果たすならばと候補のままでいた。だが、そなたはトルベニア国のフォカロス第二王子と不貞を行っていた。故に、政略を果たせないとして解消し、候補であったマリアンヌ嬢を正式に婚約者にするというだけの話よ」

「そんな……私は、フォカロス様と不貞なんて」

「密室で二人きりになる。手を重ね合わせる。そして先日は口づけをしたそうだな。全て報告されている。そなた、王族に嫁ぐという意味を理解していなかったのか。王族との婚姻は王家の血を繋げる事であり、異性との関わりは厳しく監視されている。クリストファーも当然監視下にあったが、そなたも同様に監視下にあった」

「あ……それ、は……どうして……」

「何故そなたがクリストファーを避けていたのかは知らぬ。だが、王族並びに貴族の婚姻は政略がある。特にクリストファーとそなたは余と公爵の名において結ばれたものである。解消など本来はあり得ぬのだ。しかしながら、そなたは王子妃教育を受けているようで引き延ばし、瑕疵を作ろうとしているようだと報告もされていた。更にクリストファーとの交流も最小限で身勝手に切り上げる。どれだけクリストファーが婚約者として誠意を見せても拒絶をする。政略であるがゆえに解消出来ないのであれば側室にとも思ったが、年の合う令嬢で婚約者のいない者は少なく、そのいずれも公爵家よりも爵位が低くなる。他国から王女をというのは現状は不可能であった。正室が側室よりも爵位が低いというのは望ましくない。そなたが貴族の責務を放棄しなければ問題が無かったというのに。結果として、ショーン殿は第三王女と婚約し婿入りする事になり、マリアンヌ嬢はクリストファーと婚約する事になった。それぞれ他に多くの選択肢があったというのに、そなたがその選択肢を奪い取ったのだ」

「ひぅ……」


 国王陛下の抑え込んだ怒りがこちらにまで伝わってくるようだ。私は隣に立つアドルフにほんの少しだけ体を寄せる。アクシアは本当に現実が見えていなかった。クリストファー様の隣にはマリアンヌ様がいたし、私の隣にはアドルフ様がいた。しかし彼女の目には私とクリストファー様しか見えていなかったのだろう。きっと思い込みの激しすぎた彼女だから、作中に出なかったマリアンヌ様は排除され、アドルフ様も攻略対象者ではないから排除されていた。

 作中でお花ちゃんな『アイリ=ファンベル』に篭絡されたクリストファー様の未来の側近候補たちは私が馬鹿な真似をしていないのできちんと堅実に実績を積み、それぞれの婚約者との関係だって良好だ。

 都合の悪い話は耳に届かず甘い甘いフォカロスの言葉しか受け付けなくなっていた彼女は周囲の声も聞こえていなかったのだろう。真っ当な令嬢達は散々忠告していた。アクシアが言うような『アイリ=ファンベル』の行動は無い。このままではマリアンヌ様が正式な婚約者になる、と。

 可哀想に。本当にどこまでも可哀想な女。これが貴方の望んだ未来だったの?

 断罪を回避したいという気持ちは分かるけれど、シナリオなんてない。強制力なんてない。貴方が知っていた作品の中身とは全く違う状況になっていたのに、それでも受け入れなかった。何時か『アイリ=ファンベル』とクリストファー様が結託し断罪すると信じ込んでいた。

 学生のほとんどは理解している。アクシア=ローゼンハイツの婚約は解消されると。領地に幽閉か修道院に出家するかとすら思われていて彼女の周りから人が消えた。それもまたアクシアは『アイリ=ファンベル』が何かしらの行動を起こして彼女の周りから人を排除したと思い込んでいたらしいけれど。そんなことは一切していない。彼女は自分で他者が離れるようにしただけだ。

 周りの声を聞いて、せめて私を呼び出して話し合う事をしてさえすればよかったのに。

 アクシア=ローゼンハイツが積み上げてきたものの結末が今に至っているだけ。同情の余地はどこにもない。


 力なく床に座り込んだアクシア=ローゼンハイツ。今でも彼女は自分を悲劇の人だと思っている事だろう。でももうどうにも出来ない。貴方が手を取りたかったフォカロスはこの国にはいない。貴方は明日になればシュヴァッタ王国に向かって出立し、ハーレムに入って香辛料の値下げの役に立つという使命を果たす事になる。

 ファンベル商会は船を有しているので海路による輸送で噛ませてもらっている。陸路と海路では輸送費に違いが出てくる。ファンベル商会が関与出来たのは海を越えた国の内乱を真っ先に知らせた褒美だ。ファンベル男爵家は子爵家へ陞爵する事が決まった。


