18. ヒロイン
目を覚ますと見慣れつつある天蓋に誰かが部屋まで運んでくれたのは容易に想像でき、小さな溜め息を溢した。
アントニオやウルフラムであれば、ずっと部屋に居そうなものだが。
誰も居ないということは彼らではないのだろう。
結局パンを配る間もなく落ちてしまったため、目的を果たせなかったと少し後悔しながらもトルシェの体調が良くなっているのであればその甲斐もあるというもの。
誰かに聞いてみようと軽くなった身体を起こし、部屋を後にした。
隅々まで磨かれた大理石の廊下の中央には赤い絨毯が引かれ、先まで続いている。
明るい時間だというのに人一人居ないなんて珍しいと視線を彷徨わせながら歩いていると後ろから聞こえた呼び止める声に振り返った。
華奢な身体にフランス人形のようなブロンドの巻き髪に整った顔立ち。
長いまつ毛とピンク色の瞳は印象的で、淡い黄色のドレスがとても良く似合っている。
まさかと記憶を手繰り寄せてみるとやはり見覚えの有りすぎる彼女に目を見開いた。
「貴女がナタリィ・アロームさんですよね?私はシュトラゼル公爵家のクレア・シュトラゼルといいます。少しお話できませんか?」
申し訳無さそうにそう言うクレアに軽く頷くと慣れたように何処かへと誘導される。
向かった先は3階にあるテラスで紅茶とお菓子が準備されているものの人気はない。
シュトラゼル公爵家といえば、乙女ゲームのヒロインだったはず。
そんな彼女が物語の何処にも出てこないような存在に何の用だろうか。
思い当たる節がないため、思案していると席へ促された。
「いきなりで驚かれたでしょう。」
「そう、ですね。」
「貴女のことはテレンス様から聞きました。一度お話してみたいと思っていたのです。それに、今回の一件は貴女の所為だと御触れが回ってましたから。」
「私の所為?」
「えぇ。カーネリアとヘリオドールでは大罪人だとされています。ご存知ないですか?」
「…知らなかった。」
「最高位の魔法使いに王国騎士団長の子息。それにトルシェ様まで。争いを起こすことが貴女の目的だったのですね。」
大罪人と呼ばれている事自体納得ができないのに争いを起こすことが目的だったなんて酷い言い草だ。
身分関係なくハッキリと物言う彼女がこの世界ではとても珍しく、恋愛対象である彼らの気を引くという設定は理解しているつもりだが、勝手な判断で決めつけるのは止めてもらいたい。
クレアの言葉に否定しようと口を開きかけたが、空から降りてきた銀色の魔獣に遮られた。
「ウルフラム様!」
「クレア?何でここにいるの?」
「カーネリアは危険だからとテレンス様が連れてきてくださったのです。」
「フランシスだけじゃ守りきれないわけね〜。」
「多方向から攻め入られていると聞きます。カーネリアに戻られるつもりはないのですか?」
「んーナタリィが戻りたいなら戻ってもいいけど、今の俺にメリット無いもんなぁ。」
「私のためじゃダメですか…?」
人型になったウルフラムに上目遣いのままそういった彼女に考えるような仕草をする。
今までであれば嫌だと即答していた彼には珍しい。
「いいよ。アントニオも行くよね?」
「…あぁ。」
その言葉とともに姿を表したアントニオは無表情のまま頷いていて、クレアだけを見据えていた。
嬉しそうに笑みを浮かべる彼女の手を取ると三人は残像とともに消えていってしまう。
一人テラスに残されるという今までならありえない状況に、凄いと感心しながら冷めてしまった紅茶で喉を潤した。
寂しいとかそういう感情は一切ない。
彼女はヒロインだから。
私のようにゲームの配役にすらなっていない存在など、無いも同然だ。
クレアに気付いたとき、何か起こるかもしれないと覚悟はしていた。
ただ、私だけ大罪人という扱いなのは予想外だったけれど。
こうなると私の両親は危険な立場に立たされているのではないだろうか。
そう思ってみても今の私がカーネリアに戻ったところで事態を悪化させるだけだ。
アンバードに伝わるのも時間の問題か。
「…どうしようかな。ヒロインが出てきたってことは三人にとって私は要らない存在になったってことだよね。それなら私は…。」
独り言を呟いてから空へと視線を向ける。
彼らの居ない今、いつまでも居候する訳にはいかない。
大罪人と呼ばれているなら尚更だ。
アンバード皇国が匿っていたなんて云われのない噂出れば、国の信頼を揺るがす大問題になるだろう。
ただでさえ、混乱した世の中だ。
悪い噂は瞬く間に広がっていくはず。
そっとカップをソーサーに戻してから立ち上がり、クレアに案内された道を戻っていけば客間に辿り着いた。
持ち物など殆ど無いが、パン屋で着ていたエプロンワンピースを見つけほっとする。
こんなドレスでは動きづらくて敵わない。
人気が無いことを確認してから裏口を探し歩くと意外にも簡単に見つかった。
城は何処も同じような構造をしているらしい。
城下町に繋がっているのだろうと門をくぐったが、目の前に広がるのは深い森で。
明るい時間とはいえ、葉が影になっているため薄暗く、入るのに少し躊躇したがゲーム内でお化けのような非科学的な存在は出てこなかったはずと意を決して足を踏み入れる。
ひんやりと冷たい空気は少し肌寒い。
「ナタリィ、何処に行くつもりだ?」
銀色の髪に真紅の瞳。
いつもなら整えられているはずの髪は少し乱れ、口調と纏う雰囲気も違う。
「…トルシェ様…?」
「何も言わずに出て行くなんて失礼だろう。」
そういった彼は瞳を細めるとゆったりとした足取りで近付いてきた。
後退りをしてみるが、いつの間にか背中に当たる魔法壁に阻まれ逃げることが出来ない。
あからさまに怒気を含んでいるトルシェの表情にゲーム内で見た一部始終を思い出す。
彼のためにと選択したことだったが、余計なお世話だと言い放たれ。
拳で壁を殴ったあの時の表情と重なる。
そういえば言葉遣いも敬語じゃなかったはず。
画面に映し出されたBAD ENDの文字に何度絶望したかわからないが、あの後どうなったのだろうか。
嫌われるとかその程度だよね…?
