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ブックマークをはずさないで ~あなたは私を簡単に捨てた。用済みの栞のように~

作者: 夜狩仁志

エブリスタの、三行だけの小説から長編小説まで100文字(三行程度)~8000文字。『超・妄想コンテスト』テーマ「あなたと離れた理由」投稿作品。「ブックマークを外さないで」を加筆修正したものです。

 

 昼休み。


 同僚の煩わしい世間話や噂話を避けるため、オフィスを抜け出し一人近くの公園へ。


 暦では、もう冬。

 外の寒さは厳しい。

 いつもなら、なんてことない風も、今の私にとっては、身も心にも突き刺さるように痛く感じる。


 こんな寒さでは、公園に誰も居るはずはない。

 だから、一人でゆっくり過ごせる。


 枯れ落ちた木の葉が、冷たい風に流されて、地面を這いずり回る。


 そんな様子が、まるで私みたいで、思わず鼻で笑ってしまう。


 冷蔵庫のように冷たいベンチに腰掛けると、学生時代から読み続けている恋愛小説を取り出す。


 もう何回も読み直した本。

 登場人物も、

 内容も、

 結末も、

 全て分かっている。

 教科書以上に使い込んだページは、隠された財宝の地図のようにセピア色に変色し、端が千切れて欠けている。

 でも、いくら読み返したところでこの小説には、宝の在りかも、私の幸せも、この先の未来も、なにも載ってはいなかった。


「長い方が好きだ」と言われて伸ばし続けた髪が、風に流されページを覆い、邪魔で仕方がない。


 うっとおしい。


 自分の体の一部なはずなのに、あいつみたいに、私の前に現れてはウロチョロ視界を遮るので、だんだんと腹が立ってきてしょうがない。


 次の休みにでも、切りにでも行こう。

 バッサリと、あいつと付き合う前の昔みたいに。


 そう……

 彼と出会った3年前の時代のように。


 3年前、取引先の企業との合コンで、私は同僚の子たちに誘われて、半ば無理やりそれに参加させられた。

 興味のなかった私は、同僚の数合わせのために駆り出されたのだ。


 あの頃の私は就職して一年目で、心身ともに疲弊していた時期だった。


 地元の大学に進学し、卒業し、そして都会で就職。


 これを機に生活環境を一新するつもりで、上京してから身の回りの物を買いそろえた。

 だから実家から持ってきたのは高校時代から読んでいた、この恋愛小説くらい。


 自分もいつかはこんな小説のような、素敵な恋愛が出来るものだと信じていた。

 ドラマのように都会に出れば、キャリアウーマンとして美しく華麗に立ち回れる。

 困難も降りかかるが、それを彼氏に助けられ、協力しながら成功を収め、最後はハッピーエンド。


 私もそんな小説の主人公のような人生を歩むものだと、勝手に思い込んでいた。


 しかし現実は違った。


 いくら頑張っても出世はしない。企画は任されない。そもそも仕事を回してこない。

 結局、一部の有能な人間の間だけで仕事が回され続け完結する。

 私の実際仕事といえば、雑用じみたもの。


 職場環境はドロドロしていた。女子トイレでは鏡を前に、みんなが悪口陰口愚痴ばかり。

 そんな話は聞きたくなかった。

 あいつが失敗したとか、不倫してるとか。調子に乗っているだとか。


 現実の人間関係は小説の紙よりも軽く、薄く、燃えやすかった。


 そんな時に出会ったのが、彼だった。


 合コンで出会った彼は、知的で洗練された好青年に見えた。

 少なくとも、あの時の私にはそう見えたのだった。


 まだ、都会の知らない私。

 彼はいろんなことを知っていた。


 美味しい小料理店。

 お酒の美味しいイタリアン。

 夜景の奇麗な高層ビル展望台。

 海が綺麗な海浜公園。

 流行りのアパレル。

 高価なアクセサリーと、その取り扱い。


 遊びから、ショップ、デートスポットまで。


 ガイドブックにも、小説にも書かれていないことを、たくさん教えてくれた。

 それが彼を、魅力的に映し出していたのかもしれない。


 彼なら……


 彼なら私に無いものを書き足してくれる。

 そして、私という一冊の本を、最後まで一緒に読んでくれると思っていた。


 大勢の中の一人。人間性などは必要とされていなかった都会。

 職場では、私という中身などは関係ない。

 結果と成果がすべてで、途中までのストーリーには一切意味がない。