 アクシア=ローゼンハイツ。貴方には謝りたいことがあるの。

 私がクリストファー様に「アクシア様は私とクリストファー様の関係を誤解しているようなのです」という事を早めに伝えていればきっと直ぐに動いてくれたと思う。そしてしっかりと説明をしてくれて貴方の不安を取り除いてくれたはずだ。でもね、私はそうしなかったの。

 だって、貴方はとても不愉快な人だったから。

 依存先を無意識に求めてか弱い自分を演出していた。それに引っかかったのがフォカロスだったのは彼の不幸。身分を隠して隣国の侯爵家の子息と言っていた彼に救いを求め、そして王族であると露呈したところで本格的に捕獲しようとしたよね。

 第二王子で将来は王弟になるフォカロスであれば今と変わらない水準の生活が出来ると無意識に計算したでしょ。それを悪いとは言わない。でもね、貴方がその状態で隣国に行って悲劇のヒロイン気取りのままでいれば、我が国の第一王子クリストファー殿下は恋に溺れた愚か者という不名誉のままでいることになる。正式抗議をする事になるし下手をすれば関係にひびが入るの。

 貴方の愚かさで国を揺るがすなんて状態になるのは非常に困る。それに、聡明なクリストファー様の隣にどこまでも凡愚な貴方は相応しくなかった。同じように聡明で国を思い同じ方向で未来を見て、時にクリストファー様を諫め、励ます事の出来るマリアンヌ様の方が隣にいるに相応しいと私は思ったの。その方が国は安泰で、より発展すると思ったから。

 貴方がクリストファー様の隣にいることによる利益と不利益、マリアンヌ様が隣にいる利益と不利益。他にも様々な令嬢などを考えた上で、貴方は不利益しかもたらさないと思った。だから私は動かなかった。

 商人は先の先を見据え利益が出るか、不利益が出たとして補えるか、切り捨てるか、などを見極める必要があるの。私だけは貴方の置かれている状況をそれなりに理解出来た。その上で見捨てたの。

 ごめんなさいね。結果として貴方は三十代後半の国王が治めるシュヴァッタ王国のハーレムに入る事になったの。

 クリストファー様の傍に仕えるアドルフ様の婚約者として私はここに立っている。そして貴方の末路を見ている。とても素敵な自滅への道だった。登場人物の立場を少し弄って設定も弄って、贔屓にしている物書きに物語を書かせましょうか。きっと素敵な教訓になるわ。

 思い込んで確認もしないで流されていけば自滅していくしかない、というね。


「アイリ、行こう」

「ええ、アドルフ様」


 アクシアはローゼンハイツ公爵に連れられ場を去った。彼女は逃げられないよう、王宮にある公爵家が使っている一室に一日閉じ込められる。

 これから国王陛下とマリアンヌ様のお父様であるシャンディフ侯爵が話し合いを行う為、この謁見の間での話は終了となる。クリストファー様とマリアンヌ様は明日のパーティーの最終確認をするという事なのだが、アドルフ様はクリストファー様から離れないので私も一緒に赴く事になる。

 それにしても、アドルフ様の少し掠れた声は本当に良い。婚約者なので腕に手をかけて歩く私達の前で正式発表前のクリストファー様とマリアンヌ様は手を重ねるだけのもの。だけど明日になれば正式発表になり、正式な婚約者になるので腕に手を添えることになる。お二人は本当にお似合いで美しいものが大好きな私は後ろ姿を見ているだけでも笑顔になる。


「それにしても、何故ローゼンハイツ嬢はアイリがクリストファー様の不貞相手だと思ったのだろう」

「分からないわ。特進科の令嬢は私とマリアンヌ様の二人だけだったから、勘違いしたのかしら」

「君は異性との触れ合いに関して慎重すぎる程だったのにね」

「そうよ。だって私はアドルフ様を心からお慕いしているのだから、少しでもそれを疑われる要素は排除したかったの」


 同じ特進科の子息はそうじゃないにしても、貴族科の子息達は本当に酷かった。厭らしい目で私を見てくるものだから気持ち悪すぎた。軽率な行動に出る者がいてもおかしくない為、私は細心の注意を払っていた。集団行動を心掛け、マリアンヌ様からは離れない。そして淑女科の令嬢達を味方につけていた。ファンベル商会の女性向け化粧品は独自開発したもので流行の最先端だと知れ渡ると、令嬢達から熱心なアプローチをされた。たかが男爵令嬢と最初は思われていても、しばらくすれば私の取り巻く環境を認識しきちんと対応してくれるようになった。アドルフ様と婚約した時は嫉妬の嵐に見舞われたけれど、ファンベル商会で女性用商品を開発している私の価値と天秤にかけて妥協してくださった令嬢は多い。レーベルーズ公爵家やホッセル伯爵家、マリアンヌ様のシャンディフ侯爵家が後ろにある上、力あるファンベル商会を敵に回すのは得策ではないと現実を知っている令嬢達は私の良き友人になった。