赤黒い魔力を纏う彼に無意識に身体が震えているようだ。
「ここに居るのが嫌か。」
「…そ、そういうわけでは…。」
「ならなんだ。俺が嫌いか…?」
「ち、違います!私は大罪人だと聞いたので、ここに居るのは不味いかと…。」
その言葉でトルシェの目付きが先程より鋭くなっていく。
誰から聞いたのか想像できているらしい。
大きな舌打ちが聞こえてくると同時にいきなり抱き上げられた。
視界が変わり、不安定な身体に思わず彼の服を掴む。
「…二人は行ったか。」
「え…?」
「シュトラゼルの令嬢と一緒にカーネリアに行ったのだろう。」
「…。」
「あの令嬢に嫌悪感しか無い俺には効果はないが、面倒だな。」
「それはどういう…?」
「魔力には様々な特性があるのは知ってるだろう。あれは魅惑の特性を持っている。自分の魔力に当てるだけで相手を虜にできるらしい。それ故にカーネリアの救世主なんて呼ばれているが、人の心を無理矢理惑わせるようなもののどこが救世主なんだろうな。」
不服そうな顔をしながらそう言って歩き出した彼は城へと戻っていった。
怒っているのは変わらないが、手荒な真似をするつもりはないのか。
客間にあるソファーに降ろされ、机に置かれた軽食を促される。
初めは躊躇したものの、腹が減ったと主張する身体に逆らうことも出来ず、食事の挨拶を済ませてからサンドイッチに手を出した。
「…やはり君は母上に似ているな。」
「?」
「…本当に16歳なのか。」
「一応…そのはずですけど…。」
困ったように笑うと何を思ったのか背中側に身体を滑り込ませ、鼻先を髪に押し付けながら深呼吸を繰り返し始める。
よくわからない状況だが、機嫌を損ねている彼を刺激するのは止めようと何事もないように装い、食を進めていった。
「…ふぅ。ご馳走様でした。」
その言葉を見計らったかのように現れたメイド服の女性は無表情のままお皿を片付け、すぐに去っていく。
静かな空間に柱時計の音だけが響き渡っていて、何だか居た堪れないが、今のうちに彼の言葉を思い返してみよう。
ヒロインであるクレアの魔力特性である魅惑。
正直、彼女にそんな設定があったなんて寝耳に水だが。
ありえなくはないかと納得した。
誰もがヒロインの魅力の虜になっていくという乙女ゲームにありがちな設定。
それに名前が付いたというだけだ。
転生前にトルシェを攻略出来なかったのはここから来ていたとか?
でも、何故彼だけ彼女の特性を知っているのだろうか。
アントニオとウルフラムがその魅惑に当てられたのだとしたらそれを知らないからだ。
自惚れるつもりはないが、本当にクレアを好きになっていたのならば二人の暴走は起きなかったはず。
「…他の男のこと考えているだろう。俺は浮気を許すほど寛大じゃない。」
「浮気って…私とトルシェ様は恋仲とかではありませんよね?」
「恋仲でもないのに身体を許すのか?随分と身持ちが悪いようだ。」
「そう思うなら離してもらっていいですか。」
「…ごめん。相手に嫉妬しただけ…このままで居たい。」
イラッとしてそう返すと急にしおらしくなった彼は腰に回していた腕の力を強め、離す気はないと意思表示をしている。
母上と似ていると言っていたことを考えると恋愛感情ではなく、母親と重ねて求めているのだろう。
そういえば、トルシェの母は彼が幼い頃に病気で亡くなったという。
厳格な父にキツく当たられていた彼にとって唯一の逃げ道だった母という存在はとても大きいものだと設定に書かれていた。
このゲームは攻略対象のキャラ一人一人が可哀想な過去を持っていて、それを克服させるのもヒロインの役目で。
全く関係のない存在だったから忘れかけていたと少し反省しつついつまでこの状態が続くのだろうと小さく溜め息を零すのだった。