 そんな環境で疲れ果てていた私を、私という主人公の本を読んでくれている。

 一人の人間として接してくれている。

そう信じていた。


信じていたのに……



 ……しかし、それも間違いだった。



 あいつは私を、しおりとしか思っていなかった。

 あいつが思い描く自分自身の物語の、その一小節の目印に、私は利用されたに過ぎなかった。


 私に近づいてきた理由は……


 取引先の社員としての情報提供。

 遊びに行くための資金提供。

 恋人がいるということでの箔をつけるための見栄え。

 自分の思い通り言うことを聞く、都合のいい人間。


 あいつの人生という名の小説の中での、目印として栞として利用されただけの私。

 こんな小さくて薄い紙っペラの栞。

 そのものには、なんの意味も価値もない、ただの本に挟む為の紙。

 読み終えた小説には、栞はもう不要。


 あいつと私の関係は、栞のように薄く軽い紙でできており、そして紙のようにあっという間に燃えて消えてしまった。


 実家にも戻れず、

 仕事も出来ず、

 付き合っていた男にも捨てられ、


 私の手元に残ったものは、この本だけ。


 そして今日も荒んだ心を現実から逃避させるために、小説の中へと身を投げる。

 いつものように、手になじんだ小説を開く。


 すると、あることに気が付いた。


 ……ブックマークが無くなっている?


 本に挟んだおいた栞さえも、いつの間にか冷たい風に飛ばされて、無くなっていた。


 長年寄り添ってきた栞にさえも見放されるなんてね。


 でも、栞なんて無くても構わない。

 何回も読み直したこの本は、もう何ページに何が書かれてあるかすら、覚えてしまっている。

 栞だって、こんな私という、ちっぽけな小説のために挟まれるのは可愛そうだもの。

 もう挟まれる人生などから抜け出して、自由になりなさい。

 本なんかに囚われずに、もっと自由で広い世界へ……


 全てに見放されたように虚しさから目を背けるように、ただ静かに物語を追っていく。

 文庫本に刻まれた文字の配列。

力なく上下に動かす瞳。

 しかししばらくすると、ページをめくるスピードも遅くなり、そのうち止まる。

 いつのまにか読むわけでもなく、ただぼんやりと視線を落とし、ただ眺めているだけになった。


 しまいには視界が冷たい池の中に落ちたように、潤んで霞んで見えなくなる……


 ……


…………


 ……急にページに影が落ち、暗くなる?


 ふと顔を持ち上げると……いつの間に?


「お前、またこんな所で本なんか読んでるのか?」

「……課長?」


 目の前に課長が立っていた。

 ネクタイをきっちりと締め、細身の体に、ネイビー系でコーディネートされたスーツをうまく着こなしている、仕事のできる男性。


 その課長が、なぜかここにやって来ていた。


「風邪ひくぞ」

「ちょっと、目を覚まそうかと……」


 慌てて袖で目を擦り誤魔化す。


 そう、私は目を覚まさないと……今まで見ていた夢から。


 課長は、まるで捨て猫を見るような目で、私に視線を落としていた。


 課長は……

 私が新入社員として初めてここにやって来た時の、新人指導係として担当した先輩がこの方だった。

 出来の悪い私を最後まで面倒見てくれた感謝は今でも忘れていない。


 とても優秀な人だった。

 私のせいで足を引っ張ってしまい。

 しかしそんなことをもろともせず、次の年には係長となり、先輩から上司に。

 そしてこの若さで課長にまで出世した。

 頼りになる先輩から、良き上司へ、そして雲の上の人へと……


 今も同じ課ではあったが、ほとんど話すこともない。

 おいそれと話せるような関係ではなくなってしまっていたからだ。


「横、座っていいか?」

「どうぞ」


 私の横に腰を下ろすと同時に「ほら」と、ペットボトルのホットレモンを差し出してくれる。


「ありがとうございます」


 滑らせるように手で受け取る。

 その温かさが、腕を伝って体全体に染みわたる。


 私はコーヒーが苦手だ。

 まだ課長が先輩だったころ、よく差し入れでコーヒーを何本も、もらっていた。私は正直に言うことが出来ずに、お礼を述べて笑顔で受け取っていた。


 ある日、同僚の子とトイレで世間話をしたはずみで、私はコーヒー飲めないのに、先輩は馬鹿の一つ覚えみたいに持ってきて困ると、その場の流れでつい言葉にしてしまった時があった。