 だからこそ、私は彼女たちにも守ってもらっていた。マリアンヌ様がいらっしゃらない時は淑女科の令嬢に囲われて。勿論、そうして頂いている以上彼女たちに返すのが商人。他国で流行しようとしている商品があれば真っ先に紹介する。化粧品関係は公爵家が優先なのでそれは出来ないけれども、例えばお茶とかお菓子は貴族令嬢に必要なものだ。情報を渡せば彼女たちはそれを家に伝える。そして調べ、取り寄せる。その際にファンベル商会を利用してくれる。仕入れた商品を使ってお茶会を開けば、まだ国内では自分達しか取り扱っていないけれども近い将来流行するだろうその最先端を行く、という評価になる。

 彼女たちの令嬢としての価値を上げる一端になる事で私は私の身を守れるようになる。


 アクシア=ローゼンハイツだってやろうと思えば出来た事。でも彼女には出来なかった。それだけの才能がなかった。前世の知識で言う所の「前世チート」というのは実際にやろうと思っても無理。でもそれに近いものを生み出すよう動く事は出来る。爪紅や植物性香水がそう。試行錯誤を繰り返し、資金だってかなり費やした。でもそれが回収できると見込んだから惜しまなかった。化粧品の開発だってそう。肌質は人によって違うというのが分かれば使う材料だって変わる。伝手を使えば幾らでも材料は集められる。公爵家なら莫大な財産と人脈があったはずなのに。それこそファンベル商会のような商会を集めることも出来ただろうに。

 可能性は幾らでも言える。でも結末は定まってしまった。


 アドルフ様と出会って見惚れて恋をした私はアドルフ様以外を見るなんてことはしなかった。一途にお慕いしてアドルフ様に相応しいと思われるように努力し続けた。その私の姿をきちんと見ていれば良かったのに。

 漸くアクシア=ローゼンハイツを排除する事が出来た。フォカロスも国へ戻す事が出来た。後は輝かしい未来の為に、これからも努力していくだけよ。


「アイリ、君の笑顔は本当に素敵だね」

「ふふ。ありがとう。アドルフ様のお側にいれば私は幸せで頑張ろうと思えるの」


 さようなら、アクシア=ローゼンハイツ。精々、今度は自分で努力して幸せになるよう異国のハーレムで頑張ってね。

■6/18の活動報告:【小ネタ】最近書いた転生系の転生した令嬢視点のお話

の3番目の展開に近いところがあります。

■7/4の活動報告にちょっとした裏話を載せています。

■誤字脱字はデフォルトですのでご連絡いつでも感謝申し上げております。


補足説明

この世界は、アクシアをヒロインとした『転生悪役令嬢は断罪を回避したい』みたいな名前の小説ベースになります。

その内容は、

---

『恋する乙女』という感じのゲームで悪役令嬢だったアクシア。ヒロインは五人の攻略対象者と共に学園生活を謳歌する。ヒロインをいじめ倒したアクシアは卒業パーティーでヒロインと王子(アクシアの婚約者)並びに他の攻略対象者に断罪される。その行く末は悲惨なもので―。

という事を思い出してしまったアクシアが、断罪を回避する為に奔走する。その中で攻略対象者ではなかった隣国の第二王子フォカロスと出会う。彼は身分を隠していたが…。

---

というよくあるようなテンプレ系世界です。

主人公のアイリの脳裏に割り込んで居座った前世の記憶は、この小説を投稿サイトで読んだ事があるというもの。

なので、アクシアの転生とアイリの転生は別次元です。

ですので、アクシアはフォカロスが王子であることを知らないです。ゲームに出ていないので。

でもアイリは小説で読んでいたので知っています。


アクシア視点で行けば「ここは『恋する乙女』の世界!?私は悪役令嬢アクシアになってしまったの!?ゲームの通りだと私は断罪されてしまう!そんなの嫌だ!」となります。

アイリ視点で行けば作中通りなのですが「あー、小説のアクシアを生で見るとめんどくさい女だわ。彼女の回想で出てきたゲーム内の悪役令嬢アクシアは性格最悪だけどプライド高くて悪女って感じでそっちの方が好きだったのに」となります。

このパターンの小説は今後も書いていくので、是非ご理解いただけると嬉しく思います。

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― 新着の感想 ―
[良い点] とても面白かったです。転生ヒロインの性格が好みです
[気になる点] 前世の記憶が戻ったのは冒頭だと学園の校門前の時のはずなのに話が進むと学園入学前に爪紅を作る話で前世の知識云々という話が出てきている。
[一言] やはり悪役令嬢は悪役令嬢たらねばならない。惰弱や不覚悟やましてや逃げ腰などハラキリすべき。
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