 次の日、仕事でも叱られたこともないのに、初めて怒られた。

「なんで早く言わないんだよ!」と……

 それ以来、なにかあると、寒い日には私の好きなこれを、持ってきてくれるようになった。

 これはお互いが、これから会話を始める挨拶がわりの、儀式みたいなものと、いつのまにか私たちの間でなっていた。


 課長は、誰もが憧れるような人物だった。

 羨ましいほど明るく、

 嫉妬するくらいカッコよくて、

 尊敬するほど有能で、

 スーツの着こなしも、身だしなみも、話し方も、表情も、全てにおいて魅力的で……


 そんな課長なのに、未だに浮いた話一つもない。

 その気になればどんな女性でもつき合えるというのに。

 きっと、仕事一筋なんだ、と考えていた。

 だから私にも異性としてではなく、単に仕事上の付き合いとして接してくれているのだと思い込んでいた。

 でなくてはこんな私に、先輩後輩の時代から優しくしてくれている理由が説明できない。


「あのさぁ……」

「はい」


「なんというか、聞きにくいんだけど」

「どうぞ」


「……別れたんだって?」


 女同士の噂話は怖い。

 ネット以上に繋がり、そして早い。

 私はまだ誰にも話してなんかいないのに。

 既に課長の耳にまで入っているなんて。

 知られたくなかった。

 なぜかこの人には、私の恥ずかしい部分を見られたくなかった。


 思わず背を丸めてしまう。

 でも、それも時間の問題だと、自分に言い聞かせて……


「……はい、そうです」

「そうか」


 言葉少なく呟くだけ。


 私は、今でさえ平静を保ってはいるが、分かれた当初は、

 さんざん泣いて、恨んで、怒って。

 仕事にも行きたくなくて、でも休めなくて。

 それを繰り返して、今ではもう、どうでもいい他人の昔話みたいな感覚。


「君みたいな人を振るなんて、そいつも見る目がなかったな」

「……」


 むしろ私が、あいつのことを振ったのだと思いたい。

 人を自分の栞としか思わないような、あんなやつに……


「あのさ、あそことの取引、打ち切ってもいいか」

「え?」


 突然の!?

 意外な言葉に、声が裏返る。


 しばらく間をおいて、話しにくそうにしていた課長は、私の顔を見ることなく、ゆっくりと口を開く。


「あそこ、効率悪いんだよ。もっといいところ探せばいくらでもあるんだよ。態度も悪いしさ」

「なぜ、そのようなことを私に?」


「いや、なんて言うか、取引先の男性と付き合ってる……からさ。その、君の面子というか」

「別に……どうぞ好きにしてください。私には、あの人もあの会社も何にも関係ありませんので」


 そんなことを気にしてたなんて……

 私のことなんかよりも、会社の利益のことを考えればいいものを。

 取引を打ち切れば、私があいつに何かされるとでも?

 二人の仲が悪化するとでも?

 私がこの会社を快く思わなくなるとでも?


 組織より私個人を意識するなんて、課長として、失格ね。


「そうか……」


 申し訳なさそうにそう言って、無理やりの笑顔を見せる。


 でも…… 

 この人はそういう人だ。

 いつも後輩や部下のことを大切にし、そしてすべて把握し理解しようと努めていた。

 趣味も、好みも、行動も、性格も、生年月日も、出身地も……

 全て調べ上げて、記憶していたのだった。


「課長。これ、仕事上の会話でしょうか?」

「……いや、個人的な話かな」


 バツの悪そうに笑っては続けて言う。


「業務上の内容だったら、こんな所には来ないよ」


 と、今度は無邪気に笑って見せる。

 そんな姿が私の傷ついて荒んだ心を、優しく癒してくれるのが分かった。


「業務のことだったら、暖かいオフィスの居心地の良い椅子にふんぞり返って、君を俺のデスクの前まで呼び寄せればいいだけなんだからな」

「じゃあ、何の用事なんでしょうか? わざわざこのような場所まで?」


「まあ、その、なんだ。あれだよ。その……」

「はい?」


「まあ、いろいろあるだろうが、元気だしな! って話だよ」


 仕事の時とは打って変わって、気さくな青年のような顔で、意外な言葉を口から出してきた。


「もしかして、励ましてくれているんでしょうか?」

「……それ以上の話、なんだけどな」


 それ以上? 

 励ます以上の事とは?


「俺はまあ、その、自分で言うのもなんだが、仕事はできる方だと思うんだよ」

「はい。そうだと思います」


「だけど、それ以外の事は、なんというのか、さっぱりでさ」

「……そのようですね」


 ……と思わず上司に向かって話す言葉ではないことと気付いてしまう。


 そして……

 お互い余計なことを口走ってしまったようで、無言の気まずい空気が辺りを支配する。


 そしてそれを先に破ったのは課長の方だった。


「ああ、そうだ! これ拾ったんだ。返すよ」


 何かを思い出し、ポケットから、あるものを取り出す。


 それは……


「しおり?」 


 無くなったかと思った私の栞を、どこかで拾ってくれていたようだった。


「これ、大切なものなんだろ?」


 そう言って栞を差し出す。


「ありがとう……ございます」


 しかし、手に握られた栞は、強く握りしめられていたことで折り曲がり、しかも? ここに来るのに走ったからなのか? 汗で若干、湿っていた。


「あっ、すまん。つい力んで、クシャクシャにしてしまって……」

「……よく分かりましたね」


「え?」

「これが私のだと、よくご存じで……」


 なんの変哲もない、長方形の、ピンク色の、長細い、栞。

 どこで落としたのかは分からない。

 その栞が、なぜ私の物だと……


「いや、だってお前さ、新入社員として入って来た時から、その本、持ってたじゃないか」

「……」


「それにずっと挟んでいただろ?」

「……」


「いつも持ち歩いてんだから、さぞかし大事なもんだろうってさ」

「……」


 そんなところまで、見ていてくれたんだ……


 課長らしいといえば、課長らしい……


 もしかしたら……


 この人なら、私を一人の人間として見てくれる?

 たんなる栞としてではなく、私という小説として、端から端までちゃんと読んでくれる?


「……栞は、もういらないです」

「いらない?」


「はい、もうこの本は読まないんで」

「そう……なのか?」


 私は開いていた本を閉じ、そして課長に差し出す。


「かわりに、これ読んで勉強してください」

「勉強?」


  この本は私の大事にしてきた、心のよりどころ。

 私そのもの。

 それをあなたに預けます。


「歌謡は仕事人間ですので、先ずはこれを読んでいただき、女心を学んでください」

「ははは、分かった。徹夜して明日までに読んでくる」


 嫌味なく明るく笑って見せ、素直に本を受け取ってくれる。


「また明日、待ってますので。ここで」

「わかった」


 久し振りに感じるこの、宙に浮くような高揚感。

 照れくささを隠すかのように、思わず逃げるようにして、課長一人を置いて走り去ってしまう。


 課長なら私のことを……

 いや、そんなおこがましいことは思わない。


 失恋に弱っている私は、課長の優しさのせいで、どうやら思考が変な方へと向かっているようだった。


 私の恋愛は、小説のようには上手く行かなかった。


 でも、

 私は、あの人の役に立てれば。

 あの人の為なら。

 あの人の描く物語の結末をみて見たい。

 そしてその為なら……


 私は、あの人の、

 ブックマークになっても、

 いいかも……


最後までお読みいただき、ありがとうございます。


こんな感じの内容は、いかがでしたでしょうか?

試しにこっちにも投稿してみました。


ではまた、機会がありましたら、どこかでお会いしましょう。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 直接的なことを一切言わない大人のドラマの一場面て感じでニマニマしました~ [気になる点] 本を読んだ課長がどう変わっていくかが気になる
